準備中
「――うぅん、なるほど。それなら俺も賛成かな。ダンさんとアイさんが大丈夫だというなら信じられる」
夕方、衛兵の仕事から帰ってきたカインに今日の昼起こった事、ヴィネとこれからの話をする予定の事――全てを話し終えた後、カインはゆっくりと頷いた。
「そうか、良かった……それと、カインが居ない間に勝手に話を進めてすまない」
「いや、こうして確認を取って貰えただけでもいいですよ。緊急性がある事ですし、断る理由なんてないですから。アイさんが私達の事を考えてしている事だと分かっています」
勝手に話を進めた事を謝ると、笑って大丈夫だと言ってくれるカインに深々と頭を下げる。ありがたいと素直に思った。私の事を理解し、信じてくれたカインの為にもちゃんとヴィネと向き合わねばならない。
「今おっさんがヴィネに確認を取りに行ってくれてる。猫を一匹付き添わせてるから、話が決まったらメモでも何でも持たせてこっちに帰してくれると思う」
「アイさんの猫さん達って本当に賢いですよね」
ユキが感心した様に呟きながら、足元に居た黒と白のぶち猫を優しく撫でる。嬉しげに尾をゆっくりと揺らす猫は自分達が褒められているとちゃんと理解して、当然だとばかりにニャァと鳴いた。
私も猫達を褒められると嬉しい。それこそ生まれた時から知っている猫達も多いのだ、何だか自分の事のように誇らしかった。
「まぁ、伊達にずっと私に連れ添ってるわけじゃないからな、何をするべきか自分から察してくれたりするし頼りにはなるよ」
「わたしが移動する時とか、絶対に1匹はついてきてくれますもんね」
「それはこいつらが心配性なだけだな」
私の言葉に抗議の鳴き声を上げる猫達を受け流しつつ、少しだけ照れてしまう。猫達がユキを心配するのは私の『番』(ツガイ)だと思っているからだ。
前は違うと否定していたけれど、今は否定できなくなった。そのせいか猫達は嬉々としてユキに付き添っている。たまに私よりもユキを優先させることがある位に。ユキが私に比べてとても小さく、か弱い事を猫達はきちんと分かっているからだ。
だからこそ、ユキに付き添う事を止めさせようとは思わない。ユキの事が心配なのは私も同じで、猫達がちゃんと見てくれているのなら安心できる。
そう私が考えている事も全部分かっていて、猫達はユキから離れないのかもしれない。
『に゛ゃぁ』
不意にくぐもった猫の声が聞こえてきた。姐さん、と私を呼ぶ声だ。振り向けば、窓には1匹の黒猫――おっさんに付き添わせていた猫だ。
メモの様なものを口に咥えている。おっさんからの伝言を持ってきてくれたのだろう。屈んで手を伸ばせば、走り寄ってそのメモを手に置いてくれる。良い子だと優しく撫でれば誇らしげに鳴くので思わず笑ってしまう。
「猫さん、お疲れ様です」
横からユキも猫の背中をゆっくりと撫でていた。ゴロゴロと喉を慣らし、嬉しげに撫でられるに身を任せている。何となくまわりの猫が羨ましそうに見ていたので後で撫でまわるとしよう。
「アイさん、ダンさんから連絡がきたんですか?」
「あぁ、そうみたいだな――」
手に置かれたメモを開けば、『今夜0時丁度、ダンの店』と書かれている。おっさんの店なら安心して行けるが、話をしたその日とは何とも気の早い事だ。
カインにもメモを渡せば、「え、今日!?」と驚きの声を上げていた。気持ちは分かる。私も早くて明日ぐらいかなと思っていた。
「話が早くて良い、と思う事にしましょう」
「そうだな……カイン、深夜に出歩くから万が一の事も考えて武装だけはしとけよ」
「任せてください」
流石衛兵、どんと胸を叩いて笑う姿は頼もしい。その言葉の通り、任せておいても大丈夫だろう。
今は夕方で約束の時間まではまだ余裕がある、今のうちに出掛ける準備をしようと言う話になり各々行動を始めた。
「レティ。私達も準備するか」
「はい、アイさん」
