少女の死とは如何なるや?(ユキ視点)
「本当に無事でよかった…どこも怪我してないな」
「はい、お父様」
「全くもう、心配させて…!もしあなたに何かあったらどうするんです!私たちの宝物のあなたに…!」
「ごめんなさい、お母様」
アイさんと一緒に森から戻って、わたしが両親の元へ帰ってから20分ほどだろうか。
痛いほどきつく抱きしめられながらわたしの両親は泣いていた。それはもう大泣きである。何度も何度も同じ言葉を繰り返していて応えているうちに頷いて謝る機械にでもなりそうだ。
これほど心配されていた事に罪悪感と嬉しさ、大泣きの両親が周りの視線を集めているという羞恥、色々なものがまざって胸が苦しくなる。
ごめんなさい、と何度も呟いてわたしを抱きしめている母の腕を撫でる。目を閉じてわたしの頭を撫でる父の手を感じる。
ふたりの体温はとても温かい。その温かさがわたしにはどうしようもなく苦しくて、辛くて、死んでしまいたくなった。
この世界が恨めしくなってしまうから。わたしが『死んだ』世界で、この温もりが欲しかったと考えてしまうから――。
******
『綾小路・雪』として生まれてから死ぬ直前まで、わたしに自由などなかった。
貴族の血統、そして古くから商いを続け、政府の要人とも繋がりが深いとされる綾小路家の娘としての生は傍から見れば不自由などあるわけがないと思われるかもしれない。
確かに裕福だった。高度な教育も受けていたし、周りを取り巻く人々も上流階級のお嬢様達が多く、優雅で上品な生活が約束されていた。
しかし、それをわたしが望んでいるかどうかは別である。
何をするにしろ両親や付添いの者に許可を取らないといけなかった。駄目だと言われたらどんなに抗ってもさせて貰えない。
我儘を言えば冷たい顔で拒まれる。伸ばした手を握られたことなど覚えている限りでは一度もない。親の機嫌が悪ければ一日中部屋から出してもらえなかった。
そのくせ、親のいう事には絶対服従なのだ。やりたくない御稽古事、知らない人達の話相手をさせられるパーティー、やれと言われればやるしかなかった。
抗えば抗うほどわたしという存在を拒まれることに気づいてからは抵抗するのをやめた。
幼稚園、小学校、中学校、そして高校、友人は親に選ばれた人達のみ。どんなにわたしと仲良くなろうと親が相応しくないと思えばいつの間にかいなくなっていた。
わたしは友人という存在を欲するのをやめた。勝手に周りに纏わりついてくる人達を『友人』だと白々しい言葉で飾り、表面上の付き合いに徹するようになった。
どうせわたしの前からいなくなるのなら上辺だけで十分なのだと悟った。親に利用される為の友人など真剣に作るものでもない。
親の思い通りに動いて、親が利用したい人間と繋がりを持つ。
親にとっての『わたし』は家を存続させる為の『道具』だった。その『姓』を、『生』を、『性』を、最大限に親は利用していた。
「――綾小路さん、お迎えですよ」
「あ、本当だ!綾小路さんいいなぁ、格好良い婚約者さんがいてー」
「期待の若きIT会社の社長ですよね。この間はテレビにも出ていましたし。綾小路さんに相応しいと思いますわ」
わたしの取り巻きがわいわいと囃し立てる中、苛立ちを誤魔化す様に静かに息を吐く。溜息と見られない様に慎重にゆっくりと。
婚約者――親が繋がっておきたい相手にわたしは差し出された。わたしの意思など関係なく、婚約者ができたと決定事項として伝えられていた。
そんなの嫌だと言ったところで無駄なのも分かりきっている。それでも辛いのは変わらない。
その人がいかに金持ちで、格好良くて、皆の憧れとなっていても、わたしはそんな事など関係なく嫌だった。
わたしは『女性』が好き。生まれてから今まで、ずっと心をときめかせ弾ませるのは女性だった。
初恋は幼稚園の頃、わたしの相手を何時もしてくれていた先生、次はわたしの家で働いていた家政婦さん、その次は中学校の先生――。
好きになるのは年上の綺麗な女性で、わたしの事をまっすぐ見てくれていた人達だった。しかし好きになってから、わたしと話す機会が更に多くなってから、突然いなくなっていた。
