七話④
「健介君、新しい方もそちらと同じ型のものを、そのまま使える状態にして送るわ。どちらを使ってくれてもいいけど、まあ、一応片方は貸出機ということで、期限内に返却してくださいとでもしておく。ここまでで何か問題はありそう?」
「…………。いや、多分、ないんじゃないかな?俺よりお前の方が多分色々考えてるだろうし、多分なんか思い浮かんだとしてもあっと言う間に、論破されてしまいそうだ」
「議論しているわけじゃないのよ?私は携帯電話を捨てないでいて欲しいから、これで大丈夫って……、聞いているの」
ただ、黒い女の声は、……電話越しであればこうして不気味さが薄らいでいる。声の抑揚のなさも相変わらずで、時折混ぜる疑問系の言葉尻もわざとらしい。
だが、あの一拍置いた微笑みが見えないだけで、俺の心のざわつき具合は程度の軽いもので済んでいる。
言葉だけ聞いていれば優しくて頼りがいがある。その上といって良いのか、声はかわいらしかった……。
こうなると、あの不気味電話帳も何か意味があってのことなんだろうか。まるで実用性が皆無で、俺をビビらせる以上の効果はなかったが、何かしら黒い女の思惑があって、あんな手間が掛かりそうな意味なさげなことをしたのかも知れない。
手間は、掛かるはずだ。今のところ、俺を脅すような素振りもなければ、何かを強制的に俺に強いるふうでもない。まさか本気で?俺のために、電話帳を埋めたのか?
「……そうだな。大丈夫な気がしてきた」
だが逆に、これはおそらく、声がかわいいのは元からだろうから別として、俺を信用させるための演技、じゃないだろうか。
俺の感情的な評価を差し引いたとして、あまりに丁寧が過ぎる。研究所への裏切り行為を働いて俺たちに協力すると言ってきた。だが、そんなことをしてもこの女にどんなメリットがあるのか明らかにされていない。
仮に何らかのメリットがあったり、個人的な恨みやら何やらがあったとして、あくまで『協力をしてやる側』の立場にある。それが成功した時に俺たち以上に何かを得られるわけではないだろうし、俺が報酬を渡すような約束もしていない。
だから、本来であれば、この女の方が、断然に、立場が上にならなければおかしい。
『気に入らないのならご自由にどうぞ』というふうでなければおかしい。
つまりそのおかしさというのは……、この女が協力関係を申し出て丁寧に説明をして助力してくれたとして、最後には敵になることを、示している、可能性が高い。
信用すべきじゃないし、協力させるだけはさせて、向こうからのお願いが来るようなら全力で怪しさを探らなければならない。ましてや俺たちが取るべき行動から矛盾するようなお願いなら、敵の動きを察知するための情報源として活用するくらいのつもりでいないと。
「どうしたの、健介君。黙って。もう問題がないなら、さっき言った通りに手配するわ。あと、私に質問があるんでしょう?何でも良い、答えられる範囲なら、質問がある限り、答えるわ」
返答次第ではすぐ捨てるというのと、この携帯電話の気持ち悪さについては別問題だと認識しているようだった。確かに俺も、この女との連絡手段が不要かどうかは確認しなくてはならない。
気持ち悪さは少しばかり軽減したし、持っていることの不都合は解消される予定だが、そもそも持っていることの明確なメリットがなければならない。
「分かった。そうしてくれ。質問の方だが、昨日お前が説明してくれた分に関しては……、状況は変わらないのか?」
「ええ、状況が変わりそうな説明をした覚えもない。けど、少し安心したわ。健介君がそんな質問をするのは、少なくともミーシーちゃんがおかしな予知はしていないからでしょう?こちらが変わりないことを私は知っている」
変わらないか。黒い女は解決策の手順を俺に明かしていないし、計画の進捗についても当然知らされない。何かがあった時の対処方法というのも示されていない。
これがそもそもかなり重大に、この女への信頼を損ねている。何か起きてからでは遅いだろうにあまりに悠長に構えているように思う。少しくらい焦ってあれこれ指示を出している方がまだ違和感は少なかったろう。
「…………。ミーシーの予知と矛盾してないかを確認しておこう。それでお前が本当に味方なのかは分かる。明後日に何が起こるか分かるか。俺は、その時、どうすれば良い?」
黒い女はどうしてかミーシーがおかしな予知をしていないと決めつけている。だが、予定外のことが全く起こらないなんてこともないだろう。適当なデタラメをでっちあげてどんな反応をするのかを試してみることにした。
