怪しい母の怪しい「ただいま」
ようこそ『怪しい母の館』へ!
大変長らくお待たせ致しました。新館オープンでございます。
お待ち下さっていた方も、そうでない方も、ごゆるりとお過ごし下さいませ。
尚、前作を目次ページにリンクしておりますので、興味がおありの方は、旧館の方へそのままお越し下さいます様、伏してお願い申し上げますm(__)m
☆はじめに☆ (はじめましての方向けご案内)
私は、ここ「なろう」において低年齢向け(だと思っている)童話をメインに書かせて頂いている。……と書くと、沢山投稿しているようだが、お話が勝手に降臨してくれないと全く書けないので、作品数はとても少ない。しかも短い。
そもそも何故童話だったのか。それは、初投稿となるお話が頭の中に居座った時、カテゴリーをファンタジーにするか恋愛にするかと悩んでいたら、長年に渡り趣味の一環でやってきた小学生以下の子供向けの「読み聞かせ」で出会った子供達の笑顔が浮かんだからである。単純な私は、そうだ! 童話で送り出そう! となったのだ。
しかし、私自身はピュアには程遠いおばちゃんである上、小学校中学年以下くらいまでの子供達が自力で読める様にとなると、実際に読むのかは別として、作品対象年齢の子供達が無理なく分かる漢字や表現にどうにもこだわってしまうので、結構ストレスが溜まるのだ。
そこで私の中の悪魔が囁いた。
「ひょっとしたら、こんなおばちゃんのたわごとを、面白がってくれる勇者がいるかもしれないじゃん?」
こうして始めた「怪しい母」なのだ。偉そうな文体や、中味がないことに対する言い訳、何故このタイトルになったのかは、前作の第一話を読んで頂けたら幸いである。そこには警告も書かれているので、ご確認の上、駄目だと思ったら迷わずブラウザバックされる事をオススメする。この先私が書いていくであろう事は、我が家の日常などの私から見て面白いと思った事だけで、何ら人様の為になる様な高尚成分が、残念ながら皆無であるからである。
さて、ここに出て来る登場人物は、主に三人だ。絶賛就活中の大学四年の長女A、ピカピカの高校一年生になったばかりの長男B、そしてそれらの母である、最近姑介助の為の通勤をしていて、ヨレ気味な私自身である。
この我が子達だが「しもべ」と呼んでいる。本人達がスネかじりをしている以上、呼び名に対する拒否権は認めない。……と言っても、私がこれを書いているのは知られていない筈なので、しもべ達が憤慨する要素はないはずなのだが。
ーーでは、本文を始めよう。
☆あれから☆ (「仕方ない、たわごとだが聞いてやろうじゃん!」「なんだ、あのおばちゃん生きてたの?」「そういえば、しもべ達は元気?」 な勇者の方向け)
長い春休みが終止符を打った途端、私の心臓は歓喜した。軽くスキップくらいはしたと思う。
いやはや長かった。連日通勤電車に揺られ、そもそも帰宅する頃にはぐったりして、執筆の余裕もなかったのだが、それとこれとは違う。肉体的には徐々に通勤に順応し始めていたが、たまの休日にもしもべ達のいずれかが常にいるのは、思いのほか私の負担になっていた。プライベートな空間がないというのは、なんて窮屈なのだろうと自分でも驚いた。
我が家はマンションである。何故か開放的な我がしもべ達は、自室のドアを開け放っている。したがって、誰が何をしているのかが筒抜けなのである。どちらか一方が在宅している場合、当然ながら執筆が出来ない。相変わらずコンロ前に陣取っている私だが、まるで生存確認するが如く、突然しもべ達が声をかけてくるのである。
「ねえ、ねえ、知ってる?」
「知らない」
「だからさあ~、アレがね?」
と、どうでも良い様な安否確認をされるので、落ち着いて読むことさえままならないのだ。しもべにしてみたら、やけに静かな母が気にかかるのかもしれないが、「ほっといてくれ」と、まるで自分が反抗期真っ只中に戻った様な気分であった。読み書きできない事が、これ程辛いとは思わなかったのだ。
『求む! プライバシー!』
こんな貼紙をどこかに貼りたくなった母である。
そんなジレンマも、ようやく終わりを告げた。その日も冷たい雨の降る、そして寝不足気味の朝であったが、私の心は晴れやかであった。「あと少し、あと少し」そんな言葉がメロディー付きで頭の中を駆け巡っていたのだ。真新しい学ランに身を包み、不安と期待の入り混じった顔をしたBと共に門をくぐると、大きな満開の桜の木が我々を迎えてくれた。そう、入学式なのだ。
