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ゼロ月の豹変  作者: あきたけ
第2章
13/19

No.0012

 

 《六》


 三時十五分まで続いたつまらない授業が、やっと終わった。その後はちょっとした学活があって、放課後の教室はすぐ、がらんとした状態になった。


「史郎。俺は先に帰らせてもらう。ちょっと新しい油絵に取り掛かっていて、もうすぐそれが完成するんだ。多分『不思議な思い出』よりも、もっと凄いと思う」


 翼が言う。史郎にとって、翼のその言葉は少しだけ疲れているようにも感じられた。理由は分からない。でも翼は少し、悲しい瞳をしていた。


「お前、描きすぎでしょう。またどこかの賞に応募するのか?」


「いいや、応募はもういいや。賞は取ったし」


「そうか。頑張れよ」


「ああ」


 翼はそう言ってから、帰ろうとしてスクールバッグを持ち上げた。でも、持ち上げてから、何かに気が付いたかのように、机にそれをどんと置いた。


「ふと思った事があるんだ」


「どんな事?」


「…………人ってさ、変わるんだよ。良い意味においても、悪い意味においても。俺の絵も、昔とはだいぶ変わった。昔はもっと純粋であどけない絵が描けたんだ」


 彼は遠い目をしながら言う。昔、とはどれくらい昔の事だろうかと史郎は思った。


「なんか、翼らしくないな。そう悲観するなよ」


「別に悲観している訳じゃないさ」


「ならいい。翼は、自分が思うように描けばいい」


 史郎の言葉を聞いて、彼はニヤリ、うす笑いを浮かべた。


「じゃあな」


 彼はバックを肩にかけて帰っていく。白いポロシャツに赤い絵の具汚れが目立つ。


 彼の描く絵は、上手いのだ。




 史郎は本日、二本目の缶コーヒーを飲んでいだ。


 学校の建物の中には自販機は無かったので、一度外に出て缶コーヒーを買ってから、教室に戻って飲んだ。


 史郎は本日、二本目の缶コーヒーを飲んでいだ。


 学校の建物の中には自販機は無かったので、一度外に出て缶コーヒーを買ってから、教室に戻って飲んだ。彼が父親から受け取っているお小遣いは三千円なので、一日に三本以上はコーヒーを飲まないようにしている。彼はそれくらい、この飲み物が好きだった。


「志賀崎ィー。またコーヒー? ホントに好きね」


 声を掛けて来たのは、同じクラスの雪だった。


 夢ゆめ島しま雪ゆき。彼女は史郎の幼馴染で、同じマンションの四階に住んでいた。学校が無い日でも、図書館に行く道でばったり出会ったり、一階のエントランスで鉢合わせたりする。


 黒髪のセミロングで、色白。少しだけ釣り目をしている。背丈は史郎よりだいぶ小さい。150センチくらいだ。そんな彼女は史郎にとっては、異性というよりも双子の妹のように思えた。


「ああ。そうだね」


 と史郎は言う。


「あ。例のアレ、おめでとう!」


 雪は何かを思い出したかのように、史郎を祝福した。


 彼女の手が、拍手をする時の形になった。


「ん?」


「津島くん。表彰されたじゃない」


 そんな事を言いつつ、彼女は、史郎の隣の席にあるイスを引っ張ってきて、そこに腰を掛けた。うす緑色をしたプラスチック製のイスだった。そこに座ってから、史郎を見つめた。


「ああ。ありがとう…………でも、どうして俺に?」


「だって、志賀崎と仲いいじゃない。いつも一緒にいるイメージだけど?」


 雪が当然のようにそんな事を言うので、史郎は「ふふふ」と苦笑いを浮かべた。


「悪かったなあ」


 そう言ってから史郎は(翼本人に、直接言えばアイツ喜ぶのに)と思った。あくまでも外見の話だが、雪は、他の女の子たちよりも、可愛いからだ。


「あ! あれ見たよ。何だっけ? 不思議な思い出?」


「おー。どうだった?」


「よかった! でも少しグロテスクな気がした」


 その言葉を聞いて、彼は少し不思議な気持ちになった。あの絵は、果たしてそんなにグロテスクなのであろうか? と思考を巡らせてみた。確かに、翼の描く絵というのは少しアクが強くて、ある意味では人を選ぶ画風なのかもしれないな、とも感じたけど、それを差し引いてもグロテスクな要素は無いよな、と考えた。


