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「っ……っぅ」
眉は下がり、ぐっと引き結ばれた口許は慄いて。此方をひしっと見据える瞳はうるうると潤み。
大きな体を小刻みに震わせ、懸命に嗚咽を堪えている……荒川君。
え、え、え
思考が追い付かず、只々固まるしかない私。爆発した怒りもあっという間に立ち消えちゃって。
気付けば辺りは静まりかえり、荒川君の息遣いだけが広い食堂に響きわたる。
こ、これは私、が泣かせたの?え、えっ?私が悪いの?
衝撃に真顔で固まるしかない私を見つめ、更に荒川君の表情が歪む。ふぇっっという声と同時にこぼれ落ちる涙。
ぽろ……
ぽろぽろっ
ぼーたぼたぼたぼたっ!!
あ、えっ、はっ、ええええええ!!
泣くを通り超した勢いで、次から次へと溢れ出てくる大粒の涙に、申し訳ないが……ヒイてしまう。
フリーズした空気の中「あーあ」と吐きだされる吐息。小さなそれは、だが食堂の隅々まで行き渡る威力を持っていて。
なんだか嫌な予感しか感じさせないそれに、恐る恐る顔を向ける。
案の定、吐息の発生源……松本君は
「荒川泣かせちゃったね、桑原さん」
愉しくて仕方がないというような満面の笑みでそうのたまった。
はい?勝手にお泣きになりましたよ?……なんて言えたらどんなにいいか。
ビビりの私はこの衆人環視の中、意見することなんて出来ません。
「荒川もさ、ワザとじゃないんだよ?」
首を傾けて、分かるでしょ?とでも言いたげに上げられた唇が憎たらしい。
隣からは絶えず、えぐっえぐという盛大な嗚咽が伝わってきて……居た堪れない。
あぁ……このまま逃げ去ってしまいたい。
ふっ、えぐ、ぅえっ
「コイツに非があるのは誰の目にも明らかだし。半分なんて言っといて、これはないよね」
眉を下げ申し訳なさげに苦笑する松本君。
それは傍から見れば、こちらに理解を示し、友人の非を認め代わりに謝罪する善良な人物に見えただろう。
だがしかしっ此方を見る目の奥には隠しきれない笑いがあって。その余りのしたたかな態度に、怒りを通り越して感心さえしてしまう。
「コイツも反省してるみたいだし」
ひっく、えぐ、ぅぅっ
「許してやってくれないかな?」
整った顔を悲しげに歪める松本君。
見かけだけなら、充分過ぎるほどの低姿勢な謝罪に頬が引きつる。
「……」
案の定、あらゆる方角から向けられていた視線に、淀みが生じる。
『何があったか知らないけど、アンタ如きが荒川君を泣かせた上に、松本君に謝らせるなんてっ……許さないとか言わないでしょうね!?』な感じの棘が多数突き刺さる。
私の反応待ちな空気の中、刃向かう事など出来るはずもなく
「……はい」
ぎこちなく頷く。
「そっか。良かった」
周りを味方につけ脅したも同然のくせに、本当にホッとしましたといわんばかりに微笑んでみせる松本君。
その面の厚さに、言わされたこちらの方が恥ずかしくなってしまう。すべてを見越した上の、計算尽くの精神が恐ろしい。 この腹黒野郎っ!
「ほら、いつまで泣いてんだよ荒川。桑原さん、許してくれるってさ」
その言葉に、ぎゅっと目を瞑り泣いていた荒川君がゆるゆると目を開く。
「ゆる、す?」
うるうるとした瞳で、私を見つめてくる荒川君。
……あ、れ?なんかこの人、犬耳ついてません?
「ゆるして、くれる?」
もう怒ってない?許してくれる?とばかりにじぃっと見つめられたじろぐ。
なんでそんなに弱々しい声出してんですか。それじゃまるで迷子の子犬みたいじゃないですか。見た目は孤高の狼なんですから、ヤメて下さい!
クゥンクゥン鼻を鳴らし、そのまま擦り寄ってきそうな勢いの荒川君から目を逸らし距離をとる。
「……もう怒ってません」
だからもうこっちこそ勘弁して下さい。
うつ向き、小さく息を吐く。
すん、すんと鼻をすする音と共に、視界の端にある荒川君の腕が上がり、ぐいっと制服の袖で目元を拭う。
こんな時、さりげなくハンカチを手渡したりすれば何かが芽生えるのかもしれない、なんて一瞬考えたけど。
チラっと荒川君を見、無言で視線を外す。
……現実はそうそう巧くは出来てないんだなぁ。だって、涙だけじゃないんだもん。高く形良いお鼻からも垂れてるんだもん盛大に。無理無理無理。
「目も鼻も真っ赤じゃん、荒川。」
どんだけだよ。周りに聞こえぬよう、ボソッと松本君が呟く。
その呆れた響きに、心から賛同します。ほんと、どんだけだよ……。
「桑原さん」
松本君からの呼び掛けに、うつ向いていた顔を渋々向ける。可能ならば無視してしまいたい所だが、未だ注目を集めている中、そんな命知らずな真似は出来ない。
「とりあえず、荒川のだけどさ、弁当食べなよ。時間も残り少ないし」
仕方ないけど、みたいな見掛け苦笑・真実腹黒な笑みを張り付けた松本君が、ホラホラと目だけで横を示す。
なんだろ。つられて左を見やれば
食べ終った弁当を素早く包む美紀と、食後のデザート苺をゆっくりと堪能するさくら。
私の視線に気付いたのか
「私とさくら、先に戻るわね」
手を止めず、決定事項の如く言い放つ美紀。
「えぇっ!?」
それは困る!非常に困る!こんな所に一人置いていかれるなんてっ
「ま、待って待って美紀さんっ」
「なによ」
ジロリと迫力のある眼差しで見返され内心怯むも、ここで退く訳にはいかないっ
「イヤイヤ、なによじゃなくてですね」
ヒシッと両手で美紀の腕にすがりつく。瞬間、ビキッとばかりに美紀の眉間に深い皺が出現したけど気にするもんかっ
「もうちょっと待ってっお願いっ」
恥もなんもかんも捨てて頼み込む。
ここで置いてかれるより何倍もマシだ。決して放すもんかと握った手に力を込める。
その気迫を感じとったのか美紀は嫌そうな溜め息を吐くと、向かいのさくらに目を移し口を開いた。
「さくら」
「ん?」
はむはむと大きな苺を咬じり、美味です幸せですオーラのさくらがのんびりと瞬く。
「あとどの位でソレ、食べ終わる?」
疲れたわねホント、な感じの美紀の問いに
「ん〜。あと四個だから……四分かな」
素晴らしい計算で答えるさくら。
「……」
その答えに無表情で固まった美紀は、数秒後、疲れたように目を瞑り
「……あと四分だけ待ってあげるわ」
ほんと、やってらんない。と苦々しく呟いたのだった。
ありがとうっ、神様仏様さくら様!!