第三部:世界市場の亡命者たち
序章:世界市場の亡命者たち
ニューヨーク、ウォール街。
超高層ビル群の谷間を、雪混じりの冷たい雨が叩いていた。
この街では、人権も亡命者も一つの商品になる。
保護も支援も、誰かの株価を上げるネタにすぎない。
誰もが知っていて、誰も止められない――
それが、この「世界市場」だ。
その中枢。
世界最大級の投資ファンド「サーベラス・グローバル」の役員フロアに、青木亮吾の姿があった。
黒のスーツに薄い笑みを湛え、ガラス張りの応接室で、世界中の報道陣に向けて記者会見を開いている。
「――私は国連人権高等弁務官事務所 特命顧問として、この“市場の亡命者”を守るために来た」
スクリーンには、数百人規模の匿名難民リストと、金融機関の匿名口座が映し出されていた。
「グローバル金融が裏で資金洗浄をし、戦争と難民を作り続けてきた証拠を、ここに公表する」
カメラのフラッシュが一斉に焚かれる。
そのとき、通訳として隣に立つパトリシアが、マイクを引き寄せた。
「だから言っておくけど――
あんたらのカネで難民を縛るビジネスは、もう終わりだよ。
ボスの許可なく地球からは消せないから、覚悟しな!」
会場がどよめく。
投資家たちの一部は苛立ちを隠せない。
だが、その目の奥には恐怖もあった。
青木亮吾という“人権の亡霊狩り”が、今度は市場の中枢に手を突っ込んだのだ。
同時刻――
会見の裏では、青木が集めた内部告発者たちが各国メディアと接触し始めていた。
隠し口座、ペーパーカンパニー、租税回避地――
青木の掌に乗った「亡命者のカネ」は、世界市場の心臓に向けて突きつけられる凶器となる。
パトリシアが小声で青木に囁く。
「……次はどこに飛ぶ?
あんたが戦争屋と投資家を同時にぶん殴ったの、初めてだぞ?」
青木はスーツの袖を直し、ゆっくりと答えた。
「――亡命者を、金ではなく命で扱う世界を作る。
まずは、その血を吸っている奴らを、全部、表に引きずり出す」
外では冷たい雨が止み、雲の切れ間から、かすかな陽光がウォール街を照らしていた。
*
第三部 序章:完
第三部 第一章:租税回避地の密約
カリブ海。
宝石のように青い海に浮かぶ、世界有数のタックスヘイブン――
島の名は表向き「楽園」と呼ばれているが、青木亮吾にとっては「亡命者の墓場」だった。
深夜のオフショア銀行街。
高級リゾートを装った白亜の建物の裏側には、数千のペーパーカンパニーと隠し口座が眠っている。
パトリシア・エルナンデスは、夜の湿気を嫌そうに払いながら、銀行ビルの非常口に体を寄せていた。
「……で、ボス。
ほんとにこんなやり方で乗り込むわけ?
島の税務官ごと買収されてんのに?」
隣では青木が、黒い手袋を嵌めながら言った。
「合法的に行こうとしても、合法を買い取ってる奴ら相手じゃ意味がない。
だから直接、地下金庫を開けさせる」
パトリシアはため息をつき、スマホを取り出した。
「はあ……何人殴り倒す羽目になるか、賭けるか?」
「やめろ、俺が負ける」
二人が侵入したのは、カリブ最大のオフショア金融機関「エルドラド・トラスト」。
表向きは慈善ファンドだが、裏では戦争資金やマフィアマネーを無税で洗浄していた。
地下3階――
分厚い鉄扉の前に、青木とパトリシアが並び立つ。
背後では制圧された警備員たちが縛られ、床に転がっている。
パトリシアは笑いながら扉を叩いた。
「おーい、会計士さんたち!
