夜のカフェ
「ねえ、そこの男性の方」
「はい?」カウンターで珈琲を飲んでいた男に声をかけたのは五十頃の女だった。
「もしお時間あればお話してくださらない?ほらこんな夜更けですし」
「アキさん、前にも言ったけど……」店主が遮るも「別にいいじゃない喋るだけなんだから」
「こんな夜更けに来るお客さんなんて珍しいんだから怖がらせないでよ」
「アタシもその珍しいお客さんなのよ」
「あの……僕はどうしたらいいんですか?」首を傾げる男に店主は「ここにいて頂いてる以上お客さん次第ですよ」と少し呆れたような声を出す。
「じゃ、折角なので……」と飲んでいたカップとソーサーを持ってアキさんと呼ばれた女の席へと移動を始めた。
「ありがとう優しい人ね」
「いえ、優しくはないですよ面白そうだなと思っただけです」
「私が優しいと言ってるんだから優しいわよ」
男はソーサーをテーブルに置き黒革のカウチに深く腰掛けた。その間、アキは注意深く男の顔を見つめていた。
「まずなんて呼べばいいか教えて?」
「それは本名の方が?」
「ううん、あだ名でも偽名でも何でもいいわ」
「じゃあハルと呼んでもらえれば」
「素敵な名前ね」
「どうも」
「私はさっきマスターがバラしちゃったけど、アキって呼んでね」
「じゃあアキさん」
「ふふふ、丁寧なのね」
「それで、お話って僕は何を聞けば?」
「お話って聞くだけじゃないでしょ?お互いを知るために距離を測るのよ」
「僕がアキさんに話せる事なんてないですよ」
「別に自分の話じゃなくていいわよ、アタシの話を聞いてどう思ったのか、それもハルくんを知ることでしょう?」
「そういうもんですかね」
「そういうもんよ」
「そういうもんですよ、おかわりオマケしときます」いつの間にかマスターがテーブルの隣まで来てケトルをわざとらしく見せる。
「あら、ありがとマスター?」
「すみませんなんか」
「良いんですよ、アキさんに巻き込まれて気の毒なんで」
「そういうこと言わないのモテないわよ?」
二人はカップをマスターのところまで集めると綺麗な流れで注ぎ入れる。店内には音楽がかかっていないから注ぎ入れる綺麗な音だけが聞こえる。
注ぎ終えると何も言わず一礼をして、マスターはカウンターの方へと歩いていった。
「さてさて、ハルくんと何を話そうかな……?」カップを自分の所へと引きながら慣れた手つきでテーブルに備え付けられた角砂糖を二個入れる。
「お付き合いするからには何でもどうぞ」ハルもカップを引きそのまま口をつける。
「ね、ハルくんは恋人いる?」
「いないです、要らないと思ってるので」
「あらあら、最近の子ね」
「最近とかあんまり関係ないと思いますよ」
「それもそうかもだけど、アタシの頃はお見合いなんてのもまだあったから」
「時代ですね」
「何も知らない男といきなり会って旦那さん候補ですなん言われて初めは蹴ってやろうと思ったわ」
「というと意外と良かったんですか?」
「……ねえ、ハルくんこういうのは過程も聞くもんなの」拗ねるように頬を膨らませるアキを見て不思議そうな顔をするハル。
珈琲を一口含んで「マスター、ケーキってまだある?」とカウンターの方へと目をやる
「フルーツタルトと……チーズケーキ……、後は時間かかっても良ければパンケーキ出せますよ」とカウンターの下からマスターが顔を出した。
「ならチーズケーキと……ハルくん甘いの食べれる?」
「まあ」
「じゃあパンケーキもお願いね」
「はいはい」そう言うと、手際よく冷蔵庫や棚から材料を取り出し調理を始める。
「それでさ、当時の男の人ったら私を見るなり!『想像より可愛いですね』なんて抜かしたのよ?!」
「僕みたいな失礼な人ですね」
「自覚はあったのね」
「怒らせた回数の方が多いので」
「でもなんでかその時、怒るって思ったら思わず笑っちゃったのよ吹き出す感じで!唾も飛ばしちゃって」とアキは快活に笑いだした静かな店内にその笑い声だけが響く。
「なんでなんですか?」
「え?」
「なんでその時は笑ったんですかね、僕は思ったままを言うとよく怒られますアキさんにもさっき指摘されましたし」
「うんそうね、ハルくんも嫌われやすい性格ね、その男の人も家族からあんまり好かれてなかったし」
「アキさんも失礼ですね」
ふふ、と今度は上品に微笑みながら「褒め言葉ねありがと」とマグカップを持ちながら答える。
「でも彼はずっと嘘を言わなかったわ、似合わなかったら似合わないと言うし、せっかく作ったご飯も美味しくなかったら美味しくないとバッサリよ」
「それはどうなんですかね」
「ふふ傍から見たらそうよね、でも彼が褒めるモノは間違いないと思えたわ」マグカップをじっと見つめ、取っての部分を撫でるようにアキは触れる。
