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22話 勇者の決戦

 オネストを出発してから、2ヶ月くらいが過ぎた。

 季節はもうすっかり冬になっていて、木々も葉を落としていているし、時々雪なども降っている。


 姫のペースに合わせて歩いているので、これだけの時間歩いても、まだストラハには辿り着いてはいない。

 しかし確実に歩を進めてはいるので、あと少しという所までは来れている。

 だから、姫との長かった旅も、もうあと少しで終わりそうだ。



 オネストからストラハまでの道は、既に一度通った事がある。 

 なのでその道を歩いていると、偶に、覚えている場所に差し掛かる事がある。

 そして私は、今目の前に広がっている山の事も、懐かしいと思えるくらいにはよく覚えていた。


「姫ー」

「なんですか?」

「私達の正面に、山見えるよね」

「はい、見えますね」

「今からあの山を通ろうと思うんだけど、大丈夫?」

「大丈夫です、そのくらいだったら」

「そっか……」


 姫は長旅で疲れているが、顔色などは悪くないし、まだ山を登れるくらいの体力は残っていると思う。

 だから、今からやりたい事をやっても大丈夫だろう。


「じゃ、頑張って付いて来てね」

「はい、リューリュさん」


 そして私達は、目の前に見える山に向かって歩くのだった。



 山に差し掛かって、山頂へと向けて登っていく。

 高度が高くなっていったら、だんだん寒くなっていって、空気も薄くなっていく。

 ただでさえ真冬なので、姫には少し過酷そうだったが、それでも頑張って山を登り続けてくれた。



 そして、まずは私が山頂に着いた。

 私は、山頂から景色を見渡す。

 そしてそれを見て、やっぱり登ってきて良かったと思う。

 その後少しだけ遅れて、姫も山頂まで辿り着いた。


「ほら姫、見て見てー」


 私は、山頂から見える景色を指す。

 そこには、綺麗な雪原が遥か遠くまで広がっていた。


「私が昔ここに来た時は春だったから、どんな景色なってるのかは分かんなかったんだけどさ。

 でも、ちゃんと綺麗でよかったよー」


 今から7年前。ここから私が見た景色は、雪原ではなくて草原だった。

 けれど、なだらかな地面にどこまでも雪が積もっている光景は、それはそれでとても幻想的なものだった。


「リューリュさん、これを見せたかったんですか?」

「うん。どうだった?」

「びっくりしました。こんなに素敵な景色があるんですね……」

「そっか、よかったー」


 私は、山頂にあった大きな岩に腰掛ける。

 昔ここに来た時に腰掛けて休んだのと、同じ岩だ。


「私さ、オネストから無理やり旅に出されて、この辺りを歩いてた頃すっごく不安だったの。

 それでスピカ様がそんな私を気遣ってくれて、この景色を見せてくれたんだよね」

「そうなんですか……」


 姫も、私と同じ岩に腰掛ける。そして、どこまでも広がる雪原の景色をただ眺める。

 そして私達は、そこで一旦休憩を取る事にしたのだった。



「リューリュさん……」

「何ー?」


 まったりと景色を眺めながら、姫と話す。


「その……、スピカ様に、本当に逆らうつもりなんですか……?」

「うん、そうだよ。私もう、自分に嘘つくのは嫌だから」


 あのまま勇者をやる事は、自分の気持ちを裏切る事だ。

 そんな事が生み出す苦しさは、ただ虚しいだけで何も残らない。

 だから私はもう、例えどんな事があっても、あの日々の続きを送りたいとは思えない。


「そうですか……」


 私の身を案じているのか、姫の声色は、とても不安そうなものだった。



 スピカ様に逆らったら、一体どんな事になるんだろうか……。

 雪原の景色を眺めながら、私は改めて、そんな事を考えてみる。


 この世界では、人間は精霊様に従わないといけない。

 そしてそれを破った場合、精霊様が自由に、その人間に対して相応しい罰を与えられる。

 だから私は、少なくとも何らかの罰は受ける事になるだろう。


 けれど、私は今のところ、スピカ様に二言しか告げられてはいない。

 一つは、ストラハに帰ってきて直接話し合いをする事。

 そしてもう一つは、どうして私が勇者をやめたいと思うのか、その考えをちゃんと整理しておいて欲しいという、そんな事だ。

 たぶんスピカ様は、直接会って話し合いをして、その上で私への対応を告げたいのだろう。

 だから、私に対して考えを整理しておいて欲しいと頼んだし、後はストラハに帰ってこい以上の事は言ってこない。


 おそらく私は、ストラハに帰った後、スピカ様と話し合いをする事になる。

 それは、お互いが自分の意思を通す為の話し合いだ。

 そしてそれは、おそらく私のこの人生において、最も重要な場面になる。


 勇者をやめたいという、私の気持ちが変わる事はない。

 だから私は、スピカ様にどんな事を言われても、自分の意思を通しきりたいと思う。



 真っ白な雪原を眺めながら、思考を続ける。


 この世界の人間は誰でも、精霊様に逆らってはいけないと刷り込まれている。

 それは、倫理的なものでもあり、法律的なものでもあり、そしてそれ以上の何かでもある。

 親から教わる倫理観として、学校から教わる法律として、世間から何となく感じる空気として、社会から制定された不文律として、そんなあらゆるしがらみによって、精霊様に逆らう事は絶対にしてはいけない事だと、意識の根底に刷り込まれている。


 私は前世の記憶があったり、常識に疎かったりしたので、普通の人と比べればその刷り込みがあまり染み付いていない所がある。

 けれど、なんだかんだで私もこの世界の人間の一員だったから、精霊様には逆らってはいけないものだという前提をずっと持っていた。

 精霊様に逆らってはいけない、それはこの世界の不文律。

 だからこそ私は、精霊様に逆らったら具体的にどうなってしまうのか、そんな事が未だによく想像出来ない。


 この世界は人がそんなにいないし、娯楽とかもそんなにないので、村社会みたいな感じで人の噂が広がったりするのが早い。

 だから私が勇者をやめたら、世界中の人にこんな奴が魔王の前で敵前逃亡したんですよみたいな話を広められて、どこに行っても白い目で見られるようになったりするんだろうか……?