あんたらの金庫、正義のために開けてくれないかな!」
中から怯えた声が返る。
『こ、ここは国際法で保護された――!』
青木は扉越しに低く告げた。
「国際法を隠れ蓑にする亡霊は、俺が埋葬する」
次の瞬間、パトリシアが爆破装置を起動した。
ドォンッ――
分厚い鉄扉が吹き飛び、金庫室の中には数十台のサーバーラックと現金の山。
青木は足元のコードを引き抜き、データ回収用のタブレットを突っ込んだ。
パトリシアは周囲を警戒しつつ、口元で呟く。
「……これで、世界中の裏金をまとめて凍結できる」
青木は振り向かずに応えた。
「亡命者を買い物扱いする資本主義ごと、裁いてみせる」
そのとき――
金庫室の非常灯が赤く点滅し、通信機から焦げた声が響く。
『青木亮吾……聞こえるか?
お前の首を狙ってるのは、亡霊だけじゃない――
市場そのものが、お前を殺すぞ』
青木は無言でケーブルを引き抜き、すべての裏金情報をリアルタイムでジュネーブの国連本部へ転送した。
「……パトリシア、退路を確保しろ。
ここからが本番だ」
パトリシアは笑い、銃を構えた。
「了解。人権の亡霊狩り屋さん、帰りの船は派手になるぜ!」
熱帯の夜風が吹き抜ける金庫室の奥で、
青木亮吾は再び、世界市場を敵に回す戦いの口火を切った。
*
第三部 第一章:完
第三部 第二章:金融帝国の逆襲
カリブのオフショア銀行を急襲した翌日――
青木亮吾の名は、再び世界中の報道で叫ばれていた。
「国連顧問がタックスヘイブンを襲撃」
「亡命者資金を握った人権弁務官、金融市場を敵に回す」
株式市場は大混乱、各国の与党政治家は緊急記者会見、
国連本部にも大手金融グループの弁護士が次々と押しかけた。
ジュネーブの人権高等弁務官事務所。
早朝から応接室には、スーツ姿の“紳士”たちが青木を取り囲んでいた。
彼らは名刺こそ各国の法律事務所だが、背後には多国籍企業、エネルギー財閥、そして国際投資ファンド。
一人が無表情で言う。
「青木補佐官――
あなたが暴露した裏金は“未確認情報”として、我々は名誉棄損で告訴する準備がある」
別の男が書類を机に叩きつけた。
「これ以上続ければ、あなたの“職権乱用”として国連法廷に提訴する。
亡命者を守る立場の人間が、国際資本の秩序を破壊する権利などない」
青木は静かに彼らを見渡すと、無言で書類を手に取り、淡々と破り捨てた。
破り終えた紙片をテーブルに置き、言った。
「亡命者を人間として扱わない秩序など、破壊して当然だ」
スーツの男たちの顔が険しくなる。
「――後悔しますよ。
世界市場を敵に回すとは、そういうことです」
青木は淡く笑った。
「世界市場が人間を買う限り、俺はずっと敵だ。
失せろ」
彼らが出て行くと同時に、背後のドアが開く。
パトリシアが、コーヒーカップを二つ片手に入ってきた。
「よっ。弁護士連中の顔、引きつってたな」
青木は苦笑してコーヒーを受け取った。
「……これで連中は、俺を“法廷に縛る”戦術に切り替える。
亡命者の保護予算も、人権監視チームも削りにくるだろうな」
パトリシアは椅子に腰を下ろし、脚を組んだ。
「つまり――
資金も人も削って、お前を無力化するってわけだ。
どうする?」
青木は遠くのジュネーブの街を見つめながら、冷たい声で呟いた。
「……法廷で潰す。
法と市場の両方を、亡命者の証言と俺の権限で――
根こそぎ、表に引きずり出す」
その頃、ロンドンの金融街では――
裏金を奪われた企業グループの代表理事が、青木の暗殺を示唆する言葉を吐き、密室の会議が開かれていた。
青木亮吾。
世界市場を敵にした男の首に、初めて本物の殺意が向けられようとしていた。
*
第三部 第二章:完
第三部 第三章:法廷戦争の火蓋
ロンドン・国際経済法廷。
世界中の投資家とメディアが注視する中、
青木亮吾の“告発劇”が、ついに公の舞台へと引きずり出された。
「被告:サーベラス・グローバルを含む五つの多国籍金融グループ――
原告:国連人権高等弁務官事務所 特命顧問、青木亮吾――
審理開始を宣言する」
