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ラスボス戦、BGMが流れなくて気まずすぎる

作者: あゆと
掲載日:2026/06/20

勇者は魔王城の最上階で、聖剣を抜いた。


ジャキーン!


白い刃が赤い月を裂く。黒い炎が柱の影で揺れ、床の魔法陣が巨大な心臓みたいに脈を打った。


玉座の前には魔王がいる。

黒い翼。黄金の瞳。夜そのものを編んだような外套。

左右では魔族兵が槍を構え、骸骨兵が骨の指を鳴らさずに待っている。


世界の終わりにふさわしい舞台だった。


ただ、音だけがなかった。


「……」

「……」


───気まずい。


勇者は聖剣を構えたまま、喉の奥を鳴らしかけて止めた。

魔王も玉座から立ち上がった姿勢のまま、翼の角度をほんの少し直した。


本来なら、ここで低い合唱が来る。

地の底から響く声、床を震わせる太鼓、剣を照らす光、盾を叩く金属音、祈りの高音、炎と風の効果音。


最終決戦とは、そういうものだ。


なのに、何も鳴らない。


聞こえるのは、勇者の手袋が聖剣の柄を握り直す、革の小さな音だけだった。


ぎゅ。


小さい。あまりにも小さい。

この音だけで、世界の命運を始めろというのか。


魔王が低く言った。


「勇者よ」

「分かっている」


勇者は剣先を下げずに返す。


「このままでは、始まらぬ」

「分かっている!」


ここまで来たのだ。

村を出て、仲間を得て、竜の谷を越えた。呪いを破り、毒の沼を抜け、何度も死にかけて、それでも魔王の前に立った。


この一歩目を、足音だけで踏み出せというのか!

この旅の果てを、ただの金属音で終わらせろというのか!


勇者は息を吸った。

誰も鳴らさないなら、自分が鳴らす。世界が黙るなら、自分の喉で黙らせない。


「オー……オオオー……!

オー……オオオー……!」


玉座の間に、勇者の口BGMが響きわたった。


美声ではなかった。

だが、逃げていない声だった。

無音の玉座に、最初の一音を叩き込む声だった。


魔王は、にやりと笑った。


「なるほど。そう来たか」


黄金の瞳が、勇者の剣ではなく、喉を見る。


「序曲を奪うとはな。やるではないか、勇者」


勇者は歌の余韻を残したまま、聖剣を顔の横に立てた。


「音なき玉座に、剣は鈍る」

「ならば我も応えねばなるまい」


魔王が翼を広げる。黒い羽が、赤い月を裂いた。


「我が玉座を、安い足音だけで越えさせはせぬ。闇の王として。主演として!」


魔王の右腕が上がった。


柱の影が割れて魔族兵が現れ、階段の下から骸骨兵がせり上がり、天井の穴から翼ある魔物が降りてくる。


勇者の背後では、戦士が大盾を構え、僧侶が杖を胸に寄せ、魔法使いの指先に青い火花が散った。


勇者は笑った。


魔族兵の槍は、こちらではなく天井を向いている。

骸骨兵の骨の指は、剣ではなく拍を待っている。

翼ある魔物たちは、魔王を囲むように半円を描いていた。


増援じゃない。


合唱だ。


魔王の指が下りた。


ずん ずん ちゃ!

ずん ずん ちゃ!


魔族兵が床を踏み鳴らし、骸骨兵が骨の指を打ち合わせ、翼ある魔物が羽で空気を叩く。


低い拍が、石床から足裏へ、膝へ、腹の奥へ入ってきた。

さっきまで死んでいた空気が、底から立ち上がる。


「やるな。そうこなくっちゃ」


勇者は笑った。


「最終決戦だぞ。二拍目から空にするほど、我が城は落ちぶれておらぬ」


魔王が当然のように返す。


戦士が一歩前に出た。

大盾の縁が、赤い月を受けて鈍く光る。


「三拍目は俺が持つ。盾は壁ではない。お前の足を次の朝へ押す太鼓だ」


剣の腹が、盾を叩いた。


かん かん どん!


