六話⑲
「どっかで聞いたことがあるような気はするんだが……」
「……まあ、ただ。通称でも付けましょうか。トロイマン研究所とでもした方が都合が良いのかも知れないわ。これが追い掛けている方よ。そして、健介君はちょっと誤解したのかも知れないわね。二人を追い掛けているわけじゃないわ。ミーシーちゃんを見つけることに全く意味がないとは言わないけれど、それは二人で一緒に行動しているから、仕方なく見つけてしまうだけよ。むしろできることならアンミちゃんを単独で保護できた方が、まあ、どう考えてもその方が都合は良いでしょうね」
まず敵対組織の呼び名が一貫しなかった。高田総合医科学研究所の内部組織が、トロイマン研究所になるんだろうか。元々独立していた組織が高田総合医科学研究所の人員を借り出しているということなんだろうか。まあ別にそれがどこであろうと関係はないのかも知れない。
「アンミがそもそも、追われているように見えないぞ、あいつは」
「追われていると言っても、追いかけっこをしているわけじゃないし、今現在誰一人、私を除いてアンミちゃんの居場所を知らない。ある程度の範囲に絞ってその辺りを交替で巡回するのが当面のお仕事になるでしょう」
「じゃあ……、しばらくは、そう緊急事態というわけじゃないのか?」
「ミーシーちゃんが警戒しているでしょうし、私もあなたたちの味方をしてあげられる。数日ということであれば現段階でも保証することはできるでしょうね」
俺はむしろ、その保証が脅しに思えてならなかった。逆にいえば数日が過ぎた時点で、追われているという事情は露顕したのかも知れない。
「じゃあ、どうして追われるようになったんだ?」
「細かいことまで話し始めるといつまでも終わらないけど、簡単に言うと、アンミちゃんが世界の役に立つから。元々、アンミちゃんの病気が、色々な分野で大きな成果を残している」
「全く病気らしい振る舞いを見たことがないんだが……、医科学研究所なんだよな。治療法の研究に協力を求められているということか?」
「良い質問ね。そうやって質問をしてくれるととても助かるわ。私も急なことで少し困ってるの。まさか健介君と、こんなふうにお話できるとは思ってなかったのよ。もっと、後になると思っていた。私は人に説明するのは上手くないし、どこからどこまで説明が必要なのかもしっかり整理できてないわ。まあ……、そもそも病気という言い方があまり適当じゃないのかもね。常、染色体性特質抑制遺伝性疾患というのが、アンミちゃんにつけられた診断名で、一応名前の上では、疾患となってはいるけど、特に身体に不調をもたらすわけじゃない。今現在、治療を行うような準備はないし、治しましょうという話は一度も聞いたことがない。健介君は……、思い当たることはない?アンミちゃんを、研究所が追い掛けている理由について」
「……研究所が追い掛ける理由?病気?」
「複雑に考えなくも良いのよ。私にだって全部を説明するのは難しいことだから。人それぞれの思惑もあるとは思うし、研究所のトップも、何も正直に事細かに私たちに事情を説明してはいない。まずは全部じゃなくて、とても簡単な答えで良い」
俺に問うているようでありながら、別に俺が答えるのを待つつもりはなさそうだった。俺が黙って考えたふりをしていたら、いずれ、その、簡単な答えを口にするんだろう。
俺はその答えとやらより、むしろ女の言葉の区切り方が気になっていた。無表情のままで、語り掛ける声だけがいくらか優しい。そのちぐはぐな加減というのが俺を不安にさせたし、言葉をよく聞いてみるに、これから説明するそれが、全く本質を表していないことを、わざわざあらかじめ断るかのような言いぶりに感じられた。
俺に与えられるのはおそらく、とても簡単な方の説明でしかなくて、実際のところそれよりも深くに、何かしら詳細な理由が横たわっているんだろう。それを知らせるつもりはあるんだろうか。もしかして隠していたいと思っているんだろうか。
「魔法……」
「ええ、正解。魔法と呼ぶ方がよほど自然な能力がある。それを研究したがっている」
「いわゆる……、魔法研究所みたいなところなのか?」
ミーシーの魔法というのならまだしも、先にこの女は、アンミを追っていると言っていた。こういっちゃなんだが、アンミの魔法が世界の役に立つと言われても全くピンとこなかった。
「医科学研究所よ、一応はね。ただ多分、一般的には魔法と言った方がイメージしやすいとは思うわ。まあ、そういう意味では、魔法の研究もしているのかも知れないわね。その研究に、どうしてもアンミちゃんが必要になる」
「植物が、にょきにょき伸びる……、のが、なんか役に立つのか?」
医科学と言われてなお、俺がまず思い出したのは根っこを操る魔法の方だった。ああもしかして、治癒魔法の方だろうか。それなら確かに、医療分野の研究に違いない。