「えっ。あの絵をグロいと思ったの?」


 と、史郎が聞いた。


「なんだろう? 絵そのものは、ぜんぜんグロとは思わないんだけど……絵に隠された背景? が、なんかそんな気がした」


 雪が言った。


「へぇ。よく見ているんだね。絵に隠された背景……かあ。なんか翼も同じような事言ってた気がするなあ。テーマに隠された何とかって」


「だから、グロいと思ったの。何となく」


「ふうん」


 史郎はそっけない返事をした。それから、その、そっけない返事をしてしまう自分に違和感をおぼえていた。今、雪が言っていた事はかなり興味深い。どうしてそう思ったのだろうか、どうしてグロテスクだと感じたのか。もしかしたら、翼が描く絵画の本質というのが垣間見えるかもしれないと思って、雪に再びその事を聞いてみる事にした。


「ねえ」


 史郎が話しかけると、雪は一瞬おどろいたような表情を浮かべた。


「ん? なに」


「どうしてグロテスクだと思ったの? 分かる範囲でいいから、教えてほしい」


「あっ。ごめん。気を悪くしたならごめんね」


 いや、そういう事じゃないんだ。と、彼は思った。「グロテスク」という言葉は別に、悪い意味ではない。それに、翼の絵をとやかく言われても別に気を悪くなんかしない。


 だから謝る必要は無いのだ。


「別に、気分なんか悪くしていないよ。ただ、あの絵から、グロを読み取るっていうのはなかなか感受性が豊かだなぁ。と、そう思ったんだ」


「本当?」


 雪の瞳が少し輝いたような気がした。


「うん」


 と、史郎は返事をする。


「ありがとう」


 彼女が答えた。


 それから二人は帰り道を、一緒に帰る事にした。同じマンションに住んでいるからという理由もあったし、別々に帰る意味も無かったからである。


 そうして史郎はスクールバッグを担いで


「じゃあ、帰ろうか?」


 と言った。雪は


「そうね」


 と、相槌を打った。


 帰りの道は、春の陽気で包まれていた。暖かい風が二人の頬を撫でる。花壇に咲いているビオラやサルビアの花たちが、その柔らかな風になびく。いい匂いがした。


 初夏が近いのであろうか、今日は少しだけ暑い。汗がじんわりと滲むけれど、遠くからいきなりやってきた涼しい風が、それを緩和していく。


「うん……涼しい。けど、まだ暑さが残るね」


 史郎が言った。彼はこの季節はそんなに嫌いではなかったので、その声色は晴れやかだった。


「うーん。暑いよぉ」


 彼女はそう言って、長い髪の毛を耳に掛ける。でもそんなに暑そうではなかった。


 二人はマンションの前に到着する。史郎はポケットから鍵を取り出して、オートロック式の鍵を差し込む。軋む音を立てながら、自動ドアがゆっくり開いた。


「ありがとう」


 と、雪は言う。


 築十年と経過していないこの建物は、まだ真新しい。エントランスに入ると、すぐ横に自販機が見えた。今朝、史郎はこの自販機で缶コーヒーを買ったのだ。


「奢ろうか?」


 彼女がいじらしく史郎に尋ねる。


「いいや、悪いよ」


 そう言って彼は、断った。女の子に缶コーヒーを奢ってもらう、という事はあまりしたくは無かった。そこまで気を使われるのは嬉しくない。


「そう?」


「逆に、何か奢ろうか?」


「私もいいや」


 こうして、二人はエレベーターの前に立った。そして、やがてエレベーターはやってくる。二人は一緒に乗り込んで、雪は四階、史郎は九階のボタンを押した。ロープが巻かれていく低い音が鳴り響いて、二人を上へと運んだ。その間、彼らはとくべつ何も話はしなかった。話題は特に見当たらなかったけど、それは気まずい訳では無かった。


「じゃあね」


 四階で扉が開いて、雪が降りた。


「うん。また、月曜日」


 と史郎は手を振った。彼女も嬉しそうに手を振り返してくれている。


「後で、LINEするね」


「分かった」


 扉が閉まってから史郎は、自分のスマホを粉々にしてしまった事実を思い出した。


「しくじった」


 雪には、自分のスマホを壊した事は伝えていなかった。そして、今後も、おおよそ買い替えるつもりはない。


「あとで雪ちゃんのポストへ、手紙でも投函しようかな。ごめん、スマホ壊した。何? って」


 彼は、そう独り言を発した。

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