4.シュラ
私達は駆け足で洞穴の中に入る。中は意外と深さがあり、奥が見えないほどだった。
「こんな近くに洞穴があるなんてラッキーだったね」
「だな。ずぶ濡れになるのはゴメンだ」
陽一くんのようにフサフサだと、ずぶ濡れになった時に水を拭き取りきれなくて大変だろうなと思いながら、ハンカチを取り出した。
「ハンカチ使う?」
「おっ、サンキューな」
陽一くんはハンカチを受け取り、少し濡れた毛皮を拭き始める。
「そういえば、奥から何か聞こえる気がする」
はっきりと聞こえるわけではないが、小さく粘り気のある音が聞こえるような気がする。一体なにがこの音を出しているのか気になり始めた。
私はその音の主を確かめに洞穴の奥へ進んでみる。影ではっきりとは見えないが、なにかがモゾモゾと動いている。
「おっと、あぶなっ!」
何かを踏みつけて転びそうになり、慌てて体制を元に戻す。なにを踏みつけたのか見てみると……。
「ひっ! やだ嘘でしょ!」
私は思わず飛び上がる。足元には日常では見ることのないもの、ちぎれた人の腕が転がっていたのだ。
「楓! 後ろ!」
陽一くんの叫ぶ声が聞こえてきた。後ろを見るとそこには、むき出しの牙と昆虫を連想させる多くの脚……人とも獣とも言えない異形の怪物が唸り声をあげながら私を見つめていた。先ほどの音はこの怪物が人を捕食する咀嚼音だったのだ。
「に、逃げなきゃ、逃げなきゃ……! あっ!」
走って逃げようとしたが、腰が抜けてしまいその場に倒れこんでしまう。動かせる腕を使いほふく前進で逃げようとするも、あまりにも遅すぎて怪物から距離を取ることができない。
「くっそ、仕方ねえ!」
陽一くんは腰に下げていた鉈を取り出し、走って怪物に斬りかかって行く。
「離れろおおおおお!」
陽一くんは一気に鉈を振り下ろす。しかし、怪物は長い腕で受け止め、そのまま腕を振り回して陽一くんを弾き飛ばしてしまった。
「がはっ!」
地面に叩きつけられた陽一くんは悲鳴をあげる。
怪物は私の方に向き直り、大きな牙を見せる。そしてそのまま私に噛み付こうと不気味な口を開けて一気に顔を押し付けてきた。
「あああああああ!」
私は恐怖で悲鳴をあげながらも、とっさに先ほどの腕を拾い盾にした。怪物はその腕に噛みつき一気に肉を剥ぎ取り、盾にしていた腕は先の尖った骨を露出させた。
怪物は今度こそ私を嚙み殺そうと迫ってくる。
「わああああああ!」
今度こそもうダメだと思ったが、突然怪物の動きが止まった。おそるおそる怪物の方を見てみると、怪物の左目から腕が生えていた。
なにが起きたのか数秒時間がかかったが、私は反射的に骨の露出した腕で左目を突き刺したのだと理解した。
「ガアアアアアアッ!」
怪物は目を潰された痛みに悲鳴をあげ後ずさる。
「やあああああああ!」
その隙を見計らって、陽一くんは怪物にとびかかり、首元を切りつけた。
怪物の首からは血が吹き出し、近くにいた私はその返り血を一気に浴びた。生暖かくぬるりとした感触が顔に伝わる。
怪物は倒れこみ、しばらく痙攣をした後に全く動かなくなった。
「楓! 大丈夫か!」
「う、うん……」
「そっか、よかった」
陽一くんは座り込んで低くなった私の頭を撫でる。
「陽一くんは大丈夫? さっきすごく飛ばされたけど」
「ああ、痛かったけど問題なしだぜ!」
陽一くんは力こぶを作ってみせる。
「しっかし、すっげー危なかったな。こんなとこであんなヤバいシュラがでるなんて」
「シュラ……?」
「ああ、今のバケモンを俺たちはそう呼んでる。やたら好戦的だからそういう名前がついたらしいぜ」
「そんなのがこの辺りにたくさんいるの?」
私は怖くなった。そんなのが沢山いたらいくつ命があっても足りない。
「いや、大体はシュラ専門の狩人が狩ってくれるから、そう沢山出てくるもんじゃねえよ。今回のはかなりのレアケースだろうな」
「じゃあ、これからは大丈夫ってこと?」
「多分……な」
陽一くんは自身がなさそうにうつむく。
「やだもう、お家帰りたい……」
なんで変な世界に飛ばされた上にこんな危険な目に遭わなければならないのか。元はと言えば私がふざけて冷蔵庫に入ったのが原因なのだから、本当に情けなさすぎる。
「……おかしいな」
「え、どうしたの?」
「シュラってさ、死ぬと水になるんだけどな……」
「え、つまりそれって……」
死ぬと水になるはずのシュラは今もまだ足元で姿を維持したまま横たわっている。つまりそれは……。
「ガアアアアアアッ!」
シュラはまだ生きていることを意味していた。私は急いでシュラから離れようとしたが、シュラのほうが行動が早かったようだ。私の顔はシュラの手のようなもので鷲掴みにされ、持ち上げられてしまう。
「楓!」
「や、やだ! 助けて……!」
掴まれた勢いでメガネが落ち、乾いた音が洞穴の中に響き渡る。私は必死にもがいたが、怪物の手から開放されることはなく、ただ足を宙をバタつかせるだけだった。
「痛い痛い痛い痛い!」
怪物の手はミシミシと力が入っていき、私は泣き声のような悲鳴を上げた。
「い……ぎゃああああああ!」
怪物の一本の指が私の右目に食い込み、一気に目玉を突き破った。
「いたいいいぃ、あああああぁぁぁ……」
私はもはや、泣きわめくしかなかった。陽一くんの「このっ! 離れろ! くそっ!」という声が聞こえてくる。今も逃げずに私のために頑張ってくれているのだ。
陽一くん、疑って殴ったりして本当にゴメンね。そう思いながら、私の意識は闇の中に飲まれていった。