六話⑱
「まずは約束をしましょう。電話をしてくれても良いわ。そして、自由に話してくれて構わない。ただし、あなたはまずきちんと二人の気持ちを理解してあげなくてはならない。一応私はその時の対応も考えてはいるけれど、ミーシーちゃん次第で、そしてあなたの行動次第で、電話は繋がらないかも知れない」
「アンミを追い掛けてるだと?アンミを捕まえてどうするつもりだ?」
「その話も後でしてあげられるわ。けど、電話を掛けようと思ったんでしょう?健介君がよく考えてから電話をしないと、ねえ、健介君の家にはもう、誰もいないかも知れない」
「脅しは通用しない。ミーシーが……、予知してれば、いれば、仮にお前らが手を打っていたとしても、アンミをどうこうできるはずがない。俺が電話をする、……というのはあくまで念のためでしかない」
「ええ。ミーシーちゃんは予知をするでしょうけど、その場合健介君はとりあえず二つ、気をつけなければならない、でしょう?信頼されていない、とは言ったけど、それは二人が、きっとあなたに心配を掛けたくない、あなたを巻き込みたくないと思っているからなのよ。あなたが知るはずない事情を知っていて逃げろなんて叫んだら、二人はどこへ行くのか分からない。まず、私個人は別にアンミちゃんを捕まえたいわけじゃない。高総医科研はアンミちゃんを探しているけれど、私は、アンミちゃんを捕まえようとしていないし、アンミちゃんを捕まえるための連絡もしていない。私が個人的にあなたを見つけただけで、高総医科研はまだアンミちゃんの正確な足取りを知らない」
「…………」
「でも二人がいなくなってしまうと私は困るの。あなたを含めて三人で一緒にいて欲しいの。あなたからの連絡内容によっては、二人は敵に見つかったと誤解しかねない。折角良い隠れ家を手に入れて、あなたのような味方に出会えたのに、全て放り出さざるを得なくなる」
「今、お前に見つかってる……。時間を置けば包囲される。伝えなきゃならない」
「私が研究所の裏切り者であることは伝えた。あなたは私を利用してどうにか、あなたたちの身の安全を図れないか、私のことをとりあえず信用できるかどうかちゃんと見極める必要がある。あなたは不安に思うかも知れないけれど、電話をするなら、何気なく明日の天気、……いいえ、そうね。明日の献立でも良いし、明日お腹が痛くならないか、あなたに関わる未来について聞いてみてくれたら良い。ミーシーちゃんが予知をする以上、彼女が予知した期間の不都合は、……すぐに気づけるはずでしょう?あなたは二人が今無事かどうかも、これから無事かどうかも確認することができる。あなたと二人が一緒にいられるかどうかも確認することができる。明日でも、明後日でも、明々後日でも良い。そしたら私が、あなたたちに不都合な出来事をもたらすという心配も、する必要がないことは分かる」
「予知が……、できないことだってあるはずだ。敵対組織の時間稼ぎだろう、そんなものは」
「あら……。よく、知ってるわね。そこまで知ってる?いいえ、まあ、そういうこともあるでしょうけど、それも含めて明日以降のことを聞いてくれたら良いと思うわ。研究所が二人を捕まえる際には当然予知を妨害するための用意をするでしょうから、予知が途切れないことも確認して貰った方が良い。多分、ミーシーちゃんだってこの段階では、予知圏外でじっとしているなんて馬鹿なことしないでしょう。理解はできている?二人を追い出したいのなら敵に見つかったと伝えてくれても良い。けれど、二人の安全を確認するだけなら、あなたがこれからも一緒にいられることを確認したいのなら、私を利用して最後まで守ってあげるつもりでいるのなら、健介君は、余計なことまで話さずに、世間話の中でそれとなく、この先の予知をして貰うだけで良い」
これは、……おそらく罠だ。罠であることを俺は見抜いている。だが、実際には黒い女の言う内容に何一つ反論できない。
予知の妨害があるなら、ミーシーにはただ未来を見て貰えば良い。妨害がなければ予知ができるし、予知された中で不都合な出来事が見つかれば、ミーシーはそれにだって気づくだろう。そこで安穏と献立だの俺の体調だのを見てそれだけ伝えるわけがない。
なるほどだから今まで……、ミーシーは予知していたのか。周りを警戒していたと考えるのが自然だ。逆に俺が安易に今の状況を伝えれば、少なくとも俺の家から出ようとするだろう。だって、何者かに追われていて居場所が知られてしまっている。
