七話⑧
「アンミ、それ、俺がやっても良いか?」
「それ?どれ?」
「それというのは皿洗い、なんだけどな?ミーシーとおしゃべりしてきたらどうだ?俺がいる時なんかは、アンミはあんまり喋ってないだろう。気を使ってたりするのか?」
「私が?……あ、でも、そう、かも。気を使ってるとかじゃないけど、多分ミーシーがテレビ見てて楽しいのとかと一緒。お皿は、うん。良いよ?」
実生活ではもしかすると初めてだと思うんだが、『良いよ』の意味がどっちなのか分からん。
「俺とミーシーが喋ってる時、アンミはテレビ見てたのか?」
「健介もそういうの……、え?ううん。テレビは見てないけど、ミーシーと健介がおしゃべりしてるのを見てた」
アンミの言いたいことを完全に汲み取ることもそこそこには難儀なものだ。ミーシーとはおしゃべりしなくともミーシーと一緒にいるだけで心が平穏だ、とか、ミーシーは見ているだけで楽しいものだ、とか、おそらくはそういうことを言いたいわけなんだろう。
「だが、お前がミーシーと二人でいる時は、二人で楽しくおしゃべりしてるわけだろう?俺がいるからとかでアンミが喋ってないと、なんか……、俺が嫌われてたりする、わけじゃないよな?俺がいると喋りづらかったりするか?」
ミーシーがどういうつもりで発言するかは正直定かじゃないが、少なくとも俺はミーシーの一言に対して、二言三言は言いたいことが出てくる。実際には言いたいことがあっても言わないことの方が多いが……。
それでも先程などは、俺の方がアンミより、長く、多く、ミーシーと話していた。ミーシーが割合無茶な同意を求めた際なども、アンミは「そうだね」と短く答えて黙ってしまった。
アンミに対してもっと話せと注文したいわけじゃないが、ミーシーからの話題提供がその一言で終えられてしまうのも妙な気はしたし、アンミを差し置いて俺があれやこれやと口を出すのもなんか変だなという感想は抱いた。
「あのね、健介。私すごいことに気づいた。健介とミーシーがおしゃべりしてるのを、黙って見てるだけで幸せ。何話すのかなとか、ミーシーが楽しそうだなあとか。喋りづらく、とかは、別にない。私それが幸せ」
「アンミが幸せならそれで良いんだろうが……。幸せ、幸せか。それは反論できんな。まあ、ミーシーもお前に構って貰えなくて拗ねたりしそうだから、たまにはアンミからも話したり、割り込んででも喋ってやってくれ。俺もゆったりと、……アンミが言うみたいなのをやってみたい。俺もアンミとミーシーが話してるのを、黙って見てるだけで幸せになれそうな気はする」
「そしたら、……でも?健介が話してないとね、私が見てるのできない。健介はミーシーとおしゃべりしてるの楽しいはずだし、ミーシーも楽しいから。私はそれを見てたい」
「だがまあ、ミーシーはお前とおしゃべりしてるのが一番幸せだろうから。俺がいてもな、たまに眺めたり、会話もな、してくれると良いのかもな」
「うん……。えと、健介?健介はもうミーシーと仲良し?だよね?」
「……?ああ、そりゃ最初の頃に比べたら……。当初よりは随分、打ち解けたのかも知れん」
「そっか、良かった。私も喋るようにする。お皿もう少ししかないけど、健介やりたい?もう一回洗っても別に良いと思う」
「ん、その伏せてある方は洗ってあるのか。あ、いや、もう終わりならわざわざもう一回はやらない。今後チャンスがあればその時やってみよう」
アンミは水を止めて皿を拭い、手を拭い、笑顔でこちらへと振り返った。そして、ミーシーの方へ小走りで向かう。俺はしばらくぼうっと談笑する二人を眺めていた。
確かにアンミの言うように、……見てるだけで幸せな気分だったりする、んだろう。ただ仲良しの二人をじっと眺めていると、俺なんかは少しずつ寂しさが芽生えてくる。もうその輪に入れないような疎外感がある。
まるで、……そうだな。テレビの画面の向こう側のような。楽しげにしている二人がいて、それを見つめているだけの俺も幸せだったりはするのに、よく考えたら手が届かなくて切なくなるような。
