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国内の訓練校において教育課程と規則は相当厳しい。
まぁ、他国を知らない俺からすれば何ともいえないのだが。
そして当然の如く、例に漏れず、ここも同じく厳しいのである。
寧ろ、国内の訓練校で一番かもしれない。
早朝、日も出ていない内から早朝訓練として走り込みや筋肉鍛錬。
その後、朝食があり、休憩も無しに十人連続対人組手、そこから座学。
眠れば、当然走らされたりする為、皆辛そうではあるが、眠りはしない。
そんな馬鹿は俺だけだろう。
尚、俺はもう諦められている為、注意さえ受けない。
注意されない理由は他にもあるが、それを指摘するのは教官にとって酷だ。
補講はある為、それが代わりだと受け取っておく事で波風が立たないのであればそれが一番だろう。
座学の後は昼食から日照りの中、補講でもやった通り、射撃と木板の護衛訓練。
それが終われば、座学を少しばかり受け、夕食と四半刻も無い休憩。
夜間訓練を終えた後、汗を流し、自分の時間になる。
その頃になれば、すっかり日が落ち、辺りは真っ暗な闇だ。
因みに俺の補講は座学の時間も削った為、あれだけ長く出来たのである。
閑話休題。
自分の時間とは言っても日中、あれだけ訓練尽くしであれば、疲労困憊の者ばかりだ。
幾ら数年在籍しているからと言っても変わりない。
殆どの者が泥の様に眠り、次の日を迎え、同じ事を繰り返す。
まぁ、どれも真面目に受けていない俺にとっては疲れもしない為、自由時間が本当に自由なのだが。
優しい俺は周りに配慮して睡眠中の同級生の顔に落書きする程度に収めている。
皆にはいい奴だと言われている筈だ、たぶん。
規則に関しても大小様々なものがあるのだが、事細かく覚えていないのは仕方の無い事だろう。
全部で百以上あったはずだから俺が覚えているはずも無いのだ。
それでも一つは覚えている。
訓練生が学外へ出る事を原則禁じていると言うものだ。
原則と言うのだから例外はあるのかと、俺の本来の相棒に聞けば、「聞きたい?」と不敵な笑みで教えてくれた。
彼女の笑みでいい思い出はないので悪い予感はしていたのだが…。
外出する際、外出理由を四百字以上の文章に起こし、誰でも良いので教官五名に見せる事。
他の国の訓練校は知らないが、五名は多いと思うのは俺だけだろうか?
まぁ、見せた後、その五名から署名を貰うのだ。
普通の学校ではこれで許可が貰えるのではないだろうか?
だが、ここの訓練校は徹底して訓練生を外に出さないつもりらしい。
その五名の署名を理事長、つまり訓練校の最高権力者に見せる訳だ。
そうすれば許可が貰える―
―のなら良かったのにな。
残念な事にすぐに外出許可は下りない。
そこから見せた教官以外の教官数名と理事長で精査するのだ。
それで通れば、漸く、外に出れる。
出れると言えども時間は決まっており、一刻が限度。
これだけして一刻が限度な為か、生徒は殆ど利用しないのだ。
悲しき囚われの訓練生よ…。
…俺もだけどな。
そして今、俺は自由時間を有効に使うべく、とある扉の前に居る。
校舎には教師や生徒は残っていないのに、この目の前の部屋からは明かりが漏れている。
廊下は真っ暗で人でも飛び出してきたら俺は迷わず殴るだろう。
美人なら止めるが、訓練校に美人殆ど居る筈も無いので迷わず殴る。
そんな事は置いといて、目の前の扉の中にはその希少な美人が……いや美人か?
何でも良いか。
まぁ、数少ない女性が居るのだ。
俺はその女性に用があって来た。
校舎の扉は全部片開きの筈なのにここだけ、両開きなのだ。
それに扉にも凝った彫刻がなされている。
それだけでここの部屋の主の学内での権力が分かるだろう。
俺の知っている限り偉いといった感じはしないけどな。
貴族だから偉いといえば偉いのだろうが、見た目がなぁ…。
おっと、自由時間も限りあるし、さっさと用件は済ませるか。
関係の無い話だが、両開き扉って片方しか使わなくね?
意味あんのかねぇ?