もしかすると、計画の一部でも漏らしてくれるかも知れない。
「どうすれば……、というのは要するに、健介君から私への信用が足りないというふうに聞こえるのだけれど。ねぇ、健介君、少なくともこの先数日間に限っていうなら私はもうこれ以上ないくらいにリスクを抑えた。手を尽くして、何が起きても対応できるようにはした。私は所員の動きをおよそ全て把握できていて、あなたの家の周辺はどの所員の探索ルートからも外してあって、二人が健介君の家にいることが万が一発覚したとしても、しばらくの間トロイマン側が手を出せない理由を作っておいた。だから、私はある程度はね、自信を持って、ミーシーちゃんがしばらくの間不都合な未来を予知することはないはずだ、と言える。健介君、こういう場合はできるだけ、正直な質問をして?私が何をどうしたか詳しく聞いてくれても良いし、仮にこうなったらあなたはどうすれば良いのかという話を聞いてくれても構わない。嘘をついてこちらを動揺させても、故意に間違った情報を与えて私に間違えさせても、健介君は得しないわ」
「…………」
が、なるほど。黒い女の声はゆったりとなめらかに続いて、少しの苛立ちも焦りも見つけられない。
「……そもそも健介君は、あなたが事情を知っていることをミーシーちゃんに伝えなかったのではないの?ミーシーちゃんもあなたに状況を伝えていない。それなのにミーシーちゃんがあなたに今後どうなるかを教えたりしないでしょう」
俺の嘘が下手くそで穴だらけだというのもあるんだろうが、こうも簡単に見抜かれる。面と向かって話しているわけでもないのに嘘が通用しない。
ミーシーの様子がおかしかったからだなんだと水掛け論を展開することはできなくはないが、そんなことをしても意味がない。とにかく女はミーシーが不都合な未来を予知するはずがないように準備をしていて、であるから、不都合な未来は起こり得ない、と言っている。
そして実際ミーシーは近場とはいえアンミの外出を認めるような発言をしている。これはもう、黒い女の言うことの方が正しい。
「なるほど、……その通りだな。悪かった、嘘だ。不都合な未来を予知している様子はなさそうだと俺も思っている」
そして釘も刺されたことになる。嘘や誤魔化しはすぐに見抜けるし、見抜けなかった場合に損をするのは俺の側ばかりだと……。これも確かに反論は難しい。
「まあそうすぐに信用できないのは分かるわ。信用されないのも分かる。私に何か悪いところがあるなら直すようする。何かあれば言って?」
その要望には残念ながら応えられない、何故なら俺が逐一信用できない部分を指摘すればすぐさまそれを取り繕って俺を騙すための演技が上達するばかりだからだ、と言おうとした瞬間に、女はまるで話題を逸らすかのように「ねぇところで、少し話は変わるけど」と言った。
「なんだ?」
「観葉植物を置いていたりする?家の中に」
「観葉植物?……いや?そんなものはない」
「本当に?」
「ああ。今度は嘘じゃない。そんな質問に嘘をつく必要がない」
「良かった。さて、話を戻しましょうか。そういうわけでしばらくあなた達は平穏に過ごすことができる、予定ではいる。健介君からの質問があるならそれを先に聞くけど、私からも今回あなたにお願いしなければならないことがあるの」
まあ実際に話を逸らされたわけだが、これは、心理学的な、例えば……、そんなものがあるかどうか知らないが、『嘘を看破された後だと嘘をつきづらくなる上に、嘘をつきづらくなった後に、嘘をつく必要がない質問を受けると信じて欲しい気持ちが芽生えて……、本来嘘をつかなければならない場面でも正直に答えたり従ったりしてしまう』法則、だったりするんだろうか。
観葉植物の話など全く挟む必要がない。お願いがあると言い出す前に確認すべきことだとは思えない。
「お願いの方を先に聞かせてくれ。質問はその後にする」
「健介君も分かっていると思うけど……、アンミちゃんミーシーちゃんをできるだけ外に出さないようにして欲しい。そして、あなたがいくら信用している人間であっても、アンミちゃんミーシーちゃんをあなたの家に住まわせていることは話さないようにして欲しい。……この二つに関しては単なる私がそうしてくれたら良いなと思っているお願いだから、絶対に守ってというわけじゃない。けど、一つだけ。これだけは何があっても、あなたの意志で守ってくれないと困ることがある」
「…………ああ」
「『アンミちゃんとミーシーちゃんを、あなたの手の届かない場所に行かせないこと。それに加えて、どちらか一方だけであっても手放さないこと。アンミちゃんミーシーちゃんとあなたの少なくとも三人は、常にできるだけ近くにいて離れないこと、せめてお互いの居場所を分かっていること』」
