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猫の愛とは如何なるや?  作者: よるの
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『ユキ』

アイ視点に戻ります。

「…………わたしの名前は『綾小路・雪』――『レティシア・シュベスト』の中にいる、別の世界の人間です」


私の腕の中に居る少女、『レティシア・シュベスト』であり『ユキ』――『綾小路・雪』の言葉にレイラ達は息を呑んだ。

普通ならば鼻で笑われてしまう様な、荒唐無稽な話なのだろう。そう、普通ならば、だ。今はもう普通の状況ではない。『異常』がそこに『居る』のだ。


「その世界で、わたしは裕福な家に生まれて、その家に相応しい様に育てられた、ただそれだけの人間でした。親に言われるままに、周囲のイメージを損なわぬ様に、ただただ家の為に生きるだけの娘でした」


「……つまり、貴女はこの世界でいう貴族のようなものなのかしら?」


「そうですね、それに近いと思います。この世界ほど格差は無いですけど――それでも、その家に相応しい付き合いをと、友人さえも親が選んでいましたから」


サラの問いにユキは寂しげに笑いながらも肯定した。サラの問いは流石に的確だ。

貴族にとって家同士の『繋がり』は最も重視されている。だからこそ、その家に相応しい人材だけと付き合う事も多いし、家の為というならばそれは間違いではない。

―――間違いではないのだが、それを本人が望んでいるかどうかは別問題だ。

少なくともユキにとっては―――彼女の寂しげな顔を見て、感情が伝わって、彼女にとってその環境はとても辛かったのだろうと容易に想像できた。

望まぬ人に囲まれながら、人が望むように自らを偽って、家に相応しい傀儡となって生きる。それが『前』の彼女の――『綾小路・雪』としての生き方だった。


「わたしは、ただひたすら『綾小路』という家の為に生きてきました。勉学も、お稽古事も常に人並み以上の結果を出すのが当たり前で、出来なければ『価値なし』と見向きもされない。ただ必死でした。『綾小路』として生きる事に必死でした」


顔を伏せ、自らの掌をじっと見つめている彼女は何を思っているのだろう。私に伝わる感情は自己嫌悪、後悔、罪悪感。負の感情が彼女の中に巡って、重く圧し掛かっている。

私に出来る事はただ聞く事だけで、彼女が勇気を振り絞って語る言葉を受け止めるだけだ。

――だけどせめて潰されない様に、私の感情を伝える。大丈夫だと、ユキの事が好きだと、彼女を愛しているとを強く想う。

微かに身を寄せられて、ちゃんと彼女に私の気持ちが伝わっていることを確信する。それでいい。今はそれで良いのだ。彼女の邪魔をしない、辛くても頑張っているのだから、私はそれを支えるだけだ。


「それが家の為だと、それがわたしの役割だと理解はしていたんです。それでもわたしは―――『家』を受け止めきれずに逃げました。わたしは誰のものでもない、わたしで在りたいと、願って―――自ら命を絶ちました」


「……何があったか、聞いてもいいのかしら?」


サラの声が重々しい。当たり前だ、死んだ理由など話したくない事に決まっている。それでも、彼女は伏せた顔を上げた。月の瞳がきらりと煌めいて、テルマが反応するようにバサリと翼を広げた。


無性に惹かれる、美しい黄色の瞳。


強い意志が瞳を煌めかせている。それは覚悟だ。『自分』を偽らないと決めた強い想いだ。


「わたしには婚約者がいました。この世界でも珍しくないと思いますが、親に決められた婚約者です。わたしには勿論拒否権はありませんでした」


婚約者という言葉に驚いている面々はこっそりと私に視線を寄越してくる。私は静かに頷いた。私はもう知っている。彼女が死んだ理由も、想いも、その辛さ、後悔、全てを。


「わたしはその時16歳で、あちらではまだ早い位でしたけど、それでもむしろ早い方が良いと相手の男性との正式な婚約発表のパーティーをしたんです」


皆が良かった、お似合いだと言っていました、と自嘲する様に笑って。


「わたしは元々女性が好きでした。それはあちらの世界でもまだまだ一般的ではない嗜好で、受け入れがたい人達も居ました――わたしの親も、そうでした」


わたしの嗜好を知っていたんです、と。それでもあえて、婚約者を宛がった、と。


「家の為だと、わたしもそれを理解していると、親は考えていました。拒否はしないと分かっていました。わたしも、綾小路に生まれた以上はただこの生き方を受け入れるだけだと覚悟していたんです」