「それを研究していた時期もあるわ。それに今回の研究も意外と、それと全く関わりがないとは言い切れない。植物が伸びるというのは、どういうことが起こっているか想像できる?健介君も見たことがあるのなら分かると思うけど、この時その植物は、アンミちゃんの思いを汲んで動いている」
「分かるわけがないだろう。俺は魔法を専攻してたりしない」
「そうね。でも、超常現象として片付けてしまわずに、動くはずがない理由を探してみると、色々とね、疑問というのは湧いてくるでしょう?植物には、自分で考えたり記憶したりするための十分な、中枢神経系がない。でも、動いた。何かを感じ取るための目も耳もない。でも動く。アンミちゃんがお願いをすると、その通りに動く。ということはね、アンミちゃんの魔法というのは、植物に擬似的な中枢神経系や感覚器官を作り出す能力だとも推測できる」
「…………?その、例えば、それは、目が見えないとか耳が聞こえない人にアンミが魔法を使ったら良くなる、とかそういうことか?」
「あら……。賢いわね、健介君。なるほどね。そういった研究はなかったけど、確かに、いくらかそういうふうに応用できる部分というのはあるのかも知れないわ。アイデアとしては悪くはない。重要な部分というのはね、そうした疑似器官というのも、いわゆる魔法に違いないのよ。例えば、健介君の言ったように目が見えない人がアンミちゃんの魔法によって目が見えるようになったとする。その目を使っているのは、目が見えなかった人でしょう?」
「?」
「アンミちゃんが見させているわけじゃなくて、目が見えなかった人が、見る魔法を使っているという状態になる。あくまでたとえ話だから、まあ、そういうことにしておいてちょうだい。もう一つ重要なことに、アンミちゃんが魔法を掛けた植物があったとして、その植物が手に入れた疑似器官というのを他の植物へ移植したとしても、その能力を上手く再現することはできない。簡単にいうと個体ごとの適合条件というのがあるの。その作り出される疑似器官に、遺伝子の発現調整機能が正しく適合しないと、その能力は使えない」
「…………」
「にょきにょき伸びる植物が動いている間、アンミちゃんがそれを動かすために魔法を使い続けているわけじゃないの。とても端的にいうと、その植物は、アンミちゃんに魔法を掛けられた後、もう受け取れる状態にあるし、その植物自体が、いわば魔法を使って動いている。だから、そうね。アンミちゃんの魔法というのは、魔法使いを作り出す魔法だともいえる。アンミちゃんはそうして植物に魔法能力を与えているわけだけど、その一つ前の段階というのか、その植物をね、どうしてあげたら魔法使いになれるかを、検証する能力も持っている」
「ちょっと待ってくれ。俺が……、混乱してるのかな。分からん……。魔法使い?にする?植物を?」
「先に話した疑似器官というのはあくまで、植物の場合の特質発現形態の一つに過ぎないけれどね、アンミちゃんは、植物の例に限らず、個体ごとの特質とシステムとで整合性保ちながら魔法使いを生み出すことができる。これはね、例えばミーシーちゃんの予知能力を例にしてみるとよく分かると思うわ。研究所がもしも予知能力者を作りたいと考えた時に、そのサンプルの全ての情報を持っていたとしても、それを他人に移しかえても同じような能力の発現は期待できない。移しかえられる側の人間に、どういった下地が必要になるのか、上手く発現させるためには元のサンプルをどう組み換えれば良いのか、これを正しくシミュレーションできるのがアンミちゃんの能力で、今、それを研究所が欲しがっている」
「予知能力者を、……作りたいのか?」
「そういうわけでは、ないとは思うわ。それにその特質発現能を欲しがっていると、誰かが明言したわけでもない。でも、最終的にはおそらく、私の推測ではあるけれどね、魔法使いを作りたいんだと思う」
「予知能力者を作りたいわけじゃなくて……?植物を伸ばしたいわけでもなくて……?植物が魔法使いになっていて……」
「…………。いいえ……。あのね、健介君。詳しい話を省こうとしたのがが良くなかったわね。ゆっくり時間を掛けた方が良かった」
そこからしばらく、おそらく詳しい話とやらを聞かされていた。ただ、俺には何のことだかさっぱりまるで分からない未知の専門用語が渋滞を作ってまるで理解が進まない。
まあ、しっかり聞く聞かないなど関係なしに一つも理解できないであろうことだけはすぐに分かった。なんとかがあれこれで、それが繋がったり離れたり、潰れたり開いたり、活性化したり抑制したりと、何やら大層、俺を置き去りにしたままあれやこれやが一生懸命働いている様子だけは伝えられたが、結局のところ、何のために一体何が、そんな動きをしているのかはさっぱりイメージが浮かばない。
