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記憶喪失

今までのものに読みがな振りました。

10

「自分の選択に後悔はしないでくださいね?」


 誰か、多分女の人だろう。古びた長い刀を手に取り、胸に突き刺した。


 楽しそうに学校生活を送っている。


 僕は……。


「……」


 ゆっくりと瞼が開く。窓から差し込む光が眩しかった。その光から逃れるように寝返りをうつと、カーテンが閉められていた。カーテンで遮られた向こうにも人が寝ているようだった。


その時僕は理解した。ここが病院だと。病院だと理解してしまえば気持ちに少し余裕が出来た。


ベッド脇に置かれた小さな机には花と見舞いの品と思われる果物が置いてあった。


 僕はなぜここにいるのだろうか。病気なのか事故なのかすらわからない。この状況でも冷静にしっかりと働く頭に軽い感謝をしつつ、ここに来る前の事を省みる。


 ……。何も思い出せなかった。記憶喪失。自然とその言葉が頭に浮かんだ。何も思い出せないのにこんな単語は出てくる事に驚いた。


ナースコールを押すべきなんだろうけど、そんな気になれなかった。そのままベッドに座りながら、黙ったままぼんやりと外を眺めていたら、扉の開く音が聞こえた。


 扉の向こうから現れたのは二人の女の子だった。一人は金色に輝く髪飾りが特徴的な黒髪の子。もう一人は薄いこがね色の髪をしていた。


 二人はおそらく僕の知人なのだろう。はっきりとその視線が僕に向けられていた事からわかった。


「目が覚めたみたいだね。調子はどう?」


 黒髪の子が僕に尋ねた。


「わからない。痛いとこは無いけど、どうも記憶が無いみたいなんだ。君達は僕とどういう関係の人だったの?」


「記憶喪失……。そっか……そっか。私と凪紗(なぎさ)はね、友達だったんだよ。エリスとも。同じ学校に通っていて、同じクラスだったんだよ。覚えてない?」


「ごめん。覚えて無いみたいだ。その……僕の名前は凪紗(なぎさ)っていうの?」


「そうです。あなたは凪紗。遠野凪紗(なぎさ)です」


「そっか」


 それきり会話が途絶えた。少しの間無言が続いたけど、不意にエリスと呼ばれた女の子が呟いた事により沈黙は破られた。


「可哀想な人……。私、お医者様呼んできますね」


 そう言った彼女はなんの感情も感じさせない無表情だった。


「前の僕は、何か彼女に嫌われる事をしたのかな?」


「ううん、してないよ。きっと記憶喪失って言われて動揺してるんだと思う」


「君は動揺してないの?」


「ひたぎ」


「え?」


「前の凪紗(なぎさ)は私の事をひたぎって呼んでたの。だから、ね?」


「えと、じゃあ、ひたぎは動揺してないの?」


「私はそこまでしてないよ。なんとなくはわかってたから。凪紗(なぎさ)がそうなっちゃうのを。わかってても止められなかった。ううん、止めなかったんだ。ごめんね」


 そう言った彼女は申し訳無いという顏をしていた。彼女が何を言っているのかわからなかったけど、僕が原因でそうなったと考えるのは簡単だった。でも、何故彼女が僕にこんな顏を向けるのか、今の僕にはわからなかった。


