お見舞い
11
今日は僕の幼馴染だという人達が来るはずだ。どんな人達なんだろう。そろそろ来る頃だと思うんだけどな。
なんて事を考えてたら扉の開く音が聞こえた。期待と不安と緊張と。いろんな感情が混ざって僕の胸の鼓動は自然と早くなっていた。
「凪紗!」
扉が開いてすぐに僕はやわらかな衝撃に襲われた。ポニーテールが特徴の快活そうな女の子に抱きしめられていた。
「え、ちょ、ちょっと。落ち着いて」
「凜音、落ち着け。一応病人なんだぞ」
凜音と呼ばれた女の子を制すように後ろから男の人が現れた。
「あ、ごめん。大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫だよ。それで、えーと君たちが僕の幼馴染の凜音ちゃんと天誠君で合ってる?」
「……エリスちゃんに聞いてた通りだな。お前、記憶無いんだって?」
「うん。どうもそうみたいなんだ」
「本当に何も覚えてないの? あたしの事も?」
「……ごめん」
「そっか……。ごめんね、来たばっかだけど今日はちょっと帰る」
凜音ちゃんは俯いたまま部屋を出て行った。
「悪いな。凜音にはちょっと時間が必要みたいだ。病院に来る直前の事は覚えてるか?」
「病院に来る前の事は何も覚えてないんだ」
「まるでマンガだな。いいか、俺達は凜音とひたぎちゃん、エリスちゃんとお前で夏祭りに行ってたんだ。ひたぎちゃんとエリスちゃんはわかるよな?」
「うん。昨日お見舞いに来てくれたからね」
「そしてだ。祭りの翌日、俺達のたまり場であるお前の家に行ったら、玄関でお前が倒れてたのを俺が発見したんだ。あんときゃホントにびっくりしたぜ。記憶喪失ってだけであんなんなんだ。凜音が現場に居なくてよかったよ、ホント」
「そうだったんだ。助けてくれてありがとう」
「おう。それはいいんだけどさ、お前、さっきからその喋り方どうした?」
「喋り方? どこかおかしいかな?」
「おかしい。まずお前は僕なんて言わないしもっと口が悪かった」
「そ、そんな事言われったって」
「まあ、記憶が戻れば自然と元に戻るだろ。一応意識してみろ。そういう所から記憶が戻るかもしれないしな」
「努力はしてみるよ」
「それで? いつ頃退院出来そうなんだ?」
「体自体に異常は見られないからすぐ退院出来るみたいだよ。記憶喪失の方も心因性だろうって。エピソード記憶だけが消えた状態だから日常生活には支障はないと思う」
「そっか。そのエピソード記憶ってのはなんなんだ?」
「僕もよくわからないけど、いつどこで誰と何をしてたのかって記憶らしいよ」
「はーん。お前もつくづく難儀な人生を送ってるな」
「僕は前にもこんな事があったの?」
「まあな。記憶喪失はなかったけどさ、ついこの間も滝で溺れたしな。思えばその時からお前の様子はちょっとおかしかったんだ」
「おかしいって?」
「忘れっぽかったんだ。夏祭りの時はそれが顕著に現れてたから病院に連れて行こうと思ったんだけど、お前が頑なに大丈夫だって言ってたから油断してた。すまん。俺があの時無理にでも病院に連れて行ってたらこんな事にはならなかったかもしれない」
「無理ないよ。大丈夫って言われたらどうしようもないからね」
「すまんな」
「なんか昨日から謝らてばっかな気がするよ。ひたぎも僕に謝ってたし」
「ひたぎちゃんが? どうしてまた?」
「なんか僕が記憶喪失になるってわかってたのに止められなかった、みたいな事を言われて謝られたんだよ。どういう意味かわかる?」
「うーん。多分俺と同じでお前の様子がおかしいのに気づいていたって事じゃないか?」
「そうなのかな」
うまく言えないけど多分違う。彼女が言っていたのはそういう意味ではないと思う。どういう意味かと聞かれたら答えられないけど、天誠のとはニュアンスが違った。
「まあ、あの子はいろいろと意味深な事を唐突に口走るからな。いわゆる不思議ちゃんってやつだ。いい子なんだけどな、いまいち何を考えてるのかわからない」
「そうなんだ。昨日話した時はそんな感じはしなかったけど」
「あいつはお前にだけは何か特別な感情を持ってる。本人の前では言えないけどいい機会だ、言っておく。あんまり深い仲にならない方がいい。これは幼馴染としての忠告だ」
「う、うん。よくわからないけど、わかった」
「それよりも凜音だ。お前は覚えてないんだろうけど……いや、これはまた別の話だ。とにかくだ、あいつはショックを受けている。お前も自分の事で精一杯だろうけど、まあなんだ、気にかけてやってくれ」
「頑張ってみるよ」
「なんかあったら俺を頼れ。一応俺もお前に負い目みたいなものを感じてるしな」
「そんなの感じなくていいよ。これからっていうのも変だな。今までどおり仲良くしてね」
「おう。そろそろ夏休みも終わっちまうからな。宿題、やらなきゃな」
「ええ! 前の僕は宿題終わらせてなかったの?」
「もちろん! 俺達は毎年夏休み終盤にお前の家に集まって、分担で全部終わらせてたんだよ。今年もお前の家に行くからな。さっさと退院しろ。じゃないと俺らが困る」
「このまま入院していたい気になってきたよ」
「そんな事は許されないんだよ。学校が始まったら始まったで課題研究があるしな」
「課題研究?」
「そ、何人かのグループに分かれて課題を設定してレポートを提出するんだよ。半分遊びみたいなもんだ。楽しいぞ」
「そうなんだ。もっと大変な作業なのかと思ったよ」
「退院したらいろんなイベントをやろうぜ。海行ったり花火したり。やる事はいっぱいあるんだ」
「うん。すごい楽しみだ」
「んじゃ、そろそろ俺は帰るわ。多分もうちょいしたらひたぎちゃんが来ると思うけど、さっきのはここだけの話だぞ? 俺だって別にひたぎちゃんが嫌いな訳じゃないんだから」
「わかってるよ。僕の事を心配してくれてるんでしょ?」
「わかってんだったらいいわ。それじゃまたな」
手をひらひらと動かしながら天誠は帰っていった。
前の僕はいろんな人に慕われていたみたいだ。天誠は本当に良い奴という言葉が当てはまる男だと思う。
凜音っていう子も僕のために落ち込んでくれてるみたいだし、早く記憶を取り戻して皆を安心させないと。よし! 頑張るぞ!