ユキと共に部屋へ向かう。少しだけ不安げなユキの感情が感じられたので落ち着かせる為ということもある。
部屋に入れば、ほっとしたようにユキが息を吐いたのが分かった。華奢な肩を抱き寄せれば、ゆるりと緩む顔。安心したように私に身を任せてくれることが嬉しい。
「ユキ、大丈夫か?」
「はい、何だか話を聞いていたら緊張しちゃって…」
「不安か?」
「少し…」
私の言葉にゆっくりと頷く。最近のユキは――今までも割とそうだったが――とても素直だ。特に負の感情をちゃんと教えてくれるようになった。
己の感情が伝わる相手に隠す意味がないからかもしれないが、ちゃんと自分の気持ちを伝えてくれる。これも嬉しい事だ。
「ヴィネが――知らない奴に会うのが怖いか?」
「はい………わたしって割と人見知りだったんですね」
小さく溜息をつくユキの頭を撫でる。今まであまり人と接しなかった――接する事を避けていた為か、『前』の自分と比べて驚くほど人付き合いというものが不得手になっている、らしい。
私やレイラ達、おっさんは近しい相手と認識しているので平気なのだが、それ以外の人には表面上は普通でも途轍もなく気力が削られてしまう。何かきっかけがあれば少しはそれも和らぐらしいのだが。
「おじ様はアイさんの猫さんが懐いていたので何だか親近感があって大丈夫だったんですけど、ヴィネさんは…その…」
「まぁ、悪い奴じゃないって分かってても緊張するなっていうのは難しいよな」
「……はい」
それが申し訳ないという様にユキはしょんぼりと肩を落としてしまう。別に悪い事でもないのだが、そこで落ち込んでしまうのが心優しいユキらしいところである。
さてどうするか、と考える。どう言っても、緊張はしてしまうだろう。下手にプレッシャーをかけるような事だけは避けたいのだが――。
「ユキ、ぎゅーってしてやろうか?」
「な、なんですかいきなり!?」
「いや、ユキが落ち着けるのはこれかなって」
「正直そうなんですけど、改めて言われると恥ずかしいです……」
「しかもぎゅーって…なんですかぎゅーって可愛い…」とぶつぶつ言っているユキはとりあえず気にしないようにして、ユキの目線に合うように屈んで腕を広げる。
ユキは恥ずかしそうに視線をうろつかせてから、私の腕の中に飛び込んできた。温かい身体をぎゅぅーっと抱きしめると安心したように息が零れる音を聞いて、良かったと思う。
私自身もユキを抱きしめている時が一番落ち着くのだ。ユキの温かさが、匂いが、感触が、私の心を温かくさせる。心地よくさせる。だから、彼女を抱きしめている時間が好きだ。
「アイさんにこうされると、何だか力が抜けちゃいますね」
「それは何より。無駄に力が入っても疲れるだけだからな」
そのまま抱きかかえる様にして立ち上がれば、ユキも慣れた様に私の首に腕を回して体を密着させる。最早体が覚えてしまっているかのようなスムーズさだ。
夜の散歩をしていた時でもずっと抱きかかえて移動していたのでユキもすっかり慣れてしまったらしい。位置調整もお手の物だ。此方も一々抱え直さないで済むので助かるのだが、何だかそれも気恥ずかしい。
どれだけ私がユキを抱きかかえるのが好きなのか分かってしまう気がした。とても好きだとしか言えない。華奢で儚い彼女を重みまでしっかりと感じられるから、好きなのだ。
考えれば考えるほど、私はユキが好きなのだ。だから、彼女が不安に思うなら安心させてやりたい。寂しいのなら傍にいたい。嬉しいのなら分かり合いたい。そう想う。
「アイさん、準備ってどうします?」
「私は護身用のナイフやら準備しとくぐらいかな。ユキは?」
「わたしは折角なのでお出かけ用の服に着替えようかと思ってます」
ユキが甘える様に首に擦り寄ってくるのを撫でながら、準備の事を考える。外套の中に幾つかナイフを仕込んでおけばいいだろう。
それよりもユキの服について考える。ユキの外出用の服はとても可愛い。それを着たユキはもっと可愛い。
