17話 優しさの試練1
(リューリュさん、起きてください。もう朝ですよ)
頭の中に、テテル様の少し控えめな声が響く。
でも起きたくない。布団の外に出たくない……。
(リューリュさん、起きてください……)
だから私は、そのまま眠り続ける。
(テテル。リューリュは寝起きが悪いので、もっとはっきりと起こさないと駄目なのですよ)
頭の中に、スピカ様の声が響く。
(リューリュさん、起きてください、今日から優しさの試練ですよ、リューリュさん……)
そしてまた、テテル様の少し控えめな声が響く。
でも起きたくなくて、私はそれでも眠り続ける。
(うう……、起きて下さい……)
テテル様は、私へと必死でそう告げる。
なんか、眠っているのが申し訳なくなってきた……。
「うー……」
私はしょうがなく、体を起こす。
(よかった、やっと起きてくれました……)
ベットではなく布団が敷かれた宿の中。
私はぼけーっと、目を覚ましていた。
起きた後、姫と一緒に宿で朝食を取る。朝食の内容はお米とか味噌汁だった。
そして朝食を食べ終わった後、顔を洗ったりしてから、姫と一緒に外に出る。
(それでは、まずはその道を真っ直ぐ進んで下さい)
「はい」
「はーい……」
そして私達は、テテル様の案内に従って、療養所へと歩いていくのだった。
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私はてっきり、療養所みたいな施設は聖域の中央街にあるものだと思っていた。
けれどテテル様に案内された場所は、聖域の端の方だった。
(付きましたよ)
聖域の隅っこにある、少し丘になっている部分。そこに、木造の大きな施設が建っていた。
丘になっているから見晴らしがいいし、周りに物がないから静かで落ち着いた場所だ。
体を休めるには、たぶんこういう場所が最適なのだろう。
姫と一緒に、療養所の中へと入る。
(まず、向かいにある部屋に入って下さい)
テテル様に指示されれた通りに、向かいにあった部屋に入る。
その部屋には、衣服や仕事用の道具などが沢山置いてあった。
どうやらここは、職員の人の為の部屋ならしい。
(療養所は精霊教が管轄している施設なので、ここで働く人には、神官服を着替て貰う事になります。
既に服は用意してあるので、それを着てくださいね)
ヒテイ様に指示されて、用意されていた神官服に着替える。
着替え終わってから姫の方を向くと、姫は神官服を手に取ったまま、硬直してしまっていた。
「どしたの、姫?」
「……大丈夫、何でもないです」
姫はそう言うけれど、明らかに何でもない事はないだろう。
私はそんな姫を見て、思わず心配になる。
宗教と政治が一体になっているこの世界では、政治に携わる人なども仕事着として神官服を着ている。
だから姫のお父さんなども、神官服を着て働いていたのだろう。
そして姫は、周りから将来お父さんみたいな立派な人間になると思われていて、それがプレッシャーだった。
だから姫には、神官服を着ることに特別な抵抗があるのかもしれない。
でも姫は、少しだけ呼吸を整えて落ち着いた後、意を決してその神官服に着替えていた。
微妙な空気になりそうだから口では言わなかったけれど、神官服を着た姫は、とても似合っているように見えた。
(リューリュさんもイルマさんも、ここに来てまだ一日目なので、いきなり働けと言われても何をやっていいのか分からないと思います。
なのでまず最初の一日は、実際に神官の人達が働いている所の見学をして貰いますね)
「はい」
「はーい」
そして私達は、まずは最初の一日は、療養所の様子を見学させて貰う事になった。
テテル様に案内されながら、色んな場所を見て回る。
療養所は、院内は清潔に保たれているし、患者一人一人に対して一つの個室が用意されているしで、結構快適そうな環境だった。
この世界では、精霊様達の意向で、人権というものが非常に大事にされている。
だからこの療養所も、病気で苦しんでいる人がちゃんと休めるように、色々と配慮されているのだろう。
そして、入院していた人の人数は30人くらいだった。
この世界にはまともな医療技術がないが、代わりに魔纏の力がある。
なので、寝たきりにならないといけない程重い病気にかかったりする人の割合は、それほど高くない。
だから、人数はこのくらいで収まっているらしかった。
療養所を案内して貰っている途中。
私達の前で、神官服の人が患者の人に話かけながら、何やらメモを取っていた。
何か仕事をしている事は分かるが、具体的に何をしてるんだろうか……?
