緑
目の冴えるような緑に思わず目を細めた。
ずっとずっと高校卒業までの18年間見続けてきた風景にも関わらず、
懐かしさと共に初めて見るような新鮮な感動を覚えた。
まだ離れて3年も経たないというのに、意外と簡単に記憶が薄れていくものかと
少しもの寂しく思った。
例えば私が日本人の平均寿命を全うするとして、
大学生である今の私が体感する感動や悲しみといったあらゆる情景を
どこまではっきりと覚えていられるのだろうか。
中には奥底にしまって鍵をかけたままどこに置いたかすら忘れてしまった
おもちゃのような記憶もあるのだろうし、
年を重ねるごとに脚色して実際とは程遠くなってしまう記憶もあるのだろう。
このままの感情を切り取って額縁にしまっておきたいと何度祈ったことか。
私は絵のように切り取った感情を眺めることでそのときの記憶を
思い出しては懐かしみたかった。
一方で、記憶が記憶として薄れたり変わってしまっていけるからこそ
人は大人になっていくのだろうと妙に悟ったような気分にもなった。
子供の時の無邪気さや鋭敏な感性、影響を恐ろしく受け易い模倣性。
どれをとっても大人であるためにはあまりにも人というものを脆くしやすいものだ。
私もきっと小学校の頃の私と同じようで同じじゃない。
基本的な性質を受け継いでいるとは言え、見ている世界も経験値も全く異なる。
今見ている世界が決して広いとは思わないけれど、
3年前の私は狭い庭の住人であったことは確からしい。
雫によって煌めく木が作るアーチを軽快にくぐりぬけてゆく、黒のボックスカー。
若者が好みそうな車を乗ることが少し意外に思えた。
「私、ここの出身なんです」
「実家はもっと市街地の方なのですけど」
要らないことばかり喋る口。
この男にとってまるで興味のない話題なのかもしれないけれど、
感傷も合間ってか、普段からそれほど饒舌ではないのに
やたらと言葉が次から次へと出てきた。
「小さい頃はよくドライブにこっちの方まで連れて来てもらって」
「そう」
タイヤが水溜り跳ね飛ばすぴしゃりという音がした。
「そういえば、小学校から高校までピアノもならってました」
展望台に着くまでの数分間、なんて実りの無いと自分に絶望しながらも
私は喋り続けた。
男は適当な場所に車を横付けた。
促されるままに車から出ると、新鮮な空気が肺一杯に満たされる。
雨あがりの山は潤い、湿り気を帯びながらも不快感どころか心地よい。
「ピアノ講師を始めたのはたまたまだよ」
車内で終わったと思っていた会話は意外にも男の一言によって続行された。
「たまたまですか?」
「そう、口喧しいお節介焼きの伯母様にむりやり」
私は思わず笑った。
時間を共にするにつれてこの男というものが少しずつ分かってきた。
当たり触りない物腰の柔らかそうな振る舞いは体裁を繕っているだけで、
実はかなりの皮肉屋らしい。
そんなこの男と彼曰く「口喧しいお節介焼きの伯母様」のやり取りは
あまりにも想像に容易くて、ドラマのワンシーンにでも有りそうで妙におかしかったのだ。
「あまり笑わないでくれる」
「すみません」
私は1回深呼吸をして、笑いを抑える。
当たり前なのだけれど、この男がひどく人間らしいと思った。
皮肉げに知り合いの顔を思い出しては愚痴をつくなど、なんて人間らしいのだろう。
出会ったあの日の印象が嘘のようだった。
消えてしまうのかと思ってた、近づいてはならないのかと思っていた。
それなのに、こんなにも普通だ。
同等に、それだけでは言いようのない違和感を覚えた。
見知らぬ他人との接し方からだけでは生み出されない空気感を私は違えたりしない。
ふと男の表情をうかがった。
「何?」
薄く微笑する顔にぞくりとするようなものを感じた。
やはり違和感は間違えではなかったようだ。
確かにこと男は人間で、人間らしい言葉も交えるし表情も浮かべる。
しかし、人間を逸してしまったような無機質さを抱え込んでいるのだ。
「もう何年前のことだろう」
男はぽつりとそう呟やくと、以降、その話を口に出すことはしなかった。