六話⑳
正直なところ、俺はそれを正確には理解していないことになるんだろう。ただ俺も冗長な説明に疲れていたし、この女もこの女で、ちょっと疲れが見えた。分かっていないと言い出せばまた不毛な説明が始まってしまうだろうと思って、短く返事をしておく。
高田、と、トロイマン、というのが、アンミを追い掛けている人物ということになるんだろうか。むしろその辺りの方がよほど重要な情報のようには思われるが、これは覚えておいて、十分な説明がされないようであれば後で掘り下げることにしておこう。
「アンミちゃんは、膨大な手間もリスクも回避して、個体に正しく定着する調整機能を与えている。書き換えるのなら、こうするのが正しいというお手本を、アンミちゃんが持っているということにしても良いかも知れない。日本語だって、書き言葉では正しい語順や綺麗な修飾というのが必要でしょう?アンミちゃんの場合は、遺伝子の翻訳や調整に介入して、特定の性質を生み出すことができる」
「なるほど……」
「健介君も最初、アンミちゃんが植物を動けるようにする魔法より、ミーシーちゃんの予知能力の方が有用だと思っていたかも知れない。けれどね、今こうして説明をしたことを前提にすれば、アンミちゃんの能力と、ミーシーちゃんの能力では、研究の重要度でいうのならね、種と畑くらいに価値が違う。アンミちゃんさえいれば、どんな種でも採取さえしてあれば、簡単に育てられる土壌が手に入る。言いたいことは分かってくれる?」
「大体は理解したつもりでいる。要するに魔法使いを作るために、アンミが必要になっているということになるんだよな?それでアンミを追っていると」
「そうね」
「アンミはいつから追われてるんだ?それに、いつまで追われることになる?」
「いつから、というのは答えられるけど、いつまでというのは、……正確には言えないわね、状況にもよるでしょう」
「追われていて、隠れているというのなら、そこは重要だろう」
「…………。そうね、重要なところよ、健介君。いつから、というのは六年前から。六年前にアンミちゃんが病院から助け出されて、セラ村に引き取られた時から。それまでは高田総合医科学研究所の特別施設で保護されていた。ずっと追い掛けていたというわけでもないけれど、少なくともセラ村にいることが分かってからは監視も続けられていた。研究所側の準備がもう少しで整うという時に、ミーシーちゃんがアンミちゃんを連れて、村から逃げてしまった、というのが今回の件の簡単な説明にはなるでしょう。研究所はもちろん、ミーシーちゃんのことも把握はしていたから、遠くにまでは逃げられないようにだけ準備して、今、必死にアンミちゃんを探している」
六年前から、探していて、六年前に、村に引き取られた。ということは、その時にアンミとミーシーが出会ったんだろうか。病院から助け出されて、セラ村に引き取られた、というのは多分、その頃から二人が一緒に住んでいるということだろう。
セラ村というのは……。アンミの口から、セラおじいちゃんという言葉を聞いた覚えがある。たまたま住んでる地名と名字が同じだっただけだろうか。
「いつまで、という方は?追い掛け始めたのは、アンミたちが村を出たつい最近からということだろう。その捜索活動だっていつまでも続くわけじゃないはずだ」
例えば、警察官が犯人を追い掛けるにしても時効というのがある。まあさすがに、全国の警察官より捜索人員など少ないはずだし、少なくとも俺はおおっぴらにアンミやミーシーが指名手配されているなんて話は知らない。
挙げ句にだ、ミーシーがついているなら、ミーシーが未来を見通しているのなら、……ミーシーにとって不本意な結果になどなりようがない。俺はこの段階では、それは単なる一時的な、追いかけっこに過ぎないと考えていた。
捜索人員に支払う資金が尽きるまで、ちょっと身を潜めていれば済むような話だ。俺の家が隠れ家になっていて、そうするとまあ、……もしもアンミ、ミーシーの二人と俺との別れが訪れるとするなら、その捜索活動というのが終わる頃になるんだろう。
それがいつになるんだろうなと、アンミやミーシーの口からは聞けなかったから、ここで大体の目安なんかを聞きたくなった。その考えは、甘かったんだろうか。
「おそらくいつまでも。逃げている間は。アンミちゃんを手に入れるか、アンミちゃんが死んだことが確認されるまで、高田は、諦めない」
この女は研究所の裏切り者で、内部事情に通じていて、であるから、……例えば俺は、来月末辺りまで警戒して隠れていろなんてアドバイスをくれるものだと、それまで俺の家が隠れ家であることを隠していてやると約束してくれるものだと、思っていた。
だがどうやら、そう簡単に話が終わることはない。
