七話⑩
「ああ」
陽太はヘルメットを脱いでそれを脇に抱え髪をかき上げた。どうしてか、汗だくだった。
「何かやってる最中だったか?そういえば、お前、バイク買ったはともかく、免許はいつ取ったんだ」
「健介はよくそういう答えづらいとこにピンポイントで質問するな。普通二輪無免許なら、持ってるのだが」
「……持ってないのか?」
「……持ってないというとまるで全くの無免許のように聞こえるのだが、教習所には通い終わっているのだ。最後の筆記テスト待ちなだけで、実質な、待っているというだけでテストはもう完全に合格できる予定でいる。運転能力的なことをいえば免許は持ってて、……今確かに手元には免許証はないのだが、仮にバイク乗ってきても免許の不携帯は罰金だけだからな?」
「な?じゃないだろう。そういう精神性ならなおのこと免許を手にする資格がない、いや……、ん?まさかと思うが」
「健介はそう言うと思っていたのだ。一体俺が何に違反したというのだ?ん?どうだ?見て分からないのか?」
「…………。押してきたのか?自慢したくてわざわざ持ってきたのか?坂、……つらかったろう」
「まあな!」と、元気一杯に答えているが、帰り道のことまで考えてるんだろうか。ヘルメットを被ってバイクを押して歩く陽太の姿を、見掛けた人々は戸惑わないものなんだろうか。
親切な人など声を掛けてガス欠ならガソリンを分けてあげると言いそうだ。故障ならJAFを呼んであげると言いそうだ。まさか『無免許だから押してます』などと返事が返ってくるとは思わない。
「それはそうなのだが、さて、本題の……、健介」
陽太はヘルメットを抱えたまま靴を脱ごうとして足をもぞもぞやって、その間にアンミがこちらの様子を見に、俺の背後までやってきた。
「うわあ……」
「ええと、はじめまして。アンミです」
「アンミちゃんというのか。斉藤陽太という者だ。よろしくな。しかし……、ああ、アンミちゃんごめんな。ちょっと一回そっち戻って貰って良いか?」
「え?うん。じゃあ戻る」
陽太の要望に応える形でまたアンミは居間の方へと歩いていってしまう。別に話しながら居間へ行けば良いのに、何故またそんなことを言い出すのか、すごく簡素な一言の挨拶で陽太とアンミの会話は一旦終わった。
「これは、もう健介あのなあ……、印象最悪なのだが……」
「お前の第一印象がか?バイク押してきて汗だくなのはもう仕方ないから正直に話そう。分かってくれるはずだ」
「いや、俺の印象は別にどうでもいいのだが、ちょっと店長にはちゃんとありのまま説明しないとならないな」
「何をだ?……まさか今の一瞬でいちゃもんをつける気か?マナーが必要な場面でもなかったと思うんだが」
「いやでも、見て分かるからな、健介が……、ああなるほどな。よく分かったのだ。もう色々よく分かったのだ。結局健介は店のこと考えて料理人探したわけじゃなくて、未成年のかわいくておっぱい大きい子をナンパする口実にアルバイトを持ち掛けたということなのだろ?ちょっとそうなると賛同しかねるのだが」
「…………。誤解だ。俺の印象か、悪くなったのは。全然そういうわけじゃない。それは、だってお前、仕方ないだろう、たまたまかわいいだけだ。俺のせいじゃない」
「たまたまかわいいまではあるとしてもたまたまおっぱい大きかったりするか?言い訳するならもうちょっとまともな言い訳すると良いのだ健介は」
「それも俺のせいだったりしないだろう……、あとそういう話をするなよ?アルバイトを、してくれるという話になってるんだ。それは確かに俺が持ち掛けたが、別に街で見掛けて好みだったから声掛けたわけじゃない。元から、そんな、知り合いで……」
そこで陽太がはっと顔を上げ、俺も背筋にぞわりと悪寒が走った。
「親戚なのよ、遠いけど親戚みたいなものでしょう。そんなとこいつまでもいると寒いでしょうに。早く中入りなさい」
