二話⑦
同情されてしまったのか、アンミは自分の前にある皿を俺の方へと動かそうとした。人の食事を横取りするほど、飢えているというわけじゃない。
それはそれとして、アンミとミーシーの元々の生活というのが一つ明らかになった。当たり障りのない部分ではあるが、外堀を埋めるという意味でこういう会話もできると良い。進んで話す気配がない以上、いきなり核心を突いても警戒されるばかりだろう。
「スイラお父さんはね、畑で野菜を作って、それを採ってきてくれる。ミーシーはどんな料理が良いって教えてくれる」
なら、お父さんは実在の人物か。アンミは楽しそうにお父さんの仕事を語って聞かせた。自営の農家ということなのか、ほのぼのと畑仕事をしている情景が知らされる。時に材木を使って家具を作ったり家を補修したりと、なかなか頼れるお父さん像の浮かぶエピソードが続いた。
そこら辺の木を切り倒して平気な地域というと、結構な田舎住まいだったんだろうか。まあ別にここらでも別に勝手に切って怒られることもないのかも知れんし、なんなら林業、農業の兼業ということだったりするのかも分からん。
そんなたくましいお父さんから離れた理由というのは当然のように語られなかったが、少なくともアンミが話すのを見ている限り、アンミはお父さんのことが大好きなようだった。すごく大きな椅子をいくつも作って、壊れた家具を焼いてキャンプファイヤーみたいなこともして、畑には大穴を開けてそこで寝られるのだそうだ。そして美味しい野菜を採ってきてくれる。冗長で不明瞭で一貫性のない話し方ではあったが、言いたいことというのは十分に伝わってきたし、アンミはいくら語っても話し足りないというようにもどかしそうにあれもこれもと付け加えたがった。
力持ちでエネルギッシュで優しくて、おおらかで楽しい。そこに嘘や誤魔化しが入り込む余地というのはない。一方でミーシーはそれらの話にまるで混ざろうとしなかった。これは元々の気質の差だろうか。
「なるほど、それは良いな」
「うん。畑でだけじゃなくて、山があるから、そこでしいたけみたいなキノコとかも採ってくれる。しいたけじゃないけど」
「で、アンミは料理の仕事を担当してるってことか」
「うん、そう」
どうやらお父さんというのは結構な働き者のようではあった。
「料理もそうだが……、洗濯とか掃除とか、そういう家事は、当番制なのか?分担してるか?ミーシーもやってるというか、やってたのか?」
「洗濯物はね、ミーシーが、今日は洗濯物がよく乾くって教えてくれる」
「それは朝起きてカーテン開けた時の感想だろう。……?洗濯物を干すのは誰がやってるんだ?」
「……?私?」
「ん、その、じゃあ、家の掃除とか、まあ別に掃除は毎日やるもんじゃないかも知れないが、掃除は誰がやってるんだ?」
「掃除は毎日やってる。私は、毎日してる」
「じゃあ、ミーシーは、何をやってるんだ?当番というか、担当の仕事は」
「私が起きるの遅いと起こしてくれる」
「それはその、仕事は……、してないのか?ミーシーは」
「えっと、あの、髪を切ってくれる。私の髪が長くなったらミーシーが切ってくれる」
「それは確かに仕事ではあるんだが……、普段の仕事というのは分担されてないのか?口を出して良いのか分からんが、なんかお前に仕事が集中してたりしないか?」
「そう?そんなことはない。ミーシーがその……、何かあったら多分、助けてくれる?」
「…………ん、んぅ。そうか」
ちょっとこれは本題から外れる話ではあるんだが、今我が家の家事分担がどうなっているのかというと、多分全部、アンミがやってくれている、ということになる気がする。
もし、ミーシーがやってくれてる仕事があるなら、適材適所で俺も仕事を手伝うぞと言い出したいところだった。分担にせよ当番にせよ、公平に仕事を割り振ろう、美味しい料理を作ってくれるアンミに俺も何か役立てることがあれば教えて欲しいと、言いたいところで、なんか元々住んでたところでも不公平な仕事の集中が起こっていそうな、不穏な事情が浮かび上がった。
