1-1.食堂車にて
1.
人の声でざわついた食堂車。コーヒーの豊かな香りと焼きたてのパンのにおいが辺りに漂う中、給仕が慌ただしく厨房と座席を行き来する。
そんななかを別の車両とを繋ぐ扉が開き、男が立ち入る。
男はチケットを給仕に渡して少し話をした後、誰かを探すように座席を見渡しながら車内を二分する中央の通路を歩く。
だが、食事時の慌ただしい車内。厨房カウンターからテーブルへと運ぶ給仕と彼がお互いに立ち塞がることは必然であった。
立ち止まる二人。お互いを見つめる。しばらく見つめ合った後、給仕はすぐに顔を逸らし、申し訳なさそうに身を脇に退ける。男は相手方を気にすることなく歩き出した。
男が通路を半分ほど歩いたとき、不意に足を止める。探し人を見つけたのだ。
「失礼」と言って向かい合う二人の会話を遮り、その言葉に続けるように「遅れて申し訳ない」と話しかける。
4人席の通路側に座っていた老人が、テーブルを挟んで向かいの通路側に座っている男との談話を中断し、話しかけた男を見る。
「遅かったじゃないか。久しぶりの寝台の様式はお気に召したかな?」
老人が微笑みながら言う。
「ええ、とても。個室と違って、柔らかな壁が私のプライバシーを保護してくれたおかげでね」
そう言って、男は眼を擦る。
その様子を満足げに観た老人は席を詰め、男を通路側へと座らせる。
「これは失礼、紹介が遅れましたな。こちら、私の親友のハワード」
老人はハワードの方を差し、向かいの青年に対して彼を仲介する。
「『騎士』のパトリスです」
青年が老人の紹介に応じるように申し出る。
老人の隣に座っているハワードと呼ばれた男で、眠たそうな目をした男が、向かいの席のパトリスと紹介された青年に目を向け「どうも」と声をかけて、握手する。
そのとき、彼は青年の襟を一瞥した。襟には勲章のようにきらびやかな十字架のバッジが輝く。それは『騎士団』の証であった。
ハワードは青年と話すことなく、青年の隣、窓の外を向いて放心している女性の方に興味を向ける。
「……彼女は?」
「奇跡の少女……と言えばお分かりですか?」
彼らの会話など気にも留めず、外の景色を眺める少女の代わりを務めるかのようにパトリスが答える。
――奇跡の少女。
そう新聞の見出しを飾ったのは数年前のことだった。難病を魔法のようなもので救ったという記事はハワードにとって良くも悪くも興味をそそる内容だった。
「その彼女がわざわざヴェスピニアに訪れたのは、“奇跡”を起こしに?」
「いいえ、ただの観光でしょう。彼女が昔訪れたこの国が恋しくなったのかもしれません」
その言葉の後、ハワードが会話に間を置いてから口を開く。
「……失礼なことながら、私にもその“奇跡”を見せていただけませんか。この国で育った者にとっては“魔法”という存在に対して半信半疑なものでしてね」
「それはできかねますね。彼女は疲れていらっしゃる。それに、“魔法”は大道芸の道具ではありません」
ハワードは「そうかい」と言って、彼女へと向けた視線を青年に変える。
「旅の『護衛』は君だけか?」
「ええ、彼女があまり我々を好んでくれないもので。しかし、最近は魔女狩りを行うような野蛮な集団も息を潜めているようなので、1人でも大丈夫だろうと任されたのです……」
パトリスが話をしている最中に、ハワードに料理が運ばれてくる。
給仕が料理を置き終わると、彼は微笑んでチップを渡して朝食を食べ始めた。
2.
窓の外の陽が高くなる。その頃には、白い布で覆われたテーブルの上の食器は下げられ、純白のコーヒーカップだけが彼らの卓子を占有していた。
車内は最初に男が訪れた時間帯とは異なり、空席が目立つようになる。
彼らも重い腰を上げ、別れを告げようとする。
だが、鼓膜を打つような音が彼らの関心を呼ぶかのように、元の車両へと帰すことを拒んだ。
それは、彼らの遠く食堂車の入り口辺りで声だった。
「ちょっと待ってくれよ! 俺はちゃんと食事つきで乗車券を買ったんだぜ!?」
その声は大声とは言えるほどでないが、客の少ない静かな車内の注目を向けるには十分な声量だった。
「さいご、注文、終了、ダメ」
給仕の一人がしっかりとした教育を受けていないであろうたどたどしい言葉で対応する。
男は少し考えるような表情を見せたかと思えば、急に笑顔になる。
「じゃあ、あんた、パンとコーヒーを持ってないか?」
給仕が訝しげな顔をする。
「俺は何も食堂車の食事がほしいんじゃない。あんたとコレを交換したいだけなんだ」
男は笑みを浮かべて、金貨をポケットから取り出す。
そして、1枚の金貨に目がうばわれた給仕に男が「大したチップも貰ってないんだろう?」と小声で囁いた。
給仕は瞬きもせず、金貨をじっと見つめる。その額には汗が流れていた。
「あそこで一緒に働いているのはあんたの家族だろう?」
男は心配そうに見つめていたもう一人の給仕を指さす。指をさされた方も、話をしていた方も動揺に身体を震わせる。
