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猫の愛とは如何なるや?  作者: よるの
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貴女のお名前なんでしょう

人間の――少女の唇はとても柔らかくて気持ちが良い、とは触れた瞬間感じた事だ。

その次に少女が持つ体温のせいか唇全体に暖かさが広がって、独特な甘い匂いが――これは体臭なのだろうか、私の鼻腔を刺激した。


(……何だ、大人しいな)


騒ぐと思っていた少女は意外にも身動きすらしない。

何となく顔が気になって目を開けてみれば、当たり前のように間近に見える彼女の閉じられた瞼。緊張しているのか細やかに震えて長く白い睫毛を揺らしている。

紅潮した頬。段々と切なげにひそめられる眉間。喉を震わせ漏れ出る声。

少なからず獣の血が流れる故か、少女を捕食しているような感覚。じわじわと思考を侵食する飢えにも似たなにか――。


(……………美味そうだなこ、れ――っ――!?)


頭の中で過った思考に愕然とする。急いで唇を離せば荒く吐かれる少女の息。それがまた凄まじい背徳感を感じさせて心臓が掴まれる気がした。

いやまて、それよりも。それよりもである。


「あ、の…お姉さん」


「ちょっと待て、今は何も言うな、頼む」


「は、はい」


赤い顔のまま困惑する少女から目を逸らし、片手で顔を覆って深く息を吐く。とりあえず落ち着く事が優先だ。

ただ単に少女の邪魔をする為の行為。ただ唇で触れ合う程度で感情など混じらない。そう思っていた。

そう思っていたのに、なんだこれは。飢え、背徳、羞恥、色々なモノを混ぜ込んだ何かが心臓を五月蠅く叩いて辛い。

こんなの知らない。こんな風になるなんて知らなかった。


しかし、それ以上に『初めて』の感触に夢中になってしまった。


(…柔らかかった……甘い匂いしたし……うまそ、いやいやいやいやまてなんだこれおい待て待て待て待て)


未だ名も知らぬ、というか会って然程時間もたっていない少女。

その少女相手に抱いた劣情にも似た感情に対して、今まで生きてきた中で一番の精神的ダメージを負って死にたくなった。

私にそんな趣味でもあったのか。ぐるぐるとまわる思考。そんな私を見てさらに困惑する少女の顔。


「あの…お姉さん、やっぱり嫌でした、よね、ごめんなさい」


キスを強請った時とは打って変わって申し訳なさそうに私の服の裾を掴む少女の手は小さくて細い。

思わずその少女の手を握ると、驚いた様に私の顔を見た。


大きな瞳。思わず惹きこまれそうになる月の色。綺麗だと素直にそう思う。


「別に謝る事でもないだろ。キスをしたのは私の方だしな」


「でも…」


「選んだのは私だ。気に病んでまた死ぬって言うなよ、キスのし損だからな」


はい、と小さく頷いた少女は恥ずかしそうに目を伏せたのを見て手を離す。少女は微かに緩んだ口元に指を置いて何か考えているようだった。

それにしてもテンションが上がっている時と大人しい時のギャップが激しすぎて調子が狂う。

大人しい時はとても可愛らしい美少女だと思う。テンションが上がっている時も美少女なのは否定しないがなんというか妖しい感じだ。

照れた顔はそれ以上に妖しいと言うか、私の中の何かが突かれるようなそんな――引き返せなくなりそうなので考えるのを止めよう。


何はともあれ、少女が死ぬのを邪魔できた。今はそれだけでいい。


「さて、そろそろ戻るか。お前の住んでる町ってどこだ?歩いて行ける距離だろ?」


「か、帰らないといけませんか…」


「当たり前だろ、それとも私にキスさせといてやっぱり死にますとか言うんじゃないだろうな?」


「うぅ…で、でも!帰ったら、お姉さんとも別れちゃうじゃないですか!それに『今日は』って言いました!明日どうなるか分かりませんよ!」


「お、おう、いきなり強気になるなよ…とりあえず住んでるところ教えろ。このまま此処に居るってわけにはいかないだろ」


「うぅう……クアルです、クアルの23番通り……」


「………私が住んでいる町じゃないか…いや予想はしてたけど……」


少女の答えに頭を抱える。少女は先ほどの寂しそうな顔を嬉しげに綻ばせた。調子のいい奴め。

とりあえず町の方へと歩き出せば少女も大人しくついてくる事に少し安心した。


「しかし、私も住んで結構長いけどお前みたいなのがいるのは知らなかったな」


「えと、先日引っ越してきたばかりなので…」


「引っ越してきたばかりの土地で死のうとしてたのかお前」


「片付けとかでバタバタしていたので、見つからずに町の外に出る事ができるとしたら今だって…」


「私に見つかったけどな。というよりは、私が見つかった――いや、覗かれた、か。まさか水浴び中に草むらから出てくるとは…」


「裸みちゃってすみません眼福でしたありがとうございます」


「おいやめろ拝むな」


歩きながら少女と言葉を交わしている状況が何だか不思議だ。

それに歩幅が違い過ぎて駆け足気味になる少女の為にゆっくりと歩く事も自分らしくない。嬉しそうな顔で見上げてくるのが無性にむず痒くなって頭を押さえてあげさせない様にする。

