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18話 優しさの試練2

 療養所は、重い病気を抱えてしまった人などが体を休める為の場所だ。

 なので療養所に入院してくる人は、全員が無事に退院出来る訳でもなく、中には病気が治らずそのまま死んでしまう人などもいる。

 だから療養所で働いていれば、死んでしまう患者さんも何人も見る事になる。


 私は、ここで働いている事にそこまで入れ込んではいない。

 なので、患者さんが死んでしまってもそこまでのショックは受けない。

 けれど姫は、ここで働いている事にとても入れ込んでいる。

 なので姫は、患者さんが死んでしまう度にショックを受ける。


 そんな風にしていて疲れないのかなと思うが、姫はそれでも頑張りたいらしい。

 落ち込んだりしても、姫は真面目に働こうとする事をやめはせず、ずっと一生懸命頑張り続けていた。



 私達はそんな風に、療養所で働く時間を過ごしていく。

 そうして、春が終わって、夏が終わって、秋になった。

 私達がラグラハに来てから、そろそろ半年くらいの時間が経っていた。 



----



 また散歩がしたい。

 イリユさんのそんな願いに付き添って、私は何時もどおり、イリユさんの後ろを歩いていた。


 もうすっかり秋なので、道は咲き誇った紅葉の葉で赤く染まっている。

 そんな綺麗な景色を眺めながら、ふらふらと少しずつ歩いていく。


 そうしていると、イリユさんの顔色が、段々悪くなってきた。


「あの、大丈夫ですか……?」

「大丈夫、大丈夫だから……」


 イリユさんはそう言うが、視点がちゃんと定まっていない気がする。


「テテル様ー」

(……どうかしましたか?)

「止めた方がいいですよね、これ……」

(はい。連れ戻してあげた方がいいでしょうね……)


 私はテテル様と、そんな会話をする。


「嫌……」


 するとイリユさんは、ふらふらとしながらも、私から逃げようとし始めた。


「イリユさん、もう帰りまりましょ……」

「私……どうせもう直ぐ死ぬのに……帰り……たく……ない……」


 そんな事を言いながら、イリユさんはそのまま歩いていこうとする。

 私はそんなイリユさんを背負って、無理やり療養所へと連れて帰る事にする。

 イリユさんは抵抗しようとしていたけれど、殆ど力が出ていなかった。


 

 療養所に連れ帰った後。イリユさんはかなりの高熱を出して、寝たきりになってしまった。

 前世の世界だと、手術とかをして助けてあげられるのかもしれない。

 しかしこの世界はそんなに医療が発達していないので、草とかで作った薬を飲ませて、あとは安静にしていて貰うしかない。


「イリユさん、大丈夫でしょうか……」


 私の隣で、姫が心配そうにイリユさんを眺める。

 正直私は、もうイリユさんは助からないのではないかなと思う。

 イリユさんは、元々体が凄く弱い。 

 だからここまで体調が悪化してしまえば、もう二度と治らない可能性が高いだろう。

 けれど、それを言えば姫が悲しむだろうから、上手く言い出す事が出来ない。


(イリユさん、このまま死んでしまうかもしれませんね……)


 何も言えない私の変わりに、テテル様が答えてくれた。


「そんな……、死ぬなんて……」

「姫も、ここで弱ったまま死んでいっちゃう人は、何人か見てきたでしょ……」

「でも、死んでしまった人はみんなお年寄りでした。イリユさんはまだ私と同い年なのに……」


 確かに、イリユさんはまだ子供だ。

 そんな子が死んでしまう事は、姫にとってはまた特別に、受け入れがたい事なのかもしれない。


(例え子供でも、死んでしまう時は死んでしまうのですよ……)


