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白光  作者: タカノメイ
7/8

哀しいような幸せな夢を見る。






いつの間にか眠ってしまっていることが多く、

ふと瞼の裏で日光を感じ取ってなんとか目を開くと

胸の奥が綺麗な水で浸ったような気分になる。

冷たくも熱くもないその水はとても軟らかく、私を傷つけないと分かっていても

妙にもの哀しく、その癖、理解のできない幸福感を味わう。

そんな目覚めを迎えた日は、一日中その哀しい幸せが私の心臓ら辺で時々波立つ。







初めてその肌に触れた。







私は招かれるままに男の、修悟のピアノ教室に来た。

自宅の一室に構えられたその部屋は南向きで、ひどく日当たりがよさそうだったが、

梅雨がまだ明けぬ曇天の空から差し込む光は鬱々と鈍く、掠れた灰色で部屋を満たす。

こじんまりとした部屋の真ん中には、この部屋の主人であるといわんばかりの

威厳を持った黒いグランドピアノが、丁寧に手入れされた状態でそこに在る。

修悟はピアノ用の椅子に腰かけたまま私を見上げ、

私はその彼の横に立って、自分の指を彼の方に差し出していた。




女の人よりも肌理が細かいのではないかと思われるくらいに

滑々としており、弾力があった。

私のその唐突な行動に驚くこともせず、彼の頬を触る私の手に自分の手を重ねる。

ピアノ講師であるが故に手の平の皮膚も肉質も肉体労働知らずの軟らかい手だ。

「何で笑うんですか?」

「いきなりだなって」

「ただ触りたいと思ったから」

ずっとその肌に触れられたら、と夢さえ見た。

最近は毎日のようにそんな夢を見た。

私はどうしても彼の、修悟の美しい顔立ちの1つ1つをなぞりたくて、

とりあえずは白磁のように美しい頬の色に惹かれてそっと手を触れる。

そうすると彼はさっきと同じように笑って私の手のひらに自分のものを重ねる。

あ、笑った。

そう思った瞬間に私は、哀しみを夢から引っ張ってきたまま現実の世界に目を開く。





私は彼の黒曜石のように、鋭く黒い光を孕む瞳にキスをした。

何をしているのだろうと一瞬頭の中を過ぎったが、今現在の私の行動は

私の衝動に酷く忠実だった。

「哀しい色」

純度が高すぎるその瞳は全てを見透かしているみたいに見える。

私はピアノの椅子に腰かけたまま彼の頭を抱き締めた。

彼は嫌がりもしなかったが、たったままの私の腰にあえて腕を回そうとしなかった。

泣いているのか、この状態を滑稽だと笑みを浮かべているのかさっぱり分からなかったが、

私はただこうしていることだけで十分だった。

胸の中でゆれる綺麗な哀しみの水が排水溝を見つけて、

少しずつ少しずつどこかへと零れていく。



目の前で彼のふわふわな髪が、私が力を込めるごとに揺れた。

黒い眼と正反対のように甘ったるい色だった。

彼と初めて出会った桜並木の光をうちにいっぱい孕んだような、

甘い甘いミルクティのような、そんな綺麗な茶色だった。

(愛おしい色)

彼と初めて出会った桜並木で彼が連れていたゴールデンレトリバーのような

柔らかさと光は、私の心をとても心地のよい温泉のようなもので満たし始めた。

「あの子は元気ですか?」

私は巻きつけていた腕を放して彼の顔を見た。

「元気だよ、隣の部屋で寝ていたはずだけど」

言い終わる前にかつかつと爪を立てて、こちらに向かってくる音がした。

中途半端に開けられた扉からゴールデンレトリバーはこちらの様子をうかがう。

「おいで」

と、彼が声をかけると、ゆっくりした足取りでゴールデンレトリバーは近付き、

慣れたように彼の足元で伏せた。

フワフワとした毛並みが床の上に広がった。

人より早めの呼吸と鼓動が腹を上下に動かさせ、そのたびに毛が揺れる。

修悟のゴールデンレトリバーを見つめる瞳は慈しみで満ちていた。









私はまた彼の頭をぎゅっと抱き締める。

胸の中に溜まった温泉が溢れ出して、何故だろう、涙になった。


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