第41話 マスケット銃
床が急に抜けた。
そう思うほど、足元の感覚はなく力が入らない。
落ちる事など物理的に不可能なはずなのに、どこか上空に投げ出されたように方向感覚が消えた。額に押し付けられた銃だけがそこにあって、俺は、マスケット銃を見るだけで精一杯で上も下もわからなかった。重力がいつもより強く、底を失う感覚がてっぺんから足の先まで駆け抜け続ける。
すごい静かでそれが一番怖かった。
額に当てられた銃は、カタカタと揺れることもなく真っ直ぐに俺を狙ってるし、
いつもはうるさいザミエルの声も、外を走る車の音も、何も聞こえない。
俺はジャケットを手放し、咄嗟に両腕を上空に上げた。
手をパーにして戦闘の意思もないことも示す。でも、ザミエルに伝わってるかわからない。
本当に静かで、この時間が永遠に思えた。
次第に俺の身体に異変が生じていった。腕が震え手を上げていられなくなる。痺れて、指先の感覚もない。視界の端でそれは不規則に揺れ動き恐怖を助長した。
呼吸も乱れ、息するだけで精一杯で、しゃくりあげる様な声が静寂の中へとひとりでに発せられる。息を吸うと同時に身体が跳ねる。動きたくないのに身体は勝手に動く。
そうして知らぬ間に揺れるから、呼吸する度にマスケット銃がコツコツと額に当たる。肺がこわばりまともに息が吸えないのにそれでも息を吸おうとするから喉元に大量の空気が流れる。息苦しい……息吸う度に血の味がするんだ。もう嫌だ。ねぇ、怖い。なんで? 誰か助けてくれ。
恐怖が俺を埋め尽くしていった。
静かで、この空間が剥ぎ取られたかのような静けさが嫌すぎて、俺から発する音だけが響く空間が嫌で嫌で仕方がなかった。
どうにかしてこの沈黙を破りたかった。
喉がこわばり唇が震えているからこれが声になるかどうかわからない。
「ただいまー。エイデンー!ちょっと来てくれない?」
うわぁっ…母さんだ。母さんの声だ。
沈黙を破ったのは俺じゃなかった。俺が言葉を発するより前に母の帰宅の第一声とビニール袋を揺らす音がかすかに聞こえてきた。
ピリリと頬に何かが這った。落ちるように上から下へ這って行った。
俺はこれが汗なのか涙なのかわからなかった。ただ助かったと思ってしまった。
「今行くよ!」と言葉を返そうとしたらカホッ…と鈍い音が喉の奥で鳴った。
空気が逆流してしまったみたいで肺まで息が届かなくなった。
パクパクと顎を上下に動かしているのに一向に空気が入ってこない。
俺から発する音も消えていた。ただただ静かに苦しみに溺れている。
無意識のうちに両手は下ろされ、喉元を押さえていた。締まった扉をこじ開けようと躍起になる。首を掴むようにして押さえ、グイッと思い切り手前に引っ張る。まっすぐ前を向くことすら難しく、引っ張られた首に連られて背中を丸めたかったが、どうにか耐え忍んだ。「あ。」と脳内で小さな声が聞こえ、先ほどからぴたりとも動くことなく俺を狙っていた銃口がようやく動いた。
ゆっくりとマスケット銃が俺から離されていく。
見惚れるような手捌きで銃が回転し銃口が上に向いた。そのままゆっくりと銃が床に下ろされ、静まり返った。気まずそうな雰囲気がものすごく伝わった。
脳内に響いた第一声が気の抜けたような声だったからか、いつの間にか俺の緊張もほどけていた。息を通さぬほどこわばっていた喉や、肩や肺の不規則な揺れもいつの間にかおさまっている。声が出せそうだと言うことを確認した俺は、「今行くよ!」と急いで母さんに返事をした。
「ちょっと俺、お前に色々言いたい。でもまずは母さんに会ってくる。お前はそこでおとなしくしててくれ」
押し付けるように言ってしまい悪かったかなという不安が一瞬頭をよぎったが、ここから離れたい気持ちの方が強かった。
構わず俺は、自室を出ていった。
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「重いからって床にウォーターボトル置いている私も悪いけれど……高校生にもなってそれにつまづいて転ぶって流石にどうなの?」
「あ……。俺、繊細な子だから」
