煌めく瞬間は、何度でも訪れる
「でも。そろそろいい加減、『桜庭』って呼ぶのは終わりにしないとね」
つん。
有理絵がにやっとしながらあたしを肘でつついてきた。
「え」
「もう旦那になったんだし。ひかるだって『桜庭』なんだから。『亮平』って呼ばないと。結婚しても旦那のこと名字で呼ぶのなんて、たぶんひかるくらいだよ?」
ドキリ。
ギクリ。
確かに、あたしはいまだに変わらず桜庭のことを桜庭と呼んでいるが……。
でも、亮平、なんて。
今まで呼んだこともないし。
桜庭は桜庭だから……。
でも確かに。
あたしも桜庭だから、本来なら『亮平』と、ちゃんと下の名前で呼ぶべきだよね?
桜庭は再会したその日から、いつの間にかあたしのことを自然に『ひかる』って呼ぶようになってたけど。
あたしは桜庭を『亮平』と呼んだことは、まだ一度もない。
うーむ。
呼びたいけど………恥ずかしい。
なんか照れるぜ。
ひとりで勝手にモジモジしていると。
「いいこと考えた。ひかる。この歓声に混じって『亮平』って呼ぶ練習しちゃいなよっ」
有理絵の楽しそうな声。
「ええっ?」
「『桜庭』に慣れちゃって、なかなか呼べないんでしょ?だから、ここで練習して免疫つけとけば、家に帰った時に『亮平』ってサラッと自然に呼べるって。ね!今日からもう『亮平』でいこう!」
「ええっ!で、でもぉ………」
なんか恥ずかしいじゃんか。
だけど……確かに、ここで練習しておけば。
今夜あたり、それほどかしこまらずに『亮平』と呼べるかもしれない。
というか、呼びたい!
「わ、わかったよ。あたし、この歓声に紛れて呼んでみるっ」
「ひかる、がんばれ!」
よ、よしっ!
ドキドキドキドキ。
桜庭の名前を呼ぶだけで、こんなに緊張するあたしもどうかと思うが、ドキドキするもんはドキドキするんだよ。
だけど今なら、演奏やキャーキャーの歓声に混じってあたしの大声もかき消されるハズ。
行け!ひかるっ。
「りょ……りょ、りょ………」
ダ、ダメだっ。
ちょっと1回深呼吸をしよう。
スーハースーハー。
大きく深呼吸するあたしを見て、有理絵がゲラゲラ笑ってる。
「もう。つき合い立ての中学生じゃないんだから。旦那の名前呼ぶくらいでそんなに緊張しないでよ。1回呼んじゃえばもう平気だって」
「そ、そうだよな。今ならジャカジャカ音楽も鳴ってるし。歓声もすごいしーーー。あたし、勇気を出して呼ぶ!今度こそ!」
「がんばれ!」
あたしはぐっとこぶしを握りしめ。
大きく息を吸って、叫んだ。
「りょ……亮平ーーーーー!」
と、その瞬間。
会場がシーン。
あたしの桜庭を呼ぶ声が、ライブハウス中に響き渡った。
げっっ。
「……ひかる。今、ちょうどこの曲終わったね。グッドタイミング」
有理絵が小声で言いながら、肩を震わせて笑いを押し殺している。
なんと。
たった今演奏されていた曲がジャーン!と全楽器が息を揃えて終わると同時。
その一瞬の無音の隙間に、あたしはステージに向かって桜庭の名前を思いっ切り叫んでしまったのだ。
それほど大きくないライブハウス。
ひとりタイミングを外したあたしのことを、みんながジロジロと見る。
げげげ!
グッドタイミングどころか、バッドタイミング。
めっちゃ恥ずかしいんですけどっ。
あたしの顔は、みるみるゆでダコ状態。
なんたる失態。
桜庭、ごめん!
手で顔を覆いながら、ちらっとステージを見ると。
ちょっと驚いたような顔をしてあたしの方を見ている桜庭と、パチッと目が合った。
どひゃーーー!
穴があったら、今すぐ入りたいっ。
と、更に顔を隠したら。
「ひかるっ!」
会場中に、マイクであたしの名前を呼ぶ声が響き渡ったんだ。
え?
ハッと顔を上げる。
ボーカルの大谷と肩を寄せ合って立っている桜庭が、スタンドマイクを握ってこっちを向いたんだ。
そして。
「ラスト1曲、いくぞっ!」
あたしに向かって、笑顔で叫んだんだ。
額の汗を拭いながら、太陽のようなまぶしい笑顔で。
「ーーーーうんっ!!」
あたしは、泣きそうなくらい幸せな気持ちを胸に、笑顔で元気いっぱいうなずいた。
亮平ーーー。
初めて呼んだ、彼の下の名前。
まだ胸がドキドキ鳴っている。
下の名前を呼ぶのに、出会ってから10年もかかってしまった。
今夜は、あたしが初めて下の名前で呼んだ記念日ってことで、2人で一緒にケーキとジュースで乾杯だな。
あ……2人じゃなくて、この子も一緒に3人で。
あたしはそっと優しくお腹をなでて、そっと目を閉じた。
大切な瞬間。
覚えていたい瞬間。
優しい気持ちになる瞬間。
愛しい気持ちになる瞬間。
あたしは、いつもそっと目を閉じる。
そうすると、いつも必ずまぶたの裏に、あの光景が胸の中に蘇る。
それは、2人でやったあの夏の日の花火。
眩しくて、美しくて、儚くて……。
だけど、その想い出に宿る優しい輝きは、ずっと続くことを、あたしは知っている。
これからも、ずっとずっと・・・ーーーーー。
煌めく瞬間は、何度も訪れる。
大好きな人、大好きな仲間と共に。
あたしいは、首元の小さな月のネックレスにそっと触れた。
そして、ステージの上で笑っている彼に、笑顔で大きく手を振った。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました♪