「あぁ、それはいいな。可愛いユキが見たい」
「いつもは可愛くないんですか?」
「可愛いよ、でも可愛い格好したユキはもっと可愛いと思う」
「…あまり正直に言われるのも恥ずかしいです」
頬を赤くしたユキに頬を摘ままれた。理不尽である。力は入ってないので痛くはないのだが、むにむにと弄られるのはくすぐったい。
自分で言わせておいて恥ずかしがる彼女の理不尽な手を取って、その小さな掌に口づける。ぴくりとその華奢な身体が震えたのが手から、そして抱える腕から感じられた。
「あの、アイさん」
「なんだ?」
「えっと、その、手じゃなくて」
恥ずかしそうに、照れた様に、口付けた掌で私の手を取って。誘うように、ユキの唇に触れさせて。
「ここがいいです」
ふにっとした柔らかい感触に無意識に息を呑む。不意打ち過ぎて、思考が上手く働かない。
鈍い思考のまま指に触れる唇を柔らかくなぞる。小さくて可愛い唇。そこに自分の唇を触れさせれば、とても心地良い事を知っている。
「アイさん」
焦れた様に唇をなぞる指に咬みついてくる姿が愛らしい。僅かな痛みさえも愛しく思いながら、誘われるままに唇近くの頬に口づける。
そこじゃないと言いたげに拗ねた顔をするのも愛らしい。今度は鼻に、軽くリップ音を立てる様に口付ればまた私の名前を呼ぶ。
「アイさんっ」
「うんー?」
「意地悪しないでください」
「ん、ごめんな」
拗ねた声、拗ねた瞳。彼女の拗ねた顔もとても可愛い。もっと見たいと思ってしまうのは意地が悪いだろうか。
それでもそろそろこの辺で止めておかないと後で『お仕置き』と言って何をされるか分からない。怒ったら怖いのはレイラ譲りなのだ、この子は。
不満そうに尖った唇に軽く口づける。ふにゃりと口元が緩んで、もっと欲しいと握った手を揺らしてくるから、もう一度。今度はゆっくりと重ねると、嬉しそうに目元が緩んで可愛い。
「ユキ、これでいいか?」
「んっ…は、い」
少しだけ物足りなさそうな声の響き。でもこれ以上していると準備が滞りそうという予感がする。一度火がついてしまうとお互い時間を忘れてしまう事は恥ずかしながら多々あった。
ユキも同じことを考えているのだろうか、ゆっくりと息を吐いて気を落ち着けている様だった。
「……アイさん、服、選ぶので降ろしてもらっていいですか」
「あ、あぁ、そうだな、準備しないとな」
ユキを床に降ろせばそそくさとクローゼットに向かったので、自分も準備を始める。
といっても、手持ちのナイフを幾らか外套の内側に仕込んでおくだけだ。おっさんから貰った外套には内側に色々と仕込める様に収納場所が沢山ある。相変わずおっさんが作った物は良い物だと思った。
(さて、これで良しっと。ユキは――流石にまだか)
早々に準備が終わってしまい、手持無沙汰にユキを眺める事にする。着ていく服に悩んでいるのか、手に何着か服を持って首を捻らせ、ユキの白い髪がその動きに合わせてサラサラと揺れていた。
ユキの白い髪が好きだ。その白い髪が夕日に煌めいて綺麗だから。それを眺めるのが密かに好きな事のひとつだった。
「――アイさん」
「ん?どうした?」
「えっと、その…これとこれ、どっちがいいですか?」
右手には白ベースのワンピース、スカートは膝丈ぐらいで所々に薄いピンクの刺繍がしてあり、何だか草原が似合いそうな清楚なお嬢様風といったところか。腰に刺繍と同じピンク色の太めのリボンが飾りとして巻いてあるのもポイントだろう。
左手には白のブラウスに腰部がコルセット状の紺色のハイウエストのスカート、膝丈で縁に花の刺繍が施されていた。こちらもお嬢様風だ。ブラウスにも紺色のリボンネクタイがついていて、シックな感じがするのに何故だかそそられるのは気のせいだろうか。きっと着たら可愛いだろうと確信はあるのだけど。
「……それは私の好みでいいのか?」
「はい、アイさんの好みが知りたいので」