親は私の性癖に気付いている。それでも婚約者を宛がったのは自分達に逆らえない事、そしてわたしがその運命を受け入れる事を知っているから。
「それではわたしはこれで。また明日ね」
だからこそ、この婚約者がわざわざ迎えに来るというのは憂鬱以外の何物でもなかった。さあ早く行ってあげてと道を開けられるのも心を暗くさせる。
それでも嫌がる顔を見せるわけにはいかなくて笑顔でその開かれた道を歩き出す。会いたくない人に会う為に歩くという行為はとても苦痛だ。
憂鬱な気分で校門へと辿り着けばそこには黒塗りの高級車とその車窓から此方を見ている嫌な眼つきの優男。世間一般から見たら格好良いと言われる容姿も、羨ましいと言われる財力も、わたしにとっては疎ましいだけだった。
「雪さん、待っていましたよ。今日はお父上主催のパーティーという事で一緒に出席するようにとのことで」
「……聞いています。わざわざ迎えに来ていただいてありがとうございます」
「なに、雪さんの為ならこのくらい軽いものです。さあ乗って、ドレスなどはホテルで準備させてありますよ」
柔らかい笑顔で車内へと誘い、わたしの手を握る。その手の固さ、温さに嫌悪感が顔に出そうになるのを必死で笑って誤魔化した。
(あぁ嫌だ、触らないで、気持ち悪い、行きたくない――)
心に蟠るこの気持ちを全て吐き出せたら楽になるだろうか。結局親の手によって無駄になるだけで変わらないだろうけども。
今日のパーティーは所謂『お披露目会』のようなものだ。わたしとこの人の婚約を知らしめる為のもの。用意周到に外堀を埋められて逃げられるわけもない。
顔に笑顔を張り付けたままで目の前の男の戯言を適当に受け流す。たしか歳は26、有名な大学を卒業してすぐに彼の親の支援もありながらだが起業し、今や業績は鰻登り。
多大に期待され、それに応えられる優秀な人物というのはわたしの親の好みそのものだ。だからこそわたしが差し出されたわけだが――。
(それにしても触りすぎだし、目つきが苦手だけれど……)
明らかに必要もないのに手を握る所作も、わたしの全身を舐める様に見るその目も、16歳という年若い女の性を堪能しているかのようだ。
まだ手を出されてないが時間の問題だと思う。その時が来たら諦めて受け入れなければいけない。そう思うと体の芯から震えが起こる。
吐き気が起きそうなほどの嫌悪感。しかし耐えなければいけない。親の望みどおりに生きなければいけない。それは私が今生きるのを許されている理由そのものだから。
「―さ――ん、雪さん!大丈夫ですか?」
「…っ!?……す、すみません、少し緊張してしまって」
「ははは、そんなに緊張しないでも大丈夫ですよ。いつも通り、楽しめばいいんです。それに僕も隣にいますから」
それが一番嫌なのだと言えればいいのに。この口はただありがとうございますと気持ちとは正反対の言葉を紡ぐだけに終わった。
その日のパーティーは盛大だった。わたし以外の皆が盛り上がり、祝い、これからの事に備えて繋がりを強くしようと躍起だった。
わたし達の婚約発表に周りはお似合いの二人だと太鼓判を押してくれた。たしかに自慢げに周りと話す婚約者の彼と同じで、わたしも容姿は恵まれていた方だと思う。
長く、真っ直ぐな黒い髪、可憐だと言われ続けている整った顔立ち。そして雪の様に白い肌。まわりは姫だなんだと持て囃す。
しかしこんな事になるのならもっと醜ければ良かったと罰当たりな事を考えてしまう。否、これが罰なのか。
きっと嫌がるわたしが間違いで、喜ぶ皆が正しい。周りからおくられるお世辞に恥ずかしがるフリをしながら重い息を静かに吐いて、早く時間が過ぎてと願うだけだった。
「今日は盛り上がりましたね。疲れていませんか?」
「少し、疲れました。皆、お祝いしてくれてありがたいとは思いましたが…」
「雪さんはずっと囲まれていましたね。やはり姫様は人気者だ」
「いえ、そんなことは……」
帰りの車の中で2人、並んで座っている。早く帰りたいと願って、彼の言葉を受け流す。