 彼女が謝り、また自然と会話が途絶えて無言の時間が訪れた。それから暫くしてエリスが医者を連れてきて、二人は帰っていった。


医者は僕にあれやこれやと聞いてきたけど、二人の存在が頭から離れなかった僕は上の空で医者に答えを返していた。


 結局、医者が部屋を出たのは、ひたぎ達が帰ってから三十分も経ってからだった。今の状況を一人で考えたかった僕にとって、この三十分は苦痛以外の何者でもなかった。


更に目が覚めた時間が時間だったので、一人になって暫くもしない内にすぐ夕御飯が運ばれてきた。


見た目の粗末なおかずばかりが並んでいた所為か、全く箸が進まなかった。半分以上残したのを見たナースさんが僕の食欲が無い事を心配していた。


 夕御飯を食べてしまえば、病院というのは全くやることが無い。だからと言って時間が経つのが遅い訳ではなかった。


これからの事を考えていたら、あっという間に消灯時間を迎えていた。病院の消灯時間は早く、9時には部屋の電気が消えた。


 隣のベッドから寝息が聞こえても、眠る気にならなかった僕は病院を抜け出す事にした。幸いにも点滴の類はさっき外されたので、今僕の体を縛るものは何もなかった。


部屋を出て、暗くなった病院の通路を歩く。先の見えない暗闇を僅かな光を頼りに歩く。不思議な事に、僕は前にもこんな所を歩いた事がある気がした。


 病院を抜け出すのは意外にも簡単で、誰にも見つかる事無く敷地の外に出る事が出来た。特に目的地がある訳でも、やりたい事がある訳でもなかったから、気の向くままに歩いてみた。


そうして辿り着いたのは、雑草の生い茂る緩やかな坂に囲まれた川だった。水面に映る月が怪しく揺れ動き、独特の雰囲気を作り出していた。


「病院、抜けてきたの?」


「っ!」


 驚きすぎて声が出なかった。完全に一人だと思い、油断していた僕の後ろから聞こえた声は聞き覚えがあった。


 恐る恐る後ろを振り向くと、やっぱり僕の知ってる人がいた。


「驚かしちゃったみたいだね。ごめんね」


「あ、うん。大丈夫。僕が言えた事じゃないけど、ひたぎはこんな時間に何してるの?」


「んー、難しい質問をするねえ。強いていうなら何もしてないをしてたのかな」


 病院で見た時とは打って変わって、ひたぎはとても穏やかな表情をしていた。なぜだかそれに嬉しくなった僕は、ちょっとだけ親しげに返した。


「何、それ?」


「なんだろうね。凪紗(なぎさ)が私の事忘れちゃって、ショックだったのかな」


「……ごめん」


「謝らないで。凪紗(なぎさ)は何も悪くないよ。むしろ悪いのは私」


「悪いのは私、ってどういう意味なの?」


「うーん。凪紗(なぎさ)が忘れちゃった事を思い出したらわかるよ」


「教えてくれないの?」


「うん。意地悪とかじゃなくて、凪紗(なぎさ)が思い出さないと意味が無いんだ」


「そっか」


「手。……繋いでいい?」


 そう言ってひたぎは、僕が答えるよりも先に僕の手を優しく握った。


「ど、どうしたの?」


「暖かいね。凪紗(なぎさ)はさ、好きな人のためならどこまで出来る?」


「どこまでって?」


「例えば、今までの全てを捨てるとか」


「それって記憶喪失って事?」


「それでもいいかな。記憶と引き換えに好きな人をとる?」


「今の僕には記憶が無いから、記憶にそれ程の価値があるとは思えないからなあ。好きな人の方をとるかな」


「そっか。きっと大変だよ?」


「でも、なんかロマンチックだと思わない?」


「ふふっ。そうだね。ロマンチックだね。織姫と彦星みたい」


 その言葉を最後にひたぎは僕の手を名残惜しそうに離した。僕の手には、まだ彼女の体温が残っていた。


「そろそろ、戻らなくちゃ」


「そうだね。また、明日。明日は凪紗(なぎさ)の幼馴染がお見舞いに来るって言ってたからきっと楽しいよ。凜音ちゃんと天誠君。覚えてる?」


「ごめん。やっぱり覚えてないみたい」


「大丈夫。一緒に思い出していこう。きっと皆も協力してくれるよ」


「うん。待ってる。それじゃまた明日」


 明日が楽しみだ。僕の知らない僕を知ってる人が明日お見舞いに来る。たったそれだけの事だけど、今の僕にはとても嬉しかった。病院に戻る僕の足取りはとても軽かった。


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