まあそれはただ単に、俺がアンミほどミーシーと打ち解けていなくて、ミーシーほどアンミと打ち解けていないから、仲の良い様子の二人が羨ましいというだけなんだろうが。そんなお遊びも長くは続かず、数分もしない内に、ばっちりミーシーと目が合ってしかもあいつは全然目を逸らそうとしなかった。
さっさと自室に引きこもっていれば邪魔しないで済んだだろうが、ミーシーの目線を追ってアンミまでこちらへと振り返る。そのまま長引けば闖入せざるを得なくなっていたが。
「……良いところに帰ってきてくれた。主人の気まずさを察知したのか?」
ゴツンゴツンと不気味なノックが洗面所から聞こえてきて、俺はそちらの方向に首を逸らして立ち上がった。
「健介、開けて欲しいニャ。私が疲れるばかりか、ドアに傷がつくことに、なるニャ」
「……お前は締め出されるリスク高いな」
風で閉まったのか、洗濯関連でアンミが立ち寄った時に閉めたのか、ミーコは洗面所の窓から侵入し、そのまま浴室の中に閉じ込められているようだった。俺がドアを開けてやるとそれをすっと躱してするりと抜け出てくる。
「ここ、私でも開けられるように紐かなんかぶら下げてて欲しいニャ。健介いなかったらもう私ずっとここで誰かお風呂入る時まで出れなくなるニャ」
「なるほど、工夫しよう。手拭い結んでおいてやれば大丈夫か?」
「まあ、何でも良いニャけど」
タンスから一枚使わなさそうな手拭いを探し出し、ドアのレバーハンドルに結びつけてみた。何度か結び直して下の方を引っ張ってレバーが下がるよう工夫し、ミーコが背伸びすれば届きそうな位置にまで調整してやる。
「……ん、……これで良いか。この、どうだ?ちょっとオシャレな感じになっただろう。これならまあ自然だな。仮に誰かお客さんに見られることになっても、ノブをそのまま触るのが嫌な潔癖症な人がいるようにしか見えない。ええと、こうか。ん……」
「自然、……かニャ?ここの内側だけ般若心経の手拭いぶら下がってて自然に見えるかニャ。私、これに食いつくつもりニャから、できたらもうちょっとバチが当たらなそうなのの方がありがたいニャ。あ、健介、それはともかく宅配便の人来るニャ。お荷物来るニャ」
「宅配便……?は、……はは。虎猫宅急便か?よく分かったな、俺の家に届くって」
「坂の下で車停めて箱持ってこっちに来てたニャ」
通販とかで何か頼んだ覚えもないし、もし何か届け物があるとすれば、俺が午前中に黒い女に注文した携帯電話が一番に思い浮かぶ。ただし、朝電話してからせいぜいまだ数時間しか経っていない。
慌てて準備して雑な送り方をしてないだろうか。不安になりながら手拭いを引っ張って居間へと進み出た。他に届くようなものがあるか考えている内に、ピンポンとインターホンの音が鳴り響く。
「ありがとう、ミーコ。もしかして、携帯電話かな。昨日、ほら、商店街に行った時に手続きしてたから、……早いな」
「まあ、ないと不便だからニャ。早く届くに越したことないニャ」
「そうだな」と返事を済ませて玄関へ向かう途中で、こちら側へアンミとミーシー二人が歩いてきた。
「健介、斉藤さんじゃないって」
「ああ、そうなのか。陽太はまだか……。なんだろうな」
「携帯電話でしょう。宅配便でしょう。そんなおどおどしなくても別に責めたりしないわ」
「責めたり……?」
「アンミもミーコも戻ってるなら、別にあなたが昨日何してようが家でぐうたらしてた私から文句言えないでしょう」
ドキドキしている……。
おそらくおどおどもしている……。しかし、ミーシーはその原因を勘違いしているようだった。
単に俺がアンミやミーコ捜索をサボって携帯ショップで手続きをしていたのを後ろめたく思っているだけだと考えている。つまり、俺が携帯を手にすることに、成功はしそうだった。