お酒の臭いが彼から漂ってきて嫌悪感が増した。今日は祝い事だからとよく飲まされていたようだ。
「そういえば、雪さん。お父上から聞いていませんか?」
「……なんですか?」
いつの間にか車が止まっていた事に嫌な予感がした。運転手が止めたのだろう、動き出す気配もない。
ぞっと心臓から全身に冷たい何かが走る。
「今日は帰ってこなくても良いそうですよ」
男の笑った顔が。触れようと伸びてきた手が。押し倒すかのようにわたしに掛けられた体重が。
「僕達、やっと結ばれますね」
いやらしく紡がれたその声が。近づいてくるその顔が。
「―――い、や」
「雪さん?」
「いやあああああああああああああああああ!!!!!!」
その後のことはよく覚えていない。無我夢中で暴れて、それでも押さえつけられて。暴れるわたしに苛立ったのか男の拳がわたしの顔へと降ってきて。
痛みが、嫌悪感が、絶望が。
服が破れる音がして。
「大人しくしろ、お前はもうおれのもの――!?」
優男の仮面を破り捨てて、獣の様なぎらぎらした目をした男が突然蹲る。声にならない呻き声をあげていた。
どうやら男の股間へと偶然振り回した足が当たったようだ。頬や押さえつけられていた体に走る痛みを堪えて車の外から飛び出した。
「てめぇ!!待ちやがれ!親父に言ってやるからな!戻ってこい!逃げられると思って――」
男の叫びを聞かない様に耳を塞いで、とにかくがむしゃらに走って逃げた。破られた服のまま。みっともない恰好のまま。暗い夜道をただ走る。
相手は車だ。すぐ追いつかれる。それならどこかに入って――。
丁度良く見つけたのは古いタイプのマンションでとにかく見つからない様にと階段を駆け上る。息を荒げながら最上階についたとき、見下ろす道路に男の車が通りすぎるのが見えた。
「……なんで…こんな…」
全身の痛みがぶり返してくる。殴られた頬を撫でれば先程の恐怖が身を震わせる。諦めて、受け入れるだけだと思っていた。しかし受けいられるようなものではなかった。
逃げられるわけではないのに。男が言っていた事は正しい。
家から逃げようが異様なほど広い情報網で見つけられるだろうし、あの男と破談になろうがきっとまた次の相手を連れてくるだけだ。
それならいっそこの世界からいなくなってしまおうか。
そう考えた時、確かにわたしは高揚した。そう、逃げられる方法があったじゃないか、と。
今までそう考えられなかったのはきっとこの命は親のものだと思っていたからだ。そう思わされていたから、育てられてきたから。
でも違う。わたしはわたしのものだ。わたしのこの体も命も、わたしのもの。
(……駄目、落ち着かなきゃ…こんな恐ろしい事、考えるなんて…)
我に返り、高揚を落ち着かせるために何度も深呼吸をする。『それ』はきっといけない事だ。生まれてきた命を自分で投げ捨てる事は禁忌だと好きだった先生が言っていた気がする。
それでも思考は止まってくれない。逃げたい、逃げたいと心の奥が叫んでいる。
その叫びに呼応するように携帯が鳴って心臓が跳ねた。誰からと思えば父親からで体が震える。無視しようとも思ったが、指は勝手にその電話を取っていた。
「……お父様」
『お前は何をやっている、今すぐ戻れ。誠心誠意謝れば許してくれると彼も言ってくれている』
あまりにも予想していた言葉そのものだったので思わず笑みを浮かべてしまう。わたしに対する親の扱い、それに傷つく事に疲れてしまった。
「お父様、わたし殴られたんです。乱暴な事、されそうになって…」
『お前と彼は婚約者だ。いまさら何を言っている。お前の役目は彼を受け入れる事だろう』
無駄だと思いつつも言葉を重ねる。予想した言葉が返される。あくまで自分の思い通りになるように強要するお父様、そしてそれに何の意見もしないお母様。
わたしはこの世界で生きているのだろうか。他人の人形となって生きるのは生きていると言えるのだろうか。
「わたしは…嫌です…結婚なんてしたくない…男の人に、好きじゃない人に、抱かれたくない…」
