二人の帰路
ユキと共に夕暮れ色に染まる森を歩く。朱に染まりつつも未だ明るい空を見て、何とか暗くなる前に町へと帰ることができそうだと息を吐いた。
夜になれば凶暴な魔物と出会いやすい。大抵の魔物には負ける気がしないが、子供を守りながら、という条件が付くと中々難しい。
元々ひとりで生きてきたのだ。誰かを守るという行為には慣れていない。
当の『守られる側』の少女は上機嫌に私と手を繋いでいるが――邪魔だと手を離そうとしたら駄々をこねられたので仕方なく繋いだままでいるだけで深い意味はない。
「……そういえばアイさん。アイさんが住んでいる場所って何処ですか?」
「ん?町はずれだよ、49番通り」
「49番って…本当に町の隅じゃないですか!?」
私達が住むクアルという町は大きい街道がある町の正門を1番、山へと続く道がある裏門を50番として番号を振っている。
つまりユキの住む23番通りは町の中間辺り、私の49番はほぼ裏門と同じ場所にある区になる。
魔物が出やすい山に近い場所に住むのは危険であり、整備もあまりされていない。人間に忌避されている半魔や貧民層がひっそりと隠れて住むような場所だ。
「危なくないですか…?」
「まぁな。私みたいなのは自力で魔物でも強盗でも返り討ちにできるが…弱ってる連中は悲惨だな」
私の言葉に表情を曇らせて繋がれた手にぎゅっと力がこもった。不安なのか憐みなのか、それともその両方なのか。
どれにしろ私には今更な事だ。弱い者は強い者に奪われても仕方ない。奪われたくなければ逃げるか強くなるしかない。だから私は強くなった、ただそれだけだ。
「アイさん可愛いから変な人に狙われないか心配です…」
「まさかそういう心配してるとは思わなかったけどまず私は可愛くないしそういう風に見るやつもいない」
「わたしは可愛いと思いますけど」
「お、おう…真顔は止めろ…」
言われ慣れない事を真顔で言われても困る。無性に体がムズムズするというか、なんというか尻尾が落ち着かない。
自分よりもかなり年下だろう少女に可愛いと言われても複雑な部分もある。
そういえばユキは何歳なのだろうか。少女とはいえ、年齢は少し聞きにくいが――。
「………ユキ」
「はい、なんですか?」
「あー…その、ユキって今何歳だ?」
「わたし、ですか?えっと…12歳ですね。でも心は16歳なんですよ」
「どちらにしろ子供だな…」
そうでしょうか、と首を傾げる姿が可愛らしい。年相応、といってもいいのだろうか、幼い動作に少しだけ心が和む。
その幼い少女相手に何をやったのかは気にしない様にしよう。むしろされてもいるのだが。色々と気にしてはいけない。
「アイさんの御歳は――聞いてもいいですか?」
「あぁ。私は25だな」
「そうですか…こちらは結婚できるのが16からなんですよね。つまりその時アイさんは29歳…いやでも心は16歳なので今からでも…」
「どこからそんな話になった…と言うかそもそも女同士で結婚できないからな…」
ユキの話の飛躍っぷりに若干引いた。結婚とか出会ったその日にする話でもない。
いやそもそも女同士は禁忌………私自身が禁忌そのものだからこれは今更か。誰が誰をどう思おうとそれは個人の自由であり私の気にするところでもない。
今回は私が対象だから考えているだけで――悪い気はしないけれども。
「アイさんが誰かに盗られる前に捕まえておきたい…」
「真顔で言うの本当に怖いから止めてもらえるか?――まぁ、まともに半魔を相手にする奴はいないだろ。半魔だからって『好きにしよう』とした奴はいたが『好きになる』奴はいなかったしな」
「アイさん好きにされたんですか!?」
「されるか!!そういう馬鹿な連中は返り討ちにしてやったよ。…ったく、キスだって今日が初めてだっつーのに…」
深く息を吐きながら前に進もうとしても進まない。私の言葉を聞いたユキが立ち止まっている。不思議に思って顔を見れば、なんとも間抜けにぽかんとした顔だ。
