食堂の話
「おはようございま~す。
あれ?
時間的にはもう、こんにちはーですか?」
「どっちでも構わないさね。
いらっしゃい、ルル。
今日も来てくれたのかい?」
「はい、女将さん。
ここの御飯が忘れられなくて」
「あらま~。
嬉しい事言ってくれるね、この子は。
こりゃ~サービスしなくちゃね」
「やった☆」
顔馴染みとなりつつある宿屋兼街食堂<先駆けの白馬>亭。
定位置となりつつあるカウンター席に腰掛けるとルルは女将であるハンナへ挨拶する。
食事に邪魔な剣は剣帯ごと外し傍らに。
荷物はまとめて足元に。
まだ昼前のこの時間、客足はまばらだ。
ハンナは豪快に笑うと丁重におしぼりと果汁が入った冷水グラスを差し出す。
商売柄顔を覚えるのが得意とはいえ、ルルは別格だ。
2週間連続で毎日顔を出す新しい常連候補。
一回に支払う額も額だけに、さすがのハンナも贔屓にしていた。
無論太っ腹なだけでルルを気に入っている訳ではない。
自分が手塩にこさえた料理を、毎回本当に美味しそうに食べてくれる。
経営者兼料理人にとってこれほど嬉しい事はない。
ルルは温かいおしぼりで手を拭きつつ足元に置いた麻袋から鍋を取り出す。
「昨日も御馳走様でした。
凄く美味しかったです」
「おやおや。
随分綺麗に片付けたもんだね。
今回の味はどうだった?」
「えっと……そうですね。
ジャガイモと人参が型崩れせず煮込まれてて、トロトロで絶品でした。
特に二日目はこう~何だか味が凝縮されてる! って感じで。
あと隠し味? の牛乳とチーズも風味が出てて最高です!」
「はいはい、分かった分かった。
アンタの顔を見れば嘘じゃないのが分かるよ。
ホントにアンタは良いお客様だね。
んじゃ今日はそのシチューをベースにしたクリームパスタと新鮮なイセル海老のフライとかはどうだい?
付け合わせのポテトサラダはあたしの奢りだよ」
「うあ~是非!」
「はいよ。
待ってな、ルル。
今腕によりをかけて作るから」
「ありがとうございます!」
背を向け、厨房に籠るハンナ。
ルルは上機嫌で果汁水を飲み始める。
所在なげに揺れるブーツに包まれた足。
その足が、
不意にピタリと止まる。
「その辺で止めておいた方がいいよ」
感情を交えない機械的な忠告。
言葉から漂う冷気に、布袋に伸びた手がピタリと止まる。
いつの間に忍び寄っていたのだろうか?
ルルの背後に、頭からフードを被り気配を殺した人物が立っていた。
体型の見えぬ服装の為、性別は分からない。
ただかなり小柄であることは窺えた。
「いつ……気付いた?」
「最初から。
正確に言うと、ギルドで報奨金を受け取った時から」
「ば、馬鹿な!
我が隠形を見破ったというのか!?」
「……駄目だよ、こんな穏やかな街中で害気を飛ばしちゃ。
違和感バリバリだから、すぐ警戒されるよ?」
「う、うるさい!
そんな事を君に言われる筋合いは――」
「――あるよ。
だって僕のお財布を盗もうとしているみたいだし」
「ぐっ――」
ルルの詰問に言葉が詰まる。
確かにギルド内で大金をひけらかすような愚行を冒す新人をお仕置きしてやる気ではいた。
財布の半分を教育費として頂いたら後は適当に返すつもりだったのだ。
だが現実はこれだ。
いかなる偶然か少年は気付き、自分は抑制されている。
「今引くなら、事を荒立てる気はないよ。
ただ、もし引かないなら――」
そして気付く。
フード越しからでも分かる。
否、強制的に判らされた。
自分の急所へ触れる、死神の愛撫の様な鋼の刃を。
「そんな馬鹿な……
いつ抜刀したというのだ……」
「ん~企業秘密」
恐る恐る尋ねた質問に、道化の様におどけた声。
しかし口調とは裏腹。
何も変わらない、その無機質さ。
非人間的にすら感じられるそれが――
背筋を、凍らせる。
「……分かった。
この場は引く。
ただ忘れるな、少年。
派手なデビューをした君の存在を疎ましく思う者は少なからずいるぞ」
「ご忠告どーもです」
現れた時同様、霞の様に消える。
ルルはまるで魔法の様に納刀した剣を再度傍らへ置く。
「はい、お待ち!
ん? どうしたんだい、ルル?
そんな顔をして」
「――え?
いや……何でしょう。
すごく愉しみだな~っと、そう思って」
歯切れの悪いルルの回答に、怪訝そうに熱々の皿を並べていくハンナ。
人畜無害そうなルルの口元に浮かんでいたもの。
それは少しだけ愉悦に歪んだ半月だった。