『我儘を言うな。今までの恩を忘れたのか。綾小路の娘として最高の教育と環境で育ててやっただろう』
ああ、まただ。綾小路家の娘。何度も何度も言われた言葉。そんなのわたしは望んでいないのに。
わたしは、わたしでいたいだけなのに。そして少しでも、ほんの少しだけで良いから、お父様達に愛されたかっただけなのに。
あくまでわたしは綾小路の家の所有物なのだ。
『将来はお前の兄が継ぐ家だ。兄の為にお前も役目を果たせ』
ああ、そういえば兄がいたな、と今更思い出す。今は留学していて日本にいない兄。遊んでもらった記憶もなく、顔を思い出そうとしてもぼんやりとしか思い出せない。
血の繋がった人達でさえこんなにも繋がりが薄い。しかしその人達の為に、道具として生かされている。
もう嫌だと思った。道具として扱われるぐらいなら、わたしはわたしの意思でその生き方を否定する。
「……わたしは道具じゃありません」
『――何?』
「わたしは貴方達の道具じゃありません!わたしは…わたしはただ、愛されたかっただけ!お父様達に褒めてもらいたかっただけ!」
『馬鹿者!それならば役に立って――』
「それが嫌なのが如何してわからないんですか!わたしは道具として愛されたいんじゃない!わたしは人間として愛されたい!!」
『戯言もいい加減にしろ!!お前の生まれた意味を考えろ!!』
高ぶった思考が急速に冷えていく。生まれた意味。私が今この世界で生きる意味。
「………分かっています。お家の役に立つ為に生まれてきたんでしょう」
『分かっているなら戻ってこい。無駄な手間をかけさせるな』
「いえ、戻りません……お家の為に生きる生き方はしたくありません」
『まだそんな事を――!!!』
「わたしは、わたしの為に生きたい。でもわたしにはそれができない――なら、仕方ないですよね」
『何を言っている?……おい、何をしようとしている!』
マンションの最上階からさらに上。屋上へと歩いていく。
屋上へと続く古い扉はまるで今からわたしのすることを許してくれているかのようにあっさりと開いた。
「あのね、お父様、わたしは……わたしの名前だけは大好きでした」
わたしの名前。雪という名前。わたしが好きになった人達も、そうじゃない人達も、必ず褒めてくれた。綺麗な名前だと微笑んでくれた。
お父様達が呼んでくれる、この名前だけは大好きだった。
『おい、何処にいる!何をしている!』
「この名前を付けてくれて、そして育ててくれて、ありがとうございました」
たとえ道具だとしても、この命を今まで生かしていたのはお父様達だから。
だから、この命を終わらせよう。お父様達の命ではなく、わたしの命とする為に。
「さようなら、お父様、お母様…………こんな娘で、ごめんなさい」
『雪!待て!ゆ――』
叫び続けるお父様の声を遮る様に携帯の電源を切った。途端、辺りは静寂になってこの場に居るのはわたしひとりだけだと自覚する。
そして屋上から見える地上の風景。暗い夜に、いくつもの灯り。誘われる様に端へ、端へ。縁に立てば風が顔を撫で、髪を揺らした。
下を見れば遠くに見える地面。少し怖くなって上を見れば――綺麗な満月が視界いっぱいに広がった。
「あぁ…月が綺麗…」
確か愛しているを月が綺麗と訳した人が居た筈だ。わたしも、こんな綺麗な月を見上げながら何時か言ってみたいと思ってしまった。
(もう、叶わぬ願いだけれど)
なんとなく笑ってしまう。今から命を手放すのに、驚くほど落ち着いていた。月を見ているうちに恐怖心も薄れてしまったようだ。
だから、わたしは。月を見ながらその身を空へと投げ出した。
月が遠ざかっていく、しかし綺麗な事には変わりない。目に焼き付ける様に、しっかりと見続けて。
「―――ごめんなさい」
最期に誰に向けてか自分でも分からないまま。
紡がれた言葉と共に、わたしの視界は暗く、深く、闇へと閉ざされていった―――。
ユキ「そして新たな世界で始まるアイさんとのラブラブおねロリ物語」
アイ「お、おねロリ…?」
ブックマーク、ポイントありがとうございます!
次回もユキ視点になる予定です。