5、道化のクマ、他
【海辺の写真屋】ネガフィルムしか取り扱わない写真屋が、海の近くにありました。けれどこのご時世、だんだんとお客さんは少なくなっていきました。ある日ついに閉店し、店主も誰も来なくなりました。固く閉ざされた暗室の中で、フィルムたちだけが深海魚のように泳いでいるのを誰も知りません。
【手遅れの患者】「NX-403ワクチンを至急打ってください。ただちに打たないと●●●をずっと見ることになります。●●●は非実在の巨大な虫です。感染してから時間経過とともに●●●の数は増えていきます」その通知を見たのは帰宅してからだった。もう部屋中●●●だらけだ。足の踏み場もない。
【タメ口の運転手】待って。待って。行かないで。全力で走って次の信号で追いつく。かと思ったら青でまた追い抜かれる。バス停まであともう少し。並んでいた人たちが全員乗って、わたしもドアが閉まる前に駆け込む。「ははっ、今日もギリギリ間に合ったな」タメ口のこの運転手さんに、わたしは恋をしている。
【治験とM】高額な報酬の代わりに、キツイと評判の治験にきた。毎度毎度白い錠剤を二錠飲まされるが、気分が悪くなった試しがない。他の奴らは何人もギブアップしたという。「お前はどうして平気なんだ」と職員に訊かれたが、あれだな。俺が極度のMだからかもしれない。
【堕落する眼鏡】眼鏡が壊れてしまった。これは遠い昔、異国の地で買ったモノだ。天使のように美しい青年が接客してくれた。度や色を調節するときにはドキドキしてしまった。もうこの天使の眼鏡をかけられないかと思うと寂しい。近くの眼鏡屋はイジワル爺さんだ。これからはイジワル眼鏡になってしまう…。
【魔法のミルクレープ】そのケーキ屋さんは、連日世界中のクリエイターが列を成しておりました。名物は「ネタ・ミルクレープ」。一見、普通のミルクレープですが、実はシェフが魔法使いで一枚一枚クレープを「ネタが思い浮かぶように」と念じて焼いているのです。層の数だけ良いアイディアが浮かびます。
【道化のクマ】とある駅のホームに、可愛いクマのぬいぐるみが捨てられた。しばらくするとそれは起き上がり、周囲の人たちにダンスを披露しはじめた。SNSに上げようとスマホを持って集まる人たち。しかし数秒後、人々はバタバタと倒れていった。最初からそれは、ただの箱型の毒ガス噴霧器であった。