二人の横を抜けて玄関を開け、サインを済ませて小包を受け取った。玄関に立っていた男の人は宅配業者の姿に間違いないし、小包の送り状にも不自然な点はない。送り主は携帯ショップの支店とされているし、送り状の日付もちゃんと昨日になっている。
梱包材はショップマークらしきものが印刷されているし、契約書在中の判も押されていた。しっかり凝った梱包がなされているが、さすがに中身は二人に見せるわけにはいかないだろう。
ないとは思うが、俺へのメッセージとかが入っていたりするかも分からん。
「ああ、その、……すまん。昨日、サボってたんだ。その、ミーコ捜索を……。ミーコもすまん。たまたま店を見つけてな……、ないと不便かなと思って」
「実際なくて不便だったわけでしょう、特に昨日とかは。まあ大丈夫でしょう、持っててくれて良いわ」
「携帯電話?スイラお父さんも持ってるね。健介のはどんなの?前持ってたのと一緒?」
悪いことに、アンミが若干興味を持っているようだった。本体だけ取り出して、……見た目だけなら、大丈夫だろうか。いや、黒い女がどういう動きをしたかが分からない。
急遽予定を変更して箱だけ送りつけて中身は渡してあるものを使えと指令書が入っている可能性だってあるし、そもそも本来携帯ショップにこんなサービスがあるのかどうかすら分からん。俺やミーシーが違和感を抱くような急ごしらえ感が見つかるのは困る。
「どうだったかな、何でも良いと思って選んだし……。ああ、ちょっと設定とかあるだろうし、陽太が来たら教えてくれ。俺は部屋に」
「私ね、機械とか全然分からない。昔ミーシーにも聞いたけど、どういう仕組み?糸電話の、電波式だけど、でもそれ、どこにも繋がってない」
「いや、電話の……、電波式だな」
「設定?とかをしないと、繋がらない?電波の?そうすると難しい?私とか持ってても使えない?」
ダメだ、墓穴を掘ったか。
落ち着け……、自然さが大切なんだ。だから、ここは、設定といっても難しいことじゃないと箱を開けて、もし仮に中身がなければ昨日受け取った携帯電話を、『そうだった、契約してこっちが使えるようになったんだった』とか、そういうことを言って、番号を押すだけで繋がるぞと家の電話に掛けて見せればそれで大丈夫なはずだ。
何故か知らんがアンミが興味津々の様子だった。これを無理に振り切るとそこが不自然に見える。
「アンミ。いちいちそういうのに興味持たれると、今後健介が教育上良くないものとかを通販で頼みづらくなってしまうでしょう。携帯電話と偽って良からぬもの頼んでる可能性もあるんだから、……ちょっと酷でしょう。エッチなグッズを隠したい時とかもあるでしょう」
「エッチなグッズでは断じてない……。もしそんなものが届いたら誤配に違いない」
頼むぞ……、自然な内容物であってくれ。
いやもうどっちでもいいのかも知れない。箱の横を押し込みガムテープをゆっくりと剥がしていく。もう、最悪、怪しいものが出てきたら洗いざらいミーシーに口を割るのも良い。
俺は隠し事の上手い人間じゃないんだから、この先こんなことが続くようなら、この穏やかな空気の中、全てを話して、それでも出て行かないでくれと縋ったって良い。
そっちでも良い、それでも良い。今ならまだ、……引き返せるかも知れない。
「こ……、これが、携帯電話だ、アンミ。ほらな?エッチなものなど頼んでいないし、ほら、番号を押すだけで繋がる。……、ああ、その番号をいちいち押すのが面倒くさいから最初番号を登録したりとか、そういうのをしないとならないというだけだ」
受け取っていた携帯電話と同じ型で、電源を入れてこそこそと操作してみたが、電話帳はまっさらだった。いわゆる初期状態の本体と説明書、充電器、契約書類、保証書、ご使用上の注意案内の冊子が箱に詰められている。
ただ、どうやら黒い女は俺に恐怖心を与える手の込んだ無駄な嫌がらせは毎度仕込んでくるようで……、契約書とは別に、俺が書いた覚えのない書類の写しがクリアファイルに入っていた。
