普通じゃない日常の始まり
今日もいつもと変わらぬ日々になる筈だった。『猫の女』はそう思う。
ぼんやりと朝からの事を思い浮かべても、変わらぬ日々である筈だったとそう思うのだ。
いつもの様に目を覚まし、家に寄りつく野良猫達と朝食を食べて、昼前には猫達と共に狩りをする為に森へと向かう。
そこでいつも通り、鹿や獣型の魔物を狩って、汚れた体を川で清めて帰るだけ。ただそれだけの日常であったのに。
「どうしてこうなった…?」
ぽつりと出たのは不可解な出来事に心底戸惑った呟き。
視線の先にあるのは腰までまっすぐに伸ばした雪景色を思い浮かばせる様な見事な白髪。それに付属する顔も『美少女』という言葉がぴったりな造作。
伏し目がちだが子供らしい大きな目、瞳は綺麗な月の色。つんと尖った小さな鼻。薄桃色の小さな唇。
普通にしていればまるで人形のような儚げで美しい少女だと思っただろう。
(そう、普通にしていれば――いや普通にしててもこの状況はおかしいか)
なんせその少女と向かい合ってる私の姿が問題だ。
まごうことなき全裸である。何故全裸かってそりゃ狩りの汚れを落としに体を洗っていたからで私に露出癖があるわけでもない。
一応、人が来ない場所であるという事は長年使ってきたからよくわかっている。なのに少女は現れた。
そして少女は白い肌を赤く染めて覗いてしまったのを謝り倒し、私も女同士だしみられても問題ないとか思っていたのもつかの間――。
「いやほんとにごめんなさい見たのはわざとじゃないんですでも素晴らしいお体をなさってますねその耳と尻尾も素敵ですちょっと触っていいですかすいませんむしろもっと近寄って見てもいいですかお願いしますお願いしますお姉さんのお胸様もほんと素晴らしいと思うんです見ないと勿体ないのでほんと邪な気持ちとかじゃないんです芸術を見る気持ちでですねだからほんと」
「ちょっとまってこわい」
うっとりと白磁のような肌を紅潮させる美少女の姿は幼いながらに妖艶な色気さえ醸し出している気がする。
その手の趣味の男なら喜ぶんじゃなかろうかとか場違いな事を考えてしまう。これが現実逃避というものか。
「とりあえず止まれ、落ち着け、近寄るな」
「でも近づかないと確り見れないじゃないですか大丈夫落ち着いてます人は美しいものに出会うと我慢なんてできなくなるとおもうんです仕方ないんですだから衝動に任せてその尻尾に顔をうずめてしまいたいけどいいですかいいですよね」
「完全に落ち着いてないよな?!取り乱しまくりだよな!?あとこっちくんなこわい!!!!!」
美少女がノンストップで呟きながら近づいてくるのは怖い。ほんと怖い。恐怖心を煽られてじりじりと後退してしまうのは仕方ないと思う。
周りにいる仲間の猫達も怯えてる。姐さんあいつやべぇって思念がびしびし飛んでくるしすごい尻尾太くなってる。
私も普通の倍ぐらいは尻尾が膨らんでいる自覚はある。しかし当の少女は聞く耳持たずな状態で辛い。
「ああもう!そろそろ観念してそのお身体を鑑賞させるか尻尾をもふらせるか選んでください!」
「どっちの選択もお断りだ!!!!!」
中々近づかせない私に業を煮やしたのか少女も剣呑な声を出す。が、私もいい加減苛ついてきた。何故こんな目にあっているのか。
そもそも何故こうなってしまったのか。そろそろ服を着たい。少女から感じる這い回る様な視線から体を隠したい。微妙に寒くなってきたし。
もう我慢しなくていいかな、私良く耐えたと思うんだ。もうこれって正当防衛ってことでいいよな。
というわけで――。
「よしとりあえず殴ろう」
「すみません調子乗りましたごめんなさい」
怒気を含ませた笑顔で拳を握ると少女が無駄のない素晴らしい動きで平伏した。流石に力には逆らえないと言う事か。実際、半魔の私に本気で殴られれば大怪我は逃れられないし。
怯えた様に平伏したままの美少女に自然とため息が漏れた。別に本当に殴ろうとは思ってはいなかったが、少し罪悪感を感じてしまう。
変態の様な行動をしていても相手は子供なのだ。大人げない態度をとってしまったのかもしれない。
「はぁ……ったく。服、着るから。ちょっと待ってろ」
「え?」
「どうせ迷子だろ。こんな森の中でガキがひとりでうろついてたらあっという間に魔物の餌だ。ここで放り出して死なれちゃ寝覚めが悪くなる」
「…あの、わたしのこと、怒ってない、んですか?」
顔を上げた少女は戸惑いの表情を浮かべていた。先ほどまでのテンションはどこにいったのやら、大人しくなっていた。
雰囲気を見るに、むしろこちらの方が素なのだろう――身の安全の為にもそう信じたい。あと『美少女』というイメージをこれ以上壊したくないのもある。
「もう怒ってない。というか、私の事を怖がらないガキも珍しいからな。半魔だぞ、知らないわけじゃないだろ?」
「……魔族と人が混じった禁忌の子、ですよね」
「そうだ、交わる筈がないものが混じった化け物だ。普通のガキなら怯えて逃げ出すんだけどな」
「わたしは普通じゃないですから」
「…へぇ?」
あまりにもあっさりと返された言葉にその顔を伺えば、そこに浮かぶのは諦念が混じった微笑み。まだ幼い少女にはあまりにも似つかわしくないその表情。
私の無遠慮ともとれる視線に気づいた少女は、所在なさげに細く華奢な指で自分の白髪を弄りながら目を伏せた。
そこにはもう私に本能的な危機を感じさせた妖しい少女の姿はない。儚い――それこそ、消えてしまいそうなほど弱々しい、その姿。
「――じゃあ仲間ってことだな」
「え?あ、あの?」
しっかりと服を着て、少女の隣に座りこむ。散々彼女が近づくのを拒否していた筈の私の行動に唖然とした顔が少し面白い。
こんなこと私らしくないとは自覚している。人間なんて嫌いだ。『普通』の人間は大嫌いだ。でも『普通』じゃないのなら――それなら私を育ててくれたあの男と同じだ。
それが考え方なのか姿かたちなのかは関係なく、少しだけ、ほんの少しだけだけれど好ましく感じてしまう。
「私に触るのは駄目だが、話ぐらいなら聞いてやる」
「話…ですか」
「普通じゃないんだろ?私から見たらただのガキって感じだけどな」
子供、しかも儚げな少女ひとりがこんな森の中で彷徨っていたこと自体がおかしいことぐらい分かっている。
分かっていたからこそ関わらない様にしていたのは人間の少女に対して警戒していたからだ。あと最初の変態テンションで警戒度合いが高まったせいでもある。
(でもなぁ…あんな顔されるとなぁ…)
諦めを含んだ微笑は見覚えがある。
虐げられた者特有の微笑。何もかも諦めきった、僅かな抵抗さえ諦めてしまった顔。
「わたし…わたしは…」
少女はぽつりぽつりと呟き始めた。
諦めの微笑を再び浮かべて。祈る様に手を握り合わせた。
「…この世の者じゃない。悪魔に取り換えられた子供、なんです」
それは懺悔のような、または血を吐くような、苦しげな呟きだった。
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