そしてそこで……、一周するわけだ。この女はその追っている側の裏切り者で内部情報を握っている。この女の所属に二人の居所を伝えていない。それはミーシーが不都合な未来を予知しないことで一旦は証明される。
ただし、どうだ?居場所を実は知らせていて、単に行動を先送りしているというだけなのかも知れない。
そしてまさに今日、ミーシーの予知不調が発生した。ミーシーから予知で安全を報告されたとして、それが完全に再現されるかは揺らいでいる。
「お前が信用できる証拠を出せ」
「ないわ」
「裏切り者だと言ったな。こっちに協力するということか。どんな理由で、何のメリットがあってそんなことをする?」
「さあ?」
「ダメだ、やはり……。電話は、電話がダメ?いや、電話はした方が良いが、逃げろと説明する方が……。お前の言う通りに行動すれば必ず落とし穴が待っているはずだ」
「ねぇ、健介君?信用できる証拠を出せと言われて、私が何も出せないのはとても歯がゆいわ。信用してくれるかどうかを決めるのは健介君でしょう。それは自分で決めて?私があなたに嘘をついて誤魔化して信用されるのでは意味がないと思わない?あまりおおっぴらにできるような立場でもない。私がアンミちゃんの居場所を知っていてそちらに協力する、というのをあなた以外の誰かに知られていてはマズイでしょう。あなたに納得して貰うような行動は、私やあなたの目的を難しくするだけよ。良い証明方法があるというのなら聞くけど」
「だが……、お前の言う通りにしか動けない。お前を信用できないのに、お前の言う通りにはできない。どんな理由かだけ教えてくれ。お前がこちらに協力する理由があるはずだ。もし、本当なら」
「どんな理由で協力するのか、強いて説明したとして……、私の何年かを伝えなければならないし、結局のところ話して理解されるとも思っていない。私はアンミちゃんの気持ちが分かっているつもりでいる。なんならミーシーちゃんの気持ちも分かっているつもりでいる。それは最後に答え会わせをしないと正しいかは分からないけど、ねえ少なくとも、私にとって何が正しいのかは決めたの。健介君がどうしていたいかも少しは分かっているつもりでいる」
「……お前に俺のことなど分かるはずがない」
「アンミちゃんを助けてあげたい。その途中も見ていたい。あと、あなたに信用されたいわ」
「……嘘だ」
「何が根っこのなるのかしら。アンミちゃんを幸せにするのは無理だと言った……、実際には言ってはいないけど、無理だと決めつけた人間がいる。けどね、そんなことないと思うのよ。私は全てが解決した後に、高いところからその男を見下して、私にはできたわと言ってやりたい……」
信用できるはずがないと俺はもう決めつけている。ただ、椅子にもたれ掛かって一人呟くようにした言葉だけには感情が込められていて、苦笑のように浮かべられた表情がようやく俺に人間らしさを伝えている。
何かを引きずるような人間らしい重みがあった。だからといって信じたわけじゃないが……、信じているわけではないが、俺は自分で決めて、電話を掛けてみることにした。
黒い女は手のひらを返して俺に携帯電話を手渡す。俺が冷たい指先に触れた時に、黒い女がほくそ笑んでいないかを確認しようと首を上げた。女は俺のことなど気にした様子もなく片手でバッグの中身をごそごそといじくって、しばらくしてから顔を上げる。
この女は不思議な表情をしている。どこを見ていて、何を考えているのか。俺がこの女の言う通りにするんだから、企みがあるにせよないにせよ、少しは喜んだらどうなんだろう。ただ、そうして見つめ合うことになった何秒かだけは、全く普通の、単なる美人と向かい合っているような気分だった。
ここにきて、この女の不気味さの根源がどこにあったのかを理解する。確かに、話ぶりも不気味ではあったが、行動から何から異常ではあったが、それより何より、……これだ。
瞬きにしろ口の動きにしろ、ロボットのような演技めいた動きをする。感情が透けない能面でもつけているかのような無表情から、一瞬だけ間を空けて俺と目があったことに気づいてから遅れて微笑む。
一つ遅れる空白の間に何があるのか分からなくて、それが不安で、俺はこの女から不気味な印象を受ける。
「もしもし……」
「迷惑掛けたわ。ちょっとの間だけの予知不調だったみたいよ。もう今は安定してるわ。アンミもぴったり戻ってきたし、あなたもちゃんと荷物見つけて戻ってくることにはなるでしょう。まあ一応気をつけて帰ってきなさい」
