No.0008
少女は紙に描かれた四角を指さしてそういった。
「そしてこれが私たちの意識」
その横に描かれた目のような模様を指さしてそう言った。
「私たちは本棚を見ているけれど、私たちと本棚との間には世界があるの。私たちと本棚との間に遮るものが世界なの」
彼女の必死な説明を、少年は真剣に聞いた。どのように訳の分からない事であろうとも少女の話は一言も聞き逃したくはなかった。しっかりと彼女の言葉を受け止めて、自分の心の中へと大切にしまっておきたかったのだ。
「うんうん。それで、その後にも何か発見したの?」
彼は、必死に耳を傾ける。君の話はたくさん聞いてあげると約束したから、自分の頭でも理解できる限り理解してあげたい衝動にかられたのだ。
「うん。あったよ!」
彼女は自信たっぷりの表情で彼に続きを聞かせてきた。
「どんなの?」
彼は聞く。
「私たちが本棚を見て、世界を感じる事ができるのは、意識っていう名前のね、チャンネルが頭の中にあってね、そのチャンネルが今、本棚に合わせてあるからなんだって! だからね、アナタは今見えているものにチャンネルが合っているの。チャンネルが合うと世界が見えるんだって。だから、目を閉じると見える小さな色付きの粒々を見る時はね、粒々にチャンネルを合わせないといけないんだよ」
勿体ない程純粋な心で伝えてきてくれる。彼は、少女の話を頑張って理解していた。目の前の少女の言うことを百パーセント理解する、というのは難しかったけれども、何となく大体は分かったつもりになった。
「すごーい。よくわかんないけど、君が言うんだったらきっと本当の事なんだろうね」
少年の心は躍っていた。彼の嬉しそうな表情を見た彼女は、再び
「ふふふ」
と笑った。少女のあどけない笑顔を見て少年はさらに楽しい気分になって、彼女の事をもっと知りたいとも感じた。彼女の生い立ちとか友達とかそういう細やかな事も聞きたくなった。でも突然に話題を変え、学校の事とか家の事とかそういうありきたりな事を聞いても全然面白く無いなあ、と考えたので質問を取りやめにする事にした。
「ねえ」
少女が問いかけた。
「なあに?」
「眠くなってきちゃった」
「そうなの? 実は僕もだよ」
「さっき寝ちゃったばかりなのに」
彼女が笑う。
「うん。でも眠かったらこのまま寝ちゃおうよ」
「でも、まだハミガキしていない」
「今日くらいは、いいよ」
と少年は言う。
「ねえ。抱っこして」
「うん。いいよ」
少年は少女の事を抱き寄せた。彼女の体の中に、淡い生命の炎のような感覚が感じられた。華奢なその体は少しだけ、儚くて。
彼は、誰かに体を揺さぶられた事に気が付いて目を覚ました。まぶたを通してでも感じられる非常に明るい日の光が、部屋に溢れている。
「ねえ起きて、早く」
少年は昨日の出来事を思い出すのに時間を有した。一瞬、ここはどこなんだろうと焦った。けれどもすぐに自分が少女と出会った事、彼女と天の川を眺めた事、意識について話し合った事、布団に入って目を閉じた事などを鮮明に思い出した。
彼女の存在は夢ではなかったんだと思い、嬉しくなって胸が熱くなった。
「おはよう」
寝ぼけまなこで少年が言う。
「ねえ、もうすぐママが帰ってくるの。お願い、早くここから逃げて」
彼女はとても焦っていた。
「えっ? どうして」
「お願い。早くこの家から逃げて。そうして」
少女は涙声になって、少年にうったえた。その必死な焦り方は尋常ではなく、彼女に何か壮絶な危機が迫っていると感じさせた。
「なんで?」
「いつか、また会おう? その時に教えてあげるから」
「うん」
少年の心は乱れていた。
朝になって、彼女の様子がいきなり変わってしまったから、多大な不安感をおぼえた。
それと同時に、自分は彼女の言う事に従わなければならないという気持ちにもなっていた。だから窓辺から差し込む朝日を受けながら、彼は玄関へと向かった。
階段を下りて、廊下を歩いて、玄関に向かったのだ。
少女は彼の後ろについてきている。
玄関の段差のところまで来た時、少年は壁に銀色のワイヤーで吊るされた絵画を見た。
その絵の少女の美貌は永遠に薄れない。
彼の目の前が、ここでフェードアウトして行く。
暗転の先に、光あれ。