どれもこれもが、当たり前のことのように思える。おそらく最初の二つのお願いがどうでもいいというような言い方をされる理由は、結局ミーシーが予知して安全を保証された範囲でしか動いたり会ったりしないからということだろう。
俺が無警戒な行動を促したとしても、ミーシーがそれを未然に防ぐ。であれば、俺がそこまで二人の行動を制限するような必要もない。ミーシーが予知して追っ手がないことを確認しているから、俺が心配して家に閉じ込めるという行動にはあんまり意味がない。最後の一つが、どうして強調されたんだろうか。
「手の届かない場所に行かせない、というのは、例えば飛行機のチケット用意して外国に二人を逃がすとか、そういうのを禁止してるのか?いまいち意図がわからない。一緒にいた方が良いことぐらいは分かっている。何故それが強調されるんだ?」
「外国行きは難しいわね。船ならともかく飛行機に気づかれずに乗り込むというのは大変でしょう。多分、やめてくれた方が良いわ。手放さない、離れないというのは、例えば、あなたが、自分の家は危険だから二人はどこか別の場所へ移って欲しい、なんてことは言わないで、ということ。この場合、あなたは二人の行方が分からなくなってしまう。仮にミーシーちゃんが私は追われているわけではないから一人で村へ戻ると言い出した時も、絶対に引き止めなくてはならない。ミーシーちゃんかアンミちゃんの居場所が分からなくなってしまう。いずれも三人一緒に行動するのであれば別の場所に移っても良い。パスポートのないアンミちゃんミーシーちゃんが外国へというのはあまり現実的ではないけど、移動自体を制限しているわけじゃない。ただ、あなたの家からどこかへ移る場合は、私の、研究所に対する工作は意味がなくなってしまうし、まあミーシーちゃんからの提案がない限りはあなたの家にいる方が安全だとは思う。健介君にとってこれはすごく、曖昧というか、包括的なお願いに聞こえるでしょうけれど、別にね、この前提条件さえ守れるのなら、どんな方法でそれを実現してくれても構わない」
「つまり、その前提条件というのに抵触するような行動はするなということだろう。お前のことをミーシーにバラしたりとか、そういうのは俺たちがバラバラに行動する理由になり得る。だからそれは禁止だということが言いたいんだよな。それはお前にとっても不都合だろうから」
「もちろん、オススメは、しないけれど、もしも私のことをミーシーちゃんにバラしたとしても三人が一緒にいられると自信を持って判断できるのならそうしてくれても構わないわ。なんなら、あなたの家の全てのドアや窓を板で塞ぐことで誰も外に逃がさないでいられると思うのならそれでも良い。私は、三人が、一緒にいるならそれで良い。まあ私はどちらも無理だと思うけど」
「三人がバラバラには、……多分、ならないんじゃないか?」
「健介君のやるべきことは、ねえ、方法は自分で考えてくれたら良いけどね。私はこう期待する。あなたが真心を尽くして二人と接して、二人があなたと一緒にいたい、あなたと一緒にいさせたいと思うように、そうして信頼していられたらと思う。健介君にはきっとそれができると思う」
「そりゃ、まあ、そうできれば良いが……」
「大事なことだから、心に留めておいてね。最後に、私が健介君に解決策を教えて上げることになるでしょうけれど、その時あなたの家に誰もいなかったら、意味がなくなってしまうのよ」
「冗談で言ってるのか、それは……。当たり前だ。俺が独りぼっちで解決策を聞いたって意味がない。いや、ただ……」
「ただ?」
「今気づいたんだが、そもそもそのお前が言うその解決策というのは失敗するんじゃないのか?もし成功してお前のお蔭だというのが分かっているならミーシーはその未来を予知してるはずだ。なのに実際にはお前は姿を隠したまま俺を通じて何かを操ろうとしているし、ミーシーはまだ事情を抱えて予知に気を配っている」
「いずれ聞かれるとは思っていたけど、ミーシーちゃんが気づかない内に解決できる。アンミちゃんの心配をする必要もなくなるし、まあミーシーちゃんがあなたのことを気に入っているなら、あなたと一緒に仲良く暮らすことになるでしょう。あなたにその気があるのならだけど。ごめんなさい、健介君?質問に答えるとは言ったけど、これに関してだは、最後まで教えられない。あなたやミーシーちゃんが知っていたら上手くいかなくなってしまう。アンミちゃんのために、我慢してちょうだい」