少し早く到着しすぎたらしく、まだ人影もまばらだったので、これ幸いと校門や桜の下にBを立たせ写真を撮る。少しくらい、にこやかな顔をすれば良いのに。誰も見てないんだから。撮った写真を早速メールで伴侶に送ったが、珍しくすぐに返信が返ってきた。
「馬子にも衣装」
……ちょっと違う気がする。
そうこうしているうちに、人も増え、ようやくクラス分けが発表されたようだ。Bの中学校からは七名が合格したので、誰かと一緒になると良いなあ~。そんな事を言っていたBだが、残念ながら一人も同じクラスにはならなかったらしい。
心持ち落ち込んだ様子のBと別れ、保護者は先に体育館へと入る。寒い。とんでもなくそこは寒かった。ただでさえ雨の中でかなりの時間立っていたので冷えきっており、何の苦行なんだ! と、コートにストールを巻き付けたまま着席する。周囲の人々も同様である。どうやら式が始まったら脱げば良いかと思った保護者がほとんどのようだった。
誰もがダウンやトレンチコートを纏ったままの体育館は、壇上にある国旗と県旗以外、入学式らしさは欠片もない。知り合いもいないので、皆様押し黙ってスマホをいじって過ごしている様だ。
私? せっせとメモ帳にネタを書いていた。紙の手帳である。だがすぐに終わってしまい、それでもあまりにヒマだったので、スマホを取りだし「なろう」のブクマ更新分をありがたく拝読させて頂く。今考えると、一人ニヤニヤしていたかもしれない。まあ、声を出して笑わなかっただけ良かったのかも。
さて、ようやく始まった入学式だが、在校生は一人もいなかった。先生方も一年担当だけ。何とも静かで粛々と始まり粛々と終わった式であった。ちなみに寒さはそのままだった為、保護者は誰一人コートを脱がなかったから、傍から見たら入学式とは思わなかったかもしれない。そんな中、私は戦慄していた。
壇上に上がった一年担当教師陣の顔触れを何気なく眺めていたところ、どうも何処かで見たような顔があったのだ。紹介が進む中、私は思わず心の中で「げっ!」と叫んでいた。声を出さなかった自分を褒めてあげたい。危うく静まり返った会場内に蛙の鳴き声が響くところであった。なんと高校三年の時の国語教師兼副担任がそこにいたのである。
実は、Aの高校にも私の過去を知る教師が居たのだ。それもAの担任として。彼は、私の高校の部活の顧問の一人であった。しかもどうやら私はあまり成長していないらしい。妙に嬉しそうな顔をして近付いてきたが、私は彼を苦手としていたのである。その年の終わりに依願退職したと聞いて、これでイロイロばれる危険がなくなった! と、ホッとしていたのに。
因果は巡るってこういう事か? 卒業してから30年以上も経って、当時の先生がまだ残っているとは……ええと、副担任とはさほど接点は無かったよな~? どうかBと関わりません様に。高校時代の黒歴史が私の脳裏を駆け巡る中、式が終了した。
こうしてBは無事高校生活をスタートさせ、大学の長い休みを終えて、Aも最終学年へと突入した。義母の調子は一進一退であるが、ポツポツと休みを取れる様にもなって来ている。隙間時間を見つけて、執筆する時間も徐々に持てる様になってきて、ようやく一段落である。
かの国語教師は、幸いな事に担任でも国語担当でも無かったらしい。このまま接点無しに穏便に三年間過ぎる事を願っている。いるが、Bよ。一々「"母の"先生」と呼ぶのは止めて貰いたい。
式前日の夜、持ち物を確認して「雑巾四枚」という自筆のメモを見つけ、慌てて夜中に雑巾四枚を手縫いするハメに陥り、寝不足で盛大なクマを作った、相変わらず残念過ぎる私であるが、宜しかったらこの後も、おばちゃんのたわ言にお付き合い頂けたら幸いである。
『挑戦し失敗する事を恐れるよりも、挑戦しない事を恐れて欲しい』
これは、Bの入学式で着任したばかりの校長先生から新入生に向けられた言葉であるが、この有り難いお言葉を皆様と分かち合いつつ、記念すべき復活第一回目を締め括る事とする。
ご滞在下さってありがとうございました。
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*次回更新予定*
6月12日(金)夜10時
怪しい母がお待ちしております。