もちろん経緯や事情というのがあるのかも知れないが、……ミーシーが仕事をしていなかったように、聞こえる。ミーシーも別にそれに反論したり訂正したりしない。俺も現状、あまり人のことをとやかく言える身分ではないが、さすがにアンミに全部押しつけるというのは心苦しさがあった。
「ミーシー、お前は例えば、料理はしないのか?」
二人で仲良く料理をしててもおかしくはないと思った。料理を分担して作業しても良いし、味付けについて話し合いをするというのも、ありそうなもんだが。
「しないわ」
「そうか、しないか。……まあできないものは仕方ないんだが、何かしら」
「できるわ」
「ん……。料理をか?じゃあ、できるならアンミとたまに交代するなりてつ……」
「しないわ」
「しないのか。料理はしないんだな。しないというか、要するにできな……」
「できるわ」
「いや、だからできるなら、手伝うなり交代なり……」
「しないわ」
「…………。できないだろう、お前は。できないんだろう、……何をそんな」
「できるわ」
譲る気配がない。根気強く言い合っても無限ループだろう。俺は別にできるできないで文句を言いたいわけじゃないのに、全然話を続けさせてくれない。一旦、ここで料理の話は区切るしかない。
当然向き不向きがあるのは重々承知してるし、俺なんかもアンミの手伝いには向かないだろう。一人でてきぱき仕事をしているアンミの横で為す術なく突っ立っていたとして、やはり邪魔にしかならない。おそらくミーシーも過去手伝いというのをしてこなかったんだろうし、まあやる気もなさそうだ。
「ミーシー料理できるよ。……ええと、しないけど」
諦めたところに、アンミからミーシーへの擁護意見が出た。
「しないけど、できるとかそういうことあるか?お腹が空いたから味見を手伝ったとかそういう話だろう?」
「…………」
アンミは黙って、何かを思い出そうとしているのか目線を上に向けて、首を何度か上へ下へと揺らした。何秒か待ったが答えはない。それは多分、ミーシーがこなした手伝いというのを、俺が言い当ててしまったからだろう。味見はやりそうだし、……味見は手伝いとはいえない。
「つまみ食いくらいならしてあげましょう。でもそもそもアンミは手伝って欲しくないでしょう」
「え……。うぅん、えっと、そんなことはないけど」
「そんなことないことないのよ。やって欲しいことがあるなら言いなさい。でも今までそんなこと一回も言ったことないでしょう」
シンデレラと意地悪な姉みたいな構図だった。そりゃこういう言い方をされたら手伝ってなんて言いたくても言えない。ミーシーは声色にもトゲを乗せて、苛立ったように話していた。俺がちょっと油を注いでしまったという面がありそうだが、さすがにこれはアンミが可哀相だ。
「いや、……そういう言い方はしてやるなよ。お前も別に、ほら、時間はないことないんだろう?それに、ちょっと心苦しいという面もないことないはずだ。アンミにばかり仕事させてたら、そわそわしないか?」
「しないわ。心苦しくもないわ」
「じゃあまあ、その……、良いんだけどな」
「ねえ、私が駄々こねて仕事をやりたくないなんて言ってるわけじゃないのよ。アンミが本当に手伝って欲しいと思ってるのならいくらでも手伝ってあげるわ。でも本心からそう思ってないでしょう?あなたも勝手な勘違いで物事決めようとしないでちょうだい。昼から掃除もするわ。アンミが手伝って欲しいって言うなら手伝うわ、それで良いでしょう?分担とか交代とか馬鹿なこと言い出さなくて良いわ」
「悪かった。……そう怒るな。アンミ、遠慮なく、手伝いが必要だったら言ってくれたら良い。俺にも何かしらやらせてみてくれ」
「うん……。分かった」
「ミーシーもな、機嫌を直してくれ。俺が料理ができるできないと言ったことを怒ってるのか?俺だってできないし、そんなことでお前を貶めてるわけじゃない。ほら、猫探しも手伝ってくれたし、役に立ってるんだ。拗ねないでくれ」
「そうやって心が狭い人間だと思われることも心外なのよ。まあ良いわ。役立つところで役立ちましょう。それが適材適所でしょう」