俺の……、字だ。俺ですら、俺の字だと見間違えるような住所と名前が並んでいる。
「へぇ、でもやっぱり難しそう」
一度自宅の電話を鳴らして繋がることだけ確認して見せる。アンミはどちらかといえば俺よりもミーシーの方へ線がなくても電話できる理由について説明を求めていて、で、ここでは別にミーシーもボケるつもりはないようで、普通に真面目に電波とアンテナとの説明をしていた。
携帯電話機が音を変換して色も香りもない信号を発信して、飛んでいった信号はそれを届けてくれるための会社が設置したアンテナに吸い込まれる、そんな感じの分かりやすさを心掛けた解説だった。
俺も正直それ以上の詳しい説明をできそうにはない。俺はその話を聞いているふりをしながらとりあえず「自室に戻ってまた設定をしなきゃ」と呟いてその場を後にした。
ミーコは特に何を言うでもなくのそのそとベッドの下に引っ込んでいき、そのまま休眠に入りそうだったから、俺は契約書もどきを封筒から取り出して眺めたり、書類の写しを眺めたり、黒い女の仕事にあらがないかを必死に探してみた。
どうやら大半は本物と同じように作られたものか、あるいは全くの本物のようだが、おそらく俺の契約プランの説明であったりとか契約要項、もちろん俺の筆跡で作られた契約書については、黒い女がわざわざ俺の言い訳が通りやすいように手を加えている。
昨日受け取った携帯電話は通話料金の先払い分だけ使用可能とされていた。結局返却はいつでも構わんというようなことなんだろう。付属のケーブルを繋げて電話帳をコピーすることもできるらしい。
というか、コピーしろと……、いうことだな、多分。
にしても、仕事に戻らなくてならないと言って電話を切って、ほんの数時間で携帯電話やらなんやらを用意して宅配便で送りつけてきたということになるんだろうか。
研究所の裏切り者が事態を伏せてたった一人でこれを短時間で用意できるようには思えない。やはり組織として動いていると見るべきだ、が、……これを証拠だと突き付けるにはまだ確信が足りない。前もって用意されていた可能性というのも大いにあり得る。
黒い女はもう昨日の時点で、俺の個人情報満載の携帯電話を準備して手渡してきている。急なチャンスだったから強引な方法を選んだというようなことも聞いた。
とうの昔に調べ終えて、準備を済ませて、俺と接触する機会を窺っていたということにはなる。
昨日、偶然にも、俺と接触できる条件が整ってしまったんだろう。ミーシーは、駅の方面へ行くなと言った。それは多分だが、『予知の妨害』が展開されている範囲へ移動しないでくれという意味だ。
黒い女はミーシーに発見されないよう、予知妨害範囲に身を隠していた。俺が、一人で、その辺りをうろつているのを見つけて、チャンスだと思い襲撃してきた。
携帯ショップも妨害範囲なんだろう。そういう意味で、携帯電話をたった数時間で用意するのが組織的な動きであるとは、決めつけられない。
これも、俺が駄々をこねて携帯電話を受け取らなかったり、あるいはすぐに壊して替えが欲しいと言い出した時のために予備を用意していて、それを少し俺の要望を加味したおまけつきで梱包して宅配員に金を渡し、届けさせたということになるのかも知れない。
それで辻褄は合ってしまう。
俺がアンミたちと会う前まで持っていた携帯が生き残っていたとしたら、あいつは一体どういう理屈をつけて俺に携帯電話を新しく持たせようとしたのか、……『携帯電話、持っていないのね』と、言った。
俺をまさぐって携帯電話を探したからそう言ったんだろう。もしも持っていたら……、黒い女は俺が気を失っている内に、俺の携帯電話を、破壊するつもりだったのかも知れんな。
『壊してしまったからお詫びにこれをあげるわ』とか、そんなことを言う可能性もあったし、それを拒んだら郵送で故障保証サービスなんて形で郵送されてきたのかも知れない。




