取り換えられた少女と半魔の猫
雪の様な白い髪を持つ少女は震えていた。
「私はこの世界の人間じゃないんです」
苦しげな声を出しながら、震えていた。
「私は一度死んだ筈なんです」
少女が祈る様に握りしめている手は、力が入りすぎて爪が食い込んでいた。
「死んだのに…やっと死ねたのに」
苦しそうに。心底何かを恨んでいるかのように。
「気が付いたら、この世界の赤子として存在していました」
震えて。震えて。震えて。
「無くなる筈だった私の命が、赤子の命と取り換えられてしまったんです」
大きな目を限界まで広げて。涙が溜まって。それでも流れない。流れる事を許さないかのように顔を上げて。
「白い髪の子供は悪魔の子。わたしの生まれた場所ではそう言われていました。だから、これは罰なんです」
少女は全てを諦めたかのように微笑んだ。
「自分の命を放棄したから、悪魔の子として取り換えられた。生きる事を罰として与えられたんです」
「でも、辛いんです」
「あぁ、この世界の両親は優しいんですよ。でもそれが尚更辛いんです。わたしなんかがあの人達の子として生きる事がつらいんです」
「いっそ周りと一緒に悪魔の子として虐げてくれたら良かったのに、一生懸命庇ってくれるんです」
「わたしにそこまで愛される資格なんてないのに。わたしはただ取り換えられただけなのに」
「だから、もうわたしの為に傷つかなくていい様に死のうと思いました」
「……いえ、違いますね。これはただの言い訳です。そう、わたしは…わたしは…」
「わたしは、ただ、もう一度死にたいだけなんです」
だから自分はこの森でひとり彷徨っていたのだと少女は言った。
「…そうか。うん、それで?」
「――え?」
「それで、私の狩り場であるこの森で勝手に死のうとしたのか?」
「あ、あの、狩り場とか、そういうの…よく知らなくて…」
気まずげに口ごもる少女を私はただ見つめる。にわかに信じられない話を聞かされて、頭の中が整理しきれていない。
でも一つだけ分かる事はある。
この少女は迷子でも何でもない。ただの『自殺志願者』だ。いや、あの話が本当ならもう既に一度『自殺をしてしまった』者だ。
生きる事を諦めて、そしてもう一度諦めようとしているのだ。
(あぁ、なんて……羨ましい)
瞬間、湧き上がるのは嫉妬だった。生という呪縛で雁字搦めにされた己の醜い嫉妬だった。
どんなに虐げられようとも、忌み嫌われようとも、ただ生きていかなければいけないと自らに課した私の対極にある少女。
ずるい。妬ましい。羨ましい。しかし可哀そうな少女。
怒りと、嫉妬と、羨望と、憐れみと、色々なモノがぐちゃぐちゃに心を荒らしていく。
「あの…わたし、別の場所で死にますから!すぐ、離れますから!あなたの迷惑にならないところを探しますから!」
少女は立ち上がる。私はただそれを見ている。
「せっかく気にかけてもらったのに、ごめんなさい……わたしなんかに、ありがとうございました」
丁寧にお辞儀をして微笑む彼女の顔は今から死ににいくとは思えないほど美しく、頭の奥をちりちりと焦がす様に嫉妬が湧き上がる。
美しい少女が自らの命を放棄して、醜い半魔の私が自らの命に執着する。なんと皮肉な事だろう。
――でも、結局は如何でも良い事だ。
誰が死のうと、放棄しようと、私は生きていくしかない。
不可思議で美しい少女は人知れずどこかで死んでいく。ただそれだけだ。
私が生きていく事とは無関係のことだ。
「あの、お姉さん」
無意識に顔を伏せていたのか、少女の声に顔をあげるとそこにはやはり微笑みを浮かべた少女の姿。しかし諦めた微笑みではなくて、少女本来の愛らしい微笑みがそこにはあって。