俺はその聞いても仕方のない話を軽く流して次の話題に切り替わるのを待っていたが、こうして話に集中しない分、幾分かは女の様子を観察する余裕ができた。多分俺が説明を聞き流していることにも気づいたらしく、少しだけ焦ったように冗長な言葉の言い換えを多用し始める。
眉をひそめて視線を泳がせ、「これはつまり」「要するに」「具体的には」「簡単に言うと」、……一つの説明が何度も何度もかみ砕いた上で周回された。もう詳しい説明を飛ばして次に進めば良いだろうに、俺が理解しなければならない重要な部分なのか、説明を受け入れて貰えないのが我慢ならないのか、この女は最後にもうどうしようもないことに困り果てて黙り込んでしまう。
「困ってるところ悪いんだが……、ちょっと質問しても良いか?」
「ええ、どうぞ」
少し弾むような声だった。どうやら俺からの質問に期待しているようだが……。
「その……、それは俺が理解できると思って話してるつもりなのか?そんなに熱心に解説をしなくちゃならない重要な部分なのか?」
「重要な部分かと聞かれたら、……いいえ、そうではないんでしょうけど。でも、ほら、……もう少しで分かりそうだとは思わない?全部を理解して欲しいわけじゃないのよ。単に、大体の感じが伝われば良いの」
じゃあ、最初から大体の感じというのを説明してくれたら良かったろう。わざと引き延ばそうとしているわけじゃないことは察したが、どうも一般人に対する説明が上手くない。こういうものなんだろうか。俺が悪いんだろうか。
変なところで頑なに、それがどういう原理で起こるものなのか解説をしたがったし、それが完全に証明され終えていないことを、いちいち付け加えて推論に至る材料を並べようとした。
その長い説明の中で、アンミが主語になるのは数えるほどしかない。俺が何の説明を求めているのか分かってくれてないんだろうか。
「俺が聞いてるのは、何故アンミが追われてるのかだ。それはアンミの魔法を研究したがっているということで良いんだよな。理屈はともかく、アンミを研究すれば魔法使いが作れるというようなことは分かった。で、どういう、何の魔法使いを作るつもりなんだ?別に、……難しくなるなら、この話は端折ってくれても構わないところなんだが」
「じゃあ……、健介君が、例えば、空を飛びたいとするでしょう?」
「ああ、例えば、……まあ、そういうこともあるだろうな」
「でも、じゃあ、鳥が空を飛ぶからといって、鳥の細胞を健介君に注射しても、健介君は飛べるようになったりしないわよね」
「まだ……、説明を諦めてないのか?そりゃそうだろうな。そんなことで飛べるようになるはずがない」
「ええ、そうね。それじゃあ例えば、健介君に、鳥が空を飛ぶために使っている遺伝子を組み込んだとしたら、飛べるようになると思う?」
「それは多分、そうはならないんだろう」
「どうして?健介君が……、まあ、例えば、転んで遺伝子がバラバラになって、もしも鳥と同じ遺伝子の形になったら、健介君は鳥に……、鳥になりそうなものだけどね」
「ならないよな、何故なら、転んだくらいで俺のDNAはバラバラにならないし、仮にちょっと外れたとしてもある程度修復能があるし、変にくっついてしまったら元々の遺伝子の調節やらが上手くいかなくなって正常な体の機能が保てなくなるということだった。そういう説明をしていたんだよな?」
「そう。分かってるじゃない、健介君。どうして分からないというような顔をしていたの?そういった問題もある。例えば……、何冊かの本があったとして、それをお気に入りの本に一つまとめようとする場合、本の一ページをコピーして置き換えるような方法では、ちぐはぐな出来上がりになってしまうでしょう?元々の文章を書き換えてしまうかも知れないし、その一ページというのが、魔法の能力を詰め込んだ部品だったとしても、それを正しく配置するためには分解したり、組み換えたりする必要が出てくる。元々の一冊の本の中のいわば余白を、検証しなくてはならないし、元々の文脈と関連するように位置を決めなくてはならない」
女の懸命な説明が功を奏したのか、最終的にはなんとか、魔法使いを作ることの難しさの概略を理解することはできた。おそらく俺が理解できるのはその程度のところだろう。ただし、不本意な説明を強いることにはなってしまったのかも知れない。
「じゃあ、その部分は理解した」
「それでね、ここまでのお話というのは、普通であればそうして、大変な工程があるということにはなるのだけど、アンミちゃんの能力があるだけで、その状況というのは大きく変わってくる。ここでようやく、高田総合医科学研究所の、高田やトロイマンが、どうしてアンミちゃんを研究に協力させたいかというところに戻れるわ。アンミちゃんが植物を魔法使いにしているということは分かってくれているのよね?」
「ああ」