「ああ、ミーシーか。というか、俺からだから、電話出るのか。そりゃ……。ああ、あの後、結局警察署まで連れてかれて……」
「大体知ってるわ。お咎めなしにはなったんでしょう。アンミも無事に戻ってきたし、結果オーライということにしましょう。感謝もしてるわ」
「…………。俺は何時ごろに家に着くかとか分かるか?」
「五時過ぎね。お務めご苦労さまと言いたいところだけど、実はまだやらないとならないことがあるのよ。ミーコがあなたを迎えに行って戻ってきてないわ。そして、あなたは街中をぶらぶらしてて偶然見つかったとしか言わないし、待ち合わせなしにお互い動いてて私もその場にいないから予知で短縮できないわ。まあ適当にぶらぶらして偶然見つけてちょうだい」
「そうか……。分かった。それは良い。探してから帰ることにする。あ、ぁと、あの……、だな、急にこんなこと聞いておかしいとか思うかも知れんが、俺、お腹痛くなったりしないか?その……、昼飯家で食えなくて、ちょっと、喫茶店で軽食を取ったんだが、味がおかしかったような……、そういう気がしてるから」
「一口食べた時に聞けば良かったでしょう。別に今日はどうってことなさそうにしてるわ。元気ないようにも見えるけど、お腹は痛くないそうよ」
「じゃあ、時間差で来るかも知れない。明日はどうだ?」
「明日もお腹痛くないと言ってるわ。明後日も元気そうにしてるし、明々後日はちょっと気持ち悪いとか言ってるわ。あれでしょう……。そんな遠回しに聞かずに予知の調子が戻ったかどうかを聞けば良いでしょう。私の心配とかしてなくて良いのよ。多分、今回はなんかたまたま予知がおかしくなっただけで、明日も明後日も明々後日も特に予知がおかしなことになったりしてないから少なくともしばらく大丈夫よ」
「分かった。いや、だが、今もう一回予知し直してみてくれ。俺が体調不良を訴えたりはしてないか?」
「はいはい。…………。まあ、大丈夫でしょう。仮に悪くなっても治るでしょう」
「……俺のことを、本当にちゃんと見たか?すごく短い感じがするんだが、本当に大丈夫なんだろうな?」
「そんな手抜きしてないでしょう。私が毒を入れない限りあなたはお腹壊したりしないわ」
「えぇと、それに……、ちょっと確認したい。例えば俺は」
「お前の予知を聞いた後に故意に体に悪い物を食べる可能性もあるわけだがそう言う場合は予知が外れることになるよなと言うのを私が予知して知ってるということはあなたから電話があることも把握しているし、私がわざわざ予知を変えないように予知中と同じ行動をしているということよ。別に予知し直しても同じみたいだし、予知の調子も戻ったということでしょう。無駄電話してないで、さっさとミーコ探しなさい。あなたのお蔭でアンミが無事に帰ってきたのよ、帰ってきたらそうね、何か要求があるならそれも聞いてあげましょう。ご飯も美味しいものを作ってあげるようにお願いしておいてあげるわ」
「なるほど、……すまん。じゃあ、一応その……俺がお腹痛くならないかを見続けててくれ。あと、ほら、あの泥棒がもしも複数犯のグループだったりしたら逆恨みで襲撃をしてくるかも知れない」
「落ち着きなさい。しばらく様子見てて問題ないのよ。もうこれ以上どうしようもないでしょう。元から警備意識は高い方なのよ、私は」
「分かった」と伝えて通話を切った。ミーシーは家にいるし、アンミも帰っている。ミーコが俺を探しに出ているらしいが、この後俺と合流して家に戻る。少なくとも差し迫った危険はなさそうだった。
まあそれは予知が正常に作動していて、目の前の黒い女が予知を変える術を持っていない場合には限るが。
「話を戻そう。二人は、何から追われてる?」
「高田総合医科学研究所の、トロイマンの研究室が主導して、多くの研究員がアンミちゃんの行方を探している。まあ、高総医科研のトップである高田もこの件で指揮を執っているし、よほど人の足りないところは除いてトロイマンは部門に関わらず指示を出しているみたいだった。だからこれは、何から追われているのかと言われると、中にいた私としては感想が違うにせよ、高田総合医科学研究所に追われているという認識でも別に構わないものなんでしょう。そして私もその中の一人に数えられてはいる。そうね、色々聞きたいことはあるでしょうけれど、そうして一つずつ質問してくれた方が答えやすいわ」