押さえられているっていうのに更に嬉しそうに蕩けるような微笑みを浮かべたものだから何だか見ていられなくて、すぐに手を離して目を逸らした。


(お、落ち着かない…何か変な感じがする)


ゆらゆらと自分の尻尾が落ち着きなく揺れているのが分かる。落ち着こうと思っても落ち着けなくて余計にそわそわとしてしまう。

そんな姿を見られたくないと思って少女を伺えば、私の周りについてくる野良猫達を和やかな顔で見つめていて、ほっと息を吐いた。

色々な視線に晒されて慣れているはずなのに、少女の視線は妙に気になった。名すら知らない少女なのに――。


「――ああ、そういえば。名前、聞いてなかったな」


「そ、そういえばそうでした!名乗り遅れてすみません!えっと…『コチラ』の名前はレティシア・シュベストっていいます」


「コチラ?……あぁ、そういえばこの世界じゃないとこに居たんだったか」


「はい、だから少し違和感はありますね」


「…じゃあ、元の世界ではなんて呼ばれてたんだ?」


「あちらでは……『アヤノコウジ・ユキ』という名前でした。『この世界風』にいうならユキ・アヤノコウジですね」


どこか懐かしげに目を細めて少女は自分の名前を呟く。

一度手放した命に付随した名前なのにその名前を名乗れることに喜びを感じているようだった。


「わたし、自分の名前だけは凄く好きだったんです。ユキって綺麗だから……あ、あのアチラの世界でユキって此方では『雪』のことなんです。今の髪、雪の色みたいだから余計に懐かしくて……」


