アイツの背中
「桜庭、サンキュー。もぉ、ほんっとに助かったよぉーーー」
桜庭がいなかったら、あたしは一体どうやってあのピンチを切り抜けていたのだろうか。
「いい迷惑だぜ、まったく」
やば、怒ったかな……。
ちろ……。
桜庭の顔を見る。
やっぱまずかったかな。
通りすがりの桜庭を、いきなり勝手に彼氏役にしちゃって。
まぁ、そりゃそうだよな。
「すまん……」
しゅんとうつむいたら。
「感謝しろよ。オレの名演技に」
コツン。
軽く頭をこづかれた。
見上げると、意外にもちょっと笑った桜庭の顔。
あれ,怒ってない。
よかったー。
「うん。大感謝だ」
「でも、おまえ。ウソつくのホント下手だなー。っつーか、もしオレが来なかったらどうしてたんだよ。あの調子なら、キスのひとつでも迫られてた勢いだったぞ」
「えっ⁉︎」
キ、キスだぁっ⁉︎
「へ、変なこと言うなよっ」
「マジで。女にモテるのはわかってたけど。まさかここまでだったとはな。とにかくもうちょっとなんとかしないと、また来るぞ」
「また来る……。っていうか、なんとかしろったって。一体どうしたらいいんだよぉー」
女の子らしくしようと新たな気持ちでがんばっても、結果こうだし。
そりゃ、髪型変えて身だしなみを整えただけだけど……。
中身も変わろうと試みてみたけど、そんな急にはかわれないし……。
あたしだって、なんとかしたいよ。
もうこんなのまっぴらごめんだよ。
しゅん。
下を向いてうなだれていたら、桜庭がジュースを渡してきた。
「頭ひねれよ。簡単なことだろーが」
え?
アゴであたしをさす。
「おまえが、さっさと男つくればいーんだよ」
「お,男⁉︎」
「そしたら、さっきみたく諦めていなくなるんじゃねーの?とりあえずは
あたしが、男をーーーーー。
そっかー。
いつかは恋をしたいと思っていたけど。
『いつか』ではなく『今』もし彼氏がいたら。
確かにこんなことは起きないかも。
妙に納得していると。
「じゃあな」
「あ、桜……」
「いたーーーーっ」
後ろからのデッカい声に、あたしは振り向いた。
階段から下りてきた有理絵。
あ、やっばい。
みんな待ってたんだ。
「ひかる、遅いじゃーん。どうしたの?なんかあった?」
「ごめーん」
「どっか行っちゃったかと思ったよぉ。あれ?」
有理絵があたしの後ろに続く廊下を見て言った。
「桜庭じゃん。まだいたんだー。なにやってたんだろ、ひとりで」
遠ざかっていく桜庭の背中。
ポケットに手を突っ込んだまま歩いていく後ろ姿が、だんだん小さくなっていく。
あーあ。
もう1回、ちゃんと『ありがとう』って言いたかったのにな。
「行こ、ひかる。ジュース半分持つよ」
「うん」
教室に向かって歩き出したあたしは、ちょっとだけ振り返った。
遠くに小さく見える桜庭の後ろ姿。
ーーー桜庭、ありがとな。
あたしは、心の中で小さくつぶやいた。