そんなに意外だったのだろうか、半魔なら珍しい事でもないのだが…と思っている間にユキは顔を俯かせてぶるぶると震え始めた。ちょっと怖い。
「わたしがアイさんの初めて……嬉しすぎて死にたい……」
「死ぬな、歩け、暗くなる」
「25さい猫耳しっぽ巨乳処女ってどれだけ属性盛るんですか」
「言ってる事はよくわからないが、碌でもないってことだけは分かるな」
「アイさんすごく好きです」
「さっきの言葉の後だとすごく微妙な気持ちになるな…」
熱の籠もった視線を投げかけてくるユキをなるべく見ないようにして引きずるように歩く。
変な奴だと思う。彼女の言葉も、彼女の態度も、私からすれば全て変だ。しかし何故だか嫌じゃない。
あ、でも肉食獣のような目で見てくるのは嫌かもしれない。特に胸とか尻尾とか、子供らしくない眼光が感じられて怖い。
なんだかんだと言っている間に裏門が見えてきた。もう少しの付き合いだ。
ユキの歩みがゆっくりになっていく。それに気付かないようにしながらも、少しだけ私も歩みを遅くする。
「もうすぐお別れですね…今度アイさんのお家に遊びに行きたいです」
「駄目だ」
「駄目ですか…」
私の答えに悲しげにユキは俯いた。繋がれた手は震えている。
その震えになんだか心が締め付けられるような気がして、悟られない様にそっと息を吐いた。
「お前みたいな子供がこの辺うろついてたらあっという間に誘拐されるぞ。今日だって森まで出られたのが奇跡みたいなもんだ」
「そうですか…じゃあもう、森にも行けないですね」
「そうだな、ひとりでいくな」
裏門に着き、繋いだ手を離す。それを見てユキの目が涙で滲む。寂しいのも悲しいのも分かっている。
だから、その涙が目からこぼれる前に彼女の軽い体を抱き上げた。驚いた顔のユキの額に、自分の額を軽く触れあわせる様にすると動揺した様に月色の瞳が揺れた。
「会いたいなら会いに行ってやるし、森に行きたいなら連れて行ってやる」
「……アイさん」
「だから、ひとりで危険なところに行くな。私の初めてを奪っておいて勝手に死なれたら困る」
「その台詞は色々と反則だと思います…」
ユキの小さく、細い手に服の胸元を握られる。拗ねた様に顔を肩に埋められてしまってその表情は見えない。
けれど顔が触れている場所がとても熱い。ユキが赤くなっているのが分かって口元が自然と緩む。先ほどまで振り回されていた分をやり返せたようで嬉しかった。
「それじゃ家の近くまで連れていくからしっかり掴まってろよ」
「え?――きゃぁ!?」
ユキを抱き上げたまま大きく跳躍して屋根の上へ。49番通りの屋根は低くて飛び乗りやすいのが助かる。一旦屋根に乗れさえすればあとは多少高くなろうが問題は無い。
私の姿を見ていい顔をしない人間が沢山いる中央区に移動するなら屋根伝いが一番楽だ。人間を高所から見下ろすのも中々も面白い。
ユキも最初は驚いていたものの次第と楽しむ様に町を見下ろしていたし、私の後ろに野良猫達がぞろぞろと並んで着いてくるのを可愛いと言って笑っていた。
その顔が本当に楽しそうで、嬉しそうで、少し――ほんの少しだけ、こういう時間も悪くないと思った。
しかし、その時間もあっという間に終わりを迎えるのも分かっていて。もうそろそろ23番通りという所で、ユキの体が大きく震えた。
「どうした?」
「あ、あの…お父様とお母様が…」
ユキの視線の先をたどれば、必死に誰かを探しているかのように忙しなく動く二人の男女。
母親と思しき顔を見れば確かにユキの面影を感じさせるような目元をしていた。
「必死に探してるな」
「そう…ですね…」
「近くで降ろしてやるから謝って来い」
「……はい」
頷いた割に私にしがみつく手は先程よりも力がこもっている。先ほどまで笑みを浮かべていた顔も今は緊張したように強張っている。
「――ユキ」
「分かってます……お父様とお母様にとても愛されている事も分かっているんです」
私にもユキが愛されているのは分かる。あれだけ心配して青ざめながらも必死に探す姿を見ればいやでも分かるというものだ。