 私の変わりに、テテル様がそう告げる。

 姫はただ、黙ってその言葉を噛み締めていた。



---



 そして、3日が経った。

 寝込み続けていたイリユさんは、何とか少しだけ回復して、意識も一応は戻った。

 しかし、体は以前よりも更に衰弱しているし、何時また寝込んでしまってもおかしくない状態だった。


 私は、イリユさんの食事の手伝いをする。

 もうまともに体を動かす事が出来ないイリユさんは、私の補助で何とか食事を取っていく。


「私、また生き残っちゃった……」

「そうですね……」

「別に、もう死んでもよかったんだけどな……」


 正直、イリユさんの命はもうそんなに長くないだろう。

 けれどイリユさんは、その割に、あんまり慌てたような様子はなかった。

 もしかしたらイリユさんは、もう昔から、自分がそんなに長く生きれない事を覚悟していたのかもしれない。

 食事を取りながらも、イリユさんは投げやりな様子で窓の外を眺めていた。



 そして、夕方になった。

 その日の仕事の時間も終わったので、神官服を着替えて、療養所から出る。

 そして私は、姫と一緒に何時もの宿へと向かおうとする。

 けれど姫は、道を眺めたまま立ち止まって、動かなかった。


「テテル様、聞いてますか?」


 そして姫は、突然テテル様を呼び出す。


(……どうしましたか?)


 テテル様は私の周囲の物音を拾っているので、姫の声へと反応して用件を尋ねた。


「イリユさんの家の場所って、どこだか分かりますか?」

(えっと、分かりますけれど……)

「どしたの? 姫」


 すっかり宿に帰る気でいた私に、姫は意を決したように話す。


「このままじゃイリユさん、自分の両親を拒絶したまま死んでしまいます。

 私、やっぱりどうしても、そんなの悲しすぎると思うんです。

 だから私、イリユさんの両親にあって、イリユさんの話を聞いてみたいんです。

 それで何か事情があるなら、私が出来る限りの事をしてあげたいんです」

「でも姫……、それでイリユさんが喜ぶかどうかは……」


 姫はたぶん、イリユさんに両親と仲直りして欲しいのだろう。

 それが、イリユさんの救いになると思っているのだ。

 けれど私は、正直それはどうかと思う。


 私の想像だが、イリユさんはたぶん、周囲を拒絶する事で自分の世界に閉じこもっているタイプの人だ。

 そうする事によって、自分の世界を守っている。

 それを無理やりこじ開けるような事をすれば、とても恨まれるだろうし、それが当人にとっての幸せになるかどうかも分からない。

 それに、イリユさんはもうそんなに長く生きられないのだから、変に刺激したりせずあのまま死なせてあげた方がいいのではないかとも思う。


「熱で苦しんでる時、イリユさん、泣いてたんです」


 けれど姫は、ただそう呟いた。

 その言葉からは、姫の決意のようなものが伺えた。

 だから私は、それ以上姫を窘める事は出来なかった。


(……イルマさん、今からイリユさんの家まで案内します。

 そしてリューリュさん。あなたは今から、イルマさんに付いて行ってあげて下さい)


 テテル様が私に、そんな事を命じる。


「ありがとうございます、テテル様」

「はい……」


 姫がやろうとしてる事が、本当に正しいのかどうか分からない。

 それに、物凄く個人的な事だが、もう時間も遅いので早く宿に帰って休みたい。

 けれど私は、命じられた以上しょうがなく、姫へと付いて行くのだった。



----



 テテル様に案内されて、聖域の中央街まで歩いた。


(ここが、イリユさんの家です)


