9.ネズミの少女と万歳
「バンザーイ! バンザーイ!」
外から大きな声が聞こえて目を覚ました。普段は目覚ましでも起きないのに、今回はなぜか完全に覚醒してしまったのだ。
「なに? 誰か何か賞でも取ったの?」
そう呟きながら私はベッドから降りる。
「あ、楓ちゃん! ちょうどいいところに起きたね!」
正流くんが私の着替えをもって病室に入ってきた。
「正流くん、おはよう。着替えありがとうね」
正流くんから着替えを受け取り着替えようとすると、
「あっち向いてるから、着替え終わったら声かけてね」
そう言って向こうを向いてくれた。そうか、一応女の子だから気にしてくれているのかと思い、あまり女扱いしてもらったことが少ない私にとっては少しうれしかった。待たせるのも悪いので急いで寝巻から着替える。
「お待たせ! 着替え終わったよ!」
正流くんがこちらに向き直って私の手を握る。
「ちょっと、どうしたの?」
「ねえ、さっきから『バンザーイ』って声が聞こえるでしょ?」
「うん。聞こえるね。何かいいことでもあったのかな?」
正流くんは手を引っ張って
「ちょっと様子を見に行こうよ!」
そう言って私を外に連れ出した。
「バンザーイ! バンザーイ! 須藤貞子バンザーイ!」
現場に行くと人が集まっており、ネズミの姿をしたクギビトの女の子が胴上げされていた。
「おーっほっほっほ! 皆の衆、そんなに喜んでくれてうれしいですわ!」
どうやらこの子が賞賛の対象となっているようだ。いったい何があったのだろうか気になったので、近くにいる男性に、
「あの、いったい何があってみんな喜んでいるんですか?」
そう聞いてみると、
「須藤屋敷の貞子ちゃんがクギビトになったんだよ!」
「それは見ればわかりますけど、それっておめでたいことなんですか?」
男性は驚いた顔をして、
「あったりまえよお! クギビトになれば倉子様からの祝福を受けて、将来的には倉送りで神の世界へいけるんだからよお! おめえ、そんなことも知らんのか?」
「あ、はい。実は……」
そういうと正流くんは何かを察したのか、
「ごめんなさい。この人少し記憶に問題があって。ね、楓ちゃん」
「あ、ああ。はいはい。そ、そうなんです」
正流くんがフォローを入れてくれた。もう少しで異世界から来たと言ってしまうところだった。そんなことを言ったらまた変に見られてしまうのだから、危ないところだった。
「そうかい。苦労してんだな……」
男性はそう言い残して人ごみの中に消えていった。
「ねえ、正流くん」
「何?」
「クギビトになるって、凄いことなの?」
「世間一般的にはね」
だとしたら、倉子様に対して反感を持つのは危険かもしれないと感じた。信仰が強いところほど、宗教がらみで怒らせたら怖いからだ。
「楓ちゃん、難しい顔してる」
「ん? ああ、ごめんごめん。ちょっとまだ宗教が根強い環境に慣れてなくて」
「まあ、そうだよね。ゆっくり慣れていけばいいよ。じゃあ、朝食を食べに戻ろうか」
病院へ戻ろうと背を向けた時、いきなり後ろから、
「お待ちなさい! そこのノリの悪いお二方!」
そう大きな声がした。振り返ると、先ほど胴上げされていた女の子、貞子ちゃんが私のことをにらみつけていた。
「あらあなた、このへんじゃ見ない顔ですわね。どこのご出身で?」
「ああ、ええと、あのー……」
すると先ほどの男性がこっちにきて、
「この子、ちょっとした記憶喪失なんだってよ。で、どこから来たのかも分からないってわけ」
そう説明してくれた。
「そう、それは同情しますわね。失礼な態度をとってしまったこと、お詫び申し上げますわ」
貞子ちゃんはそう言って頭を下げた。この子はしゃべり方は独特だけど、悪い人ではないのだなということが分かった。
「そんな謝らなくていいよ。私は山村楓! よろしくね」
「須藤貞子ですわ! 今後ともよろしく」
そう言って貞子ちゃんと私は握手した。手を通じて、シルクのような肌触りのよさを感じたので、普段からスキンケアとかしっかりしていることが分かった。