魔王軍の低音に、勇者側の金属音が乗る。

床から来る拍に、胸の前で鳴る拍が重なった。


僧侶が静かに息を吸う。


「傷はまだない。けれど祈りは先に立つ。声よ、切れるな。光よ、待て」


杖の先から白い粒がほどける。


「ああ ああ ああ!」


祈りが高音になって、勇者の背中を押した。

回復魔法の白い粒が、まだ傷もない肩の上で待っている。


魔法使いが指を鳴らした。


パチン!


青い火花が、赤い月の下で跳ねる。


「風よ、声を通せ。炎よ、刃に火花を。水よ、高音を澄ませろ」


ヒュオッ!


風が玉座の間を走った。

勇者の息が伸びる。魔王の低音が石壁に沈み、足踏みの拍が床から天井まで通る。


魔法使いが杖を斜めに振る。


「光よ、勇者の左頬に朝を置け!」


白い光が、天井の割れ目から一本だけ落ちた。


攻撃ではない。

聖剣の刃でも、魔王の胸でもなく、勇者の顔と肩を照らす角度で光が止まる。


「スポットライトか。悪くない」


魔王が目を細めた。


勇者は光の中で、聖剣を肩に担いだ。


「主役は照らされてなんぼだろ」

「よかろう、勇者。夜は我が歌おう」

「ならば朝は、俺が斬り開く」


勇者は剣を構え直す。


魔法使いの指先で炎が跳ねた。


バチン!


それが合図になった。


剣と爪が、同時に動く。


最終決戦の幕が上がった。


勇者が踏み込む。


ジャキン!


聖剣が白い軌跡を引き、魔王の爪が黒い火花を散らした。


ガキィン!


刃と爪が噛み合う。

火花が歌の前奏みたいに散り、魔法使いの炎がそれを赤く膨らませた。


バチバチン!


勇者は歌う。


「誰も鳴らさぬなら、俺が鳴らす♪

泥の足跡、血の夜明け!」


その語尾で、聖剣が跳ねる。


「ここまで来た名もなき旅を!」


白い刃が、魔王の翼の下へ滑り込む。


「無音のままでは終わらせない!」


ザシュッ!


黒い羽が一枚、赤い月の前で裂けた。

舞い落ちる羽根に、魔法使いの水が薄く絡む。


しゃらん!


羽根は透明な音を残して、床に落ちた。


魔王は低音で返す。


「声で来たなら、声で沈める♪

我が夜を越えるなら、喉ごと燃えよ!」


魔王の爪が、歌の語尾に乗って伸びる。


ザシュッ!


勇者は避けきれない。

肩口の布が裂け、血が跳ね、聖剣の光が一瞬だけ乱れた。


勇者の声が途切れる。


ずん ずん ちゃ!

ずん ず……ちゃ!


拍が揺れた。


「勇者よ。声が落ちたな」


魔王が目を細める。


勇者は奥歯を噛み、肩から垂れる血を見た。

痛みで腕が重い。聖剣の柄が、汗と血で滑りかける。


それでも、膝は折らない。


「まだだ。サビ前で倒れる主役があるか」


僧侶の祈りが高く伸びる。


「傷よ閉じよ。痛みよ眠れ♪

されど歌は、まだ眠るな!」


白い光が勇者の肩を包んだ。


一拍目で血が止まり、二拍目で裂けた肉が寄り、三拍目で痛みだけが奥へ沈む。


ああ ああ ああ!


僧侶の声が、勇者の途切れた旋律を一拍だけ預かる。

勇者はその声に、自分の息を戻した。


完全には戻らない。

腕は重いまま、剣も少し鈍る。


そこへ黒炎が来た。


ゴォォッ!


熱が歌の上へ覆いかぶさる。

魔法使いがすかさず風を走らせた。


ヒュオッ!


炎の唸りが広がり、黒炎の位置が音で見える。


戦士が前へ出る。

大盾を斜めに構え、床を踏み鳴らした。


ずん!


「三拍目で入れ。俺が受ける」


黒炎が盾にぶつかった。


ごおん!


盾がへこむ。

戦士の腕が震え、石床に靴底がめり込み、歯の隙間から低いうなりが漏れた。


それでも、三拍目は崩れない。


かん かん どん!