「よく似てるからわかる。大変だろうなぁ、幼い妹まで働きに出さなきゃならねえんだから」
図星であったことが愉快だったのであろう男がニヤついた顔で給仕の顔を見つめる。
「あー、残念だな。早く交換してくれれば家族の分まで出すんだがなぁ」
男は金貨を親指と人差し指でこするように動かす。すると金貨がもう一枚ずれるようにして現れた。そう、彼は金貨を二枚重ねて見せていたのだ。
男は金貨を二枚とも財布に戻そうと持っていない片方の腕を動かす。
「……!!」
男の腕を掴み、慌てる給仕の顔が乗客の目に映る。
「席、すわる、ください……」
取り乱した声をなんとか落ち着かせ、給仕は厨房へと足音を響かせる。男は笑みを絶やさずに、空いている席に腰を下ろした。
「……獣が」
給仕が厨房に行くのを見届けた男は吐き捨てるように呟き、ポケットから取り出したガムを食べ始めた。
――車内が再び静寂に包まれる。
誰も彼を咎める者はいない。少なくともハワードはそう考えていた。
しかし、彼女はそうではなかった。
ハワードの隣を通り過ぎ、男の席の前に立つ。“奇跡の少女”だった。
「なんだい? お嬢さん」
男が彼女に気付く。
「……本当にあの子たちに払うつもりなの?」
おそらく信じていないであろう口ぶりで、彼女は彼の眼を見つめながら問う。
しばらくの間、二人は見つめあっていた。いや、もしかしたら睨みあっていたのかもしれないが、彼らと離れた場所にいるハワードには判別できなかったのだ。
「カタリナ!」
ハワードが気が付いた時には、あの騎士の男、パトリスが彼女の許で、手を掴んでいた。
「……コブ付きかよ」
ガムを吐き捨て、男が口を開く。
「その通りだ……あんな薄汚い畜生の血が混じったようなやつにやるわけがねえ。それに口約束だ。信じる方が間抜けなんだよ」
青年に引かれていく彼女を見て、男は笑う。彼が笑うと自然に前に突き出した歯が剥き出しになる。
「せいぜいそこにいる騎士様に守ってもらいなよ、お姫様。この国はあんたみたいなのを食い物にするような恐え男が多いからな」
男が彼女から視線を戻し、新しいガムを取り出したその時だった。
3.
汽笛が短く、しかし力強く鳴り始め、最後に警告するかのように大きな音が鳴り響いた。
――列車強盗だ!!
乗客のだれかの大声と共に、銃声が響く。
先頭の車両から警備隊が慌ただしく、後方の車両へと走り抜ける。
そして、窓の外、食堂車から数台後ろの車両を何頭もの馬が走る。
馬に乗った男たちはテンガロンハットを被り、ガンベルトから抜かれた銃は容赦なく警備隊に向けられていた。
「今時、列車強盗かよ」
先ほど言い争っていた男が、髪を押さえて車窓から後部をのぞき込みながら喋る。
「そんなに珍しいかね?」
男が気がつき、振り返る。彼の後ろの窓から老人が話しかけてきたのだ。
「ああ、そうだ。鉄道の儲けで膨れ上がった警備隊相手にするほどの力でもなけりゃ、報酬は望めねえからな」
「……つまりアレのことかな」
老人の言葉に促されるように、男が先ほど馬が走っていた方向を見直す。
「あれは……」
男はそれをジッと見つめる。
打ち付けが甘く、風に音を響かせる鉄板に囲まれた大きな箱。その箱からは濁った煙が立ち昇る。ゴムに包まれた頑丈そうな鉄の輪。その輪は風車のように何度も回転し続ける。そして、上部の出っ張りから一瞬見えた黒々とした大穴。
――逃げろ!
その矛先がこちらを向いている。そう察した彼は、窓から出来る限り遠い位置へと一心に足を動かしていた。
逃げ出そうとする乗客。頭を低くして耳を塞ぐ乗客。
――テーブルの上のカップが揺れ落ちるほどの轟音。それは竜の咆哮のような音を響かせていた。
砲口から勢いよく吐き出される弾丸。
列車の壁に激しく打ち付けられたそれは窓から離れられずにいた乗客ごと吹き飛ばしたのだった。
獣人
――飲食店で雇わないでほしいわ。この前行った喫茶店ではコーヒーの中に体毛が入ってたのよ(30代・婦人)
――奴らの不器用さったらありゃしない。道具どころか、ろくに文字すら書けないんじゃないか(30代くらいに見えるが/貿易商)
――奴らは人間じゃねえよ。俺たちあいつらに喧嘩をふっかけたことがあるんだが、最後には一方的にやられちまったんだ(17歳・職業不定)
(他と比べてやや大きめに書かれている)
ケダモノから喧嘩を仕掛けられたことにしろ!
――当館では獣人、特に人間の血が濃い女性はモノ好きの間で人気の娼婦となっておりまして……人間とほとんど同じでありながら少し違うところが好まれるのでしょうな(40代半ば・職業不定)
――獣人はうちの農場じゃ大歓迎だ。よく働くし、動物が言うことを聞いてくれるから、どうやってるんだって聞いてみたら動物の言葉がわかるなんてこと言いだすからね(50代・農場主)
(書きなぐるような字で書かれている)
雇われ農夫の獣人とすること
~丸められて捨てられていたある新聞記者のメモ。一番上には獣人に関する住民の聞き込みアンケートと書かれている。~