その声を聞いている者の反応は様々で、サラは顔を険しく顰めていたしテルマは忙しなく翼を動かしていて、そしてレイラは―――じっとユキを見ていた。

目を逸らさない。彼女の声を、言葉を聞きのがさないと言う様に、レイラは自分の全てで彼女の言葉を聞いていた。受け止めようとしていた。


「………駄目、だったんです。覚悟できていると思っていたのに、それなのに……」


体は震え、爪が食い込むほど手を握り絞め、痛いほどに恐れと不安、悲しみを感じながら、ユキは言葉を紡いでいた。

知っている。私は知っている。伝わっていると分かっていても、心の中でユキを傷つけた奴らに対しての怒りが満ちる。それでも私はそれを表に出さない。彼女の邪魔はしない。

ただ、ユキの手に私の手を重ねた。何があっても愛している、と。ユキ。大切なユキ。大丈夫だから。怖がらないで、と。


「あの人が、わたしに圧し掛かってきて、こわくて、こわくて、触れられることが嫌で」


震えが止まらない。彼女の傷はずっと癒えないままで。


「受け入れなきゃいけないのに…抵抗してしまって、怒鳴られて、殴られて、こわくて…暴れて…」


それが悪い事だったかのように彼女は罪悪感を感じていて。


「何とか逃げ出しました……いえ、逃げ出してしまったんです…」


彼女の心に後悔が押し寄せてくる。『前』の彼女の『家』は、未だに心を強く縛っていて。


「……お父様に怒られました…受け入れる事が役目なのにと、謝って来いと。お母様は何も言いませんでした。あの人は何時もお父様を肯定しかしませんでしたから」


両親は何も助けてくれなかった。レイラが、ぎゅっと拳を握ったのが見えた。レイラは私と同じ気持ちだろうか。同じ気持ちになってくれているだろうか。


「だから………わたしは、その時初めて、わたしの為に何かしようと思いました。綾小路のわたしではなくて、わたしがわたしである為に」


わたしの心が死んでしまう前に、と彼女は言った。


「わたしが、わたしである為に。わたしの命だと、わたしの生き方とする為に。わたしが自由になる為に。わたしは逃げました」


あの月が綺麗な夜に、と彼女は言った。


「わたしは、あの世界から逃げました。命を絶つことで、あの世界から自由になろうとしました。高所から飛び降りて、月を見上げながら、落ちて行きました」


それで自由になったと思ったのに、と彼女は言った。


「気が付いたら、赤ん坊になっていて。『この世界』のお母様がいて。言葉も分からない、赤ん坊だから上手く動けなくて、こわくて、こわくて、それでも――」


彼女は、ユキは、真っ直ぐにレイラを見て、愛しそうに目を細めて。


「お母様が、お父様が、優しくわたしを見てくれて。声をかけてくれて。言葉も分からないのに、幸せで、すごくすごく、すごく、幸せで」


レイラに微笑んで。その感情はとても深い感謝と愛情で満ちていて、如何にユキがこの世界の両親を大切にしているか伝わってきて。


「わたしは逃げたのに。こんなに幸せでいいのかって思って――だから、悪魔の子だと分かった時は納得してしまいました。ああ、やっぱりって。わたしは罰としてこの世界に生まれたんだと思いました」