「気がついたら私が夢中になっちゃってた、この人はどうしたら喜んでくれるかってさ」
「アキさんも変わってるんですね」
「うふふ、旦那の影響かな?」
「素敵です、僕の周りには僕に合わせてくれる変な人居ないので」
「でも、もういないのよ」
「え?」
「ぽっくり逝っちゃってね」
「……それはご愁傷さまです」
「ああ!いいのいいの、私が話したいことだったし」焦ったような声色で伝えた時、甘い香りがフワッと二人を包んだ。
「お待たせしましたパンケーキとチーズケーキです」
二人の前にチーズケーキとパンケーキが一緒に乗った皿がそれぞれの前に置かれる。
「マスターこれ……」
「結局シェアするならこうしちゃえば早いでしょ?これ蜂蜜」
「ありがとうございます」
「マスターありがと!」
「あ、ごめんナイフとフォーク持ってくるね」
マスターは少し早歩きでカウンターへと向かった。
「旦那ともよく来てたの、マスターがいい人だし最後のデートもここだった」
「確かにいい場所です」
「気に入った?」
「とても」
「ふふ良かった」
二人で笑い合うとマスターが綺麗に磨かれたナイフとフォークを皿の前へと置く。
「お待たせしました、じゃごゆっくり」
マスターは入口近くのマガジンラックから適当な雑誌を手に取りカウンター席へと座った。
「旦那の最期の会話、今でも覚えてるの」パンケーキを切り分けながらぽつりと零した。
「なんて言ってたんですか?」
「すぐ帰るって、今日はアンタの好物よって話したら嬉しそうに笑いながら出ていったわ」
「素敵な旦那様ですね」
「だからね、アタシ今でも思うのあの人の最期の言葉が嘘で終わるなんて有り得ないわって」蜂蜜を回しかけ口に運ぶ。それに合わせるようにハルも口に運んだ。
「死んだって聞いた時も何故だか泣かなかったわ、葬式の時も……、だってあの人は嘘を言わない人だもの」右頬を掻きながらぽつりぽつりと零す。どことなくハルには寂しそうな感じがした。
「もう一年経つの、もうだいぶ整理もついたしバタバタしなくなったわ」
「お疲れ様です」とハルが軽く礼をするとアキは少し目を丸くする。
「なんかそっくりね」
「何がですか?」
「その言い方あの人に」
「そうなんですか?」
「仕事から帰るとそう労ってくれたの」
「だいぶかしこまった人なんですね」
「そうなのよ」二人は笑い合う。
少し冷めたパンケーキを口に運び、美味しい美味しいと言い合う。
皿が空になった時にアキが壁にかけられた時計を見てハッと驚く顔をした。
「もうこんな時間なのね、マスターお勘定お願い」少し急ぐように朱色の鞄を手に取りレジの方へと歩いていく。
「はいはい、珈琲とケーキと……?」
「あと、ハルくんの分も払わせて」
「え?いやいいですよ」と席に座ったままのハルが横槍を入れるがアキは掌を前に出して「お礼させて?」とお財布から五千円を出した。
「じゃ、お預かりしますね」とコイントレーにお釣りを慣れた手つきで置いて、アキは丁寧にお札と小銭をしまった。
「じゃあねハルくん!私いっつもここいるからまた会いましょう!」と大きく手を振りながら扉を開けて出ていった。ドアについたベルの音だけが店内に響く。
「あ、はい」と出ていった後にハルが言うと、そのままソーサーごとカップを持ってカウンターへと戻る。
「おかわりは?」とレジに立ったままのマスターがハルに尋ねる。
「いただきます」そう聞くと、マスターはカウンターに戻り先程のケトルを取り出す。
真っ白のカップに珈琲がまた注がれ、白を綺麗な黒色で満たす。
「……アキさん、薄情だと思ったかい?」
「なにがですか?」
「泣かなかったって話」
「ああ、別になんとも」
「そう、なら良かった」
「むしろ愛が大きいのは聞いてれば分かりますから」
「じゃ、いい事教えてあげる」ケトルを左手に持ち替え「あの人、嘘つく時変な癖があってさ」
「映像とかでよく見るヤツですね」
「そ、でその癖ってのが」と右頬を掻いた。
それを見てハルは少し目を見開き、マグカップを音を立てて置いた、先程の寂しそうだと思った顔が頭を過ぎる。
「あ、おかわりありがとうございます」
「いえいえ、ごゆっくり」
マスターは店の奥へと歩いていった。
おかわりで注がれた珈琲に角砂糖を二つ、そして口をつける。
ハルには一生分からない考えだ。他人のために涙を流す。他人の思考を理解しようとする。けれども今日あった出来事はどこか温かいなと感じた。
「砂糖入りもいいですね」
「合わせてみるのもいいもんでしょう?」
「ええ」
夜は更けていく。誰かの思いをのせて。




