プロローグ
初の連載小説になります。よろしくお願いします。
たとえば自分が物語の主人公になったとして、彼らのように敵と戦い立ち向かい困難を乗り越えていけるだろうか。
まぁたぶん私は無理だ。
勇者のように特別な存在に選ばれたとしても、特別な力を生まれ持っていたとしてもきっと無理だ。
何故なら私は彼らのように、逆境の中でも揺るがず貫き通せるだけの覚悟も強い意志も無いからだ。
職場の上司の言葉には大人しく従い、意地悪な先輩の八つ当たりにもただ耐えるだけ。
この現代社会で上手く生きていくために必要なのは忍耐だ。
もちろん周囲の常識やルールに逆らい自分の意志を貫き通して成功する人間だっている。
妬んでいる訳じゃない、だってそういう人たちだって忍耐し続けた上での成功だ。
周囲の批判に耐え、努力し続ける疲労を耐え、戦い続ける辛さに耐える。逆もしかり、社会の理不尽さに耐え、言葉の暴力に耐え、無限に湧き上がる劣等感に耐える。
皆同じだ、耐えて耐えて生きている。私だけじゃない。
けれど耐える事が平気なんじゃない。重くて痛くてつらくて、いつだって逃げ出したいという思いを抱えている。
つらい現実から逃げ出して、もう一度最初からやり直したくて、傷つけられることも傷つける事も無い優しい世界で生きたい。
自分を押し殺す事も無くありのままの自分をさらけ出して、誰からも愛され、心から愛せる存在が居て。そんな世界で生きていけたなら、って思う。
要は今の自分が嫌なんだ。捨ててしまいたいんだ。新しい自分になりたいんだ。
そんな現実逃避をしながらただただ生きていた。
なんて事を考えながら毎日暗い顔をしていた日の記憶はまだ新しい
学生から社会人に成り立ての頃は世の中の理不尽さに疲れ切っていたが人間は順応性の高い生き物だ。数年もすれば慣れるし、多少の処世術も身につけた。
理不尽な上司も先輩もいるが、頼りになる優しい上司も先輩もいる。
安心して帰れる場所、家族だっている。
昔から人見知りだったこともあり友人は少ないけども
仕事行きたくないなぁと思う事は今でも多いし、やめたくなるときだってある。
でもやり甲斐を感じる事もあるし、給料は決して高くないがたまの贅沢はできるぐらいには貰えてるから生活にも困っていない。
少なくとも数年前のように、今の自分のすべてを捨てて新しい世界に行きたいなんて思う事は無くなった。
社会の厳しさに揉まれながら努力して身につけたキャリア(そんなに高くないけど)や築き上げた自分の居場所はもう簡単に手放せるものではなくなった。
今の悩みと言えば周囲からの「結婚しないの?」攻撃ぐらいだ。
だからまぁ、主人公じゃなくったて良いんだって思えるようになった。
そこらへんに居る通行人Aだって、それぞれの困難と戦って苦労して、その人にしか築けない何かを得て、それなりに幸せに生きていけるんだ。
モブだって村人Aだって良いじゃない。むしろそっちの方が良いかもしれない。
人々の命とか世界の運命とか、そんな重すぎるものを背負うなんてとんでもない、仕事一つ任されるのだって緊張するのに。
頼られる、必要とされることは確かに嬉しい。特に強い劣等感を抱える人間からしたら、自分が必要とさることは何よりも幸せな事だろう。
社会に出てから色んな人が居ることを知った。その中でも自分は恵まれた方だと知った。
だからこんなことを願うのは贅沢かもしれないけど
いつか、自分の命よりも大切な人に出会えたなら。恋人でも友人でも、どちらかだけでも良いから、そんな風に思える人ができたら、そしてその人に自分が必要とされたなら。
なんていい年して夢見がちな事を思っている。恥ずかしいから口には出さないけど夢見るぐらいは許して欲しい
現実は見ていかなくちゃいけないが、時々現実逃避する時間があるほうが生きて行くには丁度良いんだから。
そうだ、だからきっとこれは夢なんだ。
最近忙しくて疲れてた上に、久しぶりに仕事で大失敗やらかしてもう最悪に落ち込んでたから。
一度沈むとどんどん深く落ち込んで劣等感に苛まれる性格な事もあって「私なんか…私なんか…」ってしばらく悲劇ぶるけども。どっかに消えたいって思ってしまうけども。
でもちゃんと翌日には復活できる、ご飯食べて、失敗したけど頑張った自分へのご褒美にちょっと高めのお菓子とか買って、暖かいお風呂に入って布団に入って眠れば、起きた時には浮上できている。劣等感は中々消えないけど、耐えて、頑張れる。
あぁでも仕事から帰る途中で突然この景色だから、まさか気絶でもしたんだろうか。
嫌だなぁ、目を覚ましたら知らない天井(病院)でした、とか?
