1-3.擬態
9.
「なんだコイツは……?!」
球体から産み出ようとするソレは何本もの肢を突き出す。それにあわせズルズルと出ていく身体。まるで人間の皮膚のように見えるその身体と5本の指をもつ肢はまるで人間の成りそこないのようであった。
それと同時に、表面から流れ出る黄土色の膿のような液体がビチャビチャと音を立てて床を汚していく。
「水晶玉が特大のゲロを吐いてやがる……」
パトリックが粘度の高い液体から漂う酷い匂いに鼻を押さえながら呟く。
「何をしているっ……撃てっ! 撃てえ‼」
サムが鼻をつまみながら後退り、叫ぶ。
その声に彼の後ろにいた二人の男が魔法を解かれたかのように我に返る。慌てて拳銃を構える男たち。
引き金を引いた銃身から弾丸が怪物の体へと喰い込んでいく。開かれる穴。そこからも粘度が高い液体が流れ出る。
だが、怪物の動きを止めることは出来ない。
やがて怪物の身体全体が白い甲殻に覆われていく。
六本の肢で支えられる躯体はまるで昆虫のようでもあった。
しかしその肉体には頭部も無ければ腹部も存在しない。生物としての余分なものを全て取り払ったかのような体。
肉と殻に埋もれた水晶玉。口腔も鼻も持たない身でありながらもそれはまるで眼のようにも思われた。
とうとう怪物は完全に変態を遂げたのだ。
そして怪物は攻撃を仕掛ける男たちに迫る。その身体の大きさからは想像もできない速さ。
後ずさる男たちに襲い掛かる化け物。
抵抗する間もなく、五本の鋭い爪で引き裂かれる男。怪物に衝突し車外へと弾き出される男。
「この化け物めぇ‼」
追い詰められたサムは手に持ったショットガンを怪物に乱射する。
弾かれる音と共に縦横に跳ね回る弾丸。怪物の身体に傷一つつけることができない。
サムはやけくそに散弾銃を怪物に投げつけ、ドアに背中をぶつける。歯を噛み合わせ、怪物を睨みつけた。
「こっちを向けぇ‼」
その時だった。
大口径の弾が怪物の肢を撃ち抜く。肢に纏われた甲が朽ちるように剥がれ落ちる。その合間から流れ出るドロドロとした液体。
足を広げて立つパトリック。その右手にハンドキャノンが握られていた。
「後で一杯奢れよぉ‼」
その重さと勢いで車両を崩しながら彼に迫る怪物を尻目に、彼は後部車両へと走り出した。
10.
壁を壊し、崩れる天井を身に受けながらも彼を執拗に狙う魔物。肢を負傷したにも関わらず、そのエネルギーは衰えを知らない。
警備隊の死体を乗り越え、風のように走るパトリック。一両、二両目と周りを確認することなく、通路を真っすぐ駆ける。
やがて、貨物車両を見つけると梯子に手を掛ける。彼の背中に迫る白い怪物。
後ろを確認しつつ、上へ上へと急ぐ。
最後、彼はバネのように屋根へと跳ね上がった。
がちん、と列車から重く響く金属音。白い爪甲が貨物列車の鉄板にぶつかったのだ。
間一髪で彼は列車の屋根へ移動した彼は梯子から距離を取り、風を受けながら砲を構える。
「さぁ、来い……列車から追い出してやる」
パトリックがしゃがみ込んで、魔物が上がってくるのを固唾をのんで見守っていた。
聞こえる、地面を蹴るような音。
思いがけず、彼は空を見上げる。
迫る怪物の腹。奴は跳んだのだ。
咄嗟に立ち上がり、足にありったけの力を込め跳ねるように別の車両へと走り出す。しかし、その時にはすでに遅く、着地した衝撃が彼を襲う。
「うぉ……」
小さい唸り声をあげる。彼は風圧に背中をぶつけられるように列車から押し飛ばされた。
迫る地面。