「こんにちわ」
「あ、ひたぎ。来てたんだ」
気が付かなかった。ちょうど天誠と入れ違えで入ってきたのかな?
「天誠君と入れ違えでね。体調はどう?」
「やっぱり。バッチリだよ! 退院した後の事を考えたら居ても立ってもいられなくてさ、今すぐにでも退院したいくらいだよ」
「ふふっ。そっか、元気そうで良かったよ。凜音ちゃんは落ち込んでた?」
「……うん。しょうがないとはいえ僕の所為だからね、なんとかならないかなあ」
「そればっかりはねえ、どうしようもないよね。私は最後まで凪紗の味方だから安心して?」
「うん、ありがとう。そう言えばエリスちゃんは? 今日は来てないみたいだけど」
「エリスちゃんはねえ、なんと! 天誠君とデートしてます!」
「ええ! そうなんだ。天誠達って付き合ってたんだ?」
「付き合ってたというか、夏祭りの日に天誠君がエリスちゃんに告白して、エリスちゃんがオーケーしたんだって。だから前の凪紗も、今の凪紗も知らない事だよ」
「へえ、そうなんだ。天誠は前からエリスちゃんの事が好きだったのかな?」
「それはもう。傍目から見てもはっきりわかってたよ。本人は隠してたみたいだけどね。皆いつ告白するんだろうって思ってたんだよ」
「はは、なんとなく天誠らしいなって思うよ」
今の僕に天誠の記憶は無いけど、らしいなって思った。きっと頭のタンスには記憶がしまってあるんだけど、どこにあるかわからない状況なんだろうな。
本当に早く思い出したいな。皆のためにも僕自身のためにも。こうして話してるだけで、前の僕がすごく楽しい毎日を過ごしてたのがわかるから。
「だよね。普段は三枚目な感じだけど、エリスちゃんが絡むと急に本気になってたりしてたんだよ」
「上手くいくといいな」
「私達に出来るのは応援する事くらいかなあ。あ! そうだ、今日は病院抜けだしちゃダメだよ? せっかくもうちょっとで退院出来るんだから」
「わかってるよ。あの日は……やっぱりちょっと混乱してたのかも。目が覚めたら何もわからない訳だしさ。逃げたくもなるよ」
「まあその気持ちはわかるよ? でも逃げちゃダメだよ。何事もいつかは決断が求められるんだから」
「そういえば天誠が言ってたんだ。海に行ったり花火したりしようって」
なんとなくひたぎの言葉に答えたくなかった僕は話題を変えた。
「そうなんだー。楽しみだね。凪紗は他にやりたい事は無いの?」
「そうだなー。ハイキングとか?」
「ふふっ。何それ」
「ハイキング、ダメかな?」
「ダメじゃないけど、変わってるなあって」
「でも気持ちいいよ? 山の中に入ると空気が美味しいし」
「そうだね。でも、今の時期行くのはちょっと早過ぎるかな。日差しが強すぎて日射病になっちゃう」
「皆で行けたらいいな」
「そうだね。皆で行きたいね。あ、もう面会時間終わっちゃう」
「え、もう?」
ずっと話してたから気付かなかった。言われて見れば、外はもうすぐ日が落ちようとしていた。
「うん。早いね。また、来るから」
「うん。待ってる」
「またね」
ひたぎが居なくなった病室はとても静かで、寂しかった。夜が怖い。一人でいると余計な事を考えてしまう。このまま記憶が戻らなかったら? 皆は変わらずに僕と友達でいてくれるんだろうか。
皆が親切にしてくれるのは前の僕が築きあげた絆があるからだ。僕のものじゃない。
僕ってなんなんだろう? 僕は凪紗だけど、皆の知る凪紗じゃない。
そもそも僕は自分の名前すら覚えてなかったんだ。僕が凪紗だって誰が証明出来る? 天誠達が嘘を付いてるのかもしれない。
……やめよう。こんな事を考えても意味は無い。僕は僕だ。皆に会いたい。早く明日になれ。