 そこは、ラグラハではごく普通の、江戸時代風の一軒家だった。


 姫は、家の前に付いてある鈴をカラカラと鳴らす。これがラグラハでの呼び鈴ならしい。

 そして少し待っていたら、玄関から女の人が出てきた。

 療養所で一度見た事があるので覚えている。この人は、イリユさんのお母さんだ。


「私達、イリユさんの看護をさせて貰っている者です。今日はその事で、お話を伺いたい事があって……」

「そうですか、あの子の……」


 姫は少し緊張しつつも、イリユさんのお母さんへと、丁寧な言葉でやりとりをした。

 そして私達は、その家に上げて貰える事になった。



 畳の上に座布団を敷いた部屋へと案内して貰う。

 そこで少し待っていたら、イリユさんのお父さんもやって来てくれた。

 そしてイリユさんのお母さんは、私達へと、イリユさんの話を聞かせてくれる。


「私達の家には、既に長男と長女がいて、イリユは3人目の子供として生まれました。

 イリユは、大人しくて従順な子で、私達へもよく懐いてくれました。

 しかし、上2人の子は普通に健康なのに、イリユだけが生まれつき体が強くありませんでした。

 そしてイリユは、昔からその事に対して、劣等感を感じているような所がありました」


「そして今から2年程前、イリユは風邪を引いてしまいました。

 それは、普通の子なら数日安静にしていれば治るような病気だったのですが、体の弱いイリユにとってはとても重い病気でした。

 そしてイリユは数日間生死の間を彷徨い、病気が治った後も、療養所で安静にしていなければいけないような体になってしまいました。

 そしてその日から、私達に懐いてくれていたイリユは一変して、私達の事を恨むようになってしまいまいました……。

 そうして今でも、私達はイリユに、ずっと嫌われたままでいるのです……」


 イリユさんのお母さんは、まるで懺悔するように話す。


「あの子は悪い子ではありません。ただ、私が悪かったんです……。

 あの子を丈夫な体に生んであげられなかった、私が……」


 悲しそうにそんな事を話すイリユさんのお母さんを、イリユさんのお父さんは、そっと抱き寄せていた。

 私はその話だけで、イリユさんが深く愛されている事が分かる気がした。


 姫はその後、イリユさんの体調の事とか、イリユさんが療養所でどんな風に過ごしているかとか、そんな話を両親の人にしてあげていた。



「今日は、ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。あの子の話を聞かせて貰えて嬉しかったです」


 私達は、イリユさんの家を後にした。

 家の外に出たら、辺りはもうすっかり暗くなっていた。


「イリユさんは、両親の事を恨んでいるって言っていました。

 けれど私はやっぱり、イリユさんがそんな事を考える人には見えないです」

「そうかな……」

「そうですよ」


 私は、イリユさんも人間だし、理不尽な逆恨みをしてしまうような事があってもしょうがないと思う。

 でも姫は、なんか私とは全然違う事を思ってるらしい。


「私、もう一度イリユさんに会って、話が聞いてみたいです」


 そう言って姫は、宿とは全然違う方向へと歩き出そうとする。


「姫、どこ行くの?」

「今から、療養所に戻ります」


 ひょっとして姫は、今からイリユさんに話を聞きに行くつもりなのだろうか……?


「姫、もう夜だよ。明日でよくない……? 」


 この世界はに電灯などがないので、みんな日が登ると共に起きて、日が落ちると共に寝る生活をしている。

 だから、夜になっても出歩くのはあまり常識的な事ではない。


「イリユさん、もしかしたら今日の夜にまた熱を出して、明日には死んでしまってるかもしれません……。

 だから、今日じゃなきゃ駄目なんです」

「そう……」


 私は、流石にそろそろ帰りたい。

 そもそも私、さっきから別に何もしてないのに、わざわざ姫に付いて行ってる意味あるのかな……?

 そんなことを思っていると、頭の中に声が響く。


(リューリュさん、イルマさんがやっている事を、最後まで見届けてあげて下さい。それも、あなたの優しさの試練です)


 先に釘を刺されてしまった……。


「はーい……」


 私は、姫の歩く先に光の魔法を灯して、光源を確保してあげる。

 そして、少し早足で歩く姫へと、そのまま付いて行くのだった。



 イリユさんの家は聖域の中央にあって、療養所は聖域の隅っこにあるので、その間の道を行き来するにはそれなりに時間がかかる。

 なので道を歩いていたら、時間がどんどん過ぎていく。

 