この勢いで叩きつけられれば命の保証はできない。
そこへ微かに聞こえる馬の蹄鉄の音。
それが彼を窮地から救い出したのだ。
彼の腹が馬の腰角に当たり、身体がくの字のように曲がる。その衝撃で力が抜けて馬からずり落ちそうになる彼の手を誰かが掴んだ。
「ありがとよ……」
体勢を立て直したパトリックが押さえている腹の底から声を出す。
「彼女に頼まれてね。アレと戦うお前を助けてやってほしいだと」
「彼女……?」
「食堂で喧嘩したろう。その時の少女だ」
パトリックが見覚えがある者かと男を事細かに眺める。
長そでのホワイトシャツを着た男の短く切られた焦げ茶色の髪。怪物を見つめる黄金色の瞳をもった彼と同い年くらいの男が手綱を握っていた。
この男があの場にいただろうか、そうパトリックは思った。彼にはあの金髪の王子様が印象に深かったのだ。
「私は彼女の世話係ではないんだがね」
続けて男が話す。
「あの女の本当の世話係はどこだ?」
「今頃、彼女をお姫様抱っこでもして安全なところに隠れてるさ」
男のその返答に、パトリックがへらへらと笑った。
「気に入ったよ……アンタ名前は?」
その言葉の続きを邪魔するかのように怪物が飛び掛かる。
男は軽やかな手綱さばきでそれを避けると、後ろを見て口にした。
「ハワード……ハワード・フォーサイトだ」
11.
怪物に向けて砲を放つパトリック。
「ならず者から奪ったものか」
弾丸が魔物の白い外殻を壊していく。白い甲殻が割れ、中から鋼色の金属が露出する。
「金属だとぉ?! さっきまでは無かったはずだ!」
「アレは擬態生物だ。奴は周りの物を模造していく。大方、列車の部品を真似たのだろう」
列車から怪物を引き離し、ハワードが言った。
「それで、どうやって倒すんだ?」
「私としてはこの広い荒野へと誘い出して逃げるべきかと思ったが……どうやら、もう一つの手段があったようだ」
パトリックが後ろを振り向く。黒い煙を上げてガタガタと車体を揺らしながら近づくソレには見覚えがあった。
聞こえる砲撃。放たれた砲弾は怪物の近くで爆発し、広い範囲に破片を飛ばす。
その隙を見て、ハワードは怪物から距離を離す。
そのうえで、馬を近づけパトリックを車の屋根と移らせる。
「失礼、装甲車を怒らせた私は離れるとするよ」
彼は片手で中指を人差し指の上に重ねる動作をパトリックに見せつけた後、線路から離れていく。
「おい、待て……‼」
何かを言おうとした彼の乗る車に怪物が圧し掛かる。
車の振動が強くなり、上下左右にガタガタと揺さぶられながら、彼は体勢を保とうとする。
そこに突き出される金属の爪。咄嗟に転がり避けた彼に追い打ちをかけるようにもう一つの肢が彼を狙う。
彼は装甲板を背に構えていたハンドキャノンを盾にその鋭い金属の爪と搗ち合う。
相手の体重が乗った状態では、いくら彼が力を入れても押し返すことは出来ない。
「耳を塞げ‼」
砲車から聞こえる声。
その声に気づいた彼は即座に冷たい金属の板に身体を転がす。
彼に向けられていた爪が、装甲版に刺さりこむ。
その間に彼は素早く耳を両手で押さえた。
車体全体に響く振動とそれに続く発射音。
怪物が刺さった肢を残して、宙に撥ね飛ばされる。
地面にぶつかるとぴくぴくと残された肢だけを動かしたまま、車両との距離を離していった。
「中に入れよ。ウィリアム坊や」
装甲の一部が外れるように開き、中から深い皺が刻まれた腕が彼を誘う。
誘われるままに彼は装甲車の内部へと入っていった。
12.
