№0014
『拝啓
史郎、本当にごめん。
俺はもうダメなんだ。
俺は、この世界で生きていくに値しない人間だったんだ。
あの日、あの時別れて、明晰夢で内側の君と対話をしてから
君とは一度も会っていないけどその方がいい。
君に、俺の、闇に落ちたこの姿を見せたくはないんだ。
別に死ぬつもりじゃないよ。
ただ、腐ったこの世界で、
ゴミみたいな人間どもと暮らして行くのに、嫌気がさしただけで。
俺は今後、学校に行くつもりはない。
もう何もしたくない。
どこもかしこも人で溢れていて、
この世界の空気が俺の肺を腐らせるから、
もう外へは出たくないんだ。
ごめん、愚痴をこぼしちゃって。
君はいつでも俺の話を聞いてくれたよね。
人間がどれほど腐っているか
世界がどれほど闇で満ちているか
世界にはびこる「反れ」の現状について
そんな話を君は嫌な顔一つしないで聞いてくれた。
だから、もしこの手紙を見ているなら、
俺の頼みをもう一つだけ聞いてくれないか?
だぶん知っていると思うけど、俺には大切な人がいた
君も知っている、例のあの子についてなんだけど
ちょっと、史郎くんも関りがあるようで、
たすけてほしいんだ。早く。
でも、俺にはできない。
時間が無いし、勇気がないし、
何より、俺はそういう大きい心を持った
器のでかい人間ではなくて
選ばれた英雄なんかでもなくて
ただ、闇に落ちた堕落した人間で
だから史郎。君だけが頼りなんだ。
きっと君が来たなら彼女も救われると思うんだ。
俺はだめだよ。
俺は彼女を見捨ててしまった。
自分自身にヘドが出るようだよ。
彼女を
はやく
たすけてあげて、
狭い狭い家の中にある
地獄みたいな残こくな場所から
あの日見たような
夜空に解き放ってあげて
君の手で彼女を助けて、
俺と彼女の間には
常識っていう名前の天の川が
俺たちを引き裂いているから
だから俺の事は気にしないで
はやく家に行って、
たすけてあげてよ
社会っていうのは実体が無い帝王みたいだよ
現代社会とかいう悪の組織があって
俺たちは、それに従う従順な下っ端だよ
しかもそれは悪なんだ。
ほんとうは、みんなが幸せになれるのに』
この手紙を読んだ時、史郎は混乱した。
この前まで、活気に満ち溢れていた翼が、このように人生に対して悲観的になり、人間を恨んで、疲れ果て、意味の分からない事を言って、そして自分に助けを求めている。
いったい、彼に何があったのだろうかと心底心配になる。
「現実の世界の俺に、ちょっとまずい事が起こっているんだ」
夢の世界で聞かされた意味深なその言葉が、史郎の頭の中にいつまでも反響している。
「どうしたんだ?」
と、聞きたい。
けど今は、彼に連絡をつける手段はない。今後、翼に連絡を付ける手段があるとするならば、同じように、手紙を書くしかない。
「…………何が、あったんだよ」
史郎の困惑した声が、部屋の中に響いた。
……明日。明日は、翼は学校に来るのだろうか、いや、手紙には、学校に行くつもりはないと書いてあった。おそらく、来ないのだろう。先生は無断欠席を続けるのであろう翼の事を心配するだろうか。いや、多分そんな事はない。休みたいヤツは休めばいいと勝手に判断するのだ。
と、悲観的な考えが彼を瞬く間に飲み込んで来る。
しかしもっと気になるのは「初恋の人」と「彼女を早くたすけてあげて」という文章である。
史郎は去年、翼の初恋がいつだったのか、という事と、その子がどんな女の子であったのかという事を聞いていた。幼い頃に翼は、その少女と出会って話をした事があった、らしい。そうして今でも彼女の可愛らしさを度々思い出すのだそうだ。
「いや、そんな話は、どうでもいいんだ」
と、彼は独り言を言って、それから頭を掻きむしった。
「今、俺が取るべき行動って、何だろう」
史郎はそして頭を抱えて、悩んだ。いったい自分は、親友の為に何をしてあげられるだろうか。一番は、信頼できる人に相談することである。でも、クラスの大半の生徒と連絡を取るための手段はない。
直後、彼が取る行動は、津島家の電話番号を手に入れるという事だった。机の上に散らばるプリント類を探した。どこかに津島翼の電話番号があるかもしれない。そう思って、彼は大量の紙の隙間を一枚一枚探してみたが、まったく見つからなかった。
「どうして」
彼は嘆いた。
でも、スマホを壊した事だけは後悔などしないと、心に決めていたので悔やむという精神状態にはならなかった。それは彼にとって当たり前の事なのである。
それよりも、今は翼に連絡を付ける事を最優先に考えなくてはならない。もしかしたら、冷蔵庫に連絡網が張り付けてあるかもしれない。そう思って彼は台所に行って冷蔵庫を確認してみたが、それは見つからなかった。
「仕方ないな」
次に探したのは住所だった。史郎は、津島家の住所を探して、そこに向かうつもりだった。
決して大げさな事ではない。と、史郎は思った。
彼の手紙の文面から察するに……津島翼という人間は死にかけている。
肉体が滅びようとしているのではなく、多方面から多角的に死にかけているのだ、という事を、彼は理解していた。だから、翼という親友のもとに、すぐにでも駆け付ける必要があったのだ。
彼は、両親が寝ている部屋に向かった。
時刻は午前五時。
まだ彼らは寝息を立てている。
音が鳴らないように、ドアを開ける。史郎は忍び足でその場所へ入り込んだ。そしてパソコンの下に置いてある年賀状の束を拾った。百枚くらいがまとめて輪ゴムで止めてある。今年の年賀状だった。
史郎は、それを自分の部屋へ持ち帰って、輪ゴムを外して、机に広げた。
そこには沢山の
「明けましておめでとうございます」や
「HAPPY NEW EAR!」の文字があった。
その中の一つ一つを念入りに探す。
見つかった。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。by津島翼」