No.0007
『まえがきにかえて』
二〇十八年四月十六日、午前一時二十四分。僕はこの文章を作っている。
うす暗い部屋で机にパソコンを出し、言葉をよく考えながらキーボードを叩いている。
この話を書き終えたら、ファンタジーの新人賞に応募するつもりだ。だから頑張って夜中じゅう淡々と書き進めている。
正直、今の段階では『ゼロ月の豹変』の物語上の構成とか着想とか全然考えていないのだが、きっとこの話は僕自身にとって「遺書」のような存在になってくれると期待している。
と、いうのも僕には時間が無いからだ。大学の一回生を終えて、二回生の新学期を迎えてしまった。このままのレールで行くと僕はこの先、社会的な死を迎える事になる。
どういう意味か。社会的な死、とは「社会に出る」という事だ。これは僕にとっての真実であり、絶対に避けたい宿命でもある。だからこそ、社会的な死を迎える前にこのような作品を作り上げる必要があったのだ。
また所々に造語的な表現や、挑戦的なストーリー構成も多く含まれていると思う。読みにくいと感じるところもあると思う。ありきたりで、稚拙で、とても読めた本だと思えない箇所もあるかもしれない。でも、この話は僕が日々思い悩んでいた「意識」に対しての自分なりの答えでもあり、僕が生きた証でもある。
もし、少しでもこのお話に興味を持ってくれたのなら、さっそく次のページをめくって章を読み進めてほしい。『宇宙が君の体を使って世界を感じられている間に…………』
この最初の数ページを読んで、少年はぱたりと本を閉じた。
内容が難しくて、何だか全体がグロテスクな雰囲気に包まれていたからだ。漢字は全く読めなかったし、言葉の意味も分からなかった。
でもこの本は、大人・・たち(・・)から(・・)認められて(・・・・・・)いる(・・)本・なのかなあという気がした。それはそれで難しい考え方がぎっしりと詰め込まれた、大人の為の本なんだろうなと思っていた。
「ごめん。この本、難しくてよく分からないよ」
少年は困った表情になって少女に謝った。
「ここにある本はどれも難しいんだよ。私たちが読むには」
少年は、確かにそうだなと思った。ここにあるのは絵本とかマンガとかではなくて、分厚い本とか難しい本とかである。読み聞かせをし合うのに最適な本は無いように思えた。
「確かにそうだね」
と少年は言ってから、どうしようかなあ、と思った。
僕たちに読めるような本が無いのなら、せっかくの長い長い夜が暇になってしまう。それはそれで少女の事をずっと見ている事ができるから悪くは無いのだけれど。どうせ過ごすのなら本の世界へと意識を飛ばして少女と熱い冒険を繰り広げたかった。
「そうだ。いいこと思いついた!」
彼女は飛び跳ねて喜んだ。どんな面白い事を考え付いたのだろうかと少年も興味深い気分になった。
「なあに?」
「私たちで、お話を作ろうよ!」
少女が嬉しそうに語り掛けた。彼女は自分たちで小説を書いてそれを読み聞かせようと考えていたみたいだ。
彼女の頭の中にはもうお話の構想は練り上げられてあるのだろうか、どんな世界観で物語を作るのか、と、少女の目の奥に隠された純粋な世界を少年は想像していた。
「いいよ! 僕たちで世界を作るんだ。きっとすごいお話が広がるよ」
「たくさんお話を作ろ? そうして紙に書いて本にして残しといて、あの本棚に入れて宝物にするの。大人になっても、その本を手に取る時に今日の、この日の、この思い出が思い出されるの」
少女は声を荒げた。その声には、少女にたぎる命の炎のような熱さえ感じる事ができた。
「すごい。僕たちの本は僕たちで作るんだね。それなら飽きないで読み聞かせをする事ができる」
少年の言葉に少女は頷いた。彼女の情熱を感じて、少年の心臓はドキドキと高鳴って、これから二人で作り上げられる新たなる物語に、大いなる期待を燃やしていた。
「そうだよ!」
と彼女が言う。すると少女は少年の手首を握って、腕を引っ張った。
「こっちに来て」
いきなりベッドの方向へ少年を連れて行った。その行為に彼は少しビックリした。
突然手首をつかまれたからという驚きもあったけれども、何故か彼女の手の感覚が、先ほどより気持ち良く感じたからである。少年の心の奥にまで触れられているかのような、そんな敏感で鮮明な感覚が、少年の意識の内側にこびりついたからである。
「紙とペンを持って来るんじゃないの?」
少年は尋ねた。
何故尋ねたのかというと、物語を作るうえで必要なのは紙とペンであるからだ。どのような場所であっても紙とペンがあれば、そこに自分だけの世界を作り出せる。少年はそう信じていた。
「紙とペンは後でいいの。まずはアイデアを作らなきゃ。空想を膨らませて、誰にも作れない二人だけの秘密のお話を考えなくちゃ!」
彼はふと気が付いた。何に気が付いたのかというと、紙とペンがあったところで想像力が無ければ、お話は作る事ができないのだという事だ。
「確かにそうだよね。じゃあお布団の中に入って一緒に考えるんだね!」
彼は言った。
「そうだよ」
彼女は嬉しそうに声を発すると、羽毛の掛け布団をバサリとめくって中に身を入れた。