俺は適当に言葉を返した。母さんは換気扇のフィルターを交換して欲しいとの事で台所で俺を待っていた。俺は母の元へ向かおうとしたらいつも通りに体が動かずよろけてコケた。大事には至ってないが、膝の骨がカクカク動き立ち上がれそうではなかった。
母は呆れた顔をする。俺の異変には気づいていない様で、俺を立たせようと手を差し伸べてきた。
一瞬ためらったが、目の前で静止する筋張った白い手のひらに俺の手をそっと重ねた。指先がちょっとカサついていた。ハンドクリームぐらい塗れよ母さん。そのままぐいっと上へ引っ張られたが力の入らない俺は肩だけ上がり、やはり立てそうではなかった。
「……ふざけてる?」
ふざけてなどいない。真面目に立てそうにないんだ。
「……ちょっと甘えたいかも」
「……そう」
母は言葉を探すかの様に俺を見つめた。目と目がちゃんと合ったのは一瞬で、すぐさま視線は俺の顔から外れ、母さんの眉が動いた。じっと何かを見ている。
「指先のそれどうしたの?」
母はしゃがみ俺の右手を持ち上げた。それとは右手の人差し指に刻まれた契約印を隠す為にぐるぐるに巻いた包帯のことを差しているのだろう。そう理解した瞬間俺は反射的に手を引っ込めた。
「!? ちょっと急にどうしたのよ!」
「あ。ごめん。別に……その、これ。もう痛くはないから。大丈夫だから!!見て見ぬ振りして忘れて?」
「はいはい」
適当にあしらわれて、ほっとした。急に思い出し「あっ。」と息が漏れる。
そういえば母さんに言わなきゃいけないことがあったんだ……
「あのさ…母さん。その、そういえばさ、この街の治安悪くなっただろ?だから、その。夜道が前より危険だからって俺、バイト減らされてて。でも警察署の清掃バイト受かったんだ」
「だから心配しなくて大丈夫だよ」そう俺は付け加える。
良い報告をしたはずなのに母はキョトンとしていた。
「…その話、お母さん初めて聞いたわ。」
「え?」
「でもまぁ受かったのね! おめでとう!!!清掃バイトでも凄いじゃん!夢に近付いたね」
先ほどまで深刻な顔をしていたのに今は笑顔で俺は戸惑いを隠せない。
でも、そんなことはどうでも良く思えるぐらい俺は嬉しい。褒められて嬉しい。
俺も笑顔で「ありがとう」と返す。
「ねぇ。いつまで床にいるつもりなの?体冷えちゃうわよ」
「俺、こんな時間過ごせるなら床でいいよ。久しぶりに母さんと会話できた気がするからさ。」
「毎朝一緒に食事しながら会話してるじゃない。バカ言ってないでとっとと立ちなさい」
しっかりと腕を回し抱き抱えるように立ち上げてきた。
今度はちゃんと立ち上がれる。いつの間にか膝の震えも治っていた。
「えっと。まずは、何すれば良い?」
「何もしなくて良いわ。自室に戻って良いわよ」
「え?」
「作業中だったんでしょ?変な音したし、いつもより来るまでに時間がかかっていたということお母さん知ってるんだからね」
「あ。うん。でも、張り替え作業が…」
「足元がおぼつかない子に高所作業は任せられません。だから今日はやめにしました。」
「あ……うっ。。。使い物にならなくてごめん」
「別にいいわよ。明日でも明後日でもタイミングのいい時にやって貰うから」
俺は、この任務から外れることはできないようだった。ちょっとだけ安心した。
まだここに居たかったけれど母に促され自室に戻った。身体がうまく動かなかったこと実は全部バレているのかも知れない。
母の意図的には自室に戻って休んで欲しかったのだろうけれど、俺にはまだやるべきことがいくつも残っていた。
それを解消していく為に、まずは大きく息を吸う。
早速。一つ目の課題に取り組む。
「お前、その銃マスケット銃じゃないだろ!!!」
そうザミエルに突っ込むところから俺は始めることにした。
次回更新:2025年9月23日(火) 22時頃目標!
間に合いませんでした。でも私は頑張りました。
今回も予定更新時間より押してしまって申し訳ございませんでした。
もうこれから予定じゃなくて目標としてやっていきます。目標が達成できる様に応援してくださいまし!お嬢様!!!




