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ゼロ月の豹変  作者: あきたけ
第2章
14/19

No.0013

 


 今日は金曜日だったので、明日から二連休である。史郎は、自分の机の前に座って、本を読んだ。スピリチュアル関係の本である。

 と言っても彼は別に、スピリチュアルな人では無かった。ただ知識を集めて、人間の意識について、そして世界について、自分の考え方を広げたかったのだ。

 確かに手に取る本は怪しかったし、真実かどうかも定かではない。でも、それでも彼は調べずにはいられなかった。そうして疑問に思う事を、まるでオタクのように調べるうちに、彼はどんどん哲学に関しての知識を深めていった。

 けれども史郎はそんなエンサイクロペディア同然の、白髪の博士みたいな、たくさんの哲学の知識を、誰かに披露するという事は決して無かった。

 所詮、他人は他人である。

 勝手に「反れ」を経験して、勝手に「苦しみ」を感じて、そしてそんな「可哀そうな自分」に酔いつぶれている。

 けれども、周りの皆は、ほとんど史郎とは別の世界で生きている人間たちだ。

 だから……ほんとうに助けを求める人にだけ、手を差し伸べるつもりでいた。

 でも、どうやって? 助けを求める人って、一体、誰?


「どういう人だったの?」

「とても純粋で、才能に満ち溢れていて、おしとやかで、強くて、優し人」


 ふいに幻聴が聞こえた。

 史郎は、自分が読んでいる本の内容が、まったく頭に入っていない事に気が付いた。

 だから本を閉じた。

「また……幻聴が聞こえた」

 彼はつぶやく。史郎にとって、幻聴が聞こえる事は珍しい事では無かった。ただ、今のはかなり鮮明だった。その鮮明な記憶を、いつまででも感じていたかった。


 史郎はその夜、夢を見た。

 津島翼という少年と、お話をする夢だった。

 話の内容は、普段しゃべっている事とあまり変わらなかったけれど、場所が不思議だった。それは翼の描いた『不思議な思い出』の中にある、幻想的な家の中だったからである。


 ふと気が付くと、史郎は靴も脱がず玄関の段差に腰を掛けて、一人ぼうっとしている事に気がついた。

 そうして「あれ? ここはどこだろう」と思い、周りをくるくると見回してみた。

 広い玄関だった。

 隣には翼がいる。

「史郎。ようこそ……意識の内側の世界へ」

「……興味深いな。詳しく話を聞かせてくれ」

「じゃあ聞きな」

 と、彼が言った。

「人が『世界』っていうのを理解しようとする時、一体、どこでどんなふうに理解していると思う? ううん。これは、お前には簡単な問題だな」

 翼はいきなり、得意げに質問をしてきた。

「それは……人間の……内側の意識……個人の、主観とクオリア。」

「そうだね。でもそれだと、どうしても自分に都合の良い形で解釈されてしまう」

「うん」

 史郎は返事する。

「これはね。嫌な記憶を消すこと。新しい記憶に塗り替える事も、簡単にできてしまう事例の原因でもある、と俺は思うんだ」

「うん」

「あのさ、史郎」

「どうした? そんなに改まって」

「夢だから、断続的なんだ。だから、起きた時に覚えていてくれると嬉しい」

「へえ。覚えてられるかな。これって、俗に言う……明晰夢ってやつだろう?」

「そうだね……でも、史郎……人は、変わるんだよ。よくも悪くも。だから、落ち着いて、聞いてくれ、実は……現実の世界の俺に、ちょっとまずい事が起こっているんだ」


 ――――フェードアウト

 《ゼロ月、そして世界は豹変する》

 ――――フェードイン


「…………俺が、去年、現実の世界で、お前に言った事、覚えてる?」

「…………いろいろ、ありすぎて、覚えてないな」

「…………じゃあ、恥ずかしいなぁ。俺の、初恋の人、お前に話した事があるよね」

「…………初恋、の人? ああ、お前の恋バナ。たしかに聞いたよ。一年の頃に」

「…………どこで会ったかも忘れたし、だれだったのかも忘れたんだ」

「…………翼、そんな事も、言ってたね」

「…………でも、それは……あの子は……とても純粋で、才能に満ち溢れていて、おしとやかで、強くて、優し人だった」


 史郎はここで目を覚ました。

 布団に汗を感じる。オレンジ色の豆電球が、部屋を明るく照らしている。壁が少し、遠くにあるような気がした。でも、いつもと違った。ここは自分の部屋ではない、と感じる。

 起き上がろうとしてみたけど、すぐに自分の体が動かない事に気が付いた。彼は一瞬取り乱して、焦った。声をあげようとしたけど、声も出なかった。

 自分は、違う部屋にいる。

 ドアの向こう側に、人の気配を感じた。それは史郎と同じくらいの少女だと直感する。

 この部屋は少しだけ、タバコ臭い。そうして辺りには換気扇の低い音が鳴り響いている。

 目を見開いてみた。本棚がある。沢山の本がそこにある。

 ゆっくりとドアが開いた。

 その時史郎は、自分がなぜか、服を着ていない状態である事に気が付く。本当に、素っ裸だった。裸になった覚えは無い。けれども、この肌の感覚は多分そうだ。

 声が出ない。史郎は自分の体が全く動かない事に恐怖を感じる。

 するとドアは完全に開いて、そこから少女がやってくる。彼女は、ゆっくりと音も立てずに史郎の方へ向かって来る。

 布団をめくって、その中に、入り込んで来る。

(雪、ちゃん?)

