12.無言の行と、叩き台の暗号
「……道成さん、いいですか。一言でも喋ったら、私たちはこの村の『不浄』として、極寒の湿地に放り出されますよ。
つむぎは、集会所の板間に正座し、唇に指を当てて道成を睨んだ。 七草村の伝統「無言の行」
一月六日の夜、七草を刻み始めてから粥が炊き上がるまで、村人は一切の私語を禁じられる。言葉は霊力を散らし、歳神様への失礼に当たるという考えだ。
「(……お腹空いたよ、つむぎ。腹の虫が鳴くのもダメなのかな……)」
道成は声に出せない悲鳴を上げながら、必死に胃を押さえていた。
集会所には、村人たちが等間隔に座り、それぞれの「木製まな板」の前に陣取っている。全員の手には、鉄の包丁ではなく、使い込まれた黒い「木べら」が握られていた。
トントコトン、トントコトン……。
七草婆が合図を送ると、一斉に叩き囃子が始まった。 これはただ草を細かくするためだけのものではない。このリズムに合わせて「七草なずな、唐土の鳥が、日本の土地に、渡らぬ先に、ストトントン」という歌詞を、心の中で唱えながら叩く呪術的な儀式だ。
つむぎの目は、獲物を狙う鷹のように村人たちの手元を走った。
「(……おかしい。このリズム、全員が同じではないわ)」
つむぎはノートを取り出し、音の強弱と間隔を記号化し始めた。 普通の村人は、単調な四拍子だ。しかし、芹沢蓮と数人の若者たちの叩く音には、微かな「ズレ」がある。それはまるで、伝統的な囃子の裏側で、別の情報をやり取りしているかのような、組織的な違和感だった。
「(……これ、モールス信号じゃないわ。もっと古い、里神楽の隠し拍子だ!)」
つむぎの心拍数が跳ね上がる。民俗学において、リズムの乱れは「境界の侵入」を意味する。
つむぎは立ち上がり、音を立てないように「神のセリ」が消えたお堂の方へと歩き出した。 お堂の周囲には、湿った泥が広がっているが、不自然なほど足跡がない。
「(……お堂は施錠され、周囲に足跡もない。窓もない。つまり、物質的に外へ持ち出すのは不可能。でも、セリは消えた。そして床には、あの不気味な『八番目の草』が……)」
つむぎは、懐から取り出したルーペで、お堂の床に残された微かな緑の汁を観察した。 そこには、爪で引きちぎられたような、ギザギザの切断面が残っている。
「道成さん、見てください」 つむぎは、ついてきた道成の手を引き、お堂の隅にある「床板の隙間」を指差した。
「(……えっ、ここ? ネズミも通れないような隙間だよ?)」
道成が顔を寄せると、そこから微かに「セリ」の香りが漂ってきた。
「鉄を使えない犯人は、セリを細かく刻んで持ち出すことができなかった。なら、どうしたか? ……答えは簡単です。犯人は、セリを消したんじゃない。セリを『別のものに変えた』んです」
つむぎは、先ほど長老がぶちまけた「八番目の草」を手に取り、集会所に戻った。 叩き囃子の音が最高潮に達する中、つむぎは七草婆の目の前に、その黒い葉を叩きつけた。
「無言の行」を破ることはできない。 だが、つむぎには「筆」がある。
彼女はスケッチブックに、大きな文字でこう書いた。
『これは八番目の草ではありません。これは、お堂の下で「発酵」させられた、村の伝統を殺すための毒です』
叩き囃子の音が、ピタリと止まった。 村人たちの視線が、一斉につむぎに集まる。 その中には、あからさまに動揺し、木べらを握り直す芹沢蓮の姿があった。
「(……道成さん、準備はいいですか。これから、この村の『清らかな七草粥』の裏側に隠された、ドロドロの利権争いを暴きますよ)」
つむぎの瞳に、不謹慎な知的好奇心の炎が灯った。 「無言」というルールが、今度は犯人を追い詰める檻へと変わろうとしていた。