そんな事を思うけれど、その内教えて貰えるだろうとも思う。
「テテル様。あれは何をしているんでしょうか……?」
すると姫が、テテル様へとそんな事を質問した。
(あれはああやって、患者の人の健康状態を調べている所なんですよ)
「そうなんですか」
そんな2人のやりとりを隣で聞きながら、なるほどとと思う。
そして自分から質問をしていく姫に、私より姫の方がやる気あるなぁと思う。
私達はそんな風にして、まず最初の1日は、テテル様から色んな事を教えて貰っていたのだった。
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療養所で働き始めてから、10日くらいが経った。
私達は少しずつ、働き方のペースなども掴めてきた。
私は他人と接するのが苦手だし、元々無理やりやらされている事なので、そこそこといった感じで頑張っていた。
そして姫は、私よりもやる気に満ち溢れていて、毎日懸命に働いていた。
そんなある日の、お昼頃の事。
初老の男の人が、ベットの上で寝たきりになりながら、お腹が痛いと周囲に訴えていた。
あまりにも何度も言うので、我慢して下さいと看護師の人に注意される。
男の人は本当に痛い事を訴えるが、治療方法なんてないし、実際我慢して貰うしかしょうがない。
その男の人は、その後もずっと痛みにうなされ続けていた。
そして、夕方になった。
療養所の勤務時間は夕方までなので、私達は何時も通り、宿に帰る時間になる。
準備室に向かって、神官服から普段着に着替える。
そして私は、今日も疲れたなぁと思いながら、そのまま宿に帰ろうする。
けれど姫は、何故かその場でじっとしたまま、私に付いてこようとしなかった。
「どしたの姫?」
「私、やっぱりあの人が心配です……」
あの人とは、今日1日腹痛を訴えていた人の事だろう。
「やっぱり私、今日はここに残る事にします」
姫はそう言って、そしてまた神官服に着替えだした。
「そっか……。じゃあ私、先に帰ってるね」
「はい」
私は早く帰りたかったので、姫と別れて1人で帰ろうとする。
すると、頭の中に声が響く。
(リューリュさん、イルマさんも残るんですし、残ってあげてください)
「えー……」
もうすっかり帰れる気でいたのに、そんな事を言われて戸惑う。
夜まで頑張るなんて嫌なんだけど……。
(お願いします、リューリュさん……)
本当は断りたいけれど、テテル様に頼まれたならしょうがない。
これも、優しさの試練の一環なのだろう……。
「はーい……」
私はしょうがなく、姫と一緒に療養所に残る事にした。
「リューリュさん、ごめんなさい。私のせいで一緒に残らないといけないみたいになってしまいました……」
「いや、別にいいいよ」
姫は立派で、ここで帰ろうとした私が薄情なだけなのだし……。
神官服を着た姫は、腹痛を訴えていた人の部屋へと戻る。
そして私は、ただそれに付いて行く。
腹痛を訴えていた人は、とても心細かったらしく、姫が残ってくれる事に深く感謝していた。
そして姫は、夜が更けるまでずっと、その人の背中をさすったりしてあげていた。
そんな風にして、私はそこそこで、姫は一生懸命に働いていった。
そうしてまた、1ヶ月くらいの時が流れた。
姫が1日看護をしてあげた人は、その日を境に体調が回復していって、そしてとうとう療養所を退院出来る事に事になった。
その人は療養所から退院する時、姫が一生懸命看護をしてくれた事に、とても丁寧にお礼を言っていた。
姫は、その人の見送りをした後、私の所に戻ってくる。
「褒められてしまいました……」
そして、戸惑いながらも嬉しそうに、私へとそんな事を呟いていた。
私は、そんな姫を見ながら思う。
姫はずっと、周りの期待に上手く答えられず、そのせいでストレスを感じながら生きてきた。
だから姫は、こうやって誰かに褒められたり必要とされたりすると、特別に嬉しいと感じるのかもしれない。
現に姫は、この療養所に来てからずっと一生懸命に働いているし、療養所で過ごしている事も楽しそうに見える。
「よかったね、姫」
私はただ、そんな事を素直に思う。
「はいっ」
その時の姫は、私が今まで見たこともなかったくらい、嬉しそうにしていた。
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それからまた、数日が経った。
私は何時も通り、療養所で患者さんのお世話をする。
仕事の流れの中で、ある一室を訪れる。
その部屋の中では、私よりも一回り小さな女の子が、ベットの上で退屈そうに窓の外を眺めていた。
この療養所にお世話になっている人は、殆どが年を重ねて体が弱くなった人達だ。
けれど中には、生まれつき体が弱かったりして、まだ若いのに入院してしまっている人もいる。
その中でも、今私の前の前にいるイリユさんは最年少で、年はまだ姫と同じ13歳ならしい。
「イリユさん、何か体調が悪い事とかありませんか?」