やだなぁ、あ、でも明日休みだった。何とかなるかな、何とかなる程度でいて。
それにこの夢の中は、不思議と居心地が良い。
夕暮れ前なのか空の青さは昼よりも薄く柔らかい色で、マンションや電柱どころか建物一つ無い何処までも広がる草原との地平線はうっすらと夕日色に染まっていてとても幻想的だ。
ああ綺麗だなぁ、なんてぼんやりしながら辺りを見渡していると、果てない空と草原だけかと思ったその空間に一本だけそびえ立つ木を見つけた。
何となくそちらの方へ歩いて行く。
夢特有の思うように足を動かせない、なんて感覚は無く柔らかな草と土を踏みしめる感触が妙にリアルで本当に夢の中なのかと思ってしまう。
頬を撫でるように吹く風も、草同士が擦れサワサワと流れる音も、地平線に向かって沈んでいこうとする夕日の眩しさも、幻想的な景色に反して五感に伝わってくる感覚はひどく生々しい。
そんな初めての感覚を味わっているのに、恐怖は感じなかった。
ただ何かに引き寄せられるように、静かにそびえ立つ木に向かって足が進んでいく。
風が強くなった。
すると太い木の幹の奥から、風になびく長い髪が見えた。
一瞬花が散っているように見えたその髪色は現実ではあり得ない桃色の髪だ。
誰か居ることにも驚いたし、髪色にもぎょっとして思わず「え」と声を出してしまった。
自分でない、人が動く気配がしたかと思うと、木の幹の奥から桃色の髪の主が顔を出した。
顔を見た瞬間、息を呑んだ。
肌を撫でる風も、草木が揺れる音も、空に広がる夕日色も、世界の景色が切り離された。
ただ目の前の人に意識の全てを奪われていた。
透き通るような白い肌、すっと整った鼻筋に、柔らかなピンク色の小さな唇
何より印象的なのが、大きくて吸い込まれそうな銀色の瞳
髪や目の色もそうだがあまりにも整い過ぎている美しい顔立ちなのに作り物のように感じなかったのは、こちらを見て驚いているのが分かるほど目を見開きあちらも息を呑んでいるのを感じ取ったからだ。
声も出せず、時も忘れて銀色の瞳の美女と見つめ合った。
「貴女は…」
先に言葉を発したのは銀色の目の美女の方だった。
その声も柔らかく透明感のある、いつまでも聞いていたくなるような優しい声だ。
「どうしてここに?それに…」
自分に問いかけられているのは分かっているのに、その声を聞いていたくて、遮りたくなくて、声を出せなかった。
桃色の長い髪をなびかせながら、美女は立ち上がって私の方を真っ直ぐに見つめた。
見開いていた目は、悲しそうに細められて、形の良い眉も下がっていく。
初対面なのに、名前も知らないはずなのに、あぁそんな顔をしないでと、胸が締め付けられるように痛む。
胸が苦しくて、熱い
何故か分からない 胸の奥で何かがぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、全身の血が沸騰しているようだ。
悲しい 苦しい 嬉しい―――――懐かしい、逢いたかった
逢ったことなど無いはずのその人に、いくつもの感情が湧き上がる。
目の奥が燃えるように熱い。
視界がぼやけて、まるで水の中にいるかのように揺れている。
「どうして、泣いているの?」
悲しそうな声の問いに、何も返すことができなかった。
ただただ、逢いたかった―――と胸の奥で誰かが、私が泣いていた。
熱い涙が溜まった目が自然と瞼を閉じて、そのまま私の意識は遠のいていった。