装甲車の内部は暗く、僅かな隙間から入る光と揺れ動く天井のランタンが中の様子を照らして見せた。低い天井ではあるものの、内部はかなり広い。
おそらく10人は入るであろうスペースには何枚か写真が貼られ、置かれた酒瓶は車体の揺れでガチャガチャと音を立て転がる。
同様に、ここに来るまで遊んでいたのであろうトランプカードはバラバラに撒かれ、倒れた瓶から零れ出た酒が紙を濡らす。
「こっちだ」
彼の注意を向けさせる低い声。
広いスペースの前部、小さな取っ手のついた扉。声はこの先からであった。
彼がゆっくりと扉を開く。
扉の向こうでは右奥、操縦席と思われる席に男が座り、10cmほどの隙間から外の様子を眺めながら、ハンドルやレバーを動かしている。
そして、左にいる男。腰が曲がり汚れたシャツを着た老人が、ゴーグルをつけたまま近くの腰掛に股を開き、座り込んでいる。老いた身でありながらもその腕は太く逞しい。
「久しぶりだな。ウィリアム」
「じいさんこそ、長生きだねぇ」
互いに手を握り合う。
「それで、一体どういうことだ? なぜあんな化け物を相手にしているんだ?」
「色々あったみたいでよぉ。アレが宝ってことらしい」
皮肉めいた風に彼が答える。
「ならこんな所に用はねえ、サムを連れてさっさと引き上げちまうか」
彼の皮肉を軽くあしらい、老人が立ち上がった。
「どうやら……お前さん、あれに好かれたらしいな」
ゴーグルを額にやり、潜望鏡を覗いた老人が告げる。
すぐに老人が潜望鏡から目を離し、運転席の男に速度を上げるよう伝える。その間にパトリックが潜望鏡を眺める。
後ろから近づく小さいモノ。よくよく見ればそれはさきほどの怪物であった。
「嫌なものに好かれたもんだ……できれば美人に追いかけられたいもんだがねぇ」
「カミさんに叱られるぞ」
パトリックが「ちげえねぇ」と言って白い歯を見せる。
「坊や、照準はお前に任せた。俺は目が悪くなって久しい」
老人が先ほど用いられた徹甲弾と思わしき砲弾を持ち上げる。
「ただし、一撃で仕留めろ……最後の砲弾だ」
「最後だってぇ?!」
「お前の連れだよ。奴め、足を壊しやがった。車体を出来る限り軽くするためのことはしたが……実を言うとあの化け物に圧し掛かられたせいでもうあまり持ちそうもない」
老人が弾を詰め、蓋を閉じる。
「上のハンドルを回せ。砲塔の向きを変えられる」
老人の言葉に、パトリックは一旦潜望鏡から目を離し、位置を確認した後、再び覗きながら右手でハンドルを回す。
その間にも四本の脚を駆使し、車に追いつかんとする勢いで怪物が迫る。
「次は……?!」
「左のハンドルを回せ。砲の角度を変えられる」
老人が言い終わる前に、彼がハンドルを左手で回す。
「いいぞ、近づいて来い……!」
狙いは決まっていた。先ほどの近距離砲撃であの鋼鉄の殻にヒビが入ったことを彼は見逃さなかったのだ。
しかし、それは奴の腹を見せた状態、すなわち飛び掛かる寸前を狙わなくてはならない。もし、外した場合は……。
額に汗が流れる。目を離すことはできない。
怪物が跳躍の姿勢に入る。
彼は息を止める。後はタイミングの問題だ、彼はそう考え左手をレバーへと添える。
怪物がバネのように勢いよく跳ね上がる。
――同じくして辺りに凄まじい発破の轟音が響いた。
擬態生物
擬態する生き物を私は数々見てきたが、その中でもこの擬態生物は興味深い。本来、擬態する生き物は周囲に溶け込もうとするのであって、その姿自体が変化することはない。
しかし、あの生き物は“擬態”そのものというべきか、固有の形を持たない。それは擬態物から流れ出る偽りの体躯だけではない。擬態物そのものも長い時間と共に変化させ、ある姿を保つことなどないのだ。
~ワーナー邸に残された古い手帳より。
隣のページには様々な体躯の生き物が描かれている~