「いつまでも……?それはつまり、一年経ってもまだ探してるということか?」
「もちろん。見つからないようであればね」
「お前は黙っていてくれると思ってて良いんだよな」
「当然そうよ。私は、研究所を裏切って、あなたたちに協力を申し出てる。あなたたちが不利になるような情報を漏らすことはない」
それをすんなり信じるのはどうかと思う。ただしもちろん念を押して確認したところでこの場ではそうとしか返さないだろう。包囲の警戒はミーシーに任せることにして、別方面で解決方法を模索してみるべきかも分からん。
「話し合いで解決できないか?無理に連れ去るということであれば、警察だって動くはずだろう」
「話し合いで、解決を試みてくれても良い。でも誰と、どう話すのかは、健介君がこれからよく考えて決めなくてはならないわね。とりあえず、警察は頼りにはならないと思うわ。現状、よほどの理由がない限りお役所も高総医科研に立ち入ることなんてできそうにないでしょうし、アンミちゃんの件は、よほどの理由には相当しない。児童福祉審議会も高総医科研の保護の延長を認めるでしょう。現時点でも、未成年だと推測できる材料があって、六年も前とはいえ、過去には実際高総医科研側の主張が認められて保護されていた。未成年後見人は、実質、高総医科研にあったとされるでしょうから、当然住む場所も高総医科研の後見人が指定することにはなる。まあ、これはそもそも法律がどうこうということではないとは思うけど」
「アンミの親は、その研究所にいるのか?」
「いいえ?監護者として申請を出した者がいるだけ。アンミちゃんは両親の顔も知らないみたいだし、当のアンミちゃんも形だけの後見人より、六年一緒にいたミーシーちゃんのお父さんに懐いているでしょう」
トロイマン研究所が、アンミを保護していた時期があって、アンミは村に引き取られて、そしてまた今追われている。そうなると、……順当に考えれば、アンミはミーシーと離れたくなくて、村を出たはずだ。
そして、普通であれば、村を出た時、自分が追われている状況についてもおよそ思い至るものなんじゃないだろうか。思い返してみるに、アンミはそれでも普通に出掛けたがった。対照的にミーシーは気が進まなさそうだった。
遊園地に出掛けてる場合なんだろうか。隠れていようとするもんなんじゃないだろうか。
「アンミは……、この状況を知らなかったりするのか?昔、研究所に捕まってたとしても、小さい頃のことだし」
「さあ。私には分からないけど、ミーシーちゃんに村から連れ出された時点で、ある程度は察しがつくと思うわ。ミーシーちゃんがあえて村を出た事情を、話していない可能性はある。ただ、いきなり村を出て逃げましょうということになったら、何が原因かは考えるでしょう」
ミーシーは事情を把握していて危機意識を持っていて当たり前だが、アンミは……。実際の行動を見ている分には、状況についてまるで理解していない可能性が高い。
「じゃあ……。警察は頼りにならないとして……」
「ねえ、健介君。今のところは、何もしてくれなくて良いわ。ただ、私と連絡を取れるようにして、私を少しずつ信用してくれたら良い。協力をすると言ったの、私は」
「……協力と言ったって、とりあえず黙っていてくれるというだけだろう」
「いいえ、そうじゃない。私はあなたが聞きたいと思うことを教えてあげられるし、少なくとも時間を稼ぐことだってできる。トロイマンの動きもよく見ておく。変化があれば、あなたにそれを伝える」
「それは……、ありがたい、が、それを永遠にやってるのか?とりあえずの時間を稼ぐのも重要だろうが、問題の根本的な解決にはならない」
「健介君は、解決してあげたいのよね?二人を離ればなれにはしたくないのよね?なら、健介君は今は何もしなくて良い。二人と一緒にいて、二人と離れないでいることがとても大切なお仕事よ。もちろん危険がありそうな場所には出歩かないようにしなければならない。でも、解決しない問題じゃない。最後の最後に、健介君がその時にもね、二人を助けてあげたいと思っているのなら、その時にこそやるべきことがある。健介君にしかできないお仕事がある。それまではただ二人と過ごしてくれたら良い。最後だけ、少しだけ、お手伝いをしてくれたらこの問題はね、簡単に解決すると思うのよ」
「最後の最後に俺が?俺に何かできるなら、そりゃ喜んで二人には協力するが……。どうだ、例えば、内部でクーデターでも起こして研究そのものをお前がぶち壊しにしてくれるというのはダメか?」
「まあ、言いたいことは分かるわ。でもそれは無理ね。私が研究をどうにかできる立場にはないし、表立って動いて、折角あなたと二人を先に見つけたアドバンテージを消したくはない。私がトロイマンよりも先に見つけたから、十分な時間を稼げるし、最後には必要な決断をできる」