「そんなの――!!!」


レイラが思わずといった様に声を上げて。それでも、堪える様に、顔を伏せて。ユキが笑っていたから、それ以上の言葉を紡ぐ事が出来なかった。


「罰として生きていたのに、お父様もお母様も優しくて、苦しんでいたのにわたしのことを大事にしてくれて、申し訳なくて、また逃げ出そうとして――それなのに今度はアイさんと出会って」


私を見上げて、ユキが微笑んで。何だか堪らなくなってその頬に自分の頬をすり寄せた。温かい、柔らかい、愛しい。気持ちが溢れて、彼女に伝わって。


「好きになって。愛してしまって…………アイさんも、わたしを、愛してくれて……」


ユキの声が上擦る。彼女から、感情が溢れる。


「駄目だって思ったのに…この世界からいなくならないとって思ったのに、離れられなくて、離れたくなくて―――」


ユキから、その黄色の月の瞳から、ぽろぽろと透明な雫が滴って。堪えられない感情は、彼女の本心そのもので。


「生きたい」


彼女は、言った。


「生きたいんです」


心からの叫びだった。


「わたしは、この世界で、アイさんと、お母様とお父様、大切な人達と生きたいのに――!」


なんで、と。


「わたしはこの世界を壊したくない!わたしは生きたい!禍だなんて知らない、破壊なんて知らない、わたしは!!」


「レティ!!!」


レイラが、わたしごとユキを抱きしめた。自分の『娘』の名前を呼んで、強く、強く、抱きしめた。

ユキは震えていた。泣いていた。恐れも焦りも、不安も、絶望も、怒りも、全てぐちゃぐちゃに混ざった心。彼女の素直な心が胸に響いて、わたしも泣いていた。


「生きていいの!私の大切な娘よ!何が禍よ!それがどうしたっていうのよ!私の――カインと私の可愛い娘なのよ!何であろうが、私達は貴女と生きたいの、傍にいたいのよ!」


母の叫びは、胸に大きく響く。ユキの顔がクシャクシャと歪んで、幼子の様に泣いていた。違う。今の彼女は年相応の顔だ。大人びた彼女の、子供の顔。


「その通りだよユキ。私もユキと一緒に生きたい。それに約束したろ、先に死なないって。私が死ぬまで――幸せに生きて、悔いなく死ぬまで。ユキには絶対傍にいてもらうからな」