勇者はその拍に乗って横へ抜ける。

魔王の爪が、勇者の髪を数本だけさらった。


魔法使いの炎が床を走る。


ボッ!


赤い光が、魔王の翼の影を石床へ映した。


「影が伸びます。右、来ます」


勇者は影を見た。

魔王の体より先に、床の影が動く。爪が来る方向が、光の縁に浮かび上がる。


勇者は半歩だけ沈んだ。


黒い爪が頭上を裂く。


ガキィン!


かわした聖剣が、爪の側面を叩く。


魔法使いが指を弾いた。


パチン!


「灯りよ回れ、影よ答えよ♪

夜の爪先、床に描け!」


白い光が半歩ずれた。

魔王の影だけが床に残り、爪はまだ見えない。


けれど影は、勇者の右肩へ伸びていた。


勇者は歌う。


「見えぬ爪なら、影を斬る♪

夜の下にも、朝はある!」


聖剣が影の線をなぞり、魔王の爪を弾く。


ガキィン!


「ならば、夜を深くしよう」


魔王の笑みが深くなる。


黒い霧が床を這った。

魔法使いの光が飲まれ、赤い月も、白いスポットライトも、魔法陣の脈も、闇の底へ沈んでいく。


視界が消えた。


残るのは音だけ。


ずん ずん ちゃ!

ずん ずん ちゃ!


勇者は魔王を見失った。

汗が顎を伝う。聖剣を握る指に力が入りすぎて、爪が手袋の内側に食い込む。


闇の中では、剣の光さえ頼りない。


魔法使いが杖を床へ立てる。


トン。


「風よ、声だけを残せ。水よ、嘘の音を沈めろ」


ヒュオオッ!


風が霧の中を通る。

水の薄い膜が床を走り、余計な反響を吸い込んだ。


ぱしゃん。


沈黙の底で、魔王の低音だけが残る。


「我はここだ、勇者♪

闇の底で、貴様の朝を待つ」


勇者は目を閉じた。


僧侶の高音。

戦士の盾。

魔法使いの風。

魔王軍の足踏み。

そして、魔王の歌。


見えないなら、聞けばいい。

剣で探れないなら、拍で読めばいい。


そう思った瞬間、喉が止まった。


声を出せば、居場所が割れる。

歌えば、魔王の爪は一直線に来る。

ここで黙れば、少しだけ長く生きられる。


一拍だけ、勇者は黙った。


ずん ずん ……


三拍目が来ない。


僧侶の高音が揺れ、戦士の盾が迷い、魔王軍の足踏みまで床の上で止まりかけた。


黙れば、生き延びる。

だが、黙れば、この旅がまた無音に戻る。


勇者は息を吸った。


ずん ずん ちゃ!


二拍目の奥で、魔王の声が沈む。

三拍目の直前に、爪が空気を裂く。


そこだ。


勇者は一歩、踏み込んだ。


「ならば聞け、魔王。

俺の剣は、まだ一音も折れていない!」


聖剣が霧を裂く。


ジャキィン!


魔王の爪とぶつかる。


ガキィン!


霧が割れた。

白い光が戻る。魔王の黄金の瞳が、勇者を真正面から見ていた。


「やるな、勇者」

「そっちこそ、いい低音だ」


勇者も血の味を飲み込み、笑う。


魔王が玉座を爪で叩いた。ごん!

戦士が盾を返す。かん!

骸骨兵が肋骨を鳴らす。からん!

魔法使いが炎を床に落とす。ぼん!

僧侶の祈りが高く伸びる。ああ ああ ああ!


勇者は聖剣の柄で、戦士の砕けかけた盾を叩いた。


かん かん どん!


魔王軍と勇者軍の音が混ざる。


敵味方が手を取り合ったわけではない。

刃はまだ向き合い、爪はまだ勇者の喉を狙い、聖剣はまだ魔王の胸を目指している。


それでも音だけは、同じサビへ向かっていた。


魔王が黒い翼を最大まで広げる。

赤い月が真っ黒に染まり、床の魔法陣が割れ、死者の声が魔王の背後に重なった。


魔王が歌う。


「我が玉座を無音で越えるな♪

我が夜を、足音だけで終わらせるな♪

声で来い、剣で来い。

この世界に、安い夜明けは要らぬ!」


黒い炎が、巨大な刃になって勇者へ落ちる。


ゴォォォォッ!