「おいで」
「ありがとう」
二人はベッドの中に身を隠した。それから二人は二人だけの物語を作るために色々なアイデアを浮かばせるのである。これから二人のアイデアは、カラフルな風船のように膨らんで、ふわりと舞って、この部屋の壁や天井を埋め尽くすのである。それぐらい少年と少女の頭の中は冴えわたっていた。
「ねえ。目を閉じて、まぶたの内側の一点だけをジッと見つめるの。穴が開くくらいよく見つめるの。そうするとね、本当に色のついたプツプツした穴が見え始めるのよ。残像っていうのかも知れないし、幻覚っていうのかも知れないけど、ギュッと目を瞑ってジッと一点だけ見つめると、小さな粒々みたいな物に赤とか、青とかの色も見え始めるんだよ」
少女は真剣にこの事を伝えてくる。先ほどのシャワーの時と同じように、少年にこの現象を理解して欲しいらしくて、必死に言葉で説明を試みている。
それがたまらなく可愛らしくて、少年は少しぼうっとしてしまったけれど、すぐに彼女の言葉を理しようと試みた。
「今、目を瞑ったよ」
彼はそう言ってから彼女に言われた通り、まぶたの裏の一点を凝視してみた。しかし粒々みたいなカラフルな穴を見つける事ができなかった。少年はもう少し頑張ってその光を必死に見つけようとした。少女が見ている世界を、自分の頭の中にも出現させたかったから、ジッと一点を見つめて離さなかった。
「みえた?」
少女は急かすように問いかけてくる。その興味深そうな声色を聞いて少年は何とも言えない感覚になった。
「ごめん。まだ見えない」
「そう?」
少女の声の雰囲気が少しだけ悲しい表情をしていた。その事に気が付いた少年は焦った。
彼女が言う小さな粒々みたいな物に赤とか、青とかの色もついた点々。というのが未だに見えなかったからである。
「無理に見ようとしても見えないよ」
「えっ。そうなの」
彼女にそう言われても、少年は目を開ける事はなかった。目を閉じて集中さえしていれば、きっと粒々が見えるはずだと思っていた。
「ほら、目を開けてごらん」
その声を聞いて、彼は目を開いた。開くと彼女の顔が、自分にすごく近い事に気が付いて嬉しくなった。
「あっちを見て」
少女は身を起こすと、本棚の方向を指さした。
「本棚が見えるでしょう。どうして私はそれを見る事ができるの? どうして私はそれを感じる事ができるの?」
少女は首をかしげながら、しっとりした声で問いかけてくる。
彼は考えた。なぜ自分は本棚を見て、世界を感じる事ができるのかという疑問に的確な答えを見出そうとした。それと同時に意識に対しての哲学的な疑問には、きっと明確な答えがあるはずだと考えて、必死に頭を回転させた。けれども答えは出なかった。
「うーん。全然分からない」
彼は、自分の頭が悪いから答えが出ないのかなと思って、少女に申し訳ない気持ちになった。そうして「ごめんね」と声を出そうとした時
「私も! 全然分からない」
と彼女が微笑みを浮かべて言って来たので、少年は安心した。安心して、布団に顔をうずめた。すると少女は、少年の肩に頭を乗っけてきた。少女の吐息が彼の頬に掛かる。
「ねえ。私が考えたお話、少しだけ聞いてくれる?」
今度は少女が少年に尋ねてきた。彼はどきっとして頷いた。
「うん。でも、少しじゃなくて……たくさん、たくさん聞かせてよ!」
少年のその言葉を聞いて、彼女はふふふと笑った。その笑顔は、白色のカーネーションのように初々しくて、やさしく輝いて見えた。
「私ね。この前、夢を見たの。どんな夢かって言うとね、あのね、すごい事を発見する夢」
「すごい事? どんな事を発見したの?」
「夢の中でね、私、紙とペンを持ってずっと考えていたの。どうして私は本棚を見る事ができるんだろうって。どうして私は、世界を感じられる事ができるんだろうって」
「それで、答えがでたの?」
「うん!」
少女は布団に体をうずめて両方の手を少年の方へと伸ばしてきた。彼がその手を握るとギュッと引っ張って自分の体の元へと倒してきた。
二人の体が重なった。その事が少し恥ずかしくて二人はまた「ふふふ」と笑った。
「それすごいじゃん。ねえ、何で僕らは世界を感じる事ができるの?」
「夢の中では、すごい発見だったんだけど、起きたら忘れちゃった」
彼女がふと悲しい表情をした。少年はそれを慰めるように
「とっても素敵な夢を見たんだね」
と言った。
「うん。あのね、夢の中では私は紙とペンを持っていて、私が見た世界を絵に描いていたの。ちゃんと文字も入れて書いていたの。白い紙があってね、そこにはこう書かれていたの」
彼女はバッと体を起こして、本棚の方向へと向かった。本たちの隙間から取り出したのは一枚の紙である。片側には20穴ほどの穴が開いていて、裏表に罫線がたくさん引かれている。
「これ、ルーズリーフって言うの。大学生のお兄さんお姉さんが使っているんだって。夢を見た後に、私ね、どんな夢だったのかなって思い出して、途中までだったけど思い出して紙に書いてみたの。どういう発見だったのかって」
彼女は言った。そうして少年のいるベッドに潜り込むと、紙を見せた。
「これが、今私たちが見ている本棚だよ」