「一応、もう一度確認するんだが、……トロイマン研究所は諦めるつもりはないんだよな?」
「…………。私は、諦めるはずがないと、思ってる」
「なら、解決しない話にならないか?ずっと隠れていられるというのならそれはそれでちょっと不自由なくらいのことなのかも知れないが」
「私がアンミちゃんの居場所を研究所に知らせなくてもね、いずれトロイマンも気づくことになるわ。時間を稼いでもそれがずっと続くわけじゃない。アンミちゃんが捕まることになれば、アンミちゃんとミーシーちゃんは離ればなれになる。二人はそれを悲しむでしょうね。あなたは悲しむこともないかも知れないけれど」
「俺がアンミを見放せば、少なくとも俺は問題から解放されるとでも言いたいのか?」
「どうかしら。そういうこともあるかも知れないわね。健介君が、そんなつもりはないと言ってくれると嬉しい」
「そんなつもりはない」
「そうだと良い。私もそう願っている。その時にそうする健介君を見てみたい。そして、私は何も答えなしで健介君に会っているわけじゃないのよ。私を信用してくれるなら……」
その一瞬、黒い女は不気味に微笑んだ。見間違いでもなく、不気味に微笑んだまま、俺の目の前に不気味な餌を用意する。
「いいえ、多分私をまるで信じていなかったとして、あなたは私の思うように動くことになる。あなたが幸福になれる方法がある。このままではアンミちゃんもミーシーちゃんも、そしてあなたも救われない結末に向かうことになる、でも……」
困り果てた俺の目の前に、餌がぶら下げられた。
「良い方法があるの」
なら、何故その方法を得意気に話して、俺を安心させてくれないんだろうか。何故、そんなに俺の心をざわつかせる表情をするんだろうか。
「あなたの家にいる誰もが幸せなままでいられる方法がある。そうね、アンミちゃんは追われて逃げ回るような生活をしなくて済むようになる。アンミちゃんはとても幸せそうにしている。ミーシーちゃんもあなたも、誰かがいなくなってしまう心配なんてしなくて良い。あなたの家にあなたが出会った『全員が揃っている』。研究所に追われていたことなんて二度と思い出すことなく自由に生きていける。あとね、健介君は……、これは後で分かることでしょうけど、二人とは関係ないところであなたは誰かとケンカをすることになると思うのよ。そちらとも仲直りできる。結果として、『あなたは大切なものを何も失わない』」
黒い女はどこまで見据えていて、なんのつもりで俺と話しているのか。俺はただただ、黒い女が言う未来像に文句をつけられる場所がないかだけを探している。
アンミが追われなくなる。なるほど、それはたった一つで問題を全て解決している。俺の家で全員が揃っている。自由に、生きていて良い。それは確かに、言葉の上では、十分過ぎる内容に思えた。
だが、……だが、しかし、結果的に今ここで起きている問題を全て解決する冴えた方法に、……俺は迂闊に手を伸ばすべきじゃないだろう。
どうしてかというと、この薄気味悪い微笑みが作り物だと透けて見える。俺がこの女に不信感を持つのは不思議なことじゃない。そしてそれ以上に、その微笑みらしきものが、微笑みのつもりであろうものが、俺の不安を煽り続けている。当の女がそれに気づく様子は微塵もない。
「どんな方法だ?方法があるというのならまず話を聞こう。話を聞いてからだ」
「ええ。お話をしたいと思っていたの。ただね、健介君悪いのだけど、私の考えた方法については今の段階では知らせることはできない。それが最良かどうかの検討は、私はもう、終えた。準備だけを進めているの。あなたと会うこともその一つだった。とてもシンプルなことだから、議論も説明も、いざその時がくれば必要がなかったことに気づくと思うわ」
「だから」話すべきことは、もっと他の部分なのだと女は告げた。当然俺はそんなことに納得できるはずがなくて、何度も食い下がったし、頭を下げてみたりもしてみた。
この話自体が女の作り話なんじゃないかと疑いを口にしたし、あるいは俺に接触した研究所の裏切り者とやらが実は研究所の手先なのではないかと詰問もした。
だが、口からでまかせを言っているようではなく慎重に一つ一つの事実だけが知らされていく。それらの説明が破綻しているのかは俺には分からなかったが、そもそも、作り話を俺に聞かせる理由などもない。嫌がらせのためなんかにこんな用意をするはずがない。
とにかく放っておけば、アンミは研究所に捕まり、ミーシーと離ればなれになる。それはどうやら、いくらも根拠のある話のようだった。それを解決するための、冴えた方法が一つだけあるらしい。