それでもユキは、それが辛いのだと言っていた。愛される資格などないと、あの二人の子として生きるのが辛いと泣きそうな顔で言っていた。
『――ティ!レティシア!どこだ!』
『どこにいるの!レティ、返事して!』
ユキが迷っている間に両親は近づいてくる。呼びかける声も段々と聞こえてきて、更にその必死さが伝わってきた。
名前に違和感を持ってしまうのは私がこの少女をユキだと認識してしまっているからだろう。しかしその名前を呼ぶ声は真剣に彼女の事を想い心配している声だ。
「ユキ、行かないのか」
「……やっぱり、行かないといけないですよね」
「怖いのか?」
「すごく、怖いです」
ユキは自分が『悪魔の子』という存在のせいで両親が苦しんでいる事を知っている。沢山傷つけている事も知っている。
そして、本来あの両親の子供ではないことを知っている。だからこそ、ユキはこの世界でも死にたがっていた。
死にたがりの少女は愛されることをとても怖がっているのだ。
「…ったく、今日だけだからな」
「え、アイさ、ん――」
しがみつくユキの額にそっと唇を触れさせる。できるだけ優しく、体温が伝わるようにゆっくりと。
小さい頃、母にこの『おまじない』をしてもらった記憶がある。怖い夢を見たり、怖い人間達から隠れている時、母は必ず大丈夫だと言いながらしてくれた。
懐かしい気持ちになりながら唇を離すとそこにはうっすらと赤く頬を染めたユキの顔――無性に自分まで恥ずかしくなってくるのは気のせいだと心の中で必死に誤魔化した。
「ほら、『おまじない』しておいたからもう大丈夫だ」
「おまじない、ですか…子供扱いですね」
「お前は子供だろ」
そうですね、と離れた体温を惜しむ様に額に触れて、ユキは柔らかく笑った。あれだけ強張ってしがみついていた体も今は力が抜けた様に私にもたれているだけだ。
もう大丈夫だろうと屋根から路地裏へと飛び下りる。彼女の両親の声はもう間近に聞こえてきたが、ユキは私の腕から確りと自分の意思で降りた。
別に離れていく体温が寂しいとは思わない。名残惜しげにユキの背中に尻尾が触れたのは気のせいだ。気のせいだが、ユキがそれに気づかなくてよかったとほっと息を吐く。
「それではアイさん、また絶対会いに来てくださいね。約束ですよ」
「分かった分かった、その辺の猫にでも会いたいと言ってくれれば会いに行ってやるさ」
「アイさん自身からは来てくれないんですか?」
「う…………気が向いたら会いに行ってやるから、さっさと行け。そろそろ泣きだしそうだぞあの両親」
ユキの背中を押せば少しだけ寂しげな顔をして、それでもしっかりと路地裏から飛び出した。ユキの両親の泣き混じりの声が聞こえてくる。
何処に行っていたと叱りつつも安堵した声にほっと息を吐いた。とりあえず今日はもう大丈夫だろう。
こっそり路地裏から覗けば、抱きしめられながら泣き笑いの顔を浮かべているユキがいて、なんだか心がじんわりと暖かくなった気がした。
「さて、と。私も帰るか」
今日はユキに振り回されっぱなしだった為か、どっと体に疲れを感じる。さっさと家に帰る為に再び路地裏から塀を利用して屋根へと飛び乗る。
(……今日はもう早く寝よう、狩った鹿を捌くのはまた明日で――)
そう考えて足が止まった。そう、ユキと会ったのは狩りが終わって汚れを落としていた時。その後から私は手ぶらで、彼女と歩いていた。
それはつまり―――。
(折角狩ったのに、忘れてきた……)
思わず体の力が抜けて膝をつく。周りにいた猫達が心配げに声をかけてくれるが、答える気力もない。
こんなミスをしたのは初めてだ。森を走り回って狩った鹿は今頃魔物か狼にでも美味しく食べられているだろう。
それに何より。
会った瞬間から大事な獲物も何もかも忘れて、ユキの事しか見えてなかった自分に気づいてしばらく身動きが出来なかった。
やっとお家に帰るの巻。
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