 たぶん、そのくらいで済めば一番マシな部類なのだろう。

 スピカ様は前世の世界で例えるなら、神様と王様を天皇を全部足したような立場の人なのだ。

 そんな精霊神様に反逆する事に対する罪は、重くしようとしたら幾らでも重く出来てしまうだろう。


 一生全ての聖域から追放されて、聖域の外で死ぬまで一人で生きていけとか言われるのかもしれない。

 もしかしたら、それよりも更に悪くて、死刑宣告とかそういう事すらあるかもしれない。

 もし死刑みたいな耐えられなさそうな罰を告げられたら、全力で逃げようと思う。

 勇者である私が本気を出して逃げたら捕まえられる人はいないだろうから、その辺はまあ大丈夫だと思う。


 しかし逃げたとしたら、今度は世界中で指名手配とかされるだろうから、どっちにしろ私は二度とまともに人の世界で生きていく事は出来なくなる。

 そうなったら、私の親であるお母さんとかの世間体も物凄く悪くなるのかもしれないが、まあそれはいいや。 


 そんな最悪な想像は、しようと思ったら幾らでも出来てしまう。

 けれど私は、スピカ様はそんなに酷い事はしないんじゃないかと思っている所がある。

 スピカ様は、決して悪い人ではない。

 私の思考を誘導していたりもしたが、それはあくまで、この世界の人達の為にやっていた事だ。

 だから、私がどんな気持ちでいるかちゃんと話せば、案外私の事を許してくれるんじゃないだろうかと思うのだ。


 それは、能天気な考えなのかもしれない。

 でも私は、どうしてもそんな事を考えてしまう。

 それはたぶん、私が未だに、スピカ様に懐いているという事なのだと思う、


「はぁ……」


 色々考えてみたけれど、結局どんな事になるかは、実際にその時になってみるまでよく分からないだろう。

 だから何にせよ、私がやれることは、スピカ様に自分の気持ちを話すだけだ。

 だから、スピカ様と実際に会った時にどのくらいちゃんとした話が出来るか。ただそれだけが大切なのだと思う。

 私は改めて、そんな事を結論づけておいた。



 それからもう少し休んだ後。

 私は、座っていた岩から降りる。


「姫ー、そろそろ行こっか」

「そうですね」


 私の言葉に頷いて、姫も岩から降りてくれた。


 そして私達は、またストラハに向けて歩き出す。

 不安と緊張、そして少しの期待が入り混じった気持に包まれる中。

 私は、もう残り僅かなストラハへの道を歩いて行くのだった。



----



 それからしばらく歩いた後。

 私達はついに、光の大聖域ストラハへと帰ってきた。


 城壁の門を潜って、ストラハの中へと入る。

 見覚えのある畑道が、どこまでも広大に広がっている。


 ここに最初に来たときは、前世の世界の大都会とかと比べていたので、ストラハの規模が対した事に思えなかった。

 けれど今は、他の聖域が比較対象として頭の中にあるから、ストラハの中が特別に広いと感じる。

 私はその景色を眺めながら、改めて、こんな聖域を作り出しているスピカ様の特別さを感じ取っていた。



 姫は、出来れば直ぐにでも家に帰りたいけれど、最後まで私の旅を見届けてくれるらしい。

 だから私達は、2人で天界へと向かう。


 しばらく聖域の中を歩き、そして庭園に着いた。

 4年間過ごした場所だけれど、ここには殆ど辛かった思い出しかない……。

 そんな嫌な思い出の場所を通って、天界へと向かう為の台座がある場所へと着く。

 そして台座の上へと乗って、天界へと進んでいく。


 そうして私達は、天界へと着いた。

 私は勇気を出して、台座から地面へと降りる。

 そして、魔王との戦いなんかじゃない、私が本当に大切だった決戦へと向けて、その場所を歩き出すのだった。



---



 私達は、石造りの神殿の前に着いた。

 そのまま神殿の中に入り、入口部分の謁見室になっている部屋に着く。

 7年前、スピカ様と初めて直接会った場所だ。

 そしてそこに、スピカ様はいた。


「こんにちは、リューリュ」

「こんにちは、スピカ様」


 私達は、お互いに挨拶する。


「……ではリューリュ、聞かせてください。あなたの今の気持ちを」


 スピカ様はただそれだけを、私へと告げた。

 どうして勇者をやめたいのか、整理してきた考えを聞かせろという事なのだろう。

 私は、勇者になってからこの7年間で得た私の結論を、スピカ様へと伝える。


「スピカ様、歯車ってあるじゃないです」

「時計などに使う、あの歯車の事ですか?」

「そうです」


 神殿の窓の外からは、ストラハの地上が見えている。

 私はそんな、人の世界というものを眺めながら、話をする。


「この世界は、きっとそれと同じで、一つの大きな歯車だと思うんです。

 一つの大きな、社会の歯車。

 そんなものの中で私達は、みんながみんな、お互いがお互いを縛りあって、支えあって、そうして生きている。

 この世界はそんな風にして存在しているんだと思います」


「そんな歯車の中で、私の役目は世界を救う事だった。

 だから私は、スピカ様に選ばれて、勇者として魔王を倒す為にずっと旅をさせられた。

 でも、それはこの歯車の意思であって、決して私の意思ではないんです」


「私は、その社会の歯車の事を、別に悪いものだなんて思いません。

 それのおかげで、みんなが支えあって生きていけている訳ですし、自分から歯車の一部になれる人は立派だなとすら思います。

 でもそれでも、この世界が私に求めてきた役割と、私がしたい事は、違うんです」


「だから私は、この歯車には従えません。

 ……それが、私の気持ちの全部です」


 私の拙い言葉で、一体どのくらいの事を伝えられたのかは分からない。

 けれどそれでも私は、それが私の大切な思いだったから、そんな言葉を言い切っていた。


「……それは、誰かに言われて簡単に変えられるような決意ではないのですね」


 スピカ様は、ただそれだけを確認する。


「はい」


 だから私も、ただそれだけを答えた。



 スピカ様は、その場で黙ったまま、少しだけ間を空けた。

 たぶんその間に、私の考えを咀嚼して、そして私への対応を改めて決めたのだと思う。


「リューリュ、あなたの気持ちは分かりました。

 しかし私はどうしても、あなたに対して、あなたが言うその社会の歯車の一部であって貰わなければならないのです。

 だから私は、もしあなたが私に逆らう気でいるのなら、あなたに罰を与えなければなりません。

 今から私が言う話を聞いて、そしてもう一度、本当に私に逆らうのかどうか事を考えてください」


 さて、私は一体どんな罰を受けるのだろうか……?