裁判長の木槌の音が響く。
長い会場の最前列で、青木は書類の山を前に立っていた。
背後には、全世界に中継されるカメラ。
右手には、パトリシアが薄いタブレットを構え、証拠データを管制している。
被告席の大理石テーブルには、白髪の弁護士団と、企業代表取締役たちが整然と並んでいた。
彼らの顔には、余裕と侮蔑が浮かんでいる。
冒頭陳述。
青木は一枚の難民証明書を掲げ、静かに口を開いた。
「……この紙切れ一枚で、亡命者は命を繋ぐ。
だが、その裏では、この法廷に座る連中が裏金で市場を操り、難民を転売してきた」
法廷にざわめきが走る。
「私は、この“秩序”を告発する。
亡命者は商品ではない――
世界市場が彼らを買う限り、私は何度でもここに立つ!」
青木の背後で、パトリシアがささやいた。
「――熱血演説はいいけどさ。
外の様子がおかしい。
警備班が何人か通信不能になった」
青木は声を荒げずに答えた。
「……連中は証人を暗殺して、俺を一人にする気だ」
その時だった。
法廷の外、警備扉が金属音を立ててこじ開けられた。
背広姿に見せかけた武装傭兵が、静かに廊下を進む。
パトリシアはタブレットを放り出し、ジャケットの内ポケットから小型拳銃を抜いた。
「ちょっと失礼――
あんた一人で弁論よろしく!
私はお掃除してくる!」
青木は微かに笑った。
「頼んだ」
法廷の中、青木は一枚のデータシートを提示する。
亡命者口座の裏帳簿。
租税回避地で奪った金融機密――
それが一気にスクリーンに映され、被告席の代表者たちの顔から余裕が消える。
外の廊下――
パトリシアは二人の傭兵を殴り倒し、息を切らせて通路の角を曲がった。
その先には、証人保護チームを襲う傭兵の影――
「お前ら、国連法違反の自覚あるか――?」
パトリシアの拳銃が吠えた。
銃声と悲鳴が響き、証人の悲鳴が消える。
法廷内、青木は最後の証拠を叩きつける。
「この取引記録が示すのは一つ――
“金を生むために人権を切り売りする”
そんな金融秩序を、今日ここで終わらせる!」
弁護士団が一斉に立ち上がり、必死に異議を叫ぶ。
しかし裁判長の手はすでに振り下ろされていた。
「証拠能力を認める――
審理を続行する!」
世界中の報道陣が歓声を上げる。
青木の表情は変わらない。
法廷の外では、パトリシアが血まみれのまま、倒れた証人を担ぎ上げている。
「ボス……証人は……守ったぞ……!」
これが人権と資本の最前線――
青木亮吾の“法廷戦争”が、ついに世界を巻き込んで燃え上がった。
*
第三部 第三章:完
第三部 第四章:血塗られた証言台
ロンドン・国際経済法廷――
法廷戦争は佳境を迎えていた。
法廷の奥には、応急処置を施された証人――
元「サーベラス・グローバル」極秘口座管理責任者の老会計士が、血の滲む包帯を巻かれたまま証言台に座っていた。
彼の証言がすべてを決める。
青木亮吾は被告席に並ぶ多国籍企業の代表たちを射抜くように見据えた。
背後にはパトリシアが立っている。
シャツの袖は血で汚れ、まだ荒い息を吐いていた。
裁判長が静かに言った。
「証人――
命の危険を冒しての出廷、感謝する。
それでは、証言を開始してください」
老会計士の声は震えていたが、目だけは確かな意思を宿していた。
「……私は……サーベラス・グローバルの内部会計監査役として……
租税回避地での秘密口座、匿名基金を管理していました……
それらの資金は、亡命者を人質に取った密約の裏金でした……
すべては、戦争を続けるために……」
法廷に、静寂と怒号が入り混じる。
被告の弁護士が立ち上がる。
「異議あり!
この証言は証拠能力に疑義が――!」
青木はすかさず言い放つ。
「証拠は、租税回避地の金庫から押収した生データです。
本人の署名と一致している。異議は無効です!」
裁判長は短く判決を下す。
「異議を却下。
証言を続けよ」
老会計士は、血の滲む包帯を握りしめ、かすれ声を振り絞った。
「私は……買収され……命を繋ぐ代わりに……
亡命者の命を裏金に換えた……
私の罪です……!
