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ゼロ月の豹変  作者: あきたけ
第2章
19/19

№0018

 



 史郎はここで目を覚ました。


 ふと気が付いたとき、史郎は自分の肩に、雪の頭が乗っかっているのを確認した。少しどきっとしたけど、電車がガタンと大きく揺れたので、彼女は目を覚ました。


「……あ、ごめん。寝ちゃった」

 と、彼女はまだ寝ぼけまなこでそう言った。


「うん。まあ、大丈夫だよ。俺も寝ていたし。今起きたところなんだ。少し変な夢を見たね」

「うん。私も」

「それは奇遇だね。君も変な夢を見たんだ」

「うん。ちょっと、嫌な夢」

「どんな?」

「女の子が、家族にイジメられているの」

「虐待の夢か。あまりいい夢じゃないね。すこし憂鬱な気分になる」

「ええ」


 時刻は午前の八時を回っていた。湘南新宿ラインが赤羽駅に到着したので、二人は電車を降りる。


「翼、毎日こんなに時間をかけて学校まで来ていたんだ。ちょっと驚きだな」


 史郎が言う。親友ではあるけど、翼という人間の内面は芸術家でもある。


 人はそれぞれ適度に孤独になる日が必要なのだ。


「そうね。私、あんまり津島くんの事は知らないけど」

「うん。俺も実は、全然分かっていなかったのかもしれない」


 休日でも駅のホームは人込みでごちゃ混ぜ状態である。二人はそこからさらに電車を乗り継いで、目的地を目指す。


 乗り換えはそんなに苦では無かった。史郎は方向音痴ではあったけれども、目的の電車に乗る事にはあまり苦労しなかった。


 それで、二人が電車から降りて、町へと出た時、清々しい外の空気の匂いを感じた。


 ここは、翼が住んでいる町なのである。芸術が生まれる町でもある。その事実は、まるで風に運ばれてきた紙飛行機みたいに、史郎へと届いた。


 ハガキに書かれた住所を探すことは思った程、難しい事では無かった。


 自転車でパトロールしているお巡りさんを見かけた時、史郎はためらう事無く呼び止めて住所を聞いた。そのお巡りさんは

「あっちの方ですね」


 と簡単に指をさすだけだった。でも、それで十分だった。

 おそらく三十分くらい歩いた時、二人は、少しオシャレな一軒家が建っている事に気が付く。


 ところどころに少し斬新な落書きがされてあった。でも、それは落書きと言うにはあまりにも上手すぎた。そしてあまりにも翼の描く絵と酷似していた。


 その抽象画は、白と黒のコントラストで描かれている。


 その毅然としたペンの走りは、大胆にも空間と空間どうしのニッチな狭間を縫うように引かれ、津島翼の見出すイデア界の描写が、その平面へと映し出されているようだった。


「ここって…………」

 雪が、まさかというような表情を浮かべている。彼は、ハガキに書かれてある住所と、目の前の家のプレートに書かれた住所を照らし合わせる。


「ぴったりだ。ここで間違えない」

 と史郎が言う。その声を合図にするかの様に雪の表情が少し硬くなった。


「ここの場所は俺も初めてで、本当に足を踏み入れていいのか、分からないところだよ。でも、彼は今苦しんでいる」


 その建物は一軒家で、壁には赤色のレンガが使われていた。


 それで、窓ガラスは四角い形ではなく平行四辺形をしていた。その窓ガラスの中に、オブジェのような作品が見える。


 肌色をした何をモチーフにしているか分からない作品だ。外装からもうすでに芸術一家というような異様とも言える雰囲気をかもし出している。

「いいの?」


 雪が心配そうな表情を浮かべながら史郎に聞く。


「尋ねるだけだ。彼にとっては迷惑かもしれないけれど、ここまで来たんだ。いまさら引き返せはしない」


 こうして、史郎は、玄関に取り付けられてあったチャイムを鳴らした。その音は、通常のチャイムの音色ではなくて、何かクラシック音楽のようなメロディーを奏でていた。平行四辺形の形の窓ガラスの中に見える、巨大なオブジェが動き出したのを確認した。クルクルと。まるで首でも吊られてた人形のように。