 史郎は心の中で呟いた。

 でも、その少女は、夢島雪では無かった。

(違う……君は誰?)

 少女が、史郎の顔を覗き込んだ。

 彼女の魅惑の眼差しは史郎の脳裏に張り付いて取れなかった。決して化粧などで飾ったりしていない、その清らかな切れ長の目は、全ての男子を魅了するような、そして、全ての物語を悟っているとでもいうような、ある種の危険な眼差しであった。

 彼女の身に着けている服が、だんだんと薄くなっていく、最後は、消えた。布団の中で、史郎の肌と、少女の肌が、密接に触れる。華奢な少女の肉体は心地よく、儚い。

 少女は覆いかぶさるように彼の事をギュッと抱きしめた。力が強くて少し苦しい。ジワリと熱いものが史郎の全身を駆け巡った。安心感、幸福感、多幸感、陶酔。そういう心地の良い感覚である。彼女の四肢を感じる。彼女の髪を感じる。彼女の吐息を感じる。

 苦しい程、気持ちが良かった。

 けれども、布団の中で、裸の少女と、裸の自分が、抱き合っているのに、なぜだかそこに性的な興奮が入り込む余地は無かった。

 ありきたりな欲情や、まして性的な感情なんて、元々そこに存在していなかった。

 まるで、思春期などまだ迎えるはずもない幼い子供に戻ったかの様だった。

 だから……それだから、もっと大きくて、もっと壮大な幸福感を感じていた。

 二人が抱き合っていた時間は、非常に長かった。そして史郎は、これが夢である事をすっかりと忘れていた。そのくらい、現実味のある感覚だったのだ。

 でも、ありえない。自分が夜中、無意識に立ち歩いて、外へ出て、どこか知らない遠くの家に入り込み、少女と抱き合う。こんなのは、あり得ないのである。だから史郎はこれが夢である事を知っていた。

 夢だから、今は、どんな事も、言える。

「……ねえ。もう少しだけ、この夢を感じていてもいいかな。俺はずっとこの夢から覚めたくないんだ。どれだけ強がっていても結局、現実は苦しいし世界は残酷だからさあ……ねえ、君は誰? 君もおんなじ夢を見ているの? だったら、もう少しだけ、抱き合おうよ? 俺たちが現実に取り残されたんじゃなくてさ、現実との距離を、俺たちが取っただけなんだからさあ」

 史郎は、裸の少女に語り掛けた。その少女は、依然として言葉を発する事は無かった。

 史郎は少女の肌を感じる。少女の太股を感じる。少女の胸を感じる。そして少女の淡い生命を感じる。

 その時だった。

 彼は自分の皮膚に、何か違和感がある事に気が付いた。生温かい。その生温かさは、だんだんと、史郎の体を伝わって行く。何だろう、と彼は思った。

 彼はそれの正体に気が付いた。

 血だ。

 少女の体から、たくさんの血液が流れている。その溢れ出した血が、布団に付着している。史郎は怯えた。自分の夢がこんなにもリアルである事に、いささかの恐怖を感じた。

 けれども、夢は覚めてくれない。

 それどころか、もっと鮮明になってきている。もっとリアルな感触が、史郎の肌へと触れる。それは血であり、体液であり、少女の全てだった。

 少女の血液が布団一面に染み込んで、それの錆び臭いにおいが史郎の鼻をつく頃。

 史郎は、自分の胸のあたりに、血ではない何か別の感覚がある事に気が付く。それは艶めかしい血液なんかよりも生温かく、そして柔らかい感覚があった。何だろう? と彼は思う。

 少女の胸と、自分の胸のあたりに手を滑り込ませた。

 べちょり、と手に感覚がある。それは定期的なリズムで脈打っている。彼は気が付いた。

「心臓だ」

 少女の胸から心臓が飛び出している。史郎は驚愕した。そうして彼は、少女の心臓を触ってしまった事が原因で、非常に取り乱した。

 少女が、小さく喘ぎ声をあげた。少女の腕の力が強まる。ぎゅっうと抱きしめられてしまったから、彼は動けなかった。苦しい。少女の心臓を感じる。少女の血液を感じる。

 すると少女がふいに顔を上げた。その表情を目にしたとき、彼は、今まで出会ってきたどんな女性よりも美しいなと感じた。

 ただ、一つ難点をあげるとするならば、その顔は苦痛に歪んでいて、目や口からはドロリとした黒い液体を垂れ流し、助けを求めるような悲惨な表情を浮かべていたところである。そのあまりに凄惨な姿は、彼の心の奥に深く突き刺さって、おそらく明日も彼の心に糸を引いて残るであろうと思わせた。

「……ごめんね」

 と、少女が声を発した。

 彼は直後、明晰夢から目を覚ます。


 史郎が、翼から手紙を受け取ったのは、日曜日の朝だった。その日は涼しく、肌寒いくらいだった。

 史郎は例のごとく缶コーヒーを買って、ポストを見たら中に手紙が入っていた。それを確認した時、差出人は翼だな、とすぐに気が付いた。茶色の封筒には小さな絵が張り付けてある。よく分からないオバケみたいな絵だ。

 彼はその場で、封を切った。

 内容はこうだ。


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