「あの、そろそろ手を放していただいてもよろしくて?」
「あっ! ごめんつい……」
気づくと私は貞子ちゃんの手を撫でまわしていた。あまりにも撫で心地がよく夢中になってしまったのだ。あわてて撫でてる手を放す。
「ふふふ、クギビトの毛並みが珍しいんですのね」
貞子ちゃんに笑われてしまった。正直言って恥ずかしい。
「そうそう。お二方にはこれを渡そうと思っていたんですわ」
貞子ちゃんはそういうとポケットから一枚の紙切れを差し出した。
「今夜、わたくしの屋敷でクギビトになったことを祝う記念パーティーを開催しますの。急な開催だから大したものは用意できないけれども、できる限りのおもてなしをするつもりなので期待していてほしいですわ」
紙にはウサギがケーキを食べようとしているイラストが描いてあった。文字は活字で書かれており、人の手だけで作ったのではないことが分かった。
「貞子ちゃん、ちょっとおかしなことを聞いてもいいかな?」
「なんでございますの?」
「貞子ちゃん家にはプリンターってあるの?」
「プリンター……?」
「あ、印刷する機械があるのかなーって」
「ああ! それならば、わたくしの家に自慢の印刷機がありましてよ。村のみんなにも貸し出していて、これが結構喜ばれているんですのよ」
これで一つ、この世界の文明がどれくらい進んでいるのか知ることができた。一般家庭にはプリンターはないが、お金持ちの家に行けば大量に印刷することも可能なのだというわけだ。
「もしかして、なにか印刷したいものでもありまして?」
「うん! 実は佐田陽一くんの手がかりを……むぐっ⁉」
後ろから突然、正流くんに口をふさがれた。
「……ちょっと、お兄ちゃんは神の世界に行ったことになってるんだから余計なことを言わないで!」
と、小声で注意されてしまった。
「ご、ごめん……」
チラシを印刷して陽一くんに関する情報を集めようと思ったのだが、この作戦は使えそうになくなった。下手したら倉子信者に殺されるリスクがあることに気づけなかった。
「貞子ちゃん! パーティーのお誘いありがとう! 行っていいか竜二さんに聞いてみるね!」
正流くんはそういうと、私の手をつかみ走り出した。
「ちょっと、正流くん、どうしたの慌てて!」
「楓ちゃんを放っておいたらどんな余計なことを言い出すか分からないもん!」
「うう、ごめん……」
貞子ちゃんが「お二方が来ることを楽しみにしてますわよー!」と大きな声で伝えてくれたのを背に、私たちは病院へと帰っていった。
「あら! 貞子ちゃんからのお誘いなら行けばいいじゃない! アタシも印刷やらなにやらでお世話になっているし、一緒に行こうかしら」
意外にも竜二さんは乗り気だった。なんでもすぐに否定してくるイメージだったのでそんな反応をしてくるとは思わなかったのだ。
「でもクギビトになったってことはいずれ……」
正流くんは浮かない顔をした。
「だからこそ、いい思い出でいっぱいにして、笑顔で送り出すのよ!」
竜二さんはそう言って正流君の口角を上に引っ張った。
「お兄ちゃんの時は、そんなにうれしいって感じじゃなかったよね」
「あの時はケンカした直後だったから、気持ちよく送り出すことができなかったのよね……」
竜二さんはそう言ってうつむいた。
「何かあったんですか?」
「これは家族の中での内緒よ。アンタには教えないわ」
「そ、そうですか……」
特に自称異世界人として信用のない私には話したくないのだろう。私が竜二さんの立場だったら同じことを言っていたと思う。
「と、とりあえずや、スーツとか用意しよう! ね?」
ギスギスした空気になったことを察したのか、正流くんが提案をしてくれた。
「そ、そうだね! 失礼にならないように準備しよう!」
「仕方ないわね。アンタ用のスーツも用意しないといけないから出かけるわよ」
「ありがとうございます!」
「その代わり、病院内の掃除を手伝うこと!」
私は、「ひええ」といい、竜二さんについていくことにした。