ケガしてるはずなのに足音どころか、床を踏んだような音すらしなかった。
「親戚……、親戚なのか?髪青くないか?」
「染めてるのよ、そういう病気なのよ。どっちでも良いけど、さっさとこっち来て始めましょう」
「そう、……親戚でな?」
「健介とかはもうその辺の野生の猿とかとも親戚なのよ。そう考えたら私が親戚でも不思議ではないでしょう?陽太」
「猿とかも親戚なら、まあ、そうかも知れないのだが……、ああ、じゃあそういうことならそれで良いのだ、えっ?いや、一層疑問は深まったような気もするのだが?今ので俺は説得されてしまったことになるのか?」
さっそく割と、出だしが危うい。俺と二人の関係性について疑問を持たれてしまっている上に、俺の中では、おっぱいはセクハラになり得る危険ワードだ。少なくとも初対面の第一印象で呟かれる話題としては悪い。
「今の、いくつなのだあの子?おっぱいは割とあったのだが」
「あのな陽太、まず、おっぱいという言葉を使うな。そして、背が低いことにも触れるな。良いか?」
「ちょっと待って欲しいのだ。今、まず健介は二人?かわいい子を見つけて、アルバイトを口実に誘い出して?しかも俺はこの後、おっぱいという言葉を使えなくなってしまうのか?何がどういう理屈でそうなるのか分からないのだが」
「今だけで良いから初対面の女の子に、セクハラ紛いの発言をしないでいてくれ。そして、親戚だと、言ったろう、さっき、ミーシーが」
「ミーシーちゃん、な。分かった、ああ。そうかそうだったな。なら……、仕方ないか。親戚?」
実際のところ、俺が陽太の立場であったとしても、同じような疑問を抱いた可能性は否めない。むしろ疑っていることを口にしてくれるだけ随分と状況説明をしやすいものかも知れない。
玄関を上がり、居間の前まで歩いていく。陽太はやはり腑に落ちないようで、顎を手のひらで包んで首を傾げながら二人をじぃと眺めていた。
「はじめまして。面接というのもなんなのだが、健介が無理やり強要してバイト応募させたわけじゃないのか話を聞きにきた、つもりだったのだが、それよりももっと重大なことを確認しなくちゃならない気がするな。そうだな、まずそっち座って貰って名前だけ教えてもらって良いか?」
立ったまま待っていたアンミをソファへ着席するよう促して、当の陽太は抱えていたヘルメットを下ろしその上に腰掛けた。ソファにアンミとミーシーが座っていてその対面にヘルメットに腰掛ける陽太がいるという構図になる。
俺は果たしてどちらに立てば良いものなのか。まあとりあえず飲み物でも用意してやって、大体中央で視界に微妙に入るくらいの場所にでも腰を下ろそう。
「はじめまして、斉藤さん。私はアンミです」
「名字まで名乗りなさい。水楽アンミよ、アンミをよろしく、陽太」
「アンミちゃんは分かったのだが、小さい子の方は名前はなんて言うのかな?というかさっき聞いたから一応の確認なのだが、お兄ちゃんに教えて欲しいのだ」
アンミは少し緊張気味だろうか。ミーシーの方はそんなことはないだろうが、初対面だと……、不機嫌そうで人間嫌いな無口な小さい子、に見えるかも知れない。
まあ、陽太の話し方も完全にミーシーを煽っているように聞こえてしまうが、ミーシーはそもそも大人しくしててくれるんだろうか。
「水楽ミヨ、よ。だけど、もうそうすると呼び方が統一されないでしょう。ミーシーで呼んでくれたら良いわ」
何気ない、単に名乗るだけの自己紹介で、俺は茶を出そうと居間に背を向けていたわけだが、かなりの速度で首を回転させミーシーを見た。
今ここでは、俺だけが唖然として、口をぽかんと開けて、戸惑いを隠せず人差し指を震わせながら空中に字を書く。
……え、……嘘。
ミーシーというのはあだ名?そんな、どうすれば良いんだ。じゃあ俺も……、俺もミヨって呼んだ方が良いのか?
