七話⑤
俺が指摘することも想定済みとされたが、ミーシーが気づかない内に解決というのはどういうことだろう。
これが不特定多数の人間を動かす工作活動で、裏切りが発生した時点で破綻するような作戦だとすれば最後まで方法を知らせないというのは理解できなくはない。だが、当事者の、アンミを裏切るはずのない俺やミーシーに方法を知らせようとしない。
隠していることを、隠そうともしない。
「だが、……それは。俺はそれが怪しいと思っている。ミーシーはアンミ側だろう?お前がそちら側に堂々と裏切り者ですと言えない事情は分かってるつもりではある。だが、なんでお前はミーシーじゃなくて俺に接触したんだ?ミーシーが動くことでお前の作戦が上手くいかないと言うつもりかも知れんが、おそらくミーシーはヘマしてチャンスを潰すことはない。それに、俺のようにお前を信じるか信じないかとあやふやなままで物事を進めたりしないだろう。こちらで情報が漏れたり裏切りが発生することもない」
「ミーシーちゃんはあなたよりも用心深いでしょうね。この先もしかすると、予知できない場面というのがあるかも知れない。予知で欲しい未来が確定している場合、あやふやなままで物事を進めないというのは長所でしょうけど、そうして生きてきた彼女は多分あやふやなものは全て切り捨てる選択をする。あなた以上に慎重で疑り深くて、結果が見えない時点では積み上げようとしない。それに……、私は、ミーシーちゃんとは上手く話せないわ。ミーシーちゃんに信じて貰える自信がまるでないし、私が解決策を伝える相手としては、やっぱりあなたしか適任がいない。一応つけ加えておくと、健介君。あなたはもう今の時点でトロイマンに、二人を匿う候補として認識されている可能性が高い。だから、あなたはこれから、トロイマンについての情報を欲しがるのではないかとも思った。少なくともトロイマンのことはあなたが対応しなければならないし、私もあなたからトロイマンのことを聞かなくてはならない」
「目星がついてるのか?トロイマンが?俺達の居場所を知ってるってことか?」
「トロイマンは二人が、あなたの家を訪ねる可能性が高いことを知っていた、ということでしょうね。さすがに確定ではなくていくつかの候補の中に入っているという程度でしょう。今はトロイマンに単独行動させないよう見張りもついているようだから、……しばらくはあなたとも接触しない。トロイマンもミーシーちゃんに見つかりたくはないはずだから、よほど強引なことをしでかさない限りは安全だと思うわ。でも、三人で出掛ける時にはきちんと家の鍵を掛けてね」
「それは要するに……、おい、待てよ。お前の他にもアンミの居場所がバレるのが時間の問題、ということだよな?」
「そうかも知れないわね。アンミちゃんがあなたの家にずっといるなら、他の所員はともかくトロイマンは、見つけ出すのかも知れない。けれどね、仮にそうなったとして、まあ、あるいはそうならなかった場合、例えば健介君がアンミちゃんミーシーちゃんと一緒にどこか別の場所へ移ったり、トロイマンがあなたを候補として認識していなかったり、あるいはアンミちゃんを見つけても私と同じように保護に積極的にならなかった時も含めて、私は、健介君に良い方法を教えてあげられる。もしも、アンミちゃんの居場所が分かって、逃げ場所がなくなって、どうしようもなくなった最後の時であっても、あなたが私のことを信じてくれていたなら、とても良い方法で、一つ残らず問題を解決することができる。その時にあなたの手元にアンミちゃんとミーシーちゃんがいるならね」
正直なところ、問題を解決するためにはそれなりの時間が掛かるものだろうと思っていた。研究所はずっと見当外れなところを探していて、まだ考える時間も決める時間も十分に残されていると考えていた。
「……そこまで切羽詰まってるのか。しかもその上、良い方法とやらが、もうどうしようもない時にしか開けない玉手箱で、開けたときどんな効果が出てくるのかすら分からない」
「まあ、今はまだ……、健介君は詳しいところまでは分からないわよね。何を聞くべきかも分からないとは思う。興味本位でも質問ができたら、連絡してくれたら良いわ」
「待ってくれ、……早川忠道を知ってるか?」
俺は電話が切られそうな予兆を敏感に察知して、なんとなくそんなことを口にした。聞きたい内容についてはまるで吟味してなくて、別に研究所の最新設備についてでも良かったし、昨日理解できなかった部分の復習でも構わなかった。
下手をすれば全く聞く必要のないこの女の趣味とかでも良かったのかも知れない。
とにかく話を引き延ばそうとして、咄嗟に記憶の隅にある名前を口にした。知らないのなら知らないで構わないし、何故だかこの女は、知っているような、気がしていた。
