4章・愛を苦抱く(6)
翌朝、セレナの意識は戻った。
もともと魔力を過剰に放出しただけであったので、若いセレナの回復力があれば、大した問題ではなかったのだ。
ただし、頭の芯がズキズキと痛み嘔吐感が耐えなかった。
その症状はまるで二日酔いだったが、飲酒の経験のない彼女には二日酔いの苦しみなど知らなかった。
一方、ミナだがまだ冷たいままで寝かされていた。
ファティマの呪符の効力でミナの回復力は倍増していたが、それでもまだ生死の境をさまよっている状態と言えた。
そして日も高くなると、外が騒がしくなってきた。
「おい、中央広場で何かあるらしいぜ、兵隊が人を集めてやがる」
「なにしろアムル公国の公女捕まったらしいぞ」
そんな話を聞いたファティマは焦燥に駆られた。
アムル公国公女ルシアは彼女の姉である。血縁から行けば、ファティマもアムル公国の公女である。ただファティマは幼い間にアムル公国を追放にあっていて、アムル公国とは縁を切られた存在だ。しかし、それでもルシアは彼女にとって姉であり、そしてこの世に残された唯一の血縁であった。
「落ち着きなさいよ。絶対裏があるに決まってるでしょ」
焦った表情で人の流れに混ざって街頭に飛び出そうかと言うファティマをシレーヌはたしなめた。
「でも、姉さんが捕まったなら……私、どうすればいいんです?」
ファティマは狼狽してシレーヌを見た。
やはり強力な呪術を使えようとも彼女は十六の少女なのだ。
シレーヌは小さくため息をついた。
「分かった。私も一緒に行ってあげる。ただし、セレナとファティマはフードを深く被ってね。正体がバレたら事よ」
シレーヌは慎重に街の様子を見ながら、そう言った。
ファティマはミナにもう一度回復の呪符を張り替えると、フードの用意を始めた。
普段は人々の往来でにぎわうヴァルハナ市の中央公園のさらに中央にある広場の一角の高台に、ルシアはいた。
いた、と言う表現には語弊がある。両腕を後ろで縛られて、大きな丸太にくくり付けられている。晒されていると言うべきか。
肌は常の白さより更に白く、青白い不吉な輝きを持っていた。瞳は固く閉ざされて、意識が無い。
その周りにざわめく人の波が押し寄せ、その中にセレナ達も混ざり込んでいた。
その広場にたどり着いたとき、ファティマは一瞬、呼吸をするのを忘れてしまった。ルシアの酷い姿を見たからだ。彼女の顔からはまるで生気が感じられなかった。ファティマは姉同様に顔を青ざめさせ、実姉を見上げていた。
「姉さん……」
ファティマは苦しげにつぶやいた。
ルシアは拷問を受けたのだろう。外傷は確認できなかったが、それがファティマには分かった。ルシアの活力はひどく失われていた。
「ファティマ……落ち着いてよ」
「……わかってます」
シレーヌがファティマの気持ちを察して忠告した。
もし、ファティマが自制心の弱い者なら、この場でルシアの元に駆け出したかも知れない。が、彼女は忍耐力、状況分析力に長けた少女であった。
すると、若い貴族らしき男が壇上に上がって、ルシアのとなりに立った。
ケッツァー・オブ・ドゥルジ伯爵である。彼は歪んだ笑みを浮かべると、演説を始めた。
「ここにおわすのは故アムル公の長女ルシア公女であられる。が、この状況を見て皆もおわかりのように、彼女はカランダ城を無断で逃亡した。これは明らかに反逆罪である。処刑は免れぬであろう」
その演説を聞いたファティマは豊かな髪を微かに震わせた。
怒りが背筋を悪寒となって嘗め上げて行く。
「だが、私はそれが反乱分子フェンリルに唆されたことであると断定している。そこで我々はフェンリルのアジトを検挙した。……残念なことに首謀者には逃げられてしまった。だが、私は一つの情報を得ている。フェンリルを操っていたのは、伝説に語られるガイアの一族だと言うことを」
セレナはそれを聞いて愕然とした。
「現在その者の行方は分かっていない。その者は三日以内に出頭せよ。出頭せぬ場合にはやむを得ず、ルシア公女を処刑する」
セレナは愕然と、ドゥルジ伯の演説を聞いていた。
フェンリルに居たガイアの一族は彼女の知る限り、彼女自身一人である。しかし、彼女はフェンリルに護られていた一人でしかなく、フェンリルを操っていたことなど無い。
「また、ガイアの一族は緑の髪をしている。捕らえたものには恩賞を与えよう」
ドゥルジ伯は皮肉っぽい笑みを端正な顔に浮かべた。
それで演説は終わりであったらしい。彼は壇上をさり、それと同時に集まった人々も徐々に散り始めていた。
「なかなかしょうもない策を講じるわね。ルシアさんを処刑すると脅しておいて、ガイアの一族であるセレナを釣ろうってわけか……」
シレーヌは忌々しそうに言った。剛胆な性格の彼女は、策士という人種は好きになれない彼女である。
「ファティマ……私、どうすれば……」
セレナはファティマを見た。動揺に揺れる瞳を向けて。
