4章・愛を苦抱く(3)
セレナ達はラルフを先頭に建物の中を通り抜け、裏口へと出た。
こちらは表通りとちがって人通りも少なく、道幅もせまい。路地も入り組んでいる。
「逃がすなっ! 追えっ!」
怒号が彼女達の耳にも飛び込んで来た。兵士達は裏にも回っているのだ。その数は多く、大規模な包囲だと予想された。セレナ達の胸に焦燥の熱い炎がくべられる。
「ちっ、こっちにもかなりの人数がいる?」
ミナの舌打ちは、いつになく毒々しかった。
すぐ側にまで追手が迫っていた。
セレナは愕然とした。自分が思うよりも時の流れは早い。動きが鈍すぎる自分がもどかしい。ただ、うろたえるのみである。
その追手はミナとガルドが素早く動いて切り捨てていた。
「アーディルは私に道案内をしろっていったケド、これじゃあバラバラに逃げた方がいい?」
ミナが独り言のようにつぶやいた。追われる方が散解すれば追う方もそれぞれに戦力を分けねばらならない。そうすれば包囲に隙が出来て逃げやすくなる。ミナの判断は正しい。
「そうですね。相手の目をくらますためにも」
ガルドは先頭に立ち兵士達の動きを確認しながら言った。
「よし! じゃあ、私とセレナ。ルシアさんとガルドさん、ファティマとラルフさん。この三組に別れよう!」
ミナは素早い判断を下すと同時にセレナの腕を掴んでいた。走れと言う合図である。セレナは弾かれたように走り出した。
他の四人も彼女に遅れず走りだしていた。
動きやすいようにミナの服は腿や肩が露出しているものだ。筋肉の躍動により上気し、汗にまみれるその姿は美しい。
「はあっ!」
小振りな身体の彼女にしては大きめの長剣を振るっている。
ややバランスが悪いが、これは彼女の父の形見だと言う。
自分の体格に合わせた剣を使うことは剣士に取って重要なことだが、彼女はかたくなにこの剣にこだわっていた。剣士として生きる限り、この剣を持ち続ける、と。
彼女はすでに数人を斬り捨て、いくつかの隊を突破していたが、包囲はそれにも増して彼女たちを取り囲んでいく。これは相手がガイアの少女であるセレナを狙っていることを示していた。
そのためミナの責任は大きい。彼女は親友セレナのために、フェンリルに残ったアーディルのために、鮮やかな剣を振るった。
「あっ! ミナあぶないっ!」
一瞬の隙を付いてミナの背後から兵士が迫っていた。セレナの悲鳴にも似た声がミナにも届く。彼女は即座に反応しようと思ったが、思ったよりも反応が遅い。疲れのためだ。
ミナは覚悟をした。だがその瞬間にその兵士は炎に包まれた。兵士は驚いて後ずさる。
ミナが驚いて見るとセレナは胸の辺りに印を結び、必死に呪文を唱えていた。
そのセレナが右手振りかざし、彼女の後ろから彼女を捕らえようとしていた数人の兵士に向ける。その彼女の腕の延長上に激しい炎が起こって、兵士達を狼狽させた。
「セレナっ! やっるうぅ!」
ミナが口笛を吹いて瞳を輝かせた。
包囲の密度が高いのがセレナとルシアを追う組だった。これは兵士たちの目的が明らかで、狙いはその二人にあると言うことだ。
ガイアの少女と逃亡中のアムル公国の公女。確保する人的価値は高い。
そのルシアを守りながら走るのがガルドであった。
恵まれた体格を持つ騎士にとって、この逃亡戦はかえって不利となった。彼はミナやラルフと違い、機動力を得意とする剣士ではない。また大柄な姿は追っ手にとって見つけやすい。相手を巻きながらの戦闘は不得手であった。
ガルドとルシアの逃げ足よりも、包囲の動きの方が速い。彼らは徐々に追いつめられて行った。
「くっ! どうすれば?」
ガルドは焦燥を覚えていた。が、焦りは誤断を招く。彼はそれを知っていたが、窮地に立たされている人間には焦りを完全に取り払えることは不可能だった。
暗殺者と呼ばれる人間はどんな状況であっても冷静を保てると言うが、彼らは精神を機械化された人間なのだ。どんな場面にも臆さない。我が命をも省みない。それを人間と呼べるかどうか。
ガルドは一流の騎士であった。しかし彼の存在する領域は「人間」を超越していない。人間である限り、彼にも失敗はある。有能であれ、万能ではない。
「ガルド!」
ルシアが悲鳴を上げていた。彼女らは完全に包囲されていた。袋小路に入ってしまっていたのである。その出口には十重十二重の包囲があった。
ガルドは絶望した。彼が如何に有能な騎士であろうとも、これを脱出することは不可能だった。
そして、自らの愚かさを呪った。ルシアを護りきれなかったことを恥じた。そして、この敵中に突撃し、せめてルシアの逃げ道を作ろうと試みた。
「ガルド! 降伏しましょう! 生きてこそ、明日があるわ!」
ルシアの声が彼を踏みとどまらせた。
燐とした彼女の声はガルドを打ち抜いた。ガルドは申し訳なさそうな顔をルシアに向けた。そこにはルシアの微笑みがあった。
それはすべてを許すような、優しいほほえみであった。
逆に包囲の密度が小さかったのがラルフとファティマを追う兵士達だった。さらに元暗殺者であるラルフは脱出の戦闘の経験が豊富である。
ふとと、ラルフが急に立ち止まる。
相手を撒くためには動き続けるのが最良であるはずなのに。
「ラルフさん?」
ファティマが怪訝そうな顔でラルフを見上げた。
「ファティマ。悪いけどここからは独りで逃げてくれないか? 私は……残った人達を少しでも助けて来る。アーディルやジーク、彼らはきっとここで死ぬには惜しい人物だ。と言うよりは世話になった人たちを見捨てて逃げたくない」
「ラルフさん……」
ファティマが不安そうな顔でラルフを見つめた。
ラルフは言ってから、ファティマを一人にすることに不安を覚えた。
「わかりました、私は大丈夫です。そのかわり、アーディルさん達を助けだして下さいね」
ファティマは不安そうな瞳の表面に強がりの光を乗せてラルフを見つめた。
強い光ではない。不安が見え隠れする。ラルフはそう感じた。
が、その中に強さも感じた。
ファティマが硬い意志を持っているからだろう。ラルフの心は複雑に絡んだ。
「ファティマ、おまえを信じるよ」
ラルフはそういい残すと、ファティマの前から消えた。
ファティマは前を向いた。
いつも助けてくれた彼はもういない。ここからは、独りで脱出せねばならない。ファティマは生唾を飲み込み、懐から祝詞を刻んだ呪符をとりだした。