「翼……」

 史郎が微かに声を漏らした。でも、家の中から返事は無かった。


 その時だ。

「いやっ!」

 突然、雪が小さな悲鳴を上げた。彼女の声を聞いて史郎は雪の方向を振り向く。


「どうした?」

 雪は、表情を変えずに、窓の中を指さした。史郎が彼女の指さす方向を覗き込んだ時、彼は、自分が異常な光景を目にしたのだとすぐに理解できた。


 それは巨大な顔だった。しかし男とも女ともつかない。おそらくラドール粘土で造形されたと思われるその大きな顔は、水分が蒸散してしまっていて、ひび割れが生じている。  


 そのあまりのおどろおどろしさ、史郎は一瞬、身じろぎした。

「……あ、あれは、何、なんだろう」


 彼の問いかけに、雪は首を横に振った。そしてまた「ひゃっ!」と悲鳴を上げた。


「どうしたの?」

「中の様子がおかしい。津島くんがいるのかも」


 史郎は、ためらいなく窓に近づいて、中の様子を覗く。息でガラスが白くなった。


 巨大な顔は、依然としてクルリクルリと回転している。髪の毛は無く、唇のところに塗られた赤色の塗装は少し剥がれ落ちていて、べっとりした血を思わせた。鼻は高く、目は切れ長で、しかしどうしてもその歪さだけは取り除くことができなかった。


 巨大な顔は、直後に、「ドンッ!」

 と激しい音を立てて、地面に落っこちた。


 史郎の息が一瞬止まった。たぶんワイヤーが切れたのだと予想がつく。あるいは裁縫用の糸を使っていただけかもしれない。



 その巨大な顔のオブジェが地面に落ちたので、史郎は部屋の中の様子をしっかりと見物する事ができた。



 この部屋は翼のアトリエになっているみたいだ、と彼は予想した。そうして、そのアトリエの中で、ぽつりと孤高に佇む色白の少年を見つけた時に、


「翼ァ!」


 と史郎は思わず叫んだ。



 彼の様子が本当にオカシかったからである。


 彼は画板を目の前にして座っていた。画板は翼の方に向けられていたので、どんな絵が描いてあるかというのは二人には確認できなかった。



 その大きな画板の前で絵筆を握りしめた彼は、俯いていて動かない。


 中から返事は来ない。

 ちょっとマズイな、と彼は感じた。


「雪ちゃん……。中に入ろう。様子がおかしい」


 雪は、何も言わないで、ただ大きく開いた瞳で史郎のことを見つめている。


 彼は、ドアの前に立って扉を開けようとしたけど、鍵が掛けられていて開かない。史郎はもがいていると、


「志賀崎っ!」

 という雪の声が聞こえたので、彼は彼女の方に行く。

「窓から、入れる」


 平行四辺形の窓には鍵が掛けられていなかった。

「入ろう」

 史郎はその場で靴を脱いだ。雪も同じように靴を脱ぐ。そして、ガラリと窓を開け放って、中へ飛び込んだ。ためらいはしなかった。


 二人がアトリエに降り立った時、まず初めに感じたのは血の臭いだった。その異臭に雪は口をおさえた。



 目の前には、津島翼がいる。小柄なカラダをさらに丸くして、画板の前に俯いていた。その手首からは、多量の血を流していて、横には小型のノコギリが転がっている。



「…………どうして来たの?」

 翼は、史郎に向かってそう言った。

「…………気になったから」

「…………そうなんだ」


 それで、しばらく沈黙があった。窓が開いていたので、アトリエの中へと爽やかな風が吹き抜ける。



 血の臭いに混じった絵の具の香りも感じる事ができた。この場所は、あまりにも静かである。


 翼は、この沈黙と沈黙の中に存在する確かな音というのを、いつも聞いていたのであろうか。


 史郎は本能的にその絵画に近づいた。



 近づく時、ほのかに金木犀の匂やかな芳香が漂って、彼を別次元に誘うかの様に一瞬恍惚状態にさせたのである。


 例えるなら危険な快楽。



「ねえ、そんなに私の絵に興味があるの?」



 本日三度目の幻聴は、今までになく鮮明な声だった。

 きっと、翼が描く絵というのは、凄いんだろうな、と彼は思った。




「どういう人だったの?」



「とても純粋で、才能に満ち溢れていて、おしとやかで、強くて、優し人」





 そのような人というのは、いったい、どんな人なんだろうか、と史郎は考える。



 史郎はここで、翼の前にある大きな画板の表側に、果たしてどんな絵が描かれてあるのか気になってしまった。だから、



「その絵、見てもいい?」



 と、聞いてみた。すると翼は少しニヤリと笑った気がした。

「……傑作なんだ」




(完)




最終回です!

ここまで読んでいただき本当にありがとうございます!

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