 そうして、すっかり夜遅くになった頃。

 私達は、やっと療養所に到着した。



 療養所に付いた姫は、神官服へと着替えて、そのまま病室のイリユさんに会いにいく。

 私はそれに、ただ黙って付いて行く。


 そしてイリユさんの病室へと着いた。

 イリユさんは眠れていなかったらしく、まだ目を覚ましていた。


「どうしたの、こんな夜遅くに……」


 イリユさんは姫を見と、明らかに嫌そうにする。

 イリユさんに物を投げられてしまった日以来、姫はずっと、イリユさんに嫌われているのだ。

 けれど姫は、物怖じせずイリユさんへと接する。


「イリユさん、どうして両親を避けるんですか」


 イリユさんは顔をしかめ、ため息を吐く。


「あのさ、嫌いだからだって言ってたでしょ。この前にも……」

「私、イリユさんの両親に会ってきました。2人とも、あなたのことが今でもとても心配だって言ってました」

「……どうでもいいよ、そんなこと」


 イリユさんの声が、少し震える。

 やっぱり、本当にどうでもいい訳ではないらしい。


「ならどうして、動揺なんてするんですか……」

「嫌いなの……本当に……」


 姫は、イリユさんの目を真っ直ぐ見つめる。


「本当なら、私の目を見て言ってください」


 イリユさんは、姫へと向かって何かを言おうとした。

 けれど言葉が出てこなくて、結局そのまま、目を逸らしてしまった。


「イリユさん。あなたは本当は、お父さんの事もお母さんの事も、嫌いじゃないんですよね……?」


 突然何を言い出すのだろう。

 私はそんな事しか思わないが、イリユさんはそんな言葉を聞いた瞬間から、明らかに動揺し始めた。

 そしてそのまま、唐突に泣き出してしまった。


「お願い……、もう……出てってよ……」


 姫は、そんなイリユさんを真っ直ぐ見つめたまま告げる。


「少ししたら、またここに戻ってきます。それまで待っていて下さい」


 そして姫は、まるで使命感にでも駆られるように、病室を出て行った。

 私はただ後ろから、そんな姫へと付いて行く。


「私、今のではっきりと分かりました。イリユさん、お父さんとお母さんの事が、本当は大好きなんです」

「そうなの……?」


 なんで今のやりとりで、そんな風に思ったのだろうか……?


「リューリュさん、私これからもう一度、イリユさんの両親の所に行きます」

「え、なんで……?」

「どうしても、今直ぐ聞いておかないと駄目な事があるからです」


 姫はそれだけ言って、そしてまた歩いていく。

 あれ……、ひょっとしてまだ終わんないのか……?

 私はそんな事を思いながら、姫へと付いて行くのだった。



----



 そして、またしばらく歩いた。

 もうすっかりすっかり真夜中だし、そろそろ眠くて頭が回らなくなってきた……。

 私はなんとか眠気と戦いながら、姫の後ろに付いて行く。

 そして気がついたら、再び、イリユさんの家の前まで着いていた。


 姫は、扉の前に付いている鈴をカラカラと鳴らして、家の人を呼び出す。

 家の人は既に寝ていたようで、反応が遅かったが、しばらく待ったらイリユさんのお母さんが玄関へと出てきてくれた。


「何の用ですか……?」

「夜遅くにすいません。イリユさんの事で、どうしても聞きたい事があるんです。旦那さんにも起きて貰ってください」

「そうですか……」


 イリユさんのお母さんは、眠そうにしながらも、私達を家にあげてくれた。



 部屋の中で待たせて貰う。

 少ししたら、イリユさんのお父さんも起きてきてくれた

 そして全員が揃った所で、姫は2人へと話をする。


「一つだけ聞かせて下さい。お二人は、イリユさんの事を愛していますか?」

「それは勿論、愛してますけれど……」


 2人は、突然そんな事を聞かれて困惑する。

 けれど姫は、真剣な態度で話を続ける。


「イリユさんは、いい子供とは言えないかもしれません。

 あなた達には健康なお子さんが2人もいます。それなのにイリユさんだけが生まれつき体が弱くて、おそらくもう長くも生きられません。

 それにイリユさんは、心配してお見舞いにまで来てくれるあなた達に対して、酷い態度を取っています。

 それでもあなた達は、イリユさんの事を、本当に心の底から愛してくれていますか……?