本筋から外れた部分で、空気が悪くなってしまった。良かった部分というのを強いて挙げるなら、ミーシーの不機嫌な様子というのがよく観察できた。どうやらこういう感じで苛立った様子を見せるらしい。今まではこうまではならなかったし、今はそのなりを潜めている。どこが地雷になっているかはとんと分からんがあれがレッドゾーンだということを肝に銘じて会話するのが良いらしい。
意外なことにというのか、刺々しい空気はその後すぐに霧散し、特に尾を引くこともなくミーシーはアンミへおかわりを要求していた。ミーシーの感情の起伏というのに慣れてるものなのか、アンミも普通に笑顔でそれに応じている。俺だけが若干の居心地の悪さを感じたまま「ごちそうさま」と手を合わせ、台所へと皿を運んだ。アンミは食器洗いを行うようだし、ミーシーは椅子に座ったままゆっくりと過ごすようだ。
俺は若干こそこそしながらまた自室へと戻る。
「さて……」
「ニャ。浮かない顔してるニャ」
ドアの開閉音でか、俺のため息混じりの一言でか、ミーコは目を覚ましてベッドから顔を出した。表情まで読み取られてしまうか。隠し事の難しい同居人だ。
「浮かない顔してるか?どういう基準で判断してるんだ?」
「大体そういう雰囲気を感じるニャ」
「…………。そうか。めそめそ女々しいことを言い出したら主人の威厳が損なわれたりするか?そんな飼い主に失望したりするか?」
「まあ内容によるニャけど、男の子も泣きたい時は我慢せずに泣いても良いと思うニャ」
「泣くほどのことじゃないが……。あれだ、ほら。ミーシーをちょっと怒らせてしまった。こう……、難しいな。俺は別に悪気はなかったんだが、また一つ嫌われてしまったな」
「ミーシーは、健介のこと、嫌ってないニャ」
優しい猫だ。飼い主の威厳など放り捨てて仲介役をお願いしたくなる。弱さをさらけ出して慰めて貰いたくなる。だが、ほんの僅かなプライドがかろうじで泣きごとを押し止めた。
「もっとこう、勿体ぶって恩きせがましく部屋を与えれば良かったのかな……。よく考えると俺はちょっとは、感謝されそうなものだろうに。少しは喜んでくれても良いだろうに」
「気の持ちようだと思うニャ。感謝されてるはずなら、多分感謝されるニャ。表情見て分かりづらいこともあるニャ」
「お前もまあ、……でもお前はなんか分かる気がするんだよな。こういっちゃなんだが、お前の気持ちというのは、なんだか伝わってくる気がしてる。ミーシーが悪いと言いたいわけじゃないんだが、それでもこう、歩み寄る姿勢というのがな、大切だったりはするだろう」
「相手あってのことニャから。遠いと思うなら健介がミーシーの分も余計に一歩寄ってあげると良いのニャ。寄り添いたいと思うのならそうするしかないニャ」
「そう簡単なことじゃないな……」
ミーシーが一歩こちらへ寄るのを待つ必要などなく、俺が二歩進み出れば済むという論法なんだろう。好かれていないのなら、好かれるための努力を二倍三倍すれば改善するという……。ただそれはあくまで、こうであれば良いという理想論に違いない。
受け取り手の感情係数というのがゼロやマイナスということも大いにあり得る。取り組み方の問題もある。善かれと思ってやればやるほど、どんどん距離を空けられるという悪循環に陥りかねない。
「まあ当分は普段通りしたらどうかニャ。ミーシーは健介のことを嫌ってたりしないし、健介は優しいから、きっと少しずつ距離も近づいていくニャ」
結局慰められることにはなってしまった。対人問題を猫にカウンセリングして貰って、少し心は楽になった。同時に情けなくも思うし、ミーコとミーシーの難しさの対比は際立つ。ちょっとずつ、少しずつ、まあ、時間が解決してくれるというのは俺好みの理屈だ。
「ああ、ありがとう。不思議と……、いや不思議でもないか。話して気が楽になった。それはそうとちょっと俺は出掛けてくる。どうする?この部屋にいるか?出てればまあ、アンミとかミーシーが遊んでくれるかも知れんが」
「私はまだしばらく寝てるニャ。二人も掃除とか忙しいと思うニャ」
「そうか。じゃあ、行ってくる。大人しく待っててくれ」
「ニャ」