 たとえどんな事を言われても、きっと生きていく方法なんて幾らでもあると思う。

 だから私は、例えどうなっても自由になってやる。

 自分の気持ちを一生裏切り続ける事比べれば、絶対に、どんな事をされてもまだマシだ。


「リューリュ、精霊盟約の事は知ってますよね?」

「はい、知ってますけど」


精霊様が人を助けてやるから、代わりに人は精霊様の言うことに従えという、この世界の一番根本的なルールだ。


「私はこの世界の神様。その気になればなんだって出来ます。

 だから、もしあなたが私に従わないなら、見せしめとしてイルマを処刑します」

「え……」


 私と、そして私を見守ってくれていた姫は、突然の言葉に呆然とする。


「なんで、姫が出てくるの……?」

「それが、あなたが一番嫌な事だからです。

 あなたが魔王と戦わなければ、私はイルマを処刑します。言ってる意味は分かりますよね?」


 私は、絶対にもう勇者を続けていたくない。

 だから、どんな事をされる覚悟でも出来ていたと思う。

 けれどそれは、自分が何かをされる覚悟だけだ。

 他の人に何かをされるなんて、そんな話、聞いてない……。


「ほ、他の人持ち出すのは、違うんじゃないですか……」


 余りにも予想外の状況に、そんな言葉しか出てこない。


「何が違うのですか?」

「だって、そんなの、卑怯ですよ……」


 だってこれは、私とスピカ様の、一体一の話し合いじゃないのか……。 

 スピカ様は私へと、ただ冷たく言い放つ。

 