避けられない。


戦士が前に出た。


「鉄よ鳴れ。腕よ残れ。

盾の命は、ここで使う!」


黒炎が盾を噛んだ。


ごおおん!


盾が砕ける。


バキィン!


鉄の破片が散る。

戦士の膝が折れかけるのを、僧侶の祈りが背から支え、魔法使いの光が黒炎の輪郭を照らした。


魔法使いの風が、砕けた盾の音まで拾って広げる。


しゃん しゃん しゃん!


破片の音が、サビ前の鈴になる。


勇者は、その隙間を見た。

盾は砕けた。祈りは揺れた。光は細い。


それでも、道はある。


勇者の喉に、最初の口BGMが戻ってきた。

あの気まずい玉座で、無理やり鳴らした一音。美しくもなく、強くもなかった、逃げないための声。


「オー……オオオー……!」


今度は、ひとりではなかった。


僧侶が高く重ね、戦士が折れた盾で拍を打つ。

魔法使いが風で声を通し、炎で火花を足し、水で高音を澄ませる。

魔王軍の足踏みまで、同じ拍に戻ってきた。


「オー……オオオー……!」

ずん ずん ちゃ!

「オー……オオオー……!」

ずん ずん ちゃ!


最初の歌が戻ってきた。


だが、声が違う。

今度の勇者の歌には、血の味があった。砕けた盾の音があり、祈りの震えがあり、光の細い道があった。


勇者が歌う。


「誰も鳴らさぬなら、俺が鳴らす♪

泥の足跡、血の夜明け!」


一歩。ずん!


「ここまで来た名もなき旅を!」


二歩。ずん!


「無音のままでは終わらせない!」


三拍目。ちゃ!


聖剣が白く燃える。


ジャキーン!


勇者は魔王の黒炎を真正面から斬った。

熱が腕を焼き、血が喉の奥まで上がる。


それでも踏み込む。


「来い、勇者。

最後の一音で、我を越えろ!」


魔王が笑った。


全員の音が最大になる。


ずん ずん ちゃ!

ずん ずん ちゃ!

「オー……オオオー……!」

ずん ずん ちゃ!


炎が鳴る。ゴォッ!

水が澄む。ぱしゃん!

風が声を運ぶ。ヒュオッ!


勇者と魔王がぶつかる。


ガキィン!


聖剣が魔王の爪を弾く。

魔王の翼が勇者の脇腹を裂く。


ザシュッ!


勇者は血を吐きながら、さらに一歩踏み込む。

聖剣が、魔王の角の片方を斬り落とした。


ザンッ!


角が床に落ちる。


ちん。


大音量が、そこで止まった。


勇者は膝をつきかけた。

魔王は片方短くなった角に手を当てる。

床には黒い光の欠片が散り、砕けた盾の縁がまだ小さく震えていた。


誰も歌わない。

魔王軍も踏まない。

僧侶も高音を止める。


魔法使いのスポットライトだけが、勇者と魔王の間に細く落ちている。


無音だった。


だが、もう気まずくはなかった。


「よい音だ」


魔王が低く笑う。


「だろうな。命を賭けた」


勇者は息を切らしながら、血のついた歯を見せた。


魔王は翼を畳まなかった。

もう一度、玉座を爪で叩く。


ごん。


「二幕へ行くぞ、勇者」

「望むところだ、魔王。だが次は転調からだ」


勇者は血まみれで笑った。


魔王軍の足が、もう一度床を踏む。


ずん ずん ちゃ!


世界はまだ救われていない。

けれど玉座の間には、次の拍が鳴っていた。

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― 新着の感想 ―
ラスボス戦には、各種エフェクトが必要だということが、よく理解できました。 魔族の皆さんもお疲れ様です。 二幕めも張り切っていきましょう! 転調したことだし、勇者の反撃ターンになりそう。 おもしろかっ…
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