何故そんな、今更言われても。
「そうか。ミーシーちゃん。アンミちゃんもなのだが、俺のことは陽太お兄ちゃんと呼んでくれると良いな。そういえば、健介は自分のことなんて呼ばせてるのだ?健介が慌てて止めにこないということは普通に名前で呼んでるのか?」
「俺のことは両方とも呼び捨てだ。陽太お兄ちゃんか……。悪いが陽太お兄ちゃんというのは気持ち悪いので反対しておく。それよりも、み、あのぉ、俺はなんかそういう呼び方について話をしたことがなくて、……というか、だって」
呼び方は今まで通りで問題ないんだろうか。これはしかし、俺は陽太のことをとやかく言えないような初対面での失礼な振る舞いを無意識でしていたことになるのかも知れん。
陽太ですら『ちゃん』をつけて話をしているのに……、仲良しでもない人間からいきなり愛称で呼び捨ては、……ミーシーはどう思ったんだろうか。
「……すまん。ちょっと話が逸れるんだが、ミヨ?そのだな、いや、ミーシー、ちゃん?とか俺もそう呼んだ方が良かったりするのかなとか、そういうことを思ってな?これにはその一応、俺の中にはちゃんとした理由があって、話すと長くなるんだがまず俺のいとこのおじいさんの名前が春男さんといって、だがそんなの子どもの時に聞いてもハローおじいさんだと思うだろう?ハローっていう英語の……。しかもほら、最近は外国でも通用する名前というのが流行ってたりするし、そういうこともあってな、あとなんか大学で、違ったかな、聞いたことがある気がしてて、俺が、勘違いをしてたのはな、そういうことがちょっと重なって」
「やめなさい。余計な気を使うのをやめなさい。ちゃんづけですら不服なのに、私を精神的に追い詰めるのをやめなさい。ここぞとばかりに気持ち悪さを発揮しなくていいわ。理由も言ったでしょう。統一されていた方が良いからミーシーで良いと言ってるのよ。勘違いしてようがしてまいが知ったこっちゃないわ」
「ミーシーで、……良いのか?」
「…………」
無視されてしまった。内心ちょっとは不満に思っていたのかも知れない。ちゃんと自己紹介をしようとしなかったミーシーにだって非がないわけじゃないが、少なくとも俺は、実は本名じゃないと突き付けられた衝撃で、かなり、動揺している。
「……なんだ?ミーシーちゃんと健介はケンカか?とりあえず飲み物をくれ。ウェイターのようにな、見本を見せてくれると良いのだ。面接官だぞ?丁寧にな?」
「偉そうな面接官め。悪いが飲食店での接客経験などほとんどない。お茶なら今出すから待ってろ」
「あ、私やるよ?」
「え、目茶苦茶良い子なのだが。完全に健介放っておいてもお茶出してくれる雰囲気だったのにな」
「いや、座っててくれて良い。ウェイターの手本にはならんが、一応、陽太とお前らのイベントだから」
もしかすると気まずくて席を立ちたかったのかも知れないが、変に気を張らずにおしゃべりを始めてくれる方が良い。
「健介とはもう既に大分仲が良いのだな。ちょっと心配なのだが、……給料はほんとにお小遣いくらいにしか出ないという説明は、して貰ってるのか?」
「説明はしてないわ。でもアンミが料理をしたくて、店長が喜ぶというのならそれで良いでしょう。給料は元から期待してないわ」
説明はしてないな、確かに……。
まあもし二人が聞きたいと思ってれば質問が出たであろうから、俺もあんまり気にしてなかったが、金銭的な面で割の良いバイトとはいえない。固定給だからあんまり深く考えたこともなかったし、食費が無料になる上、実質的には仕事が皆無なのに、何故給料が発生するのかがむしろ気になっていた。
さっとコップと茶だけ取り出して居間へと戻った。まあ、ミーシーが給料に期待していないことはなんとなく察してはいる。おそらくだが、買い物するよりも手軽な食材供給路として役立てるつもりなんだろう。
それと、アンミに好きに料理できる場を提供するのが目的になりそうだ。お金が欲しくなったら、賭け事でもすれば二日三日程度で一財産築き上げる程度の能力を持ってはいる。
もしかするとポリシーがあってやらないのかも知れないが、福引騒動があったことから考えると……、どちらかというなら、あまり、お金本体には興味が薄い子、ではあるんだろう。
いつでも手に入るものを持っていても仕方ないと思うものなのか、ともあれ予知をお金儲けに使うようなことは見ていた限りではない。勿体ないなと内心思う反面、そうしてお金に執着なく過ごしている内は純粋に満ち足りているんだろうし、まあ、清廉でいられる。
能力を使ってお金を稼ぐのが卑しい不正だと主張つもりもないが、ミーシーの幸福の拠り所が、とりあえずお金でなくて良かったとは思う。
とりあえず「どうぞ」と言ってお茶を入れて渡し、陽太の正面から少し横に逸れたくらいの位置へ腰を下ろした。
「お金にこだわらないというのは評価点高いな。ちょっとくらいわがままというか、贅沢言っても良いのだぞ?」
「超高層マンションの最上階で絶滅危惧種の毛皮にやたらたくさんの宝石を縫いつけたコートを来てドンペリ温泉に浸かるのが夢よ」
「なんというか、こう、庶民感のある夢で良いな」
「庶民感あるか?まあ、……全然満足さが伝わってこない夢ではあるが。全部無駄遣いだろう。俺など高層階の利点すら分からん。エレベーターで移動するのも大変だろうに」
「じゃあ近所のスーパーまで直通の滑り台を作るわ。そうすればちゃんと高いところに住む理屈にも納得でしょう」
「帰り道歩きになるだろう、それだと」
「そうね」
「…………。なんか俺への返事が素っ気なくないか?気のせいか?」
「気持ち悪いこと言う子にはちょっと間素っ気ない態度を取ることにしてるわ。知ってたでしょう?」
「そうだっけ……。そんな気もするな」