「リューリュ、私はこの世界の事を愛しています。だから私はこの世界の為なら、どんなことだってするんですよ」


 スピカ様の、ただ毅然とした態度を見ていれば分かる。

 自分一人に何かをされるだけで済むと思っていた私が馬鹿だったのだ。

 この人なら、それくらい本当にやってしまう……。


「自分の意思を捨てて、勇者として魔王と戦い、その後も一生この世界に尽くすか。

 それとも、自分の意思の為にイルマを犠牲にして殺すか。

 さあ、選んでください」


 スピカ様は、私へとそんな事を問う。

 自分がこれまでしてきた決意が、この先に待ち受けている筈だった自由が、絶望で塗りつぶされていく。

 だって……、こんなの……断れる訳ない……。


「姫を殺すなんて……出来る訳……ないじゃないですか……」


 どうしてこんな、残酷な事が思いつけるのか……。


「では、決まりですね。今日聞いた話はなかった事にしておきましょう。

 今から3日間の休息を与えますので、4日後、また魔王の闇穴に向かってください」

「ま、待って……」

「なんですか?」

「私はもう……嫌なんです……あんな事……」


 勇者でいる時間は、私にとってはあまりにも辛い。

 あんな毎日に、もう戻りたくない……。


「リューリュ、あなたは最初から、私には逆らえないのです。だからもう、退いて下さい……」


 私は、なんとか言い返したい。言いかえさなければならない。

 だってここで何も言えなかったら、私は、この何よりも大切な戦いに、負けてしまう……。


 けれどどうやっても、反論の言葉は浮かんでこなかった。

 それはそうだ。だってスピカ様が言っている事は、完全に正しいのだから……。


 どれだけ経っても、私は何も言えなかった。

 そして私は、言葉の変わりに、とうとう涙が出てきてしまった。

 スピカ様はそんな私へと、ただ、冷たく告げる。


「どうせ気づくでしょうから、先に言っておきます。

 私に従わない、イルマも死なせない、そんな都合のいい願いを叶える方法が、あなたには一つだけあります」

「な、なんですか……」


 藁に縋る思いで、スピカ様の言葉を待つ。


「それは、私を殺す事です」


 私は、スピカ様の言葉の意味を考える。

 そして、自分が考えている事が、よく分からなくなってくる。


「さあリューリュ、ここで私を殺しますか?」


 何故かは分からないけれど、その時スピカ様の声は、震えていた。

 私は顔を上げる。すると、スピカ様は泣いていた。

 それを見た瞬間、私はもう完全に、訳が分からなくなってしまった。


「なんで……、なんでっ……そんな話になるのっ!!」


 私はただ、のんびり生きたいだけだ。どうしてそんな簡単な願いが叶わないのか。

 そんな事が理解出来なくて、私はとうとう、泣きながら叫んでしまう。

 そんな私に、スピカ様は何も答えてはくれなかった。



 時間を置いて、私が少し落ち着いた所で、スピカ様が私へと告げる。

 それは、何時ものスピカ様の、私を気遣った優しい話し方だった。 


「リューリュ、今日はもう休んで下さい。そしてもう一度よく考えてみて、結論を出してください」


 たぶんスピカ様は、既に、私が従うしかない事は確信している。

 だからその言葉の意味は、時間をあげるから従う決意をいてこいという、そんな感じなのだろう。


 私は、その言葉に従うしかなかった。