「……じゃあ、そっち」
私が指さしたのは左手の方。なんとなく、ユキが着ている姿をとても見たいと思ったから。右も勿論可愛いし、今度着てもらいたいとは思っている。
ユキは私が選んだ服をしげしげと眺めて「なるほど」と呟いていた。何だか私の嗜好が分析されている気がする。別にいいのだが。
着替える姿を見つめ続けるのは何だか拙い気がして目を逸らしていると、しばらくして再び名前を呼ばれた。逸らしていた視線を戻せば、私が選んだ服を着たユキがそこにいた。
「どう、ですか?」
「可愛い」
「えへへ、良かったです」
「すごく可愛い」
「えっと、あ、ありがとうございます」
「物凄く可愛い」
「アイさん恥ずかしいです!!」
頬を染めてスカートを軽く握って恥ずかしがる姿はとても可愛い。すごく可愛い。嬉しげに尻尾が揺れてしまってもこれは仕方ない。
可愛すぎて理性が殺されそうになりながらも、ユキの髪をゆっくりと撫でる。サラサラと流れる白い髪。そこには何も飾りが無くて何だか勿体ない気がした。
「ユキは髪結ばないのか?」
「……アイさんは、結ぶ方が好きですか?」
「結んでも結ばなくても好きだけど、今日は結んでる姿も見たい」
「じゃ、じゃあ結びます!」
嬉しげに鏡台から色々なリボンを取り出して、どのリボンにするか悩み始めるユキが健気で可愛い。ユキが選んだのはスカートと同じ紺色で、縁に白のレースがあしらってあるものだった。
どう髪を結ぶか迷いかけて、ユキが私を振り返った。どんな風にするべきか聞きたいのだろう、何となく予想できていたのでユキに近づいて、その髪に触れる。
鏡越しに驚いた顔をするユキが見えて、思わず笑ってしまう。
「ア、アイさん!?」
「私が結んでいいか?」
「えっ」
「嫌か?」
「い、いえ!嬉しい、です!」
触り心地の良い髪に指を通して、彼女の髪を一部横に束ねる。ツインテールも良いが、髪がサラサラと背で煌めく姿が好きなのでハーフにしておこうと思った。
左右の髪の束を紺のリボンで結んで、鏡越しからユキを見る。少し髪型が違うだけでもイメージが違ってくるものだなと思った。お嬢様度が更に上がったと言うべきか。
それに何より、髪を結んだことによって耳が前よりも露わになったのが可愛い。特に今は。照れて赤くなってしまった耳に触れると、びくりとユキの肩が跳ねあがった。
「耳真っ赤」
「い、言わないで下さい!」
耳に触れていた指がユキの手に捕まって、ユキの胸に引き寄せられる。自然と私の体も引き寄せられて、まるで後ろから抱きしめるような形になってしまった。
下から見上げてくるユキの頬が、赤く染まっている。私はただ髪を結んでいただけなのに、何を照れているのやら。
捕まっていない方の手でユキの頬に手を当てて、その熱を感じる。ユキは瞳を細め、何か言いたげにその手に頬をすり寄せてきて。
「アイさん、その」
「んー?」
「わたし、可愛いですか?」
「滅茶苦茶可愛い」
「……良かった」
ふにゃりと嬉しそうに笑うのだから、どうにも堪らなくなったのは仕方ないと思う。
というか、色々と我慢したのだ、これでも。そう、これでも私は頑張った。でも、トドメを刺されたから。これはユキが悪い。
完全に責任転嫁の様な気がするけれど、ユキが可愛すぎるのが悪い。
「ユキ」
「え、あ、あの、アイさんちょっと待っ………っ!」
止めようとする声はすぐに私に塞がれて聞こえなくなった――。
「――あらあら、準備終わったのはいいですけど、夜までそのほっぺ冷やしておきます?」
「いや、その、出発までには治ると思うから…」
「うぅ、アイさんの馬鹿」
しばらくお互いに顔の赤みが抜けなくて、様子を見に来たレイラに思いきりからかわれてしまったのは申し訳なかった。
童貞を殺す服を着たユキのお話。
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