2-1.石の行方
1.
路地に響くいくつもの靴の音。4,5階建てのレンガ造りの建物が並ぶ街並み。道路には馬車や蒸気自動車が辺りを盛り上げるように交響曲を奏で、十字路に設置された灯火式の信号機を手動で切り替える男がその指揮をとる。
そのような大通りにあるカフェテラスの下に丸いサングラスをかけた男が新聞を読みながらコーヒーを楽しんでいた。
そんな彼にゆっくりと近づく者が彼のテーブルに日傘がつくる影に覆いかぶさるように影を作る。
男はサングラスを鼻元にずらし手に持った新聞を下げ、上部から顔を覗かせて上目づかいでその者を確かめる。
「何でしょうか?」
男が尋ねる。問の答えを待つわけでもなく、男はサングラスをかけなおし再び新聞で顔を隠す。
そんな男の問いかけに答えることなく、その者が男のテーブルを挟んだ向かいの空席を男と顔を合わせなくするかのように大通りに向けて座る。
座り込んだ男は両手で新聞を広げる彼の下に2枚の写真を周りに見えないように差し出した。
「コイツの情報を教えろ」
写真を差し出した男、パトリックはテーブルに頬をついてカフェテラスから見える十字路の馬車や車を見ながら口を出す。声色を低く喋る彼はいつもとは違い、真剣みが増している。
「その写真をくれた奴は“哲学者の石”と言っていた。生憎、そいつらもなかなかにご立腹だがね」
男は新聞から手を離すことなく写真を見ながら話す。
「……この前の列車強盗事件ですか」
「ああ、さすがにもう情報屋の網には入ってるらしいな」
説明が省けることを理解してか、彼が本題に入る。
パトリックは懐からタグを差し出した。
表は名前のないタグ、しかし裏に縫い付けられたモノを見て、男が納得したようにバサバサと新聞の音を立てる。
「なるほど、繋がりましたよ。あなたが再び訪れたわけが」
男が興味を持ってか新聞の間から彼の様子を窺うと、再び視線を活字へと戻す。パトリックはつまらなそうに路地の様子を見つめていた。
「哲学者の石……俗にいう賢者の石ですか。なんでも手にした者は世界を手に入れられるなんて聞いていますよ」
「そんな石っころに俺は興味なんざこれっぽっちもねえ。だが、その石と奴との関係が知りたい」
「彼の事については私の耳にも残念ながら入ってはいません。なにせ仲間を作らない男ですから」
変わらぬ情報にパトリックが舌打ちする。
「ですが、その石を造った男ならば……ところで、歴史は得意な方でしょうか?」
「いいや、古臭いモノなんて大嫌いでね」
男は話を切り替える合図をするように新聞をめくる。
「賢者の石、かつてある錬金術師が造ったと言われる幻の石ですが、今から100年ほど前にも同じ石を造ろうとした男がいたと聞いています。彼の名はヴェンツェル・ガイスト」
「どこの出だ?」
「出身はパシフィス……これ以上の情報とあなたの追っている男とは関係があるかを述べることは致しかねます」
パトリックが続けろと言わんばかりに彼の方を向く。それを察してか男が話し始めた。
「彼は学会で追放されたのです。彼の“魔法理論”は今までの歴史を否定するものとしてね」
「そいつが今回の石を造ったと?」
「ええ、彼の研究はおそらく“魔法”の歴史を塗り替えるものだったと言われています。だが、教会がそれを許す訳がない。当時は今以上に教会の権力があったと聞いています。おそらく彼を追放したのも教会の差し金でしょうが……」
パトリックが男の方を見る。それを察したのか、男が話をひとまず中断する。
「追放された彼はヴェスピニア南大陸、熱帯雨林のどこかに秘密の隠れ家を造ったという噂です」
「それだけじゃあ探しようがねえなぁ……」
パトリックが男にその情報が欲しいのだというかのように話す
「あなたは最近ヴェスピニアで起きた『愛する不死者』などと騒がれている不可解な事件についてご存知でしょうか」
「ああ、10年も前に死んだ男が身体を半分腐らせながら女の許へ帰ったって話だろ? なんでも駆け付けた保安官が何発撃っても倒れなかったっていう嘘くさい話だ」
「彼が生前、最後に探索していた場所……その広い森の北西部とのことです」
男は話の最後に「偶然の一致でなければよいのですが」と付け加える。
「まぁ、問題はあなたの探している男がどうやってその情報を知り、その石を使ってどうするつもりなのか。それはご自身の足でお探しになってみては?」
男が言い終わるのを聞き、彼は半分に畳んだ紙幣をそっと差し出す。その後、何事もなかったように立ち上がり、路地へと繰り出そうとするパトリック。
それを遮るように男が口を開く。
「向かうおつもりですか?」
「ああ」
パトリックがテーブルに手の平をつき、話を聞く。
「くれぐれもお気を付けて。あちらには他にも不可解な現象が起きていると聞いています」
「やけに親切じゃねえか。どういうつもりだ」
彼が新聞ごしで顔が見えないとわかっていても答えを求めるように男の方を見つめる。
「私は値段に見合った情報をお渡しするだけです」
男はその問に答えるように新聞の間から無表情な顔をパトリックに見せた。
2.