私は仕事の一環として、そんな事を尋ねる。
「大丈夫だよ。体調なんか何時も悪いし……」
私の発言が少し癪に触ったのか、イリユさんは不機嫌そうに答える。
定型文なのだから勘弁して欲しい……。
「それじゃあ、散歩に行きますか?」
「うん。よろしく……」
療養所では、体だけではなく、患者さんの心のケアをするのも大切な事だ。
そしてイリユさんは、散歩が趣味ならしいので、定期的に療養所の外を散歩する事を要求している。
けれど一人で散歩なんてさせていたら、いつ倒れるか分からないので当然危ない。
なので、イリユさんの散歩に付き添ってあげる事が、私の今からの仕事内容だった。
イリユさんは、ベットからしんどそうに起き上がる。
そして、少しふらふらとしながらも、なんとか自分の足で地面に立つ。
イリユさんは、生まれつき体が凄く弱くて、しかも年を重ねる事にどんどん衰弱していっているので、もう立って歩くだけでも重労働ならしい。
けれどイリユさんは、散歩をする為に頑張って、療養所の外に歩いていく。
なので私は、イリユさんが倒れたりしないように見守りながら、後ろへと付いて歩いていった。
イリユさんは歩いて行って、私は黙ってそれに付いて行く。
療養所は聖域の隅っこにあるので、療養所の周りには、特に何もない田園の景色が広がっている。
そして道に咲いている桜の花は、そろそろ夏になるから、もう大分散ってしまっている。
そんな場所を2人で歩いていたら、イリユさんが私へと、話しかけてきた。
「リューリュさん。あなたって、他人が苦手でしょ」
「……分かるんですか?」
「見てれば分かるよ、そのくらい。
だってリューリュさん、あんまり他人の目を見ようとしないもん」
私は、他人の目を見ていたら不安になるようなタイプだ。
だから言われてみれば確かに、他人と目を合わせないようにしている所があるかもしれない。
しかし私って、やっぱり周りから見ても、そんな風に見えてるのか……。
「リューリュさんって、どうして勇者なんてやってるの?」
療養所にいる人達は、みんな私が勇者だと知らされている。
だから、こうやって患者さんに自分の事を話さないといけなくなるのも、割とよくある事だ。
「私、凄い魔力の才能を持ってたらしいんです。
だから、精霊様にやれって言われてやってるんです」
「じゃあつまり、無理やりやらされてるだけなの……?」
「まあ、そうですけど……」
スピカ様達に強制されていなかったら、私はこんな事絶対にやっていないと断言出来る。
だって私は、世界を救うために頑張りたい気持ちとか、そんなの全然持っていないのだから。
「何それ、そんなの楽しいの?」
「いやまあ、別に、楽しくはないですけど……」
「じゃあ、何で断らないの?」
「私が勇者になる事は、精霊神様に直々に命じられてる事ですから……」
私だって、断れるなら今すぐにでも断ってるよ……。
「あなたは勇者なんだから、この世界で一番強い力を持ってるんでしょ?
それなのにどうして、精霊様に逆らったりしないの?」
「精霊様は、力で逆らえるような相手じゃないですから……」
精霊様に逆らうのは、法律に逆らうのと同じような事だ。
私は人の世界で生きているのに、そんなものに逆らってもしょうがない。
「そうなんだ……」
イリユさんは、ただつまらなさそうに話す。
「精霊様からこの療養所に勇者様が来るって聞いて、どんなに凄い人なんだろうって思ってた。
だから、あなたが思ってたより情けない人でがっかり。もっとかっこいい人がよかったな……」
「うう……」
私が情けない人間なのは、私が一番よく知っている。
だから返す言葉がない……。
「でも、私の看護をしてくれる人としては、あなたくらいが接しやすいのかもしれないね。
よく考えたら、あんまりキラキラした人がきてても、それはそれで反応に困ってた気がするから……」
イリユさんは、私へとそんな事を話しながら、弱々しい動作でその場所に座り込む。
しばらく歩いたから、疲れてしまったのかもしれない。
「ねえリューリュさん、せっかくだし、ラグラハ以外の聖域の話を教えてよ。私の心のケアをしてくれるんでしょ」
イリユさんは、少し冷たい態度で、私へとそんな事を催促する。
私はそんなイリユさんに、仕事として気を遣いながら接してあげた。
そうして、一通り話をした後。
イリユさんは、私の話を聞けて満足したらしく、また自分の力でなんとか立ち上がって、療養所へと戻っていった。
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それから、また数日が経った。
私は何時も通り、優しさの試練を続けながら、療養所の廊下を一人で歩いていた。
「帰って!!」
すると突然、近くの部屋で大きな怒鳴り声が響いた。
私は何事かと思って、大声のした方向を振り向く。
すると、イリユさんの個室から、大人の男の人と女の人が出て行った。
「テテル様ー」
(……どうかしましたか?)