その視線を受けてファティマは逆に冷静になれた。ルシアの事は当然心配であるが、だからと言ってセレナと引き換えに出来る彼女ではない。
「セレナ。絶対、出てっちゃだめだからね。大丈夫。姉さんはきっとラルフさんが助けてくれる」
「ずいぶん勝手なことを言ってくれるな」
木陰から広場を見つめていたのはアーディルであった。かなりの距離をおいていたが、視力、聴力ともに抜群の力を持つ彼にはルシアの姿ははっきりと捕らえていた。
「しかし、あのドゥルジ伯の目的はルシアではなく、セレナみたいだな」
ラルフもその隣にいて、率直な声を上げた。
「ま、ああ言う奴は言ったことは実行するからな、ぼんやりしていると、本当に処刑しかねない。人のいいセレナものこのこ出て行くかも知れないしな。ま、ここは俺に任せてくれ。こういうのは得意だからな」
アーディルは不敵に微笑むと、悪巧みを思い付いた少年の表情で片目を閉じてみせた。
静寂たる夜。
この時代、人為が生み出す光エネルギーは極脆弱で、月の蒼さにも勝つことはできない。だから、人は夜の闇の中で眠るのだ。暗闇の中で人は活動は出来ない。
だが、それを覆すものもいる。
闇に躍動し、影を渡り歩くことの出来るものは魔の者だけではない。
ヴァルハナ市の中央からやや北よりの位置にヴァルハナ市を治める大守の城がある。
それは三日月に照らされて、白亜の城壁は淡い青に包まれていた。
その壁に影が走る。それは夜陰の中でさほどの目立っていない。よほど注意深く無ければ見過ごしてしまうだろう。
その影は二つ。アーディルと、ラルフだった。
二人は短剣を器用に使い、壁をよじ登っていく。花崗岩を主な原料とした城壁は、風雨にさらされて表面が脆くなっている。剣で岩と岩の繋ぎ目を突き立てれば訳なく刺さる。
そうして、彼らは三階の窓から気配を殺して忍び込んだ。
「しかし、大胆だな。ルシアが捕らえられたのが昨日……助けだそうとするのが、今日……」
「だからいいのさ。奴らだって油断している。それにこの城は、偵察に何度か来ている。見取図は頭の中に入っているさ。警備の位置なんかもね」
闇の中でラルフが小さくつぶやくと、アーディルは不敵に笑って歩き始めた。
造作もない歩き方に見えるが、足音がしない。隠密、偵察等に優れた能力を発揮する彼には、気配を外に出さない特殊な訓練を受けている。それはラルフも同じだった。彼も暗殺の際に、「敵に気付かれない」は最も重要なことだったのである。
二人はそのまま廊下を歩き、ルシアの捕らわれている部屋を捜した。
この辺りは客間である。ルシアほどの高位の身分の者となると、捕らわれの身となったとしても、それなりの待遇は処すはずだった。
いくつかある部屋の中からルシアの部屋を捜すことはたやすい。警備されている部屋がそれである。
二人はそれを見つけた。警備は二人である。
屈強な兵士と夜目にもよくわかった。が、闇の中ではアーディルとラルフ、この二人の相手ではなかった。
二人は息を合わせると、二人の兵士を急襲した。
闇から音もなく現れ、突如眼前に迫る。
それと同時に拳を溝落ちに的確に入れていた。無論、開いた手で口を塞いでいる。叫びを上げられてはたまったものではない。
兵士はどうと崩れた。
アーディルが小さくガッツポーズをとって、懐から針金を取り出した。鍵抜き用の奇妙に曲がった物である。
「鍵は開いてる様だけど?」
「不用心だなあ……ま、楽でいいけど」
アーディルは拍子抜けして苦笑いをした。
二人は慎重に部屋へ侵入した。
部屋の中にも兵士がいるかも知れない。油断は禁物であるとはよく言ったものだ。が、部屋の中はがらんとして誰もいなかった。ただ、ベットと僅かな家具や調度品があるだけだった。
だが、ベットには何よりも勝る調度品があった。
神が女性に与えた芸術とはこのことだろう。美しいルシアはそこで寝息を立てていた。
「ルシア……」
ラルフは耳元で彼女名をささやき、肩を揺らした。
「う……ん」
すこし肩を震わせながら、ルシアの瞳が開く。やがてそれは焦点を捕らえ、ラルフの顔を映し出した。
「ラルフ、来てくれたのね?」
「よばいじゃありませんけど、ね」
ラルフは小さく微笑んだ。それにつられてルシアもくすりと笑みをこぼす。
夜陰に紛れても彼女の憔悴は痛々しかったが、気丈さが失われていないことにラルフは安心していた。精神的に彼女はまだ屈していない。
「ガルドさんは?」
アーディルが尋ねた。ルシアが捕まっていると言うことは、ガルドも捕まっている可能性が高い。
「多分地下の牢屋だと思う。フェンリルの捕まった人達も……多分」
「わかった……ラルフさん、あなたはルシアさんを連れて逃げてくれ。俺は地下へ行ってガルドさん達を助けて来る」
アーディルはそういいながら、駆け出した。
「一人で大丈夫か?」
「俺を誰だと思っている?」
アーディルは一瞬振り返って、不敵に笑った。が、次の瞬間には彼は駆け出し、城内の闇の深淵へと消えて行った。