ユキは泣いている。それでもその心の中は温かな感情が満ちた。それが嬉しい。愛しさが溢れる。


「大好きよ、レティ。私達のレティシア。貴女が『ユキ』だとしても変わらない。レティもユキも、私の大切な娘よ」


「お、母様……アイさん……!」


ユキの手が、レイラの服を確りと掴んで。抱き返して、受け入れる。レイラの愛情は確りとユキに届いた。それが嬉しい――。



「………分かった!!!」



パァン!っと手を打ち鳴らす音に私達の体がびくりと跳ねた。

音の出所はサラで、隣にいたテルマはその音で驚き過ぎたのか床に倒れていた。


「あ、あの、サラ、さん?」


「貴女のことはわかったわ、レティちゃん…いえ、ユキちゃんかしら」


「は、はい、あ、いえ、レティでも大丈夫です」


「そう、じゃあ、レティちゃん、改めて確認するわよ。貴女は別世界から逃げてきて、しかも月神様に選ばれて世界を壊す役目を背負っているかもしれない子なのね?」


「……はい」


有無を言わせず、というようなサラの言葉にユキは静かに頷く。改めて聞くと、何とも理不尽で、月神とやらに怒りが沸く。

サラは静かにユキを見ていた。見定める様に、じっと。


「でも、貴女は生きたい、と」


「はい」


「アイさんと、両親達と生きたいと」


「はい」


「この世界で生きていきたいと」


「はい!」


力強くユキは頷いた。覚悟をもって、サラの静かな瞳を見返す。きらりとまた瞳が煌めいた。惹かれる黄色の瞳。覚悟を決めたユキの瞳は何よりも美しいと思った。


「じゃあ、私達がすることは変わらないわ。貴女が生きたいというのならそれに協力する。危険が及べば守る。それだけよ」


サラは笑った。優しげに、慈愛を感じさせるような柔らかな笑み。


「………いいんですか?」


「いいのよ、どうせヴィネならそう言うわ」


肩を竦めて。その言葉には確かに、愛しげな響きがあって。


「うちのヴィネはね、いつもそうなの。心の底から生きたいと願う者の味方。だから、レティちゃんが真剣に生きたいと願うなら力を貸す以外の選択肢なんてないのよ」


「……サラ自身は如何なんだ?」


私の問いに、彼女は大人びた笑みを浮かべて。


「私はそんな最高に格好いいヴィネを見続ける為に傍にいるのよ」


「………お、おぉ、そうか」


惚気られた気がした。いや気のせいじゃないか。聞いてる此方が恥ずかしい。自信満々なのが余計に。ユキもレイラもほんのり頬が赤い。うん、私と同じ気持ちで何よりだ。


「テルマは?」


「はふぇ!?テ、テルマ、は……」


更に声をかけられるまで隅で縮こまっていたテルマの挙動は相変わらずおかしい。怯えているように見えて、少しユキの顔が曇った。


「……テルマ、は」


「あの無理しないで…」


「違います!!!」


突然の強い声にびくりとユキの体が跳ねた。テルマの翼が忙しなく動いている。何かを言おうと何度も、何度も口を開閉させて。


「テルマは、魔王様から逃げ出した意気地なしで出来損ないで御座います」


言葉を紡ぎながら、それでも。テルマは、彼女はユキの足元へと近寄り―――その頭を垂れた。


「テルマは魔王様が恐ろしかった。でも、愛していました。テルマは魔王様から生まれた悪魔です、だから、とても、とても愛していました」


でも、と。


「魔王様は命を削って禍を呼び起こします。恨み、憎しみ、負の感情全てが力となり、それが肉体を、精神を、魂を蝕んでいきます」


その姿を見るのが耐えられなかった、と。


「悪魔は、愛さずにはいられない。魔王様を――月神様に属する者を。テルマ達の命の源だから。その存在を愛さずにはいられない」


だから、と。


「死を願う姿をテルマは見たくないのです。命を削って、血反吐を吐きながら憎悪に身を焦がす姿を見たくはないのです。世界を壊す姿を見たくはないのです。だから、だから――」


『ユキ様』とテルマは呼んだ。その声は、心の底から願うような響きを持っていて。


「貴女が生きたいと願うなら、テルマは貴女の悪魔になります。貴女の瞳の使い方、在り方、全てを教えます」


「テルマさん……」


「テルマは、出来損ないですけど…でも、やっぱり悪魔です。この身全ては、貴女の、貴女達、月神様に属する者の為に在るのです。どうか、テルマを使ってください。お傍に置いてください」


だから、生きて下さい、と。


彼女は出来そこないの悪魔ではなかった。ただ、優しすぎる悪魔だった。だからこそ、ユキの前でこうして頭を垂れている。

生きてほしいから。もう二度と、命を削り、苦しむ姿を見たくないから。


「テルマさん…」


「お願いです、ユキ様。テルマを使うと言ってください。それがテルマの願いなのです――テルマももう、逃げたくありません」


その言葉は本心で。顔を上げたテルマの目にも、覚悟の光があった。


「………テルマさん」


だから、ユキも覚悟を決めた様に頷いた。

勇気を振り絞る様に私の手を握って。私も握り返して。


「わたしに、力を貸して下さい。この瞳の事を、力の事を、わたしに教えてください」


「――仰せのままに、我が主」



深く首を垂れるテルマをじっと見つめるユキの姿は、儚く、それでもその瞳は力強い煌めきを灯していた。

覚悟完了なお話し。


ブックマーク、アクセスなどなどありがとうございます!とても励みになっております!

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