高くそびえたつ木々。獣の鳴き声とそれに呼応するようにガサガサと音を出す植物。木々に遮られた太陽の光はあまり届かず、薄暗い森の中。それでいてジメジメとした湿気が肌にまとわりつく。
「暑いな……とろけそうだぜ」
パトリックが暑さに唸る。
「しっかりしなよ。まだ場所の見当もついていないんだからね」
三つ編みの女、フランカが彼を励ます。
「それにしてもいいのか? お前らにとって良い事は何一つないんだぜ?」
パトリックはカバンから水筒を取り出しゴクゴクと喉を鳴らしながら飲みながら尋ねる。
「皆、列車強盗の横取りするような奴の頭に鉛玉ぶち込んでやりたいのさ」
後ろの男4人が彼女に賛同するように各々に声をあげる。
「……それに、あんた一人じゃ死んじゃうかもしれないじゃないか」
フランカがほんのりと頬を赤らめながら、パトリックを見る。
その様子を感じ取ろうともせず、彼は何かに気づいたように「静かに」と答える。
「うめき声か……?」
彼が耳をすましながら、声のする方へと足を運ぶ。用心のために拳銃を抜くパトリック。
即座に茂みを飛び出し銃口を向ける。
その向けられた先、足に怪我をして倒れ込んでいる女が彼の目に入る。
「どうしたんだ?」
銃をホルスターにしまい込み、女に駆け寄る。
女は口を開き言葉を発するものの、彼には理解できない。
「トラロ、翻訳してくれ」
パトリックがトラロとよばれた連れの男の一人を招く。
男4人のうちの、一番背の高い大男。フェイスペイントが施され、長い髪のもみあげに羽飾りのついたビーズの髪留めをつけたがっしりとした体格の男が女に近寄った。
男は女の言葉に何度か頷いた後、パトリックの方に顔を向ける。
「女は『マヌシャン』にやられたと言っている」
「マヌシャン?」
「受け入れられなかった者、永遠に彷徨う死者だ」
その話を聞き、鼻で笑うパトリック。
「死人が歩くってのかい? 今まで撃ち殺されてきた奴らが泣いて喜ぶぜ」
トラロは片膝を地面につき、背負ったカバンの中から救急用品を取り出して彼女の手当を行い始めた。水筒の水で傷口を洗う。その後消毒液を傷口に浸し、包帯を彼女の華奢な足に巻き付けていく。その一連の動作を彼は手際よくこなしていた。
彼のその献身的な姿に感銘を受けたのか、彼女が彼に何かを囁く。
「……彼女がぜひお礼をしたいと言っている。村まで連れて行ってくれるそうだ」
「原住民どもの村にかい? あたしは賛成しないね」
二人の話を遮るようにフランカが女の方を見ながらパトリックに訴えかける。
「そうも言ってられないようだぜ」
パトリックが木々の隙間から覗く空を見上げながら答える。
灰色の雲に包まれる空。まるで、死人の瞳のように濁った色をしているそれはこの先彼らにとって不吉なモノに遭遇する予感のようにも感じられた。
「酷い雨になりそうだ」
そして彼らは森の奥、さらなる深淵へと導かれるように重い足を進ませ始めた。
今回もなし