だが、数秒の後、それが俺の夢の中に出てきた名前で、そもそも現実には実在しない人物であったことに気づく。沈黙が少しばかり長引いたから、俺は今の質問を撤回して、別のものに差し替えようと口を開き掛け……、だが、黒い女は、声を低くして、こう言った。
「早川……、忠道の、何を聞きたいのよ、健介君は」
どす黒く、睨みつけるような声だった。
何を聞きたい、どころか、逆に何故この女は俺がデタラメに口にした名前に反応するのか分からない。その名前がどうしてこうも女の声を変えるのかが分からない。
『知っている』と言わなかったのだから、もしもこれが文面でのやり取りなら、俺は適当な名前を出したことを認めただろう、この女はそんな名前は知らないと結論付けた。
だが、今例えば、『知らない』と言われたところで、それを信じられる気がしない。明らかに、早川という名前に、過剰な反応が窺えた。
「調べたの?驚いたわ。けれどね、健介君、今回のこのことは、早川とは全く関係がない。あの男はもう七年も前に研究所からいなくなった。そんな男に何か聞こうとしたところで、…………。そんな男のことを、健介君は聞いても仕方ないでしょう?」
途中で言葉を切って、呼吸を整えて、声色を戻して、わざわざ言い直した。
「ごめんなさい。今回は、……これくらいで良い?私、仕事に戻らないとならないから……、また電話して、くれると良いけど」
「……ああ、いや、だが」
そこでプツリと通話が切れた。俺はだから……、どこかで高田、総合医科学研究所関連のニュース特集か何かで?早川忠道という名前について聞いたことがあって、無意識に関連付けされた記憶が夢の部品に使われていた、とういうことになるんだろうか。
下手をすると仕事に戻るというのが言い訳なんじゃないかと思うくらいに、その名前がタブーだったようで、明らかに黒い女は取り乱していた。
まあ、確かに……、高田総合医科学研究所という長い名前じゃなくて高田病院とか高田研究所というのは知っている。俺は間抜けにも、それと高田総合医科学研究所とを結びつけられていなかった。
そこまでニュースを熱心に見ない俺などでも、近くの町の名前が大きく報道されれば、なんとなくぼんやりと、その内容を覚えてはいる。何年か前その施設の一部がこの田舎に新設発表された時の大人達のお祭りムードは知っている。
高度医療の文明開化だ、企業誘致の始発駅だと当時は度々取り上げられていたし、実際その後税収が潤ってなのか立派な建物が出来上がったりしていた。近所にでかい病院があるという話をミナコや陽太ともしていたし、その中のどこかで……、新聞やテレビだったかも知れないが、早川という名前を聞いていたような気はする。
記憶の片隅にそれが残っていたのかも知れない。
一拍遅れて疑問もわき上がってくる。研究所に関わった人間の名前で、黒い女から落ち着きが消えた。『七年も前から研究所にいない、今回の件には関係ない』怒りを含んだかのような答えが、無表情な黒い女らしくなかった。
単に仕事が事情であったなら、俺を簡単にやり込めて電話を切っただろう。単にその男のことが気に入らないのなら、『いない』ことになど、怒りが混ざるはずがない。そして女は『その男に聞こうとするのは問題がある』と言い掛けて、『その男のことを聞いても仕方ない』と言い直した。
俺はその人物を知っているかと聞いてみただけなのに、その男を頼ろうとしているかのような誤解を受けた。女もすぐに気づいて回答を訂正していたが……、早川忠道という男が何かしら今回の件と、そうでなくとも黒い女と関係している可能性は十分にある。
ただ、俺に個人的な繋がりがあるわけでもないし、今回みたいに一方的に電話を切られるようでは聞き出せることもない。結局もやもやしたままで、何かを得られたような感想はなかった。
だが、……携帯電話を捨てる気は失せた。隠れてやり過ごせるならともかく、今後敵が接触してくる可能性があるなら、それを事前に知る術は持っておいた方が良い。どう対処すべきなのかヒントをくれるというのなら、それを手放すわけにはいかない。
実際のところ、何かあれば黒い女に問い合わせをすることにはなるだろう。携帯電話の電源を切って隠し終えてようやく、一息をついた。
鍵を開けて部屋を出て、階段を下って居間を覗くと、アンミは俺を待っていたかのように顔を上げてこちらへと歩いてきた。
「ねぇ、健介?アルバイトの面接ってどういう準備いる?私どうしてたら良い?」
先程の電話とは打って変わって、全く警戒も心配もいらない話題だった。見た目アンミも不安そうにしているわけじゃない。一応面接のマナーとか作法とかを予習しておいた方が良いと思ったんだろう。