 世間体とかではなくて、ちゃんとした、あなた達自身の気持ちを教えて欲しいんです」


 姫、何でそんな事聞くんだろうか……。

 私も、イリユさんのお父さんとお母さんも、姫の唐突な発言に戸惑う。

 けれど姫の表情は真剣そのもので、何か有無を言わせない迫力のようなものがあった。


「お願いします。イリユさんの為に、教えて欲しいんです……」


 まだ少し戸惑っていたが、それでもイリユさんのお母さんは、姫の真剣さを感じ取ったららしい。

 そんな姫の質問に、ちゃんと答えを話してくれた。


「他に子供がいるから、病気だから、わがままだから。そんな理由だけで、自分の子供を嫌いになんてなりませんよ」


 さっきまでとあまり変わらない、当たり障りのない答え。

 でもそれは、イリユさんのお母さんにとってのただ一つの本心なのだろうと、私にも思えた。


「お父さんの方は、どうですか……?」

 

 イリユさんのお父さんは、少しだけ悩んだあと、言葉を選んで話した。


「あの子は、少し不思議な所のある子です。

 子供らしい所もあるのに、妙に我慢強い所があったり。普段は大人しい子なのに、急にわがままになる事があったり……。

 療養所に入院した時もそうでした。それまでは私達に本当によく懐いてくれていたのに、ある日から突然一変して、急に冷たい態度を取って来るようになった。

 正直、あの子は自分の子供なのに、何を考えているのかよく分からない所があります……。

 けれどそれでも、私は妻の事を愛していて、そしてあの子はそんな妻との子供なんです」


 それも、イリユさんのお父さんにとっての本心なのだろうと、私には思えた。


 姫は、黙って2人の目を見た。

 2人は、さっきのイリユさんみたいに目を逸らしたりしなかった。

 そして姫は、それで納得出来たらしい。


「聞きたかったのはそれだけです。話をしてくれて、ありがとうございました」


 姫は、イリユさんの両親に深々と頭を下げる。

 そうしてその後。姫はイリユさんの家を後にした。



 家から出た姫は、当たり前のように、また療養所の方角へと向かう。

 私は何とか眠気を抑えながら、黙って姫へと付いて行った。



----


 

 私達は、療養所へと向かって歩いていく。

 中央街から療養所までは距離があるので、移動している間に、どんどん夜も更けていく。


 そして、もうこんな時間に起きてる人なんて誰もいないだろうっていうくらい、完璧な真夜中になった頃。

 私達はやっと、また療養所へとたどり着いた。

 


 姫は療養所の中へと入って、そして三度神官服へと着替え、イリユさんの病室へと向かっていく。

 私はただ、それに後ろから付いて行く。


 そして、病室に着いた。

 イリユさんは、もうすっかり真夜中なのに、まだ目を覚ましたままだった。

 たぶん、姫がまた来ると言ってたから、寝ようと思っても寝られなかったのだろう。


「こんばんは、イリユさん」

「こんな時間に、何しに来たの……」


 イリユさんは、姫へと警戒心をむき出しにする。


「イリユさん、少し、私の話を聞いてください」


 姫はそんなイリユさんへと、ただ、優しい声色で話をする。


「私は、両親とあまり仲がよくありませんでした。

 私のお父様とお母様は、とても立派で、厳しい人で、私はそんな両親と上手く距離を保つ事が出来なかったんです。

 そして私は、そんな両親との関係に耐えられなくなって、ある日、逃げるように家を出てきてしまいました……。

 だから、私は今でも、お父様やお母様に会う事を考えると、凄く怖い気持ちになります。

 けれどそれでも私は、本当は今でも、お父様の事もお母様の事も、大好きなんです。

 だから、私はあなたの本当の気持ちが、何となく分かるんです……」

「本当の気持ちって、何……」


 イリユさんはぼーっとしながら、姫へと適当に返事をする。


「病気になったあなたは、両親を悲しませたくなかったんですよね」

「……っ!?」


 姫のその言葉を聞いた瞬間。イリユさんの表情は、一瞬で凍りついた。


「その反応を見ると、やっぱりなんですね……」

「やめて……、もう……今更だよ……」


 えっと、どういう事なのだろうか……?