 だから私は、まだ呆然としたままで、その場所を後にするしかなかった。



 地上へと着いて、台座から降りる。

 そしてそのまま、勇者である私の為に用意された部屋がある、あのお城へと向かう。


 私は姫と、お城の中に入る。

 すると入口の部分に、男の人が立っていた。

 姫はその男の人を見ると、体を強ばらせる。

 どうしたのかなと思っていると、姫が私に声をかけてきた。

 

「リューリュさん、その、離してください」

「……あ、ごめん」


 私はどうやら、無意識のうちにずっと、姫の服を掴んでいたらしい。

 言われたままに、掴んでいた手を離す。

 すると姫は、その男の人の所へと駆け出して行った。


「おかえり、イルマ」

「ただいま、お父様」


 私はそんな光景が、よく分からなかった。


「姫……?」 

「ごめんなさい、リューリュさん……。

 今がリューリュさんにとって、どれだけ大変な時なのかは分かります。

 けれど、私には私の、やらなければいけない事があるんです……」


 そのまま姫は、その人と一緒にどこかへと行ってしまった。

 私は一人、その場所に呆然と立ち尽くしていた。



---



 私はその後、自分の部屋に戻った。

 辛い思い出しかない、勇者である私の為の部屋だ。


 荷物を下ろして、とりあえずお風呂に入る。

 そして体を洗った後、用意されていた寝巻きに着替えて、ベットに横たわる。


「はぁ……」


 まるで、夢の時間が終わってしまったような感覚だ。

 この部屋にいると、何よりも、現実に引き戻される気持ちになる。



 私は、勇者なんてもう1秒でもやっていたくない。

 だから、この部屋に居る事が耐えられない。

 けれど、私が耐えられるかどうかなんて、どうやらこの世界には関係ない事だったらしい。

 私の勇者としての日々は、これからもずっと続いていくのだ。


「私、なんで生きてるんだろ……」

 

 私はベットに寝転がりながら、ただぽろぽろと、涙を流していた。



----



 ベットに寝転がりながら、ただひたすらぼーっとする。

 そうしていると、少しずつだが、段々落ち着いてきた。

 だから私は、改めて、今の自分の思考の整理でもする事にした。



 私が逆らったら、スピカ様は姫を殺す。それはたぶん、ブラフなどではなく本当の事なのだろう。

 姫は、私にとっては誰よりも大切な人だが、この世界にとってはただの一般人だ。

 だからスピカ様からすれば、別に姫が死んでも問題はない。

 精霊神としての体裁を保つ為に、見せしめとして一般人を一人殺するくらい、やろうと思えば普通にやるだろう。


 私が勇者にならずに、なんとか姫も死なせない方法。

 それは、考えてみればもう一つある。

 私は、物理的な力はこの世界のどんな人間よりも強いのだから、本気を出せば周囲から危害が加えられる事はない。

 だから私は、姫を連れて一緒に聖域の外に逃げるという、そんな選択肢を取る事が出来る。


 けれどそれもまた、最悪の選択肢だ。

 姫はこれから、両親と仲直りしたいと思ってるし、この世界の中で前を向いて生きていきたいと思っている。

 それなのに、私のせいでこの世界から一生追放されるなんて、絶望でしかしないだろう。

 だからその選択肢もまた、結局姫を犠牲にしている事には変わりない。命があるかどうかだけの違いがあるだけだ。

 

