後日譚:亡霊狩りの果てに
ジュネーブを離れて数年後――
青木亮吾の名は、すでに国際機関には存在しなかった。
公式には「解任後、消息不明」とされ、パトリシア・エルナンデスも姿を消したままだ。
それでも、亡命者の間では、密かにこう囁かれている。
「どこかに、“亡霊狩り”がいる――」
「亡命者の声を聞きつけると、闇から現れて、権力を食い破って消える」
ある小さな国境の街。
紛争で国を追われた母子が、冬の国境検問所で追い返されそうになっていた。
銃を持った警備官が母子を威圧する。
「この国は難民を受け入れない。引き返せ。さもなくば――」
その背後から、くたびれた革コートの男が声をかけた。
「……その子に銃を向けるのは、ルールか?」
警備官が振り向く。
一瞬で、相手の目に宿った威圧に息を呑む。
男の横には、口笛を吹きながらポケットに手を突っ込んだ女――
長い髪を一つに束ねたパトリシア・エルナンデスが立っていた。
青木亮吾は、ゆっくりと母子の前に立つ。
「……この家族は亡命する権利がある。
国境に銃を置く権利なんざ、お前らにはない」
パトリシアがニヤリと笑った。
「やる? やられる? どっちにする?」
銃を構えた警備官たちは、結局何も言えずに道を開けた。
雪の降る国境を、母子は泣きながら越えていく。
青木は何も言わずに見送った。
パトリシアがぼやく。
「……こんな小競り合い、あの法廷戦争に比べりゃ屁みたいなもんだな」
青木は小さく笑った。
「でも、ここからまた亡霊が生まれる。
人が人を売る限り、いつまでも同じだ」
パトリシアが肩をすくめて言った。
「それでも、あんたとなら、しつこくやれるさ。
何度でも、“人間”を取り返してやろうぜ、ボス」
遠い空に、雪雲の切れ間から太陽が顔を出した。
青木は一歩、白い大地を踏みしめた。
人権の亡霊狩りは終わらない。
どこの国にも属さない二人の亡霊が、
今日もまた、人間を買い物にする世界を、嗤い返す。