「さっき出て行ったあの人達、誰だか分かります?」
私はとりあえず、テテル様を呼び出してみる。
(あの人は、イリユさんの両親の方々です)
なるほど、イリユさんのお父さんとお母さんだったのか……。
せっかくお見舞いに来てくれたのに、なんで追い出しちゃったんだろうか?
「テテル様、なんでイリユさん怒ったのか、分かりますか?」
こんな一個人の事情まで把握しているのかは分からないが、とりあえず聞いてみる。
するとテテル様は、その事をちゃんと知っていたらしくて、私へと答えを返してくれた。
(あの子は、自分の親の事を嫌っているみたいです。自分を弱い体に生んだ両親の事が、どうしても許せないらしくて……。
だからたぶん、親がお見舞いに来た事自体に怒ったんだと思います……)
「そうなんですか……」
両親もわざと弱い体に生んだ訳じゃないだろうに、ちょっと身勝手だなと思う。
けれど、それは当人にとっては凄く大きな事なのだろうし、ただの他人である私が口を挟んでいい問題じゃないだろう。
そんな事を考えていたら、姫が別の部屋から出てきて、私の方へと駆け寄ってきた。
「何かあったんですか?」
「イリユさん、自分の親が来たのに、追い出しちゃったんだって」
「そうですか……。あの子、また……」
私の話を聞いた姫は、そんな独り言を呟いた。
どうやら私が知らなかっただけで、イリユさんが親と不仲なのは結構みんな知ってる事ならしい。
「私、ちょっとイリユさんと話してきますね」
姫はそう言って、そのままイリユさんの病室に入って行ってしまった。
姫、何をするつもりなんだろうか……?
私は少し心配になったので、そのままその場所で、聞き耳をたてておく事にした。
部屋の壁を挟んで、2人の会話が聞こえてくる。
「イリユさん、お母さんが来てくれてたのに、追い出しちゃったんですか……」
「そうだけど、何……」
「イリユさん、本当にお父さんとお母さんの事、嫌いなんですか……?」
「当たり前だよ。こんな酷い体に産んでおいて、なんで白々しく会いに来れるのかな……」
「お見舞いに来てくれるなら、お父さんもお母さんも、きっとイリユさんの事を愛してくれているんです。
それはきっと、とても幸せな事です。
それなのに嫌うだなんて、そんなの、勿体無いですよ……」
「何……? お説教なら、別にいいんだけど」
言動こそ冷たいものの、姫の言葉に全く思う所がない訳ではないらしい。
イリユさんの声は、少し震えていた。
「それに本当に嫌いなら、怒ったりしないでもっと冷たい態度を取る筈です。
イリユさん。あなたが本当にお父さんとお母さんの事が嫌いなように、私は見えないです……」
姫はそんなことを、イリユさんへと話す。
少し踏み込み過ぎじゃないだろうか。そんな事を思った瞬間、イリユさんの態度がまた一変した。
「何も……知らない癖にっ……! 私の心に触らないでよっ!!」
そして、どたどたと物音がした。
私は魔纏の気配探知の力があるので、壁の向こうで何が起こったのかが分かる。
イリユさんが、近くにあったものを姫に投げつけたのだ。
そして姫は、イリユさんの病室から出てきた。
「怒られてしまいました……」
姫は私へと、悲しそうに呟く。
私はそんな姫へと、諭すように話す。
「姫の言いたい事も、何となく分かるよ。私も姫と同じような事思うもん。
でも、私達は所詮他人なんだからさ、そういう部分にまで踏み込むのはあんまり良くないと思うよ……」
そんな事をしても、他人の為になるかどうかは分からない。
そしてそれ以上に、他人相手に一々そんなに丁寧に接していたら、自分が疲れてしまう。
「そう、なんでしょうか……」
姫はイリユさんの病室の方を見ながら、とても悲しそうにしていた。




