一話①
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『いくつも記憶から紡がれた、高橋健介が知るはずのない物語を、私は知っている』
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倒木の根の土塊を手のひらで軽く払い、水楽ミヨはその場に腰を下ろした。そうまだこの時点では、いくらでも考えるべきことがある。白い画用紙に一つ点を置くように、何を大切にするのかを決めることができた。
とはいえ半ば彼女は諦めを伴って、淡く呼吸に乗せるように、「どうしたものかしらね」と言葉を吐いた。そしてすぐ隣で目線を下げた少女に対して、もう一度、問う、「アンミはどうしたいの?」と。
水楽ミヨがどうしたいかでもなく、どうすべきだと考えているかでもなく、その子に聞いた。果たして水楽ミヨには、示すべき道順が見えてはいる。
もしも木々に囲まれて草が生い茂るのをかき分けて進むにせよ、山を下りるのなら山を下りるための道順を、村へ戻るのなら村へ戻るための道順を、水楽ミヨはいくらも候補を挙げて導くことができたでしょう。けれど同時に、もう一つだけ、分かっていることがある。うなだれる赤い髪の少女が、決して、そういったものを望まない。
……今の私には、それがどうしてなのかよく分かる。
「アンミがどうしたいのか言いなさい」
「…………」
そして水楽ミヨも、この先どちらに道順を決めようと、アンミのその願いが、いずれは告げられることを知っていた。それがとても不可解で面倒で、およそ水楽ミヨにとっては無意味だと思われるものであったとしても、……問わざるを得ない。
理由に思い至らなくても、あるいは理由など何一つない単なる思いつきであろうと、水楽ミヨはそのお願いを叶えてあげるつもりでいた。そう、だから優しく問う。
もう一度、その子の笑顔が見たくて、そのわがままを叶えてしまう。問い掛けられたアンミはすっぽりと被ったフードの端を指でつまみ引き下げながら、スンと一度鼻を鳴らした。
「…………」
「私、……」
水楽ミヨはきっと、村へ戻りたいと言って欲しかったことでしょう。そうでなくとも、ずっと一緒にいて欲しいと聞きたかったことでしょう。そうであれば、何の苦労もなく、言葉の意味を正しく伝え合うことができた。ではどうして、そうはならなかったのか。
冷たい風が木の葉を揺らす音だけが辺りで続けざまに響いている。水楽ミヨはしばらくの間を辛抱強く待った。どうせ、そう、言うに、決まっているのに。
「ええ」
「無理言うかも……」
「そうかも知れないわね。でも私が無理だって言ってもアンミはお願いを変えたりしないでしょう?」
アンミは少し考えるように首を持ち上げて、そしてゆっくりと静かに、言葉もなく頷いた。
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ぽつり、一粒の雨。
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玲瓏な月も何を悲しんでか涙を零して、それが風に揺られてここに一粒、ああもしかして、私の代わりに泣いているのでしょうか。悲しくとも涙を流すことのない私の代わりに。
だとするなら、もっと大きな粒を、もっとたくさん、落としてくれて良い。彼女のか細い声などかき消すように嵐を伴って降り注げば良い。けれども、これはもう、変わりようもなく訪れた過去に違いなく、そして変えようもない結末への発端に違いない。
私は彼女を、憎んでいるのでしょうか。いいえ、……ただただ、もの悲しく思うのです。私にももう、世界が訪れる。
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ぽつり、少女の願う、夢一つ。
「優しい人が良いなあ……」
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