「昨日ミーシーが言ってた通りで大丈夫だろう。別に厳しい審査を勝ち残らなきゃならないようなものじゃない。緊張してたりするのか?全然そんな感じには見えないが」
「緊張?あんまり私、人と上手く話せないような気がする。よく考えてみたら」
「安心しろ……。なんかアンミが黙っちゃった時きっとあたふたするのはむしろ店長の方だ。良いおまじないを教えてやろう。そういう何を話して良いか分からない時とかは向こうからの話題を待っていれば良い。それをオウム返しするだけでも一応会話にはなる」
「オウム返し?」
「まあ、例えば向こうが『良い天気ですね』と言ってきたとするだろう。そしたら、『そうですね、とっても良い天気ですね』と返す。『この前食べた料理が美味しかった』と言ってきたら、『そうなんですか、とっても美味しそうですね』と返す。そうすれば何も気の利いた話題を探そうとして焦る必要もない」
「……?」
「納得できないか?……別に無理して自分から話題を振らなくて良い。自分から話題を振って相手が興味なかったとするだろう?こちらの話題がなくなってしまった時とかはどうしようもないわけだが、さっき言った方法なら別にこっちが向こうから出た話題に興味がなくてもな、なんとでもなるものだ。適当な相槌を打っているだけで相手が話したいことを話して、自分がどういう人間なのか知らせてくれる」
「うん」
「仮に向こうがつまらん話題を出してきてスルーせざるを得なかったとしても、一応そうなんですか、とてもあれですねと言っておくのが良い。向こうが黙った時というのは向こうの話題がなくなった時で困っているわけだから、適当にそうだな、相手の服の色でも見て、赤い服ですねとか、青い服ですねとでも言っておいたら良い。多分説明してくれるだろう」
「そうなんだ」
「…………」
「へぇ、そうなんだ、すごい」
「……ん?アンミ?それは、……今のは実践してみたのか?だとすると、これはその、受け売りだったんだが……、やめた方が良いかも知れんな。というかそもそも料理の話だのなんだの共通の話題があるわけだし、店がどういう感じかどうかとか聞きたいことだってあるだろう?別に俺から説明してもいいんだが、世間話が苦手というなら、まあそういうのを店長に聞いてみたら良い」
会話を続けつつ、どちらからともなくアンミと二人で居間の奥まで進んだ。アンミはまだ朝の仕事がいくらか残っているようだったが、アルバイトの件はアンミの中でそこそこに優先度は高いようだ。
考え事でもしているかのように、何度も首を傾げていた。
俺も、困ったり分からないことがあったらミーシーを頼るというのが習慣化してきている。迷惑がられなければ良いが……、おそらく俺が適当なことを言うよりミーシーの助言の方がアンミも安心できるだろう。
何気なく部屋を出ただけだったが、俺も面接には一応立ち会うことにはなるだろうし、事前に話し合いがあるなら参加しておいた方が良い。
「健介。昨日は言わなかったけど、店長とやらは来ないわ」
「ん……?店長が来ない?中止なのか?と、いうことらしいぞアンミ。何やってるんだ、店長は……」
「え、中止?今日……?」
「来ないけど中止ではないわ。確かにまあその店長の方が良いかも知れないけど、雨天続行でやった方がお店の方の準備も早く済むみたいだし、アルバイトすることになるのは結局変わらないわ。だから、健介はちょっと待ってから店長に電話しなさい。それか電話掛かってくるの待ちなさい」
「…………。少し嫌な予感がするんだが、聞いても良いか?」
「嫌な予感がするなら仕方ないわ、良いでしょう、どうぞ?」
「店長が来なくて中止じゃないというのは代わりが来る、と、いうことになるよな。雨天続行というのは……」
雨天続行しなくても……、晴れの日に日程ずらせば済む話のはずだ。雨天なのは仕方ないにせよ、続行するかどうかは決められるはずなのに、どうしてミーシーは続行するつもりで話を進めようとするのか。
「あなたがいるなら別にどっちが来てもフォローできるでしょう。私はそこまで悪い印象は持ってないけど、一応健介は、両方に気を配ってあげてちょうだい。アンミが悪印象持たないようにしなさい。アンミが悪印象を持たれないようにしなさい」
「どちらが来ても?やはり二通りしかない中で店長が来ないと言ってるんだよな……。割と俺は安心してたのに。あいつ、あれだぞ、初対面の印象はあんまり……、あんまりその、分け隔てない奴なんだが、何とか店長来れないのか?」
「今フォローしてもしょうがないでしょう。今電話したら店長が来ることにはなるけどそれだと実際店の手伝いすることになるのが遅れるし、向こうの都合もあるのよ。それも考えてあげなさい」