だが……青木補佐官だけが……亡命者を……人間として……!」
彼の目から涙が零れ、証言台に落ちた。
パトリシアは静かに手を握り、つぶやく。
「……おじいさん、やっと……
自分の亡霊と決着つけたんだな……」
青木は一歩、裁判長の前に進み出た。
「これが、亡命者を犠牲にして生まれた富の正体です。
私たちはもう、黙認しない。
この法廷で断罪するだけでは足りない。
世界市場の隠し金脈を、すべて公開します!」
スクリーンには、押収した裏金ネットワーク図が映し出される。
世界各国の議員名、企業幹部、武器商人――
あらゆる“亡霊”の名前が並んでいた。
被告席は完全に凍り付いていた。
法廷の外では、報道ヘリが集まり、世界中にリアルタイムでこの一部始終が放送される。
青木は、血塗れの証人に深く頭を下げた。
「……あなたが勇気を出してくれたから、未来を奪われた亡命者たちが、今度こそ人間に戻れる」
老会計士はかすかに笑った。
「……ありがとう……」
裁判長の木槌が、重く響く。
「これにより、被告側の金融犯罪の証拠は充分と認める。
判決言い渡しは次期期日にて――」
青木とパトリシアは、揃って深々と頭を下げた。
証人の血が滲んだ法廷は、
市場と権力の亡霊を断罪する“血塗られた証言台”として、歴史に刻まれることになる。
*
第三部 第四章:完
第三部 最終章:市場を超える者
ロンドン・国際経済法廷。
法廷内の静寂は、誰もが息を呑んで待つ“瞬間”のためにあった。
判決の言い渡し。
青木亮吾とパトリシア・エルナンデスの、長く血で滲んだ戦いの終着点。
裁判長が立ち上がり、低い声を張る。
「被告、サーベラス・グローバルを含む五つの多国籍金融グループは、
亡命者の人権侵害及び違法資金洗浄により――
有罪と認める!」
法廷の外、世界中の街角に設置されたスクリーンに同時中継される。
人々が歓声を上げる国もあれば、金融市場が一時停止する国もあった。
弁護士団が顔面蒼白で席を立つ。
企業幹部の何人かは、警備に腕を掴まれて連行されていく。
青木は静かに裁判長に頭を下げた。
「……ありがとうございました」
彼の隣でパトリシアが拳を小さく握りしめた。
「勝った……勝ったぞ、ボス……!」
青木は微笑んだが、その瞳に映るものは勝利ではなく、その先だった。
判決から数時間後――
人権高等弁務官事務所・ジュネーブ本部。
小さな会議室で、青木とパトリシアは向かい合って座っていた。
テーブルには、国連本部から届いた一通の書簡。
《青木亮吾 特命顧問職 解任通知》
パトリシアは封筒を睨みつけ、テーブルを拳で叩いた。
「ふざけてる……!
こんなもん、あんたが命懸けで勝ち取った判決の代償かよ!」
青木は微笑んだまま、紅茶を一口啜った。
「権力に勝つってのは、権力を持った自分も“除染”されるってことさ。
想定通りだ。
これで俺は、どこにも所属しない“人権の亡霊”になる」
パトリシアは黙って青木を睨んでいたが、やがて目を潤ませ、呟いた。
「……一人にすんな。
私も亡霊でいてやる。
あんたがどこに行こうと、ずっと隣だ」
青木は静かに立ち上がり、窓を開けた。
アルプスの雪解け風が二人を撫でる。
「行こう、パトリシア。
まだ亡霊は生まれる。
誰かが権力を手にする限り、亡命者は生まれ続ける」
パトリシアは鼻を啜り、いたずらっぽく笑った。
「どこに行くんだ?」
青木は街の向こうを見据えた。
「次は……“自由市場の心臓”を直接、嗤いに行く。
どんな国境も、資本も、亡霊も――
俺たちには通用しない」
二人は静かに並んで歩き出した。
人権を嗤う世界を、笑い返すために。
*
第三部 最終章:市場を超える者――完