「最期に会えたのがお姉さんで良かったです。そのお耳も尻尾も全部含めて、誰よりも綺麗で素敵な人です。思わず我を忘れちゃうぐらいに一目で惚れちゃいました」
そんなことを嬉しそうに言うのだ。嫉妬でぐちゃぐちゃになった醜い私を愛しげに見つめて、よりにもよって綺麗だと、好きだと言うのだ。
「…なに、言ってんだ。最後にお世辞なんて言われても嬉しくないぞ」
「いえ、お世辞なんかじゃないです…優しい所もそうですけど、その長くて艶やかな黒い髪とかそれにお似合いの褐色の肌とかツリ目気味の涼しげな目元とか深い藍色の瞳とか低めで色気のある声とか大きめの胸とか引き締まったお腹とお尻とかすらっとした綺麗な足とか――」
「やめろ怖い恥ずかしい」
微笑みが妖しい笑みにかわりそうだったので急いで止めた。そんな事言われるのは生まれて初めてだし非常に恥ずかしい。あとこわい。
またやってしまったと少女自身も少し恥ずかしそうにしている。テンションが上がると色々と突き抜けてしまうようだ。
「あの、だから!…だから、お姉さんがこんな荒唐無稽な話でもちゃんと聞いてくれて、嬉しかったんです」
もう思い残すことはありません、と恥ずかしそうに、嬉しそうにまた笑う。
笑いながら別れの言葉をその口で紡ぐのだ。勝手にこの自己嫌悪の塊のような私を好きだのなんだの言っておいて、勝手に少女という存在を私の心に刻み込んで消えようというのだ。
無自覚なのかもしれない。わざとなのかもしれない。しかしそれも私にとっては関係ない事だ。
そんな事関係ないぐらい、私は――。
「なぁ、死ぬなよ」
「………いえ、それは、できません」
私の言葉に笑顔から一変、少女は泣きそうに顔を顰めた。その言葉だけは聞きたくなかったかのように首を横に振っている。
辛そうだ。とてもとても辛そうだ。死を否定される事に苦しんでいるその姿。
「わたしは死にたいんです!これ以上生きていては駄目なんです!わたしなんかに優しくしないで下さい!!」
「いや、私は優しさなんかで止めてるわけじゃないぞ」
私の言葉に驚いた様に動きが止まった。月の色をした大きな瞳が私を凝視している。
その瞳に映る私は、自分でも初めて浮かべるような暗い笑みを浮かべていた。
「私も死にたいんだ。けど死ねない。生きろと言われて、どうしてもその言葉に逆らえない。呪縛みたいなもんだ」
「お前が羨ましいよ。妬ましい。死にたい時に死ねるなんて、ずるいじゃないか」
「だから私はただ、邪魔をしたいだけなんだ」
「お前が死ぬのを邪魔したいだけなんだよ」
目の前の少女は顔を俯かせ、悲しみに体を打ち震わせていているようだった。
それを見て喜ぶ私は最低だ。やはり私は心まで醜い半魔なのだ。
そんな暗い感情で見つめていると、震えていた少女が顔を上げ――その顔は紅潮させた、陶然とした表情をしていて。
「それはわたしが生きてる限り傍にいてくれるってことですか」
「は?」
「死なないかわりに何かご褒美くれますか」
「んん?」
「とりあえずキスしてくれたら今日死ぬのは止めます」
「うん、ちょっと待とうか?」
「キスしてください」
「待ってください」
「死ぬの邪魔したいんでしょう?邪魔できますよ?」
「うっ…」
何がどうしてこうなった?さっきまでの暗い雰囲気は?子供のくせに押し強すぎません?
色々な考えが一気に駆け巡る。何故追いつめていた筈の自分が追いつめられているのか。
でもとりあえず――。
「………わかった。目閉じろ」
これは邪魔する為だと、何も感情は篭ってないと言い聞かせて――。
少女の唇はとても柔らかくて暖かくて自己嫌悪で死たくなった。
死にたがりの少女(病み気味)VS死ねない猫のお話。
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