 そしてもしそんな事をすれば、私は間違いなく、姫に一生恨まれる。

 姫にとって私は、恩人だし、凄く大切な人ではあると思う思う。

 けれど、当たり前の話だが、姫は別に私だけが世界の全てという訳じゃない。

 両親もいるし、社会の中で立派に生きていきたいとも願っている。

 ついさっきも、姫は私を置いて、自分のお父さんの方に付いて行った。

 姫にとって私は、大切な人ではあっても、決して一生を捧げて程の存在ではないのだ。



 私は、何をされても負けずに、自分の意思を貫こうと思っていた。

 しかし、自分のせいで姫がそんなに悲惨な目に会う事に耐えるのなんて、絶対に無理だ。

 だって、私は自分の気持ちを優先したいから勇者をやめたいのに、それで姫を大切だと思う気持ちを捨ててしまうようなら、それは本末転倒というやつだからだ……。


「はぁ……」


 考えれば考える程、スピカ様に逆らうという選択肢が、全く存在していない事が分かる。

 もしかしたらスピカ様は、最初からここまで考えていたのだろうか?

 私が姫と出会えたのは、そもそもスピカ様が姫に話しかけろと言ったからだ。

 スピカ様はその時点で、私には大切な存在がいないから、その気になったら自分を裏切ってしまえる事を危惧していた。

 だから、私にしがらみというものを作る事で、自分を裏切れないようにした。

 私はそんな策に、まんまと嵌ってしまっていたのだろうか……?


 スピカ様はとてもいい人だ。それは間違いない。

 だから、スピカ様が姫と仲良くなれって言ったのは、私への純粋な善意の気持ちもあったのだと思う。

 けれどもし、あの時のスピカ様の中にそんな打算もあったのならば、私は姫と仲良くなった時点で、最初から既にスピカ様に完敗していたのだ……。


「うー……」


 もう何度も泣いたのに、また、泣きそうになってくる……。


 あまりにも考えたくない事だが、私に取れる選択肢は、実はまだ一つだけ存在する。

 それは、いっそ自殺してしまうという事だ。


 もし魔王を倒せたとしても、その先に待っているものは、世界各地の魔物や魔族を一生かけて倒して行くだけの毎日だ。

 私の意思なんて何もない、ただスピカ様に従わされて、望まないまま社会の歯車として生きていくだけの人生。

 そんな日々しか先にないのなら、いっそ死んでしまった方がマシなのかもしれない。


 私はオルカちゃんが死んでしまった時、何も死ぬことはないんじゃないかと思った。

 けれど、今ならオルカちゃんの気持ちが、少し分かる気がする。

 世の中にはたぶん、本当に死んでしまうくらいしかない時があるのかもしれない……。



「はぁ……」


 私の人生は、なんでこんな事になってしまったんだろうか……。

 もし、もう一度人生をやり直せたら……。

 そんな現実逃避の気持ちが、ぼんやりと頭の中に浮かぶ。まあ私は既に、一度生まれ変わっている訳だが……。


「……?」


 そんな事を考えていて、なんとなく、疑問が浮かぶ。

 そもそも私って、なんで生まれ変われているんだろうか?


 これまで私は、ただ漠然と、魂が前世の世界から輪廻転生しているくらいの事を思っていた。

 けれどもしかしたら、何かちゃんとした理屈のようなものがあるのかもしれない。

 私は生まれ変わっている。何にせよそれは間違いない。

 だったら頑張ったら、本当にもう一度生まれ変われるような、そんな方法があったりするんじゃないだろうか……?