「そうなのか。で、どっちで呼ばれたいんだ?」


私の言葉に少女の歩みが止まったので私も足を止める。見れば少女の顔は今まで見てきた中で一番の驚きを浮かべていた。


「なん、で」


「わざわざ『コチラ』とか『アチラ』とか言ってたし」


「う…」


自覚がなかったのか、気まずそうに顔を伏せる。もごもごと口を動かして、開き、また閉じるを繰り返している。

口ごもり、悩む理由は分かる。一度手放した名前、そして再度与えられた名前。どちらを優先させるとしたら後者だ。

今生きている世界の名前はとても大切だと思う。だからこそ悩んでいるのだろう。


―――ならば。


「まぁどうでもいいか」


「あ……」


歩き出せば、少女は寂しそうな顔を浮かべて、それでもなお何も言えないのか口を閉じてしまう。

変なところで素直になれないんだなと可笑しくなった。序に可愛いなと思ってしまったことは極力無視をして振り返る。


「何時まで止まってるんだ、とっとと帰るぞ―――『ユキ』」


「…っ!!」


選べないなら、私が好きに呼べばいい。そもそも相手の意見を気にする性質でもない。

少女――ユキと呼ばれた少女は、くしゃりと顔を歪ませた…っと思ったら。


「ぐふ!」


私へと思い切り飛び込んできた。

遠慮も何もないタックルである。身長差のせいで腹周辺に思いっきり食らったのでわりと痛い。


「おまえ、なぁ!いきなり何すんだ!」


「だっ…て、だって!!!!」


ユキは泣いていた。可愛らしい顔をくしゃくしゃにして。耳まで真っ赤にしながら。私の服を強くつかんで。


「もう呼ばれることがないって思ってたから…誰も呼んでくれないって、思ってたから…!」


その言葉は深く私にも突き刺さった。あぁ、そうか、この子も同じなのか。

私はもう呼ばれぬ名前を、捨ててしまった名前を思い出せないけれど。まだ覚えていたころは呼ばれぬ名前がとても悲しくて、辛かった。

ユキもずっとそうだったのだろう。生まれ変わっても唯一好きだった名前を捨てきれなかった。

でも新しい世界では新しい名前が当たり前で、大切な名前は呼ばれることは決してない。自分の中でただ消えていくのを待つだけの名。

その名を呼ぶのがこの世界で忌避されている半魔とは皮肉なものだが。


「あぁもう、わかった。わかったから泣くな」


「ぐすっ…はい…すみせ…うぅー」


謝りながらも離れそうにないユキの様子に深く息を吐く。めそめそと泣く子供をあやす方法など知らないのだ。困惑するしかない。

なので好きにさせておく事にした。移動できないが仕方ない。泣かれたまま町へつこうものなら何を言われるか分からない。

子供に危害を与えたとか冗談じゃない……いやキスはしたけど。それは誰にも言えない秘密にしていただきたい。


「ったく、待っててやるから早く泣きやめ…」


「……抱きしめて撫でてくれたら泣き止みます…」


「おう、調子に乗るなよ」


慌てて引きはがせば不満そうなユキの顔。油断も隙もないとはこの事である。

泣きじゃくったせいで目元は真っ赤なのに期待するような目。それに顔を引きはがしても私の服を掴んで離そうとしない手。


(…こいつ、押せば聞いてくれると思っているのか……そんなに扱いやすいと思われてるのか)


なんだかむかつくのでユキの頬を指で挟んで引っ張っておく。触り心地が良くて柔らかい、あと良く伸びる。

その柔らかさに一瞬唇の事を思い出したが無理やり振り払う。もうしない。もうしません。ぜったい。


「いはいれすー」


「調子に乗るからだ」


「ひふぉいれす…」


手を離すと、ユキもやっと私を掴んでいた手を離して自分の頬をさする。少し赤くなった頬が痛々しくて微かな罪悪感。

でもまぁ泣き止んだなら良い。何も問題は無い。


「あの、お姉さんの名前は?」


「あー…私の名前は無いよ。皆からは猫と呼ばれてたり、化け物と呼ばれてたりするけど」


「それ名前といえないです…」


「まぁな。そういう事だからユキも好きに呼んだらいいさ」


好きに…と呟いたユキは歩き出した私を追いかけながら考え込んでいるようだった。

そんな考えなくても私にとって何と呼ばれようが気にすることでもないのだが――ユキにとっては大事な事なのだろう。

しばらく考え込んだ後、どこか決心したように私の前に回り込んできた。


「あのお姉さん!えっと、その!「アイ」さんと呼んでもいいですか!」


「アイ?」


「お姉さんの瞳の色、アチラでは「アイ(藍)」色なんです。だから、アイ、なんですけど」


「へぇ…まぁ、そう呼びたいなら呼べばいいさ」


瞳の色から、というのは意外だが、半魔の特徴からくる呼び名より良いものだとは感じた。

それに何だか期待するような真っ赤な顔で見つめてくるから断りにくい。可愛いけど。いや何を考えているんだ。


「は、はい!アイさん!」


「……改めて呼ばれると何か気恥ずかしいな」


「アイさん!アイさん!」


「おいこらうるさい纏わりつくな」


周りをくるくると回りながら呼んでくるユキを手で払いつつ歩き出す。まったく何回足止めされたことやら…。

あとは帰るだけだ。その後の事は考えない。どうとでもなるだろう。


「アイさん、ちょっと屈んでください」


「はぁ?今度は何だ」


「いいからお願いします」


「…ったく、ほんとなん――」


屈んだ瞬間、両手で頬を掴まれて引き寄せられた。柔らかくて暖かい感触。既に懐かしいと思えてしまう気持ちよさ。

目を閉じる隙もなくてまじまじと間近にある顔を見つめてしまう。気恥ずかしそうに、でも嬉しそうに細められた目。細められた目から覗く瞳は濡れた月の色。

なんとなく扇情的だと思ったのもつかの間、離れていく体温に我を取り戻す。


「お、お前なぁ…!」


「一回したんですからもう何回してもいいじゃないですか」


「そういう問題じゃ……ああもう!」


頭を抱えた私を楽しげに見つめてくる。もう一度思いっきり頬を抓ってやろうか。

何故だか良い様に手のひらの上で転がされている気がする。気のせいだと思いたい。


「アイさん」


「………なんだ」


「わたしの名前、呼んでください」


何を今更、と思った。思ったけれど、期待するように見つめられて言葉に詰まる。

どうするべきかと迷っているうちに手を繋がれてしまった。見つめる瞳はやはり濡れた月の色。

嬉しそうに、照れた様に――愛しそうに、見つめられてるのは気のせいだと思いたい。


「………ユキ」


「はい、アイさん」


ぎゅっと繋がれた手に力が入って。

ドクンドクンと大きくなった心臓の音が聞こえない様に私は耳をそっと伏せた。

名前が付いた猫さんの巻。


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