ギィとほんの小さな音を立て中に入る。
昼間は窓から入る光で明るさが保たれているこの部屋も今は夜だ。
頼りない蝋燭の光がゆらゆらとカンテラの中でこの部屋の明るさを支えていた。
中央には客人と対話する為のテーブル。
ガラス製で高級なのが見て取れる。
それに調和するように黒い皮のソファが二つ置かれている。
そして部屋の主である彼女は―
「………(カリカリ」
―窓の外から射線が通らないような場所置かれた気品高い机と椅子にいた。
本来ならまだ王都の貴族様が通う学園にいるような女性である。
十六歳と成人しているにも関わらず、少女のように小柄な体躯。
銀糸の様な長い髪は後ろで束ねられていたとしてもその艶やかさは色褪せず、鮮やかな光沢を湛えている。
下を向いて、書類に集中している為、顔は見えないが、彼女の事だ。
凛々しく真剣な表情で紙と向き合っているのであろう。
「おい、無用心だな。暗殺者が入ってきても気付かねぇ内に殺されんじゃねぇか?」
「…何度も言わせないで。私はここに入る可能性のある全員の足音に歩幅、息遣いに扉の開け方まで記憶しているわ。誰が入ってきたか何てすぐに分かるもの。特にクラークならすぐに分かるわ」
彼女は書面から目を離さずに答える。
話す時は相手の目を見て話しましょうって教えられなかったのか?
その態度は貴族としてどうなんだ。
て言うか、全員記憶してるとか実質、全生徒と全教官を記憶してるってことじゃねぇか、理事長様なんだからよ。
どう考えても化け物やん。
と言うよりも足音で判断出来るとか、護衛官俺より向いてんじゃね?
自信無くすわ。
「それにここまで暗殺者が来たのなら私の命はもう無いでしょうね」
彼女は漸く、顔を上げる。
耳に掛かっていた自慢の白銀の髪がするりと落ち、彼女の頬に触れる。
陶器のように白い肌は書類に熱中していた為か、仄かに紅潮し、大人の妖艶さを醸し出していた。
そして、誰もが目を引くであろうその瞳。
彼女の瞳は何物にも変えがたい紅玉の宝石の様に美しく、引き込まれる程の魅力を放っている。
総じて彼女は美少女なのであろう。
見慣れた俺には分からないと言うだけで。
彼女は王都の学園を他生徒より早く卒業している。
その後、代々受け継がれたこの訓練校の理事長を父から引継ぎ、その地位を護る為、努力し続けてきた。
言わば、天才が努力したらどうなるかの模範例みたいな奴だ。
他の貴族からは才女、風雲児などと呼ばれているのを耳にしたこともあるほどだ。
「それで?私に用があって来たのでしょう?忙しいから手短にしてくれると嬉しいわ」
彼女は手を止め、聞く姿勢にはなってくれる。
ここからが正念場だ。
次の一言で聞いてくれるかどうかが決まる。
「ヒュア、話があるんだが…」
「却下」
「まだ何にも言ってねぇよ!」
早ぇわ。
すぐさま、興味が削がれたのか、ヒュアは手元の資料に戻った。
その様子から「さっさと出て行け」という雰囲気が醸し出されている。
「聞いて下さい、お願いします」
「貴方の『話がある』は碌な記憶が無いもの」
真摯な態度、これ大事。
ふぅ、とため息を付いてもう一度向き合ってくれる彼女は昔から変わらず性根が優しい。
釣り目だから怒ってると誤解されることはままあるが、俺は彼女の性根を知っているのだ。
「今まで貴方の『話がある』にいい話があったかしら?『お金を貸してくれ』とか、『四百字書けないから外出許可をくれ』とか、身勝手な言葉ばかり。聞く必要性が見出せないとは思わないかしら?」
ヒュアは小鳥のように小首を傾げる。
……俺、そんな事言ったっけなぁ?
「ともかく、マジで話を聞いて下さい。何でもしますから」
「何でもすると言ったわね?では、話をしないで頂戴」
「いや、話を聞いた後に希望を言えよ」
「貴方の言葉の順を考えれば、今のは正しいでしょう?『聞いて』から『何でも』の順だったじゃない」
揚げ足ばかり取りやがって……。
こういう時はさっさと話をした方が良い。
「契約の事だ」
その言葉を口にした時、彼女は息を飲んだ。
それ程、二人の間では重要な話なのである。
冗談ぽく話し始めたのは申し訳ないと思う。
明るい話から入れば、お前の心の準備も整うと思ってな。
「俺、護衛官辞めようと思う」
俺はその日、相棒に契約の打ち切りを告げた。
明日も上げる