 眠いからなのか、私の頭があんまり良くないからなのか、2人がしている会話の流れがよく分からない。


「私、イリユさんの両親にさっき会ってきました。

 そして、聞いてきたんです。イリユさんの両親が、イリユさんの事を、本当に愛していくれているかどうか」

「や……やだ……、聞きたくない……聞きたくない……」


 イリユさんは、必死に耳を塞ぐ。

 なんかよく分かんないけど、他人が何考えてるかなんて知りたくないよね……。

 私も、お母さんが何考えてるかなんて教えられそうになったら、同じような反応をする気がする……。


「お願いです、聞いて下さい」


 姫はイリユさんの手を取って、耳を塞いでいるのを無理やりやめさせる。

 イリユさんの体は酷く衰弱しているので、どれだけ抵抗しても、あっけなくその手はどかされてしまった。


「他に子供がいるから、病気だから、わがままだから。そんな理由だけで、自分の子供を嫌いになんてなりませんよ」


「これが、あなたのお母さんの言葉でした」


「あの子は、少し不思議な所のある子です。

 昔から、子供らしい所もあるのに、妙に我慢強い所があったり。普段は大人しい子なのに、急にわがままになる事があったり……。

 療養所に入院した時もそうでした。それまでは私達に本当によく懐いてくれていたのに、急に冷たい態度を取るようになった。

 正直、あの子は自分の子供なのに、何を考えているのかよく分からない所があります……。

 けれどそれでも、私は妻の事を愛していて、そしてあの子はそんな妻との子供なんです」


「これが、あなたのお父さんの言葉でした」


 それは、さっき聞いてきたものと一字一句変わらない、全く同じ同じ言葉だった。


「う……あ……」

「大丈夫でした、あなたの両親は本当に、あなたの事を愛していましたよ……」


 イリユさんは、消え入りそうな声で呟く。


「駄目なの……、私は……嫌な子じゃないと……嫌われていないと……駄目なの……」

「もう、強がらなくていいんです……。そんなの、誰も幸せになんてなりません。

 だって、あなたが負い目を感じる必要なんて、最初から何もなかったんですから……」

「ぅぅ……ぁぁ……ぁぁぁ……」


 まるで、魔法みたいだった。

 姫の言葉を聞いたイリユさんは、まるで憑き物が落ちたかのように、姫に抱き付かれながら泣いていた。


(リューリュさん、意味が分かりますか……?)


 頭の中に、テテル様の声が響く。


「すいません、教えて下さい……」


 私は未だに、目の前で何が起こっているのか分からない。


(どうやらイリユさんは、自分が子供のまま死んでしまう事に対して、両親へと申し訳ない気持ちを抱いていたようです。

 そしてせめてもの罪滅ぼしとして、死ぬことで両親を悲しませない為に、嫌な子供を演じていたようです。

 本当は両親の事が大好きな自分の気持ちを、必死に押し殺して……)


 成る程。そんな事があったのか……。


「大丈夫……、全部……大丈夫だったんですよ……」


 姫はただ、イリユさんへとそんな事を言い聞かせる。

 

 姫はたぶん、イリユさんの両親はイリユさんの事をそれでも愛しているんだから、こんな事をしても誰も幸せにならないと、そんな事を告げたのだろう。

 イリユさんの両親に会いにいったのは、その事を確認する為だったのだ。

 

 イリユさんは、姫へと抱きつきながら泣き続ける。

 そして、何故か姫も一緒になって、イリユさんと泣いていた。



 私は姫を、自分と同じような人間だと思っていた。

 世の中に上手く迎合できない社会不適合者。そんな駄目な人間。

 けれど姫は、本当は私なんかより、遥かに立派な人間なのかもしれない。

 だって姫は、こんなにも人の気持ちが分かって、そして人の為に尽くす事が出来る……。


 私は、今の状況をやっと理解出来て、そして一つの疑問が浮かんできた。

 それは、物凄く個人的で、そして身勝手な疑問だった。


 私は姫の事を、唯一無二の友達だと思っている。

 私の側に姫がいてくれる事に、助けられていて、そして救われている。

 けれどこんなに立派な人間が、本当に何時までも、私なんかの友達でいてくれるのだろうか……?


 目の前の感動的な光景を眺めながら、私は、自分の疑問がやがて恐怖へと変わっていく事を感じていた。

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