 それから少しの間。

 私は、自分が転生した流れについて考察をしてみた。


 まず、私は前世の世界で生きていた。

 そしてトラックに轢かれて死んだ。

 その時に、たぶん魂が体から開放されたりして、ふよふよと空を漂ったりとかした。

 そしてその魂が、何の拍子かは全く分からないけれど、前世の世界からこのメルザスの世界に流れ着いた。

 そして、また胎児だった頃のこのリューリュの体の中に入って、定着した……。


 魂がどうして違う世界に飛んだのか、その辺りは、たぶん私には及び知れるような事じゃないのだろう。

 けれど、胎児の中に魂が入ったという考えは、たぶん合っていると思う。


 この世界で観測されている魂とは、その人の心の形そのものみたいなものだ。

 だから、母親の胎内にいるまだ殆ど何の思考もしていない胎児には、自分の魂はまだ存在していないらしい。

 人は、成長して意思を獲得するに連れて、自分の魂というものが出来ていくものならしい。

 だから、胎児の状態で別の魂が入ったら、その別の魂がその人の魂そのものになって、他の魂などは育たないんじゃないだろうかと思う。

 だから今の私は、リューリュであるのに、私であるのだと思う。

 

 そんな事を考えていると、今まで夢にも見なかったような発想が浮かんでくる。

 だったら、もう一度魂だけの状態になって、そのまま別の胎児の中に入ったら、もう一度生まれ変わる事が出来るんじゃないだろうか……?



 きっと他の人は、自分に魂というものがある感覚なんて分からないだろう。

 けれど私には、魂がどんな場所にあって、どんな形をしているものなのかとかが、なんとなく分かる。

 それは私は、既にもう3回も、精霊様から加護を貰う為に魂を触られた事があるからだ。

 だから私は、体から魂を切り離すという事も、イメージだけなら出来る気がする。

 

 私は、魔法の力を使える。

 それは、無理のない範囲の事ならどんな願いでも叶うという力だ。

 だから私は目を瞑り、そしてイメージをしてみる。

 イメージの内容は、体から魂を切り離すという事。

 そしてそのイメージに、魔力を通す。


 その後。ふいに目を開けようとしたけれど、目にあたる場所の感覚がそもそもなかった。

 よく考えたら、目がないだけじゃない。

 今の私は、物音も何も聞こえていないし、ベットの柔らかな感覚も、空気の味も、部屋の寒さも、何も感じていない


 一瞬焦ったけれど、私は直ぐに、自分には魔纏の気配探知の力がある事を思い出す。

 そして、それを使って周囲を認識してみる。

 すると私は、空中をふよふよと漂っていた。

 そして私の下には、私の体があった。

 私の体は、目を閉じたまま、ベットに寝転がっていた。

 その体はちゃんと、息もしているし、心臓なども動いていた。


 私は試しに、魔法を使って、自分の魂のある位置を移動させてみる。

 すると、ちゃんと思った方向へと移動出来た。

 私は、部屋の隅まで移動して、壁に触れてみようとする。

 すると、私は壁に当たらなかった。

 どうやら魂のままの状態では、物理的な干渉を受けないらしい。

 私は壁の中に埋まって、そしてそのまま壁をすり抜けてしまった。


 そうして私は、部屋から庭園へと出ていた。

 魔纏の力による第六感で、自分が今いる位置や、自分の周りにあるものの情報が分かる。

 地面の色から、庭園を歩いている人の姿まで、色んなものを認識する事が出来ている。

 そして、今の私には実態がないからならしい。その状態のまま人の前を通っても、誰も私の存在に気づく事はなかった。



 私は10分くらい、庭園をふわふわと漂った。

 そして部屋に帰って、自分の体の元へと戻った。

 このまま元に戻れなかったらどうしようかと思ったけれど、体に入ったらちゃんと元の状態に戻れた。


 元の体の目を開けて、ぼーっと天井を見る。

 そして私は、今更ながら、自分がファンタジーな世界に生きていた事を実感していた。



 私には前世の記憶がある。

 スピカ様は、何時でも私の事を監視していたが、その事だけは知らない。

 ただめんどくさい事をしたくなくて黙っていただけのそれは、最後までスピカ様に隠し通す事が出来た、私のたった一つの切り札だったらしい。

 

 私は改めて、色んな事を考える。

 それは、さっきまでの現実的で暗い思考とは真逆の、夢みたいな明るい思考だ。

 この人生はもう駄目だ。だから、次に生まれ変わったらどんな人生を歩もうか。

 

 そして私は、スピカ様に聞こえないように、ただ心の中で呟くのだった。